#6 影鎧、駆ける
翠嶺城/裏門付近
浮導車が、瓦礫混じりの舗道すれすれを滑るように走る。
わずかに浮いた車体の底から、霊導板が青白い光を洩らしていた。
運転席のハルトは、口の端にくわえたタバコをゆっくりと吸い、細い煙を吐く。
白い煙は開け放たれた窓から流れ出し、後方の景色に溶けていった。
「おいハルト、俺ら監視兵まで動員って、相当だぞ……」
助手席のカイルが金属製ライターの底を押し開ける。
赤く透明な六角柱の物体が滑り落ち、粉のように崩れていく。
細かい粒子は陽光を受けてきらめきながら、風に攫われていった。
「これでラストだ」
ハルトが片手で赤い六角柱の物体――属性石をカイルに差し出す。
「サンキュ」
受け取ったカイルはライターの底にそれをはめ込み、カチリと閉じた。
ズドン!
爆ぜるような音が車内まで響く。
「工業区の方だ!」
カイルが振り向く間もなく、ハルトはハンドルを切った。
浮導車は瓦礫をはね飛ばしながら、工業区へ向けて滑るように走る。
「MARは持ってるよな?」
ハルトが視線を前に向けたまま問う。
「銃か?当然だ」
カイルは腰のホルスターから拳銃を抜き、スライドを引いて初弾を送り込む。
「……とはいえ、撃つのは苦手だがな。ライターも銃も同じ理屈で動くってのが、どうにも……」
「技術の功罪ってやつさ」
ハルトが鼻で笑う。
「お前、その“罪”のほうが嫌でテイマー降りて左遷されたんだろ?」
「うるせぇ」
「……着いたぞ」
浮導車が急停止し、二人の視線の先に工業区の影が迫る。
「……いるな。ハイエルフだ。さっき暴れてたやつかもしれん」
ハルトの言葉が終わるや否や、カイルが無言で双眼鏡を奪い取る。
覗き込んだ彼の瞳に、一瞬だけ光が宿った。
「……ウチの新型が立ち上がってるだと!? こっちには異世界人の生体反応はないって聞いてたぞ!」
カイルが双眼鏡から目を離す。
その表情は、怒りとも焦りともつかない。
「……まさか、勝手に動いてるってのか……?」
小さく呟いた声を、ハルトは聞き逃さなかった。
その瞬間、倉庫の奥から重々しい駆動音が響き、地面がわずかに震えた。
低く唸る金属の咆哮が、瓦礫の街並みに染み渡っていく。
***
工業区/倉庫内
耳をつんざく警告音が――狭い空間を叩きつける。
胸の奥まで震わせる甲高い音……思わず身をすくめる。
「敵よ! 歩ける!?」
「立たせられたんだ……やって見せます!」
真紅のハイエルフ――ヘイラさん――の声に、叫び返す。
虚勢だ。
動かし方は、頭では分かってる。けど……動けるかなんて、知らない。
裏に焼き付いている。
人が、撃たれる瞬間。
瓦礫に押し潰され……形を失う、体。
ああはなりたくない……と、思う。
生き延びたい……死にたくない……その一心で、この試作ハイエルフ――影鎧、と言ったか――を動かす。
足を出す。
おずおずと……一歩。
よろける。……けど、進めた。
翡翠色のハイエルフが寄ってくる。ミナラだ。
影鎧の左手首に、ダークグレーの腕輪のような装置……そっとはめる。
「シェルザ=カルナ。これで通信できる」
「あ、ありがとう……」
言った瞬間、ハッチが閉じる。
暗闇……すぐ、外の風景がモニターに浮かぶ。
「……なんで、そう簡単に装備できるのかしら」
モニターの端で、ミナラがしかめっ面。ぶつぶつ言ってる。
「もしかして……これも聞こえてる? ……何もせず使えるのね。……ね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い……?」
何をさせられるんだ。動けるかも怪しいのに。
ミナラの言葉は――外で戦え、だった。
倉庫の中には、持ち帰りたい“宝”が詰まっている。だから傷つけたくない、と。
「……約束はできない。でも、やってはみせます!」
口にしてから、胸が痛む。
足がまだ震えているのに。
それでも、動かす。影鎧を。
金属音を軋ませながら、一歩。
翡翠の背中が、僕を穴の外へ導く。
そこは、光と熱と砂埃の世界だった。
「人ぉ!?」
穴を抜けた瞬間、モニターに赤いマーカー。――人影。
「ウチの新型はぁ! 味方を攻撃するのかぁ!?」
「よせカイル! 退くぞ!」
金属音と共に、怒鳴り合う声が機体の集音機能越しに聞こえてくる。
「邪魔です! どいてください!」
スピーカーを叩くように起動して、叫ぶ。
「攻撃はしません! ……でも、踏まない自信はありませんよ!」
一歩踏み出す。
舗道が割れ、砂塵が舞い上がる。
二人の男が顔を見合わせ、慌てて脇に跳ねた。
二人が視界の端から消えるのを確認して、僕は深く息をついた。
***
工業区/外周路
人工霊弦炉の低い唸りが、胸郭の奥を震わせていた。
灰白に赤を差したハイエルフ――見たことのない装甲構成。
センサーが形状データを照合するが、該当なしの文字が瞬く。
「あれが噂の新型、奪れてくれたか! そう簡単に!」
喉の奥が熱くなる。握った操縦桿に、力がこもる。
『あの機体、まだ、よく動けんようです』
『やっと立ち上がった隊長のオゥガ・モデル――影牙の、いい餌では?』
随伴機――影鋼からの通信。
機体から放たれる光信号が変換され、耳に届く。光律信灯だ。
その声は妙に遅れ、ねじれ、腹の底をじわじわ撫でていく。
「配備が遅れていようと、この次世代主力機、よちよち歩きには負けん。――散開!全機、兵装使用自由!」
***
モニターの端に、赤い枠――ロックオン警告が踊る。
考えるより先に、横から叩きつけられた。
全身を締め上げる衝撃。シートに押し込まれる。
「うわっ、何っ!?」
口が先に動く。
答えを待たず、警告音がさらに高さを増す。
銃を構え、走る灰色の巨人。
撃たれたか――でも、機体はびくともしない。
『何トイう装甲!36ミリダぞ!?』
混線。ズレた、機械のような声。
相手の声か。敵……機械のような声……。
影鎧をやや太くしたような体つき――中には、人、いるのか?
僕の見た死のフラッシュバック。
僕がああなるか。
それとも、あれを、ああするか。
「――ッ!」
叫んで踏み込む。
踏み込んだ瞬間、舗道が割れた。霊導炉が唸り、景色が矢のように流れる。
影鎧が灰色の巨人へ突っ込んだ。
視界が狭まり、僕の着ている繋ぎのような服が足首を締め付ける。
腕をクロスさせ、駆ける。
外装が青白く光り、膜のようなものが弾け飛ぶ。
『弾ヲはじク!?』
割り込む声。
灰色――曇天の色の巨人。
視界の端にデータ。
《ハイエルフ/オゥク・モデル〈影鋼〉》
どうでもいい。
怖い、怖い、怖い――
『ナんテ速さダ!』
灰色が、視界を塗りつぶす。
次の瞬間、機体ごと弾かれる。
揺れる機体、軋む骨格――それでも踏みとどまった。
「うわあぁぁあ!」
恐怖の反動で、腕を振り上げる。
手首からはみ出した装甲板が拳の代わりに――灰色の巨体の顔面へ叩きつけられた。
鈍い衝撃が腕を駆け上がり、コクピットの骨まで響く。
相手の頭部が、ひしゃげる。
半透明。鉄仮面めいた、無貌。
よろめきながらも、その巨体は右手の銃口を影鎧の胸へ向けてきた。
『コエ……!? コドモ……!?』
『パターン・ヲ……カエロ! キカレテ――』
ぷつりと声が切れた。
衝撃。何発もの銃弾が、胸を叩く。
揺れる。軋む。
なぜ――なんで――誰も来ない?
ヘイラさんは? ミナラは?
……まさか、試されているのか。
僕が、どこまでやれるのか。
フラッシュバック――死体。死の瞬間。
息が止まり、胸の奥が軋んだ。
逃げたい……でも、逃げ場はない。
だから僕は……探した。武器を。
この機体――丸腰!?
銃弾を受けながら、武器を探す。
擬導紙――巻物が吐き出すデータを漁る。
恐怖と反比例して、頭が冴えていく。
……あった。
「黒紋刃……これだけ、か」
震える指でスティックのダイヤルを回す。
選択。
敵の銃口は胸を狙う――影鎧によく似た機体。
――なら、狙うべきは胸。
――やれるか?
「わぁぁぁあああっ!」
叫びと同時、トリガーを引き、ペダルを踏み込む。
人工霊導炉が唸りを上げる。足裏が舗道を噛み、路面が裂け、瓦礫が舞う。
街並みが線となって流れ去る。
ぬるり。
前腕の外装が割れ、金属の継ぎ目から黒い霧が噴き、螺旋状の紋様が空間に描かれる。
魔法陣の輪がゆらぎ、内側で光が刃の輪郭を編み上げる。
一歩、踏み込む。
白熱の線が音もなく伸びる――が、
影鋼が身をひねり、刃は肩装甲を抉っただけで火花を散らす。
当たらない――!
脳裏に死体の映像がよぎる。
息が詰まり、握るスティックが汗で滑る。
――え? ハイエルフの操り方?
「感覚を同調して……ええと、乗るっていうより私自身がハイエルフになる、って感じかな」
耳の奥で、ヘイラさんの声が蘇る。
工業区へ向かう途中、コクピットで笑いながら言った言葉だ。
僕自身が、影鎧に、重なる。
視界が機械の眼と溶け合い、脚へ力が集まる。
踏み込み直し、機体の重みごと叩きつけるように再度突き込む。
魔法陣でできた剣が疾走り、白熱の線が胸甲を焼き割る。
胸を刺された影鋼が痙攣し、膝を折った。
裂けた胸甲から白煙と火花が噴き出し、機体全体が鈍く傾ぐ。
巨体が瓦礫を巻き上げて沈む音が、骨の奥まで響いた。
思い出したように息を吸い込む。
胸の奥が、冷たくなった。
僕は今、どんな顔をしているんだろう。
息を吐く間も、ない。
警報。
上後方、接近。
振り返る。
モニターいっぱいの影。
剣が――振りかぶられていた。
動けない。呼吸すら、止まった。
紅――視界の端を一気に塗りつぶす閃光。
火花が弾け、金属音が耳を裂く。
真紅の巨人が刃を押し返していた。