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第35話 挑戦状と、それぞれの覚悟

 祭りの夜が明け、広場には心地よい疲労感と、世界中の料理が混じり合った幸福な残り香が漂っていた。俺たちのささやかな反乱――「世界収穫祭」は、大成功に終わった。人々はジュリアンの効率的な配給よりも、俺たちの混沌とした温かい食卓を選んでくれたのだ。


 後片付けをする仲間たちの顔には、誰もが誇らしげな笑みが浮かんでいる。


「見たか、ケンタ殿! やはり人の腹と心を満たすのは、肉と魂だ! あの若造の練り餌では、我らの牙城は崩せんわ!」


 ガルバス将軍が、残っていた巨大な串焼きを頬張りながら豪快に笑う。その隣で、ボルカンは腕を組み、いつものようにぶっきらぼうに、しかしその目元は確かに和らいでいた。


「ふん、まだ祭りが一日終わっただけだ。浮かされるな。だが……まあ、悪くない祭りだった」


 ミネルヴァも、外交官の厳しい仮面を脱ぎ捨て、安堵のため息をついている。

「ええ。人の心がどちらを向いているか、ジュ-リアンにも良い薬になったはずよ。これで少しは……」


 その時だった。

 広場の喧騒を切り裂くように、一台の黒塗りの豪奢な馬車が俺たちの前に停まった。寸分の乱れもない制服を着たジュリアンの秘書が降り立ち、一枚の分厚い羊皮紙を、俺に恭しく差し出した。


 それは、ジュリアン・クレスト個人からの、公式な「挑戦状」だった。


 途端に、仲間たちの陽気な空気が凍りついた。


 挑戦状に記された内容は、雄弁かつ挑発的だった。

『――貴殿の祭りが示した“感情”の価値には敬意を表する。しかし、それは過去への郷愁に過ぎない。真に世界の未来を考えるならば、我々は“論理”と“科学”の土俵で語り合うべきだ。来る「世界食料サミット」の最終日、メインステージにて、テーマ「未来の食」について、互いの料理哲学を世界に問う、公式討論会及び料理対決を提案する――』


「……望むところだ!」ガルバス将genが戦斧を握りしめて叫ぶ。「叩き潰してくれるわ!」


「待て、将軍。小僧、これは罠だ」ボルカンが低い声で制した。「奴は、お前を同じ土俵に引きずり出し、自分のルールで戦う気だ。お前の料理の価値は、勝ち負けで測れるものではない」


 ミネルヴァは、挑戦状を読みながら、細く息を吐いた。

「……見事な一手ね。この挑戦を無視すれば、私たちは『論理から逃げた感情論者』だと宣伝される。受ければ、彼のルールで戦うことになる。完全に詰まされているわ」


 三者三様の的確な分析。だが、俺の心にあったのは、戦略や勝算ではなかった。ただ、圧倒的なプレッシャーだった。


「俺……」声が、か細く震えた。「俺、料理は作れるけど、そんな……世界中の偉い人が見る前で、難しい話をするなんて……」


 料理人である俺に、一企業の代表と、食の未来を賭けて、言葉で戦えというのか。それは、あまりにも畑違いな戦場だった。


 ◇


 その夜、俺たちのキッチンは、作戦司令室と化していた。


「いい、ケンタ。あなたは料理に集中して。討論会での理論武装は、私が全て受け持つわ」


 ミネルヴァは、早速ジュリアンの企業のデータを広げ、彼の哲学の矛盾点を突くためのレジュメを作り始めていた。その姿は、頼もしいが、俺の心をさらに重くさせた。


「……駄目だよ、ミネルヴァさん」

 俺は、首を横に振った。


「あんたの言葉で奴を論破できたとしても、それは俺の勝利じゃない。俺は、言葉じゃなくて、料理で語るしかないんだ。俺自身の言葉と、この手で」


「でも、それでは彼の土俵よ! あなたの誠実さは、彼の計算の前では無力かもしれないのよ!」


 ミネルヴァの焦りが、鋭い言葉となって飛んでくる。俺たちの間に、初めて明確な意見の対立が生まれた。その時だった。


 テーブルの上に置いてあった通信水晶が、静かに青白い光を放ち始めた。ぼんやりとした光が形を結び、そこに現れたのは、威厳に満ちた魔王ゼノ様の姿だった。


 ゼノ:『――話は、ミネルヴァから聞いた』


 凛とした声が、張り詰めた厨房の空気を震わせる。


 ゼノ:『ケンタ。そなたの料理が、かつて我を救った。あれは“科学”ではなかった。そなたの心が込められた、ただ温かいスープだった。……忘れたか?』


 その言葉に、俺はハッとした。そうだ。俺の原点は、いつだってそうだ。苦しむ一人の心を、ただ温めたいと願った、あの一杯のスープ。


 ゼノ:『そなたの心を信じよ。小難しい理屈など、そなたには必要ない。魔王の名において、そなたの戦いを全面的に支持する。――我が見込んだ料理人の味を、世界に示してこい』


 通信が切れると、厨房には静寂が戻った。だが、それはもう、絶望的な沈黙ではなかった。

 ミネルヴァは、何かを諦めたように、しかしどこか吹っ切れたように、小さく笑った。


「……本当に、敵わないわね。あなたと、あなたの周りの人たちには。わかったわ、ケンタ。あなたのやり方でいきましょう。私は、あなたの料理が、世界で最も雄弁な言葉になるよう、最高の舞台を整える」


 彼女は俺の「共犯者」として、再び力強く頷いてくれた。


 俺は一人、深夜の厨房に残った。

 世界食料サミット。未来の食。ジュリアンとの対決。あまりに重い十字架だ。だが、俺はもう迷わない。

 俺は静かに、調理台の上に、故郷から持ってきた一袋の小麦粉と、この世界で出会った様々なスパイスを並べた。


 未来の食を作るんじゃない。

 これまで出会った、全ての人々の想いを繋ぐ、今、この瞬間のための料理を作るんだ。


 俺は、ゆっくりと粉に手を伸ばした。その指先には、確かな覚悟が宿っていた。

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