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第9話 融和の魔王軍シチュー

 城の空気は、張り詰めた弓弦のようだった。

 俺、向田健太の周りには、目に見えない壁が築かれていた。特に、ガルバス将軍配下の兵士たちが向ける視線は、槍のように冷たく、鋭い。食堂で顔を合わせても、彼らは俺の料理には目もくれず、持参した干し肉を無言でかじっている。


「気にするな、健太。余が、そなたの料理の価値を一番よく知っている」

 ゼノ様はそう言って俺を励ましてくれるが、自分の料理が軍の分裂を招いているという事実は、重く俺の心にのしかかっていた。このままでは、いつか本当に取り返しのつかないことになる。


 その「いつか」は、思ったよりもずっと早くやってきた。

 夕食の準備で、厨房が戦場のような活気に満ちている、その時だった。


「そこをどけぇぇい!」


 地を揺るがす怒声と共に、ガルバス将軍が屈強な部下を引き連れて厨房に乗り込んできたのだ。

「き、将軍閣下!ここは調理の場ですぞ!」

 ボルカンが制止しようとするが、ガルバス将軍は意にも介さない。彼は、コンロの上でぐつぐつと煮えているシチューの大鍋を指さした。


「兵士たちに、これ以上その甘い毒を食わせるわけにはいかん!」

 そう言うと、彼は大鍋に手をかけ、床に叩きつけようとした。

「あっ!やめてください!」


 俺は、思わず将軍の腕に飛びついていた。熱い!だが、それ以上に、この料理に込めた想いを踏みにじられるのが許せなかった。

「これは、毒なんかじゃありません!みんなを元気にするための、俺の…!」

「黙れ、人間!貴様の感傷で、我が軍は腐っていくのだ!」

 ガルバス将軍が俺を振り払おうとした、その時。俺は、腹の底から声を張り上げていた。


「―――勝負してください、将軍!」


 厨房が、しんと静まり返る。

 俺は、ガルバス将軍の目を真っ直ぐに見据えて続けた。


「将軍は、俺の料理が兵士を弱くする毒だとおっしゃる。俺は、みんなの心を繋ぐ本当の力になると信じています。でしたら、今夜、証明させてください!」

「…証明だと?」

「はい!今から、この城にいる全ての兵士たちのために、たった一種類の料理を作ります!それを食べた後でも、将軍が俺の料理を『腑抜けた毒』だと言うのなら、俺は潔くこの城を去ります!」


 俺の、料理人人生を賭けた大勝負。その提案に、ガルバス将軍は面白そうに口の端を吊り上げた。

「よかろう、人間の小僧!その挑戦、受けてやる!だが、貴様の作るもので我らが納得できなければ、その首、この戦斧の錆にしてくれるわ!」


 厨房に、再び火が灯った。だが、それは先程までの和やかなものではない。決闘のゴングが鳴り響いたのだ。

 俺が作るのは「融和の魔王軍シチュー」。

 対立する二つの派閥を、この鍋一つで繋いでみせる。


 まず手に取ったのは、ガルバス将軍のような強硬派を象徴する、魔界の猪「鎧ボア」の硬いスネ肉。これを柔らかくするには、並大抵の技術では無理だ。

 次に、穏健派を象徴する、陽の光をたっぷり浴びた「日輪カボチャ」。その優しい甘み。

 そして、隠し味に、俺はガルバス将軍の故郷であるという、北の山脈でしか採れない、独特の苦味を持つ薬草を少量だけ加えることにした。


「(スネ肉は、まず表面を青い炎で一気に焼き固める…)」

 と、俺が肉を手に取った時、厨房の隅で腕を組んでいたボルカンが、誰に言うでもなく呟いた。

「…フン、鎧ボアのスジは、先に灼熱の炎で焼き切らねば、三日三晩煮込もうと石のように硬いままぞ。素人が…」

「!…ありがとうございます、ボルカンさん!」

「俺は独り言を言っただけだ!」

 ぷいとそっぽを向く鬼料理長。だが、その一言が、俺に最大のヒントをくれた。


 俺は、料理に全神経を集中させた。

 ボルカンの助言通りに処理した鎧ボアの肉を、香味野菜と共にじっくり、じっくりと煮込んでいく。硬い肉が、頑なな心が、少しずつ解きほぐされていくのをイメージしながら。肉が柔らかくなったところで、甘い日輪カボチャを加え、形が崩れないようにさらに煮込む。


 強さと、優しさ。二つの全く違うものが、一つの鍋の中で互いの良さを引き出し合い、やがて完璧な調和ハーモニーを生み出していく。


 その夜。

 大食堂には、魔王軍の全兵士が集結した。右にはガルバス将軍率いる強硬派、左には穏健派。その間には、まるで国境線のように、緊張が走っている。

 俺は、出来上がったシチューを自らの手でよそい、まず、ガルバス将軍の前に差し出した。


「さあ、毒見といくか」

 将軍は、そう言って豪快にシチューをスプーンですくった。そして、一口。

 次の瞬間、彼のカッと見開かれた目が、信じられないというように大きく揺れた。


(なんだ、これは…!?)

 ガルバスの脳裏に衝撃が走る。あの石のように硬いはずの鎧ボアの肉が、舌の上でほろりと崩れた。そして、口の中に広がる深いコクと、日輪カボチャの優しい甘み。何より、その風味の奥底に、忘れもしない故郷の、あの厳しい山に吹く風の匂いを感じたのだ。


 気づけば、周りの兵士たちも、皆、言葉を失っていた。強面の強硬派の兵士が、ぼろぼろと涙をこぼしながらシチューをかき込んでいる。

「うぅ…この味は…」「なんでだ…涙が…」


 長い、長い沈黙の後。

 ガルバス将軍は、空になった皿を、ドン!と大きな音を立ててテーブルに置いた。

 そして、俺を睨みつけ、唸るように言った。


「……ふん。悪くない」


 その一言が、すべてだった。

 謝罪でも、賞賛でもない。だが、この誰よりも頑固な将軍にとっては、それが最大の賛辞なのだ。

 張り詰めていた空気が、ふっと緩む。強硬派の兵士が、おずおずと穏健派の兵士に話しかけた。

「お、お前の分も、美味そうだな…」

「ああ…お前の肉も、一口食ってみるか…?」

 シチューの皿が、派閥の垣根を越えて、行き交い始める。


 やった。俺の料理が、みんなの心を一つに…。

 俺が安堵に胸をなでおろした、まさにその時だった。


「ご報告ーーーッ!申し上げます!!」


 血相を変えた伝令兵が、大食堂に転がり込んできた。


「人間連合軍が、魔王領への侵攻を開始!すでに、南の国境線が突破されたとの報せにございます!!」


 和やかな空気は一瞬で凍りついた。

 融和を果たしたばかりの魔王軍に突きつけられた、あまりにも突然な、戦争の現実。

 俺は、ただ呆然と、その凶報を聞いていた。

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