episode.アルボル
寄辺の渓谷の奥地で‘’森の悪戯‘’が起きた。
その被害者を迎えに行って欲しい。
そう冒険者ギルドから連絡があったので、オプリタス大陸の南にある、永久凍土が広がる氷精霊の森へと足を運んだ。
この森の奥に寄辺の渓谷があり、お迎えをしなければならない人物がいるのは、この更に奥になる。
通常なら、何ヶ月もかかる依頼になる。
だから俺にお鉢が回ってきたのだろうが、正直、いい迷惑である。
情けない依頼もあったものだと思いながら足を進めてみれば、なるほど。
確かにヘタな冒険者では対処出来なさそうな場所だなと、納得をした。
記憶にある景色よりも、だいぶ苛酷さが増している。
こうなると、往復で何年も掛かりそうだ。
イヤ、俺なら数日か、なんなら今日中に終わるけれど。
寒いから、早く帰りたい。
早く終わらせて、今日予定していたホットケーキを焼く時の裏技を全部試すのだ。
粉を入れる前に卵と牛乳をよく混ぜるのは基本として、ヨーグルトやマヨネーズ、レモン果汁やみりんをそれぞれ足したらどうなるのかを試すのだ。
前から、それらをちょい足しするとふっくらと焼き上がることは知っていた。
しかし食感も変わると言われては、食べ比べをしなければならないじゃないか。
舌触りが変われば、味も変わる。
どれが一番美味しいのか、確かめねばならないと奮起するのが、刃傷というものだろう。
特に冬場の牛乳は乳脂肪分が多く、濃厚な味わいになるから、きっとホットケーキも普段より更に美味しくなる。
ミルクティーでも淹れて、ダラダラしながら食べようと思っていたのだ。
なのに、あのタレ目め。
な〜にが「お前の方が適任だ」だよ。
今回はテメェの当番なんだから、仕事くらい全うしろ!
世界中で起こっている異変や、冒険者ギルドに持ち込まれた、‘’緊急性は高いが難易度が高過ぎる依頼‘’をこなす‘’調停者‘’として、国から認可を得て、日々‘’賢者‘’の称号を使い、俺達は世界中を飛び回っている。
だが元々の‘’賢者‘’はあのタレ目のことをさしていた。
俺はおまけみたいなモンなのだ。
俺にばかり働かさせるなよ。
食いモンの恨みは怖いぞ。
帰ったらロイヤルミルクティーを入れさせてやる。
うんと濃いヤツだ。
氷の精霊の名を冠するだけあり、この森は夏でも零度までしか上がらない。
時折火属性の魔物の影響で、ごくごく一部の地域の氷が溶けることはあっても、基本的には一年中氷に閉ざされている。
活動層があるため、独自の進化を遂げた、この土地でしか育たない針葉樹やコケ植物が数多く生えているのが特筆すべき点かな。
ソレが色んな薬の材料になるのだ。
特に 粉媒桾という樹木が、根から葉まで上質な素材となる。
目撃例が少なく、長いこと生きている俺でも、実物は素材として採取されたものしか見たことがない。
賢者が霊薬の試作をしている時に、チラッと見ただけだ。
氷精霊の森にあるという話も、何百年も前に賢者様が目撃した、一例のみ。
今もあるのか、この森の変わり様を見たら、正直自信がなくなった。
この世界の植物は特殊な交配方法を取る傾向にあるが、 粉媒桾は特に珍しい受粉方法を取る。
大昔に目撃された一本が寿命を迎えて朽ちていたら、もしかしたらもう、絶滅しているかもしれない。
霊力の関係なのか土壌の問題なのか、氷精霊の森の中を走る渓谷の、アッチとコッチで育つ植物が違う。
そのため、どちらに生えているものも欲しいと要望が出れば、依頼料が桁違いで高いために、冒険者はムリをする。
向こう五年は悠々自適に過ごせるような金額が支払われるからね。
いつ魔物に命を奪われるか分からない。
そんな生き方をしている彼等だ。
五年も余裕で遊んで暮らせるのなら、命をかける理由に十分なってしまうのだろう。
だからと言って、‘’森の悪戯‘’――ようは行方不明になって年単位の時間が経過しているからと、死体回収を要望するとは。
冒険者稼業なんて、依頼を受けるのもこなすのも、例え失敗したとしても、全部自己責任の世界だろうに。
闇堕ちした樹の妖精にイタズラをされると、森から抜け出せなくなる。
だから樹の妖精の気をそらすため、好物である地属性の霊玉を持ち歩きなさい。
ソレを投げつけて、樹の妖精が気を取られている隙に、走って森の外を目指しなさい。
そんな寝物語があるのだ。
それに例えて、帰れなくなっているだけかもしれないから迎えに行ってやれなんて、そんな遠回しな言い方をしてまで回収したい冒険者様とは、一体どこのダレなんでしょうね。
ようやく用事が終わって、帰路に着いている途中かもしれないのに。
……今の所、誰ともすれ違っていないが。
装備品を整えなければ歩くことさえままならないような、キンと冷える空気は、妙な緊張感を孕んでいる。
今の気温は、マイナス三十度程だろうか。
春でこの気温なのだから、冬本番になると、どれだけ気温が下がるのか。
知ってるだけに、想像するだけでもイヤになる。
コタツが恋しい。
ちなみに、氷精霊の森の冬の気温はマイナス一一〇度を余裕で超える。
絶対にその時期には、二度と来たくない。
思い出すだけで、耳がもげそうだ。
回収を待ちわびているであろう冒険者も、夏を目指して行動すれば、まだ助かる見込みもあっただろうに。
運が良ければ、温度計がプラスを指す日もあるのだ。
最後に零度以上になった日は、五十年以上前だけど。
季節が一巡りしても帰って来ないのだから、夏も冬も関係無いか。
霊力を多分に含んだ水は凍りにくいため、渓谷の間をゴウゴウと音を立てて流れている。
凍りにくいのであって、凍らないわけではない。
そのため氷が岩肌にぶつかり、砕け、深い侵食谷の底で轟音が奏でられるのだ。
防具によって冷気は殆ど遮断されているが、吐息ですらすぐに凍ってしまう。
フードを目深に被り、ネックカバーで鼻まで被ってもまだ寒さを感じたため、結界を張った。
体液のおかげで眼球は凍らないが、むき出しになっている、まつ毛が凍りかけていたらしい。
視界の上に映っていた、白い色が消えた。
こういう時のために、防具の付与効果範囲をもっと広くしたいよな。
フルフェイス型の兜を装備する人も中には居るけれど、蒸れそうだし、アレはイヤだ。
視界も悪くなるし。
常に結界を張っていれば、何の問題も無いのだけれど……
そうすると、皆がガクブル震えるような気温の中でも、平然と半袖短パンで過ごせるようになってしまう。
気を付けて周囲を観察し、随時適応すれば問題無いが、ウッカリがあるといけない。
なるべく常識が通用する範疇で、術を使うのは留めておきたい。
四季の移ろいを感じるのも楽しいしね。
自重は大事だ。
常々「お前の頭の辞書に、自重の二文字は載っていないのか?」と嫌味を言われてしまうが。
メキッ……メキっ……ッ
思考を中断させる音が、渓谷を形成する対岸の崖から聞こえて来る。
地響きと共に、ゴツゴツとした岩が崩れ、谷底へと落ちていった。
渓谷の一部だけが、随分と鈍角になってしまった。
崖を崩し顕になったのは、魔面樹の一種だ。
この土地に適応したために、俺が知っている魔面樹と、様相は随分異なるが。
魔面樹は本来、歩く樹と比喩される。
大樹と言える程太い幹の中央に、人間のような目と鼻、口を持つ。
腕の代わりに枝を使い、足の代わりに根で歩く。
伸ばした枝で捕捉した獲物を口の中に放り込んで丸呑みしたり、獲物に根を突き刺し張り巡らせて、養分を吸い取る。
だが目の前の魔面樹は、針葉樹林がベースになっているためか、あまり幹が太くない。
そのせいでヒョロ長く、弱そうなイメージしか抱けない。
崖壁を崩すくらいだから、通常の魔面樹よりも、根は強いのだろうが。
樹の妖精に拐かされた、という言葉も、あながち嘘では無いのかもしれないな。
闇堕ちした樹の妖精の上位種が、魔面樹だからね。
頼りない外見をしたこの魔面樹は、季節外れに近付いて来た養分を求めて、目を覚ましてしまったようだ。
自重の意味はね、ちゃんと分かってるよ。
ソレに自重はしなきゃとは思うよ。
……ただし、人がいる場所に限るけどね。
「――清冽なる白銀の柩よ」
氷の霊力に満ちているこの土地は、氷の精霊の術効果が底上げされる。
詠唱と共に喚び出された、絶対零度の氷の棺に閉じ込められた魔面樹は、俺に根による触手攻撃を伸ばすことすら出来ないまま、一瞬姿を真っ白に変貌させ、音も立てずに、風にさらわれて消えた。
いくら寒い土地の魔物と言えど、耐えられる限界値ってモンがあるからね。
樹木ベースだし、瓦解するように崩れると思ったのだが、魔力に染まりきった肉体が、霊力により分解された影響で、形を保てず塵となったのだろうか。
面白い現象だ。
是非もう一度再現をしたい所だが……
あ”〜。
氷の精霊術なんて使ったから、余計に気温が下がった気がする。
もう一回やったら、魔物どころか、俺まで凍ってしまいそうだ。
辞めておこう。
サッサと目標を回収して、とっとと帰ってホットケーキを食べるのだ。
……だけど、凍っている人間の気配が、複数個あるんだよな。
どれを持って帰れば良いんだろう?
なるべく新しいものを選べば良いのだろうか??
そう考え集中すると、なんだか妙な場所から妙な気配を、渓谷の向こう側から感じた。
一箇所に、いやに沢山の死体が集まっている場所がある。
しかもソコに、生きた人間とも違う。
だが魔物と断じることが出来ない。
そんな気配がひとつ、うろついている。
まさか、遭難者がまだ生きてるとか言うのだろうか。
結界の範囲を、半径五km程まで広げてみた。
肉も素材も回収出来なくなるので滅多にしないのだが、魔物ならば、大抵はコレで消滅する。
しかし、その気配は消えなかった。
つまり、この気配の主は魔物ではない。
反応を示したので、俺の存在に気付いたのだろう。
霊力に敏感なんだな。
だがコチラに向かって来る様子はない。
遭難した人間ならば、他の生存者がいると分かれば、喜んで走って来そうなものだが。
疑問は残るが、ふわりと浮かび上がり、そちらへと移動を始める。
氷精霊の森は広大だ。
何kmも先まで、ずっと木々が途切れることなく続いている。
タイガのように、針葉樹林のようなツンツンしたフォルムの樹木が多いため、木の隙間から地面は見えるけれど。
当然気配の主も、森の中にいる。
自生している木の特性上、飛んで探しても姿が確認出来るのが良いね。
だが飛行の精霊術は、まだ使える術者が少なく非常に珍しい。
何かツッコミを入れられたら面倒だ。
位置が分かっているのだし、近くまで移動してその付近で降りよう。
そうすれば、怪しまれることもあるまい。
地面をザクザク進むより、この方が早いし。
俺は早く帰りたいのだ。
五分程進んで、目的地に到着した。
気配を読まずとも、ココにお相手がいるのは、すぐに分かった。
氷に閉ざされた土地には不似合いな、目に痛いくらいに色付いた幻の大樹・ 粉媒桾の、雌花が咲き乱れていた。
聞いていた通り、見た目が騒がしい木である。
ショッキングピンクの花が咲き乱れ、アメジストのような輝きを放つ莢が、アチコチにぶら下がっている。
そしてそれらの隙間を埋めるように、ライムグリーンからターコイズブルーのグラデーションに色付いている葉が顔を覗かせている。
明暗の系統が全く違う色の組み合わせによりグレアが生じて、非常にギラついて見えた。
周囲が白色ばかりだから、余計に目が痛い。
粉媒桾の雌株は寄辺の渓谷の東側の固有種のようだ。
雄株は渓谷を挟んで、西側に自生しているらしい。
受粉しているか否かで、胚珠の薬効が変わる。
だがなにせ、雄の木が谷を隔てて向こう側にあるせいで、なかなか受精した胚珠には巡り会えない。
近似種は送粉者によって他家受粉が行われることから、 粉媒桾もそうだと考えられてはいる。
だがどのように受粉するかは、未だに解明されていない。
雄株はどうかと言うと、そもそも花を咲かせない。
雌株がド派手な色の花を咲かせるから見落としているだけで、雄株も小さかったりみすぼらしかったりして見付けられ
ないだけで、花は咲くだろうとは言われているが。
しかし人が住めるような場所では育たない樹木なので、長年不明なままな部分が多い。
今この瞬間、俺が眼で見たから、全容が明らかになったが。
その前から、かの賢者様が、予測は立てていたけどね。
……そんな風に考えていたからだろうか。
目の前にいる人物が、在りし日の賢者の姿と重なった。




