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第8話 将軍は鉄の味を知っている

 俺、ガルバスの腹には、常に冷たい鉄が一本通っている。

 それは、かつて「灰の頂き」で三千の人間騎士団を相手に、たった五百の兵で三日三晩戦い抜いた夜に突き立てられた信念の槍だ。あの時、我らが食したのは、乾ききった獣の肉と、自らの血の味だけだった。飢えと寒さが、兵士の五感を研ぎ澄まし、恐怖を怒りに変え、我らを無敵の鋼鉄の軍団へと変貌させたのだ。


 俺は、そうやって勝利を掴んできた。「鉄牙城の攻防」では、泥水をすすりながら三ヶ月の籠城戦に耐え、敵の油断を誘って城を奪い返した。戦とは、そういうものだ。満たされた腹、温かい寝床、そんなものは兵士の牙を抜き、爪を丸める甘い毒に他ならん。


 その俺が、今、目の前の光景をどう解釈すればいいのだ。


「うむ!この『クリームシチュー』なる料理は、実にクリーミーで心安らぐ味わいだ!パンを浸して食べると、また格別だな!」

「何を言うか!こちらの『だし巻き玉子』こそ至高!このふわふわとした食感と、じゅわっと広がる出汁の風味は、戦でささくれた心を癒してくれる!」


 練兵場に隣接する食堂から聞こえてくるのは、そんな気の抜けた会話ばかり。覗き込めば、ついこの間まで血と埃にまみれて斧を振り回していたはずの屈強な兵士たちが、まるで初めてご馳走にありついた子供のように、目を輝かせてスプーンを口に運んでいる。


 俺は、こみ上げる吐き気をこらえ、その場を離れた。

 かつて我が魔王軍は、その名を聞いただけで人間どもが震え上がる、最強の戦闘集団だった。兵士たちは皆、飢えと渇きに耐え、傷つくことを誇りとしていた。それがどうだ。今では訓練が終われば、誰もが食堂へ一目散。剣の手入れよりも、明日の献立を気にしている始末。


 先日、俺が特に目をかけていた若い兵士に声をかけた。彼は、かつて「鬼神の再来」と俺に言わしめたほどの逸材だった。

「タルガス!貴様、最近たるんでいるぞ!その腹の肉はなんだ!」

 俺がそう言って、彼の腹を拳で軽く小突くと、タルガスは悪びれもせずにこう言ったのだ。

「はっ!これはガルバス将軍!健太殿の料理は、栄養のバランスが考えられておりまして、むしろ以前より力がみなぎっております!」

「力だと…?」

「はい!心も満たされ、故郷を思い出すことで、守るべきもののために戦う力が湧いてくるのであります!」


 戯言を。

 俺は言葉を失った。守るべきもののために戦うだと?我ら魔族は、奪い、支配し、その強さを示すことで存在を証明してきたのだ。いつから我らは、そんな人間どものような感傷に浸るようになったのだ。


 あの御前会議で、俺は声を張り上げた。陛下の御前であろうと、これだけは言わねばならなかった。

「陛下!あの人間を、厨房から追放していただきたい!」

 だが、穏健派の連中も、そして何より、あの健太なる人間に心酔しきっておられるゼノ様ご自身も、俺の言葉をまるで老害の戯言のようにしか聞いておられなかった。

 ゼノ様は、確かにご健康を取り戻された。それは認めよう。だが、王の健康と、軍の強さは別問題だ。いや、強さこそが、魔王の健康の証ではなかったのか。


 自室に戻り、壁にかけた己の戦斧を手に取る。冷たく、重い。これこそが、俺が信じる唯一の真実だ。この鉄の塊だけが、決して俺を裏切らない。

 あの人間、向田健太。

 彼の料理は、確かに美味いのかもしれん。だが、それは兵士が食うものではない。あれは、戦を知らぬ貴族が、午後のひとときに楽しむための菓子のようなものだ。


 言葉で言って分からぬのならば、行動で示すしかない。

 この軍団には、衝撃が必要だ。兵士たちに、腹の底から震え上がるような恐怖と、そして、忘れかけていた飢えの味を思い出させてやらねばならん。


 そのためにはまず、原因を断つ。

 全ての元凶である、あの人間の作る「甘い毒」を、この城から完全に排除する。


 俺は、戦斧を静かに磨き始めた。

 これは、戦争だ。俺の信じる「強さ」と、あの人間が持ち込んだ「癒し」との、どちらがこの魔王軍にふさわしいかを決める、静かで、だが決定的な戦なのだ。

 まずは手始めに、あの腑抜けた食堂を、もう一度血と鉄の匂いがする場所に戻してやる。

 そう、決意を固めた。

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