表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

#4 翠の瞳に、僕を映して

「……近い。近すぎる」

 視界の端で、金の髪が揺れていた。

 鼻をかすめる甘い匂いと、熱を帯びた肌の気配。

 静かに触れるだけで、思考が──溶ける。


 密着しては離れる、背中の柔らかい感触。


 ……死ぬかもしれない。でも今──

 どうして僕はエルフのお姉さんの膝に座ってるんだ!?


 ──たしか、始まりは。あの箱だった。


 ***


 光の中から現れた、真紅のヴェール。

 人のようで、人ではない。

 金髪で、下着よりも薄い服をまとい、翠の瞳で、僕を見た。


 それは──エルフだった。


 隣に、もう一人。武装したエルフがいた。

 僕を庇い、倒れかかった身体を、受け止めてくれた。


 そのエルフが……箱を指さす。


(ああ、そういうことか)

 手の甲を口に近づけたのは、命令じゃなかった。呼んでたんだ、アレを。


 箱。

 小さい。でも、光ってる。……なんか、やだ。


 拾った。

 僕が拾ったんだ。誰の指図でもない。死にたくなかった、それだけだ。


 赤い巨体──動いた? 手を伸ばしてきた?


「来い」って、ことか?


 あれが地獄の入り口なら。

 せめて、背中は見せたくなかった。

 僕は、歩き出した。

 拒否する理由も、止まる理由も、もう、なかった。


 ***


 情報兵エルサインからの緊急コールを受け、真紅のハイエルフが動く。

 操縦者ティルヴァンヘイラ・メイラ。その双眸が、静かに見開かれる。


 子供……。


 エルフから見れば、人間は皆未熟だ。

 だが、それにしても小さい。

 栗毛で、痩せている。肌も、荒れていた。


 “選ばれた器”。

 霊弦霧に導かれた媒介。


 そう仮定するしか、説明がつかなかった。


 それに──

 エルサインの女が、人間を庇った?

 この戦場で? そんな奇跡、そうあるものじゃない。


 意味が重なる。偶然ではない。

 そう思ったとき、通信が割り込んだ。


「隊長、緊急です。こちらを」


 ミナラの声は硬い。“姫様”でなく“隊長”。本当に緊急だ。


霊相眼(リィザ=アリシェ)で視界を共有します」

 視界が切り替わる。

 1枚の画像が、霊導視録装置(フェリス=ヴィオ)から投影される。


 ──人類製。未確認のハイエルフの頭部。


「……だから妙に守りが堅かったのね」

 ヘイラが、低く呟いた。確信ではない、勘に近い。


「隊長、いかがします? 本部に報告を──」

 リュラが控えめに言う。


「遅いわね」

 間髪入れずに、ヘイラが言った。


「これは勘。だけど、おそらく試作品。ここで見逃せば、次はない」

 画面の向こうで、誰もが息を呑んだ。


「リュラ、突入準備を。セリラ、あのエルサインを──霊核共鳴室(ラシア=エルネア)へ。負傷してるわ、手当ても。ミナラ、侵入経路を案内して」


 即断だった。

 だが、的確だった。

 ヘイラは、もう指揮の中にいた。


 ──問題は、あの子供。


 兵士じゃない。

 でも、この国には“異世界より召喚された者”がいると聞く。なら……?


 あの機体。あの子供。

 繋がっている。


「……念のため、連れていくわ」

 一拍置いて、続ける。


「セリラ、その子も。私の方に。責任は……私が取る」


 誰も反論しなかった。


「人類の新型 霊環駆動装体ハイエルフ──我々の手で奪取する」


 ***


 下着よりも薄い──いや、もうこれは布じゃない。

 光沢のある装甲服。肌と布の境界がわからない。

 その指先が、ためらいもなく僕を掴んで──引き上げた。


 軽かった。自分でもわかるくらいに。

 拒めなかった。体が勝手に、動いた。


 力強い。けれど、やさしい。

 拒絶のない指。拒絶されなかった僕。


 ……その時だった。

 目の前で、大きく揺れた。

 柔らかそうな──いや、柔らかい。揺れた。胸が。お姉さんの。


「う、うわっ……!」


 目を逸らそうとして、逸らせなかった。

 そんな暇もなかった。気づけば僕は、引き込まれていた。


 真紅の巨体のなか。

 そこは、ほんのりと緑がかった光に満ちていた。

 天井も壁もないような、透明な──だけど密閉された空間。


 僕は、腰を落とす。


 ふわり。


 柔らかい。

 いや、これは……どう考えても、太ももだ。


 エルフのお姉さんの。生まれて初めて、そんな実感があった。

 膝じゃない。骨の硬さがない。あたたかい。


 なにこれ、柔らか──って、落ち着け!落ち着け僕!


「ど、どうして!? なんで僕、座らされてるの!?」


 声が裏返った。けど、お姉さんは何も言わなかった。

 ただ、静かに腕をまわして、僕を包んだ。


 ぴったりと。

 密着した。


 匂いがする。甘い。花みたいで、でも少し汗っぽくて。

 耳元が、熱い。もう、やだ、これ。


 箱。そうだ。箱を開けよう。

 気分を変えるように、気まずさを振り払うように箱を開ける。

 入っていたのは──巻物のようなものと、小さな金属の塊。


 丸みを帯びた楕円形で、先端がうっすら光っている。なんだこれ?


「……え?」


 思わず手に取った。

 そのときだった。


「リィア=サリ=ナ=アレシュ=エル!(これ私に渡して!)」


 お姉さんが、急に叫んだ。

 何語? なんて言ったの今?


「……え? ごめん、わからない……」


 僕が戸惑っていると、その指先がスッと動いて──


「わっ!」


 小さな金属の塊が、あっさり奪われた。

 速い。優しい顔して、えげつない反応速度。

 怖い。けど……ちょっと、格好いいかもしれない。


 お姉さんは慣れた手つきで装置を弄る。

 巻物も開いて、なにか確認してる。

 一人で納得してる。なんか不安になってきた。


 鼻歌まじりに、彼女はしばらく装置をいじっていた。

 ご機嫌だ。戦場の中で、なんでそんなに余裕があるのか不思議なくらいに。


 パチン。満足そうに頷いた彼女が、装置を僕に差し出した。


 その指が、耳を指して──

(ここに、つけろってこと?)


 僕がおそるおそる装着すると──

「聞こえる? こんなもの、簡単よ」


 ──どういう……。


「翻訳。霊導式の。言語の違いなんて、データ変換すれば済む話よ。……理屈? 説明しても、あなたには無理」


 はあッ!?

 言ってないのに答えてきた!?

 なにそれ! 頭の中、覗いたのか!?


 それに──なんだ、その顔。

 鼻で笑うな!

 ちょっと得意そうな顔しないでよ……!


「あなたは──私と来てもらうわ」


 ……どういう、こと?


「君は、たぶん、要るのよ。わかる? 私にもまだわかってないの」


 別の声。冷たいくらいに冷静だった。


「でも、だからこそ──君に拒否は、させない」


 やさしく、でも有無を言わせない。

 包み込むようで、突き放すような──そんな声だった。


「なんなんだよ……なんなんだよこれ、僕だけ、僕だけ!」


「死にかけて、知らないとこに飛ばされて……!」


「それで、今度は、お姉さんの膝で!? 勝手に翻訳されて、勝手に決められて……!」


「いい加減にしてくれよ!僕の頭の上で! 頭の中まで!」


 誰が悪いとか、そんなのじゃないのに。

 わかってるのに──でも、でも。

 もう、ぶつけるしかなかった。


「だいたい僕には!君やあなたなんかじゃなく名前が……」

 ──名前?

「……っ、あれ? なんで……出てこない……?」


 口の中で音を探す。けど、何も浮かばない。

 音がない。形がない。

 最初から──なかったのかもしれない。


「思い出せないんじゃない。思ったこともない。

 ……僕、自分の名前を──知らないんだ……」


 お姉さんが、息を呑んだ気がした。


「ねえ……あなた……」


 静かに、でも確かに腕が回ってきた。


「……えっ?」


 ぐいっと、引き寄せられる。

 抱きしめられる。あたたかい。やわらかい。


「いい子ね。よく、ここまで来たわ」


 頭が撫でられた。

 撫でられるたびに、なにもかもが流れていく気がした。


 撫でていた手が、ふいに止まった。

 耳の近くで、あの声がささやく。


「……あなたに名前がないのなら。私が、与えてあげる」


 緑色の光が、かすかにゆれていた。

 空気が、静かに、音もなく震える。


「──ミルネ。ミルネ・リヴィ」


 言葉だった。けれど、呪文のようにも聞こえた。

 ひとつひとつが風みたいで、ぬくもりがあって、

 聞いたことのない響きなのに、なぜか胸の奥が――騒いだ。


「……ミルネ……?」


 思わず、口に出してた。反射みたいに。


 笑ってた。あのお姉さんが。

 ほんの一瞬、目の奥に光が差した気がして、

 僕はその顔を忘れたくないと思った。強く。


「そう。意味は、"霧の彼方に射す微光"――私の故郷の言葉よ」


 そんな意味なんて、僕にはまだよくわからないけど。

 でもその時、確かに思ったんだ。


 “この名前で、生きてみたい”って。


 そんな時間が、しばらく続いた。


 静かな、温かい沈黙。

 でも、長くは続かない。


「泣き止みましたか?」


 ふいに、別の声が落ちてきた。

 少しだけ呆れてるような、でも、やわらかい。


 声が全体に響いてるようだ。


「リュラ・フィラです。よろしく」


 さらりと名乗られた。

 僕は反応できなかった。さっきまで泣いてたのがバレてた。

 バレバレだった。


「……よろしく……おねがいします……」


 情けない声が出た。

 リュラって人は、少しだけ、笑った気がした。


 でも、笑われた気はしなかった。


「リュラの声、優しく聞こえるでしょう? あの子、さっきまで大暴れしてたの」


 お姉さんからさらっと放たれたその言葉に、僕の心臓が跳ねた。


「そ!それは! セレスが負傷して、仕方なく!」


 声の主があわてて否定する。……いや、否定じゃない、言い訳だ。


「ふーん?」


 お姉さんの声が、ほんの少し楽しそうだった。


「そんなことより──」


 不意に、別の声が割り込んだ。少し低くて、冷静で。


「いい加減、名乗ってあげたらどうですか?」


 ツッコミが入る。


「──ヘイラ・メイラ。そういえば、名乗ってなかったわね」


 お姉さんが僕を抱きしめる腕に、ぐっと力をこめた。

 苦しい。あたたかい。でも苦しい。


 そんな状況を、冷静な声は気にも留めず。


「セリラ・ヴェラです。……さっき、エルサインの子を助けてくれて、ありがとうね」


 きっちりと、でも、優しさをにじませて名乗った。


「あ……ど、どうも……」


 また、情けない声が出た。


 セリラさんは、一度だけ、軽くうなずいた。


「では──、ヘイラ隊、移動開始!」


 まるで何事もなかったかのように、ヘイラさんはそう言って、すぐに指示を飛ばした。

 淡々と。でも、迷いはなかった。


 僕たちは、工場区画へ向かう。


 ──あの場所へ。


 そう。僕が、

“彼”と行くはずだった場所。


 もう、いない“彼”と。

 飲み物を渡されたまま、お礼も言えず、名前も知らないまま、

 あっさりと、瓦礫の下に消えた。


 ……あんなの、ないよ。


 ***


 揺れてる。


 ……胸が、じゃない。いや、胸もだけど。


 霊核共鳴室──つまり、コクピット。

 ほのかに緑がかった光に満ちた、やわらかい空間。

 でも、外の景色は見えなかった。


 そして、膝。


 そう、膝の上にいた。さっきまで。

 いや、今も厳密には、そこにいる。ちょっとズレたけど。


 気まずさに負けて、少しだけ体を動かしたのがまずかった。

 ズレた先で──柔らかい感触が、もっとダイレクトになった。


 あ、やばい。


 これはやばい。思考がバグる。脳が溶ける。


「……おとなしくしてなさい」


 耳元に、お姉さんの声。

 囁くように、命令のように。優しいのに、逆らえない。


 おとなしくするしかなかった。


 その時──衝撃。


「うわっ!」


 不意の揺れに、姿勢を崩す。

 踏ん張れなかった。どこにもつかまれなかった。


 そして──僕の顔を受け止めたのは、


 ……やわらかかった。


 温かくて、沈んで、弾力があって。

 感触だけで理解した。

 あ、これ、胸だ。


「っ……!!」


 慌てて離れようとして、でも動けない。

 距離感も、タイミングも、なにもかも崩壊してる。


「……気をつけて」


 静かに、でもしっかり言われた。

 怒ってはいない。でも笑ってもいない。


 むしろ──困ってた。

 ちょっとだけ、恥ずかしそうに。


 その顔に、思わず見とれてしまう。


 そして──目が合った。

 翠の瞳。静かで、深くて。

 僕をまっすぐ、見ていた。


 逃げられなかった。

 目を逸らせなかった。


「あっ……」


 ヘイラさんが、ふいに気づいたように眉を上げる。


 周囲が少し明るくなった。

 見えなかった外の光景が、静かに、浮かび上がる。


「ごめんなさい! 気づかなかったわ。外、見たかったのね。これで見えるようになったから」


 しゃべりながら、手元でなにかを操作していたらしい。

 霊核共鳴室の視界が、ぱっと開けた。


「大丈夫。あなたの見てる方向しか表示されないから、邪魔にはならないわ!」


 妙に早口だった。慌ててる? いや、ちょっと照れてる……?


 映像の端。

 通信用の画面に分けられたそこに映る──エルフたち。


「…………」


 全員が、こっちを見ていた。


 そして──


「はぁぁ~~……」


 ため息。全員分。ユニゾン。見事に揃ってた。


「え、ちょ、ちょっと!? 見てたの!?」


「ええ、しっかり。セリラが中継してたから」


「してません! 隊長が自分で全開放してただけです!」


「どのみち、この機体の霊相眼、共鳴モードでバリバリ共有されてますけど」


「黙りなさいミナラ!」


「はーい」


 ……どこから突っ込めばいいかわからなかった。


「ご……ごめんなさい……」


 とりあえず謝っておいた。なんかもう、それしかなかった。



次回予告 影鎧、目覚める


記録装置に残された、幻のハイエルフ。


命を繋ぐ霊核と、未だ動かぬ影。


交わされた言葉が、少年に名を与える。


そして今――その名が、機体に刻まれる時が来た。


次回――


聖弦のレクイエム 〜異世界転生したら記憶喪失のショタになって エルフのお姉ちゃんに誘拐されて心中する話〜


「影鎧、目覚める」


動力、起動。霊弦、共鳴。

戦いは、ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ