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第37話 未来の味、絆の一皿

 世界食料サミットの最終日、会場となった巨大な円形ホールは、息を呑むほどの静寂と緊張に包まれていていた。世界中の王侯貴族、指導者たちが居並ぶその中央に、白く輝くステージが設えられている。それはまるで、これから始まる神聖な決闘のための、巨大な祭壇のようだった。


 まずステージに上がったのは、ジュリアン・クレストだった。彼は、一分の隙もない純白のコックコートに身を包み、絶対的な自信に満ちた佇まいであった。


「皆様にご覧いただくのは、食の“進化”です」


 彼のプレゼンテーションは、流麗で、理路整然としていた。スクリーンには、飢餓に苦しむ子供たちの映像と、それを解決するという彼の企業の輝かしいデータが映し出される。


「過去の食文化は、美しくはあるが、非効率で、不平等だ。誰もが等しく、最高の栄養を享受できる世界。それこそが、我々が目指すべき未来。私の料理の名は、『ユニティ』。科学が生み出した、完璧な調和です」


 彼が掲げた皿の上には、寸分の狂いもない、水晶のようなキューブ状の料理が鎮座していた。それは内側から淡い光を放ち、究極の機能美を体現している。会場の誰もが、その技術力と、彼の掲げる崇高な理念に圧倒されていた。


 次に、俺の番が来た。

 俺は、ただの使い古した厨房着のまま、ステージに上がった。手には、何の変哲もない、土鍋と、焼き色のついた素朴なパンが一つだけ。会場のあちこちから、失笑とも戸惑いともつかない、ざわめきが起こる。


 ジュリアンは、ステージの端から俺を憐れむような目で見ている。だが、俺はもう、彼を敵だとは思っていなかった。俺が見ていたのは、彼の奥で泣いている、小さな子供の姿だった。


 俺は、彼の「グローリー・バイト」の原料である、あの無機質な穀物の粉から作った蒸しパンを、手で大きくちぎった。そして、土鍋の蓋を開ける。ふわりと立ち上った湯気と共に、温かく、そしてどこか懐かしい香りが、空調の効いたホール全体に広がっていった。


「俺が作る料理は、未来の料理ではありません。過去から、現在、そして未来へと繋がっていく、人々の想いの料理です」


 俺は、審査員たちに料理をサーブしながら、静かに語り始めた。


「この生地には、ジュリアン代表が世界を救うために生み出した、素晴らしい発明の種が使われています。ですが、これを発酵させ、命を吹き込んだのは、魔族に古くから伝わる、暗く長い冬を越すための知恵です 。練り込まれた干し肉と野菜は、人間たちが、厳しい自然の中で生き抜くために編み出した、保存の知恵の結晶です 」



 俺は、パンを熱いシチューに浸した。


「このシチューを煮込む水は、氷雪の国の清らかな雪解け水。そして、この奥深い香りは、砂漠の民が、一滴の水を分かち合うために育んだ、スパイスの文化そのものです」


 俺は顔を上げ、会場の全ての人々に、そしてステージの端に立つジュリアンに、まっすぐに語りかけた。


「未来とは、何かを切り捨てて、効率だけで進むことではありません。それぞれの場所で、必死に生きてきた人々の過去と、その知恵に敬意を払い、手を取り合って、一つの食卓を共に囲むことだと、俺は信じています。この料理の名は――『絆』です」


 静寂。

 審査員の一人が、恐る恐るパンを口に運んだ。次の瞬間、彼の目が見開かれ、その瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、連鎖した。一人、また一人と、審査員たちが、そして会場の指導者たちが、言葉を失い、ただ静かに涙を流し始める。


 彼らが味わったのは、単なる料理の味ではなかった。それは、故郷の味、母の温もり、友と酌み交わした酒の味――自らが歩んできた人生の、全ての記憶の味だったのだ。


 やがて、一人の拍手が、静寂を破った。それはすぐに、ホール全体を揺るがすような、嵐のような喝采へと変わっていった。


 俺は、ジュリアンの方を向いた。

 彼は、ステージの光の中で、ただ一人、呆然と立ち尽くしていた。俺は、温かいシチューとパンの皿を手に、彼の元へ歩み寄った。


「……食べてみてくれ。あんたの妹さんが、本当に食べたかったのは、きっと、こういう味だと思うから」


 ジュリアンは、震える手で皿を受け取った。そして、一口。

 その瞬間、彼の完璧な理論武装は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。彼の瞳から、子供のように大粒の涙が、後から後から溢れ出す。それは、飢えに苦しんだ過去への涙であり、救えなかった妹への謝罪であり、そして、生まれて初めて知った、人の手の温もりがもたらす味への、感動の涙だった。


 勝敗は、つかなかった。いや、つける必要が、なくなったのだ。


 ◇


 数ヶ月後、俺は再び魔王城の厨房に立っていた。

 ミネルヴァの仲介により、「グローリー・フーズ」は事業を転換。その技術力と供給網を活かし、世界中の地元農家と提携し、それぞれの食文化を尊重した形での食料支援を開始した。ジュリアンは、今、世界中を飛び回り、飢餓の撲滅と、食文化の保存という、二つの目標のために戦っているという。


 厨房の扉が開き、ミネルヴァがひょっこりと顔を出した。

「あなたの戦いは、もう終わったのね、枢機卿」


 俺は、山のように積まれたタマネギを刻みながら、ニヤリと笑った。

「いいえ。料理ってのは、次の一皿が始まりなんです」


 トントン、と。

 軽快な包丁の音が、平和になった世界の厨房に、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。

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