episode.スライム
今俺は王都から南西に位置する、ニンブス大陸の不帰の森に来ている。
顎魔鰐や嘴魔烏のように、アゴが異様に発達した魔物が多く生息している森だ。
そのお陰で脳も発達していて、なかなかにズル賢い魔物ばかりで、かつては近隣の村人たちを困らせていた。
だが賢いと言うことは、それだけ生存戦略が確立されているとも言える。
ナワバリ争いは自分たちの子孫を残しにくくすることをよく理解しているこの地域の魔物は、大半が相利共生をしている。
ソコから外れる、強く大きな魔物に寄生する片利共生をしている小型の魔物も中には居るが。
まぁ、ごく小数だ。
頭が良いだけあり、不帰の森に生息する魔物は、村が街になり発展したことで、集落を襲わなくなった。
人数が増えたことにより、戦力が増したと理解しているからだ。
自分たちの住処となる森の中に入って来た侵略者に対してはその限りではないが、わざわざ森から出て襲うことはない。
一人殺したら討伐隊を組み大勢が襲ってくる、人間の性質のこともまた、よく理解しているからだ。
だが最近、森から出てくる魔物をチラホラ見掛けると、冒険者ギルドに報告が入った。
しかも魔物のクセに、草を食み、果物にかぶりついていたとか。
また素材採集のため森に入った冒険者は、繁殖期でも無いのに魔物同士で争っているのを見掛けたと言う。
そういう小さな異常を見落として、魔物の大群に飲まれた村の数は、両手でも足りない。
早々に対処をすべきである。
そうなると万が一なんて起きてはいけないので、異常を調べるための調査団を組まなければならない。
だが不帰の森の奥には、長いこと誰も足を運んでいない。
浅い場所なら滅多に魔物は出ないので、森にしか生えていない薬草や果実を採集しに入るヒトがソコソコいるが、奥地へ向かった最後の記録は、なんと約一三〇年前。
魔物は繁殖力が強いため、それだけの年月が経っていれば、どんな進化を遂げているか全く分からない。
かつて森で出た魔物の一覧には、爬虫類や鳥類を主として、近似種が多く生息していた。
ソレらが交雑し、強い魔物が誕生した危険性は高い。
また近似種同士での交配が積極的に行われ、知能障害を持つ魔物が誕生したなんてことも有り得る。
いずれにせよ、森を追われた個体がいる可能性は十分にある。
不帰の森に住む魔物と、その近くに住むヒトは、互いに関わらないことで均衡を保ってきた。
だが互いに襲わないという暗黙のルールが破られれば、蹂躙されるのは、間違いなくヒトになる。
ココ、カルポム街は果物の生産が盛んだ。
蜜柑や檸檬のような柑橘類を主として、杏子や梅のような、果樹を多く栽培している。
潰されてしまったら、毎朝パンに塗っているジャムトーストが、ただのトーストになってしまう。
一日の始まりを活気付ける朝食を、そんな侘しく彩りの乏しいものにするなんて、言語道断だ。
一刻も早く解決せねばと、連絡を受けてすぐに来たのに、カルポムの冒険者ギルドは、まだ何にも用意していなかった。
大変遺憾である。
一応ギルドの元締めは、創設者の俺になる。
誰も受けてくれない、消化がなかなかされない依頼や、今回のように規模が予測できない上、早期解決が望ましい依頼を受けることは多々とある。
いずれも通常の依頼と同様、依頼書の作成から受諾、解決、報告書作成を義務付けている。
俺は覚えていられるが、各ギルドの所属者は、長くても二十年やソコらでメンツが変わる。
全ての依頼を語り継ぐのは、とてもじゃないがムリだろう。
別の大陸でも似たような事案が発生した時のため、ギルド間で情報共有をして欲しいし、「コレコレこういう事案がいつ頃ありました」と後世に伝えるため、依頼書はキチンと作成し、残さなければならない。
雛形はあるのだ。
あんなもん、ほんの二、三分あれば書けるだろうに。
あの様子だと、受諾する冒険者が決まっている依頼は、後でまとめて書類を書いているな。
報告漏れがあったらどうするつもりだ。
予算立てにも使われるのに。
歳費報告の信憑性が薄れるじゃないか。
今度抜き打ち検査をしなければならないな。
少し腹を立てながら、それでもギルドに残っていた植生や魔物の分布と差異が無いか、調査をしながら足を進める。
仕事は仕事だ。
私情は挟むべきではない。
安定しているのか、特出した変化は今のところないな。
目撃例がなかっただけで、たびたび街の近くにコッソリ来る個体が今までもいたのだろう。
果物が野生化して生えている。
目立った変化はそれ位かな。
そう考えると、日中ヒトの目がある時にまで街に来るようになったのはごく最近だが、随分前から、不帰の森の魔物はヒトの生息圏に足を踏み入れていたことになる。
なぜだろう。
甘味の味蕾が発達している魔物なんて、聞いたことはないが。
グルメに進化するなんて、良いお友達になれそうな気がする。
気配を読んでみるが、今でも棲み分けはシッカリされているようで、奥に進んでも、異常は特に見られない。
敢えて言うなら、雑草にしても、木々にしても、若芽の薄い色が見当たらない。
どこを見渡しても、濃い緑色ばかりだ。
コレだけ色んな植物が自制しているのに、新緑が一切差し色に無いのは、異常と言えるか……?
長い時間歩いて居たら、他にも変な所を見付けた。
森の中に点在している窪地に、水が一切はっていない。
水溜まり程度なら水がなかったとしても、「最近雨が降っていなかったせいかな?」と思える。
だが池くらいの大きさのものですら、スッカラカンなのだ。
自然物だから、貯水池のように深く整備されたものではない。
枯れることも、ままあるだろう。
だが全ての池となると、さすがおかしい。
コレは魔物の行動は水不足ゆえ、と結論付けて良いのではないだろうか。
街で育てている果物も、森の中に生えている植物の新芽も、水分を多く含んでいる。
また共生しているはずの魔物同士で争っていたのも、数少ない水場を取り合ったか、ノドを潤すための手段として体液を啜るために弱者を犠牲にしようとしたのなら、頷ける。
では水場が枯れた理由は、なんだろう。
もう少し奥に行くと、不帰の森最大の湖がある。
ソコまで枯れていたら、地下水路が原因になるかな。
そうなれば今はまだ問題として上がって来ないが、遠くない将来、カルポムの井戸を含めた水源にも影響が出る。
果樹は実りを付けるため、大量の水が必要だ。
地下水路が枯れていたら収穫に悪影響を及ぼす。
つまり俺の朝食の危機!
水の精霊と地の精霊に協力して貰わなければならないな。
そんなことを考えている間に、湖が見えてきた。
木々の隙間から射し込む陽光が、時折湖面を照らしている。
美しくのどかではあるが、雄大な自然を感じられる風景と言うには、少々画角に納まる登場者が少なく、画面映えしない。
確かに湖の規模としては小さいが、五〇〇平方kmは余裕であるし、近隣の川の水の大半は、一度ココに集まる。
他の池が枯れているならば尚更、魔物は集まりそうなものなのだが……
見事に一匹もいない。
試しに湖の周囲をグルリと歩いてみる。
毒草が自生するようになって湖の水が飲料水に適さなくなったとか、巨大な霊玉が降ってきて周辺が浄化されて魔物が近寄れなくなったとか、何かしら原因が見つけられるかもしれないじゃない。
毒なら多少混入していようが問題なく飲むか。
この湖の水全てを、魔物が飲めなくなる程の濃度の毒素で汚染させるとなると、なかなか難しいだろう。
それこそ、コポコポと泡立つ紫色のヘドロのような粘液じゃないと、ムリなんじゃないかな。
その間にも、遠くの方から鳥の警戒音に、陸上生物の唸り声や威嚇し合う声が聞こえて来た。
殺伐としているな。
湖に繋がっている川は勾配が緩いため、水面が揺れない程に穏やかだ。
しかし川辺にも魔物はいない。
やはり水質が悪いのだろうか。
ヒトと違い、魔物はpH七前後じゃなくても平気で飲む。
泥が混ざっていようが、瘴気に侵されていようが気にしない。
聖水くらいじゃないのかな。
魔物が飲まない水って。
浮遊術で川を渡ろうとしたら、風も吹いていないのに、ユラりと水面が揺れた。
そして俺がいた位置を包み込むように、水が持ち上がる。
……イヤ、水じゃない。
咄嗟に高度を上げると、襲いかかってきた水の中に囚われるものは何もなく、水でできた大風呂敷はそのまま川へと落ちていく。
しかし、二撃目が追随していた。
ビュッと勢いよく、水の蔓がコチラに向かってくる。
ソレも避けたが、気付けば川の水に留まらず、湖面からも様々な太さと角度で蔓が俺に向かって伸びている。
その様子はローパー系の魔物にも見える。
確かに水中に生息するタイプのローパーの中には、岩や海藻に擬態せず、半透明の姿になり水そのものに溶け込む種類もいる。
だがここまで透明度は高くない。
コレは……
「スライムか」
ポツリ呟けば、肯定するかのように水蔓の勢いが一気に増した。
捕まればロクなことにならないのは明白だ。
自分の身体を包み込むように展開してある守護結界に、普段より霊力を多く注ぎ込む。
すると結界に触れる前に、蔓はドロリと溶けて落ちた。
大きさの割りには、脆く弱いな。
つい、呆気に取られてしまう。
単核粘凝の生態は、分かっていない事が多い。
進化が止まり、コレ以上は成長できないとなった後、栄養状態か年齢か、あるいは両方の条件を満たすと分裂し増殖する。
ソレ以外が分かっていない。
核の大きさは分裂する前に一度小さくなるが、そもそも感情によって形を変えられるのだ。
あまり意味はないと思う。
恐怖を感じても小さくなるし。
得意げになると大きくなるし。
全体の質量がある程度の大きさになると分かれるイメージがあったのだが、湖を丸々一個飲み込んでいるワリには、この単核粘凝はひとつの個体でしかないようだ。
しかも酷く弱い。
ココまで大きく成長する過程で、かなり多くの魔物も植物も取り込んだであろうに。
多くの養分を取り込む前に、水ばかり飲んで急成長してしまったのか?
単核粘凝はジメッと湿度が高い、森の深い場所、特に水辺を好む。
更にココはヒトが長年近寄らなかった影響か、魔力の濃度もソコソコ濃い。
この湖はかなり好条件と言える。
成長が早いのもうなずけるが……いくらなんでもデカ過ぎだろ。
単核粘凝は悪食で、魔物も人間も、植物でも土でも、文字通り何でも食べる。
食べられないのは霞くらいなものだと、よく笑われる。
魔貘じゃねぇんだぞってね。
魔物が多く生息する地域でも、単核粘凝はその周辺地域で最も恐れられる存在になる。
竜種ですら、近寄らないと言われている程だ。
単核粘凝と直接対面したことがない魔物でも、単核粘凝の寝床には決して近寄らない。
遺伝子に刻まれているのかな。
黒光りするGに人間が恐怖するのと同じだね。
単核粘凝が水辺に住んでしまうと、陸上生活する魔物は軒並み住処を移動させる。
だって魔物だって生物である以上、飲水がないと生きていけないもの。
でも単核粘凝がいる水辺に行こうものなら、自分が単核粘凝のご飯になってしまうじゃない。
特に今回のように水と同化して待ち構えられてしまったら、逃げようがないよね。
この森の魔物は共生関係にあるから、湖とソコへ繋がる川は危険だと、情報共有がされているのだろう。
だから魔物が一匹も湖周辺にいないのだ。
実際酷く脆く弱くても、この圧倒的な質量は魔法の使えない魔物には脅威になる。
一撃目の津波が襲って来たかのような攻撃に捕らわれていたら、俺も少し焦ったかもしれない。
今まで大きな混乱が起きなかったのは、ひとえに不帰の森の特殊な生態系のおかげだったのだろう。
秩序が存在する魔物の生態系って、あまり見ないし聞かないもの。
だがソレが今、崩れかけている。
水がいよいよ手に入らないとなれば、他の単核粘凝が居着いた森と同様、魔物の大移動が行われる。
スタンピートってヤツだね。
錯乱した魔物は、何をしでかすか分からない。
非常に危険である。
果物を求めてカルポム周辺で魔物の目撃情報が上がるようになってきた事と、カルポムで育ている果物が野生化して、既に実りがあることを考慮すると、既にこの単核粘凝はこの地に居着いて、結構長い。
桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年なんて言葉があるだけあって、果樹はどんなに早くても植えてから結実するようになるまでは最低三年はかかる。
つまり三年はこの地に棲みついていると考えて良いだろう。
霊力に満ちた土地なら例外もあるが、この森はどちらかと言うと魔物が根付いているため瘴気や魔力が溢れている。
ソレらの負のエネルギーが作物に与える影響は基本的に、枯れる・腐るといったマイナス作用が多い。
なのにも関わらず、実は成っていたんだよな……
後で戻って収穫しよう。
魔木化して瘴気を糧に成長したのか、全く別の果樹に進化したのか調べたい。
森に適した実が成るのはとても良いことなのだが、あの程度の量では全ての魔物を賄うことは不可能だ。
しかしだからといって、この大きさの単核粘凝を追い払えるだけの魔物は、この森にはいない。
そうなるとやはり、遠くない将来にスタンピートが起きてしまう。
最も最悪なのが、ノドの渇きを癒すため、果物を求めてカルポムに魔物が押し寄せることだ。
不帰の森に大型の魔物は少ないが、顎がとにかく発達しているので、子供なら余裕で一口で噛み砕けてしまう。
人間からも血――水分がとれると分かってしまったら、魔物に蹂躙され、一晩と掛からずカルポムは滅亡してしまう。
その最悪が避けられたとしても、スタンピートって、人間が起こす時と同様、群集事故が起こりやすくなるんだよね。
今は繁殖期から外れているから、魔物の子供というキッカケが減る分、群衆雪崩は起きにくいかもしれない。
だがいつどの場所で起きたとしても、規模の違いこそあれど、事故は発生する。
そしてそうなると、スタンピートが起きた後は、踏み潰されて死んだ魔物の素材が残る。
大量の魔物が踏み潰しても尚残った毛皮や角だ。
スタンピートの規模が大きければ大きい程、ハクがつくのも相まって高値で取引される。
ほとぼりが冷めた頃、その素材の山を回収するヒトが集まり、ソレを狙った魔物も徐々に集まって来ることとなる。
死体の山が更に高くなるから、辞めて欲しいんだよね。
言っても目先の欲に目が眩んで、聞き入れちゃくれないけどね。
とりあえずその原因になっている単核粘凝を片付けて、魔物が落ち着いてくれるかどうか、暫く様子見するって感じかな。
だがこの単核粘凝、とにかくデカい。
何度も言うが、規格外に大きすぎる。
気配を読むのに失敗しただけで、複数個体が集まっているのかと思ったが、核はやはり、ひとつしかない。
しかも水中……で良いのか?
弱点である核を守るためだろう。
湖の器の奥底、決して表面からでは攻撃出来ないような場所に隠している。
深さ二〇〇m以上あるんですけど。
どうするかな。
まぁ、手っ取り早いのが良いよね。
手の中に光の束を生み出す。
パチパチと火花が散るような音を出しているソレを、おもむろに下へと放った。
着水すると同時に、閃光は水を引き裂くように四方へと走る。
樹状に広がる雷光は、凄まじい轟音を奏でながら爆発し、単核粘凝が取り込んだ水分を蒸発させていく。
霧状になった水蒸気によって、周囲は一気に幻想的な雰囲気へと早変わりだ。
あ〜、コレならもう少し空気を温めて、森の上に雨雲を作るかな。
この湖に水が溜まるのには時間がかかる。
精霊術で水を張っても良いけれど、一箇所に集中したら、せっかく回避できた事故をココで起こしてしまうことになる。
そうすれば魔物の死体は湖に転がり落ち、水が汚染されてしまう。
魔物はそれでも平気だろうが、森の木々が死に絶える。
そもそも霊力を微塵も含んでいない、魔物に害を及ぼさない水なんて、俺は作り出せないからな。
微量の、毒にならない程度の霊力しか含まれていない水を長期的に摂取すれば、魔物は無害化させることができる。
だが家畜化させるならまだしも、浄化をするだけして獰猛な魔物が跋扈する野生に置き去りにしたら、浄化された魔物はただ食われるのを待つだけになる。
さすがにそんな無責任なことはできない。
ならば自然の成り行きに任せるのが一番だ。
取り込んだ水分の大半を失い随分と小さくなった単核粘凝は、痺れているのか気絶しているのか。
俺がすっかり干上がった湖底に降り立っても、何の反応も示さなかった。
湖のみならず、川へも随分と侵食していたらしい。
どれだけ待っても、川から水が流れてこない。
雨はポツポツと降り出したが、口を開けたまま天を仰いでも、ノドの渇きを潤せはしないだろう。
森周辺だけではなく、もっと上流の方にも手を加えるべきかもな。
微精霊に司令を出して、水の循環を促進するように伝える。
そして動かない単核粘凝をヒョイッと持ち上げた。
……うん、命に別状はない。
単に痺れているだけだな。
「なぁ、腹が減っているなら、うってつけの場所があるんだけど?」
傷を癒し、攻撃をしたり逃げたりしないように、防護結界で単核粘凝を周囲から隔絶する。
そして少しずつ浄化を施し、瘴気を取り除く。
こうすれば、人と見ればすぐに襲いかかるようなマネはしない。
久方ぶりの野生のスライムだ。
保護をして十分な食事を与え、観察をしなければ。
毒物だけを与えて育てた単核粘凝は、発射する粘液や、伸ばす触手に通称仕様で毒が孕んでおり、なかなかに凶悪な兵器に進化した。
しかも毒をエサをしているだけあり、毒に侵された人に近付ければ、率先して毒のみを吸い出してくれる個体になった。
扱いは少々難しいが、治癒術ですら解毒できないタチの悪い毒ですら簡単に癒してくれる。
癒すというか、毒の原因物質を食べるだけなんだけどね。
さてコイツは、何を食べさせて育てようか。
ヒトに有用で、かつコイツにとっても有益となるモノって何だろうな。
よくよく話し合って決めないと。




