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第24話 凍てつく決闘と沈黙の叫び

 料理対決の舞台は、魔王城の大広間。中央には二つの調理台が向かい合って設置され、周囲は各国の要人たちで埋め尽くされている。緊張感は、まるで凍った湖の表面のように張り詰めていた。


 向かい合うのは、氷雪の国の料理長・ユミールと、砂漠の国の料理長・サリム。ユミールは銀色の髪をきっちり結い上げ、無駄のない動きと鋭い視線で調理台を見据えている。サリムはローブの下から見える褐色の肌に汗をにじませ、わずかな水すら大切にするように、慎重に手を動かしている。


 魔王が静かに開会の宣言をした後、ユミールがまず口火を切った。


「テーマは『水』。我々の国で水は生命そのもの。私は、純粋な水で魚の命を甦らせます。砂漠の猿どもには理解できまい、水の豊かさを」


 その挑発的な言葉に、サリムの顔がわずかに引きつった。


「……我々にとって、水は神聖なものです。それを料理の道具として無駄に使う、氷雪の民の傲慢さには辟易する」


 ミネルヴァが向田の傍らで小さく囁いた。


「見ましたか、向田さん。ボルグの罠は成功しています。彼は両者に名誉を賭けさせ、引けない状況を作り上げた」


 向田は二人の料理人を見つめながら、静かに答えた。


「いいえ、ミネルヴァさん。彼らの言葉は、文化の違いからくる摩擦です。しかし、彼らの目を見ればわかります。互いの腕は認め合っている。これは、料理人としての誇りのぶつかり合いです」


 勝敗が決まれば和平は崩れる。向田には、この対決を止め、第三の道を示す使命があった。


 ユミールが動き出した。彼女は、目の前に置かれた巨大な氷塊を、見事な技術で割る。氷の中から取り出されたのは、光沢のある新鮮な魚。ユミールは、氷河の溶け水と呼ばれる、この国で最も清らかな水に魚を浸し、その場で切り分けていく。


「これが、我々の『水』の力。穢れを知らぬ清浄さです」


 その傍らで、サリムは手を止め、静かに目を閉じていた。彼は、調理台に用意された僅かな水の入った壺を、まるで祈るかのように見つめている。


 やがて、サリムが動き出した。彼は、水を一滴も使わず、砂漠で採取したサボテンの粘液と、乾燥させたハーブの粉末だけで、乾いた肉を練り始めた。その肉を、彼は壺に残った水滴を指先で撫でるようにして、表面に薄く塗っていく。


「水は使わぬ。我々は、体内の水分を大切にする。この水は、私の命だ」


 その姿は、観衆に深い感銘を与えた。しかし、ユミールは冷笑した。


「そんな泥団子のようなもので、私の清浄な魚に対抗できると?」


 その言葉が、サリムの心に深く突き刺さった。彼の顔に、怒りではない、深い悲しみの色が浮かんだ。


 その時、向田が動いた。


 彼は、誰にも気づかれないように、自分のポケットから小さな布袋を取り出した。中には、事前に準備していた特別な材料が入っている。


 二人の料理人が皿を完成させ、審査員へと運び入れた瞬間、向田は素早く二人の調理台へと向かった。


 まず、ユミールの調理台に残された、「氷河の溶け水」の入ったガラスボウル。向田は、そのボウルの中に、そっと自分の布袋から取り出した、乾燥した白い花びらを数枚落とした。


 次に、サリムの調理台に残された、「水滴」のついた壺。向田は、その壺の口に、自分の布袋から取り出した、塩の結晶を一つ、静かに貼り付けた。


 観衆は誰も、向田のこの小さな行動に気づかなかった。彼らは、目の前の皿の評価に熱中していた。


 結果は、予想通り、引き分けだった。どちらの料理も、その文化の極致を示していたが、互いに欠けているものがあった。


「ユミールの料理は、清浄だが、冷たすぎる。生命の温かみがない」


「サリムの料理は、知恵に満ちているが、水気がなく、乾きを覚える」


 ボルグが満足そうに笑みを浮かべた。


「ふむ。つまり、どちらも完璧ではない、ということだ。この程度の違いすら埋められないというのなら、和平など……」


「待ってください」


 向田が声を上げた。彼の目は、ボルグではなく、ユミールとサリムの二人を見つめていた。


「今一度、お二人の調理台の残り物を見てください」


 向田の言葉に、二人の料理人は戸惑いながらも、自分の調理台を振り返った。


 ユミールは、自分のボウルの中に、白い乾燥した花びらが浮いているのを見つけた。それは、サリムの故郷、砂漠にしか咲かない、『希望の蕾』という花だった。この花は、水に浸すと、その花びらが溶け出し、微かな甘みと、生命感のある温かい香りを放つ。


 ユミールは、その水を一口飲んだ。驚愕が彼女の瞳に広がった。冷たかった水が、どこか温かい命の力を秘めている。


「これは……」


 一方、サリムは、自分の壺の口に、塩の結晶が貼り付けられているのを見つけた。その塩は、氷雪の民が、海水を凍らせて、不純物を取り除いた、最も貴重な塩だった。


 サリムは、その塩の結晶を指で触れ、舐めた。その瞬間、彼の顔に、安堵の表情が浮かんだ。それは、汚染されていない純粋な塩、つまり、清浄な水がもたらす恵みの象徴だった。


 向田は、静かに二人に語りかけた。


「ユミール様。あなたの水には、砂漠の希望が必要です。サリム様。あなたの水滴には、氷雪の純粋さが必要です。お二人の料理は、互いの国の『残り物』によって、初めて完成するのです」


 ユミールとサリムは、互いの顔を見つめた。彼らの間にあったのは、もはや敵意ではない。深い理解と、尊敬の念だった。


「私たちは……互いの欠けているものを補い合える、ということか」ユミールが震える声で言った。


「私の命の水滴を、あなたの清浄な水が守ってくれた……」サリムも、静かに頷いた。


 ボルグは、テーブルに叩きつけるようにグラスを置いた。


「……まただ! また料理で、茶番を!」


 向田は、今度こそボルグをまっすぐに見据えた。


「これは茶番ではありません、ボルグ殿。これは、和平への第一歩です。あなたは、料理を裏切りと分断の道具に使った。しかし、私は料理を繋がりと理解の道具として使います。あなたの次の陰謀は、私が必ず暴き出します」


 向田の言葉は、まるで熱いナイフのようにボルグの心を貫いた。ボルグは立ち上がったまま、顔面を蒼白にさせ、次の策を練るように、鋭く冷たい視線を向田に浴びせた。


 戦いは、料理台から、外交の舞台へと、本格的に移行したのだ。

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