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偏食すぎる魔王様を胃袋で更生したら戦争が終わりました  作者: さかーん
第二章 和平会議と見えざる敵篇
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第22話 スープの裏切り者

 厨房は、異様な静寂に包まれていた。魔族の料理人たちが不安そうに顔を見合わせ、鼻をひくつかせている。彼らにとって、メイン食材の紛失は、ただのミスではなく、魔王の威信に関わる大事件だ。


「天上のキノコが……どこにもないなんて……」


 魔族の料理長が、唇を震わせながら呟いた。


「どうするんだ、向田! これでは次の献立が組めない! 献立の遅れは、人間側の不信感を決定的にするぞ!」


 その時、ミネルヴァが厨房の入口から向田に鋭い視線を投げかけた。彼女の瞳は、すでに敵を捉えていた。


「探すのは後です、向田さん。敵は時間を稼ぎ、会議の雰囲気を最悪にしたい。彼らが次に仕掛けるのは、不満の種の投下です」


「不満の種?」向田は問い返した。


「彼ら和平反対派は、この献立の遅れを口実に、各国の代表に働きかけるでしょう。『ほら見ろ、魔族側はまだ人間を信用していないから、食材を隠したのだ』と。そして、あなたは次の献立で、その不信感を打ち消さなければならない」


 向田はミネルヴァの言葉に頷き、頭を高速で回転させた。メイン食材がない。だが、この場で料理を出さなければ、和平会議は空中分解する。


「ミネルヴァさん、誰が犯人なんですか?」


「商業国家の代表、ボルグです。彼は戦争による物資供給で莫大な利益を得ていました。和平は、彼の富を奪います。犯行自体は、彼の護衛が外部から侵入して行ったのでしょう。しかし、彼の動機は明白です」


 向田はボルグのテーブルに視線を向けた。彼は今、グラス片手に、氷雪の代表に何事かを囁きかけている。その顔には、隠しきれない勝利の笑みが浮かんでいた。


「くそっ……! キノコの代わりになるものは……」


 向田は厨房を見回したが、代用できるほどの希少な食材はない。メイン料理に匹敵する、インパクトのある一皿が必要だ。


「向田さん!」ミネルヴァの声が、鋭く飛んだ。「視点を変えてください。食材に執着するな。彼らが求めているのは、あなたから生まれる『驚き』と『信頼』です!」


 ミネルヴァの言葉に、向田の脳裏に電光石火のひらめきが走った。そうだ。食材を失っても、料理のアイデアは失っていない。


 彼は、すぐさま魔族の料理長に指示を出した。


「魔族長! 城の貯蔵庫にある、あの硬い豆を全て持ってきてください! それと、人間界の乾燥したパンも全てだ!」


「あの硬い豆? あれは煮込むのに三日かかるぞ! しかも、味はほとんどない!」魔族長は驚愕する。


「いいえ、今日は煮込みません! すぐに用意してください!」向田の眼差しは、真剣そのものだった。


 魔族長は、向田の決意に気圧され、慌てて貯蔵庫に向かった。


 晩餐会場。ボルグは悠然とグラスを傾け、氷雪の代表に笑いかけていた。


「ご覧なさい、代表殿。魔族側の厨房は、すっかり静まり返ってしまった。やはり、彼らの供給力などたかが知れています。こんな不安定な相手と和平など……」


 氷雪の代表は、ボルグの言葉に頷きかけた。不満の色が、彼の顔に広がり始めている。


 その時、厨房の扉が開き、向田が一人で盆を持って現れた。彼の手には、メイン料理にしてはあまりにも地味な、黒い小さな豆と、焦げ茶色のパンが乗っていた。


「お待たせいたしました。次の献立は、『共存のタネ(シード・オブ・コエグジスタンス)』です」


 向田はそう言って、まず砂漠の代表に豆とパンを差し出した。


「これは、魔族の伝統的な『生存の豆』を、人間界のパンと混ぜて炒り上げ、さらに人間のオイルでコーティングしたものです」


 砂漠の代表は、その硬く、乾いた見た目に警戒心を抱いた。しかし、向田の真摯な表情を見て、恐る恐る一口、口に運んだ。


 カリッ。


 豆とパンの破砕音が、静まり返った会場に響いた。その瞬間、彼の顔が一変した。


「これは……! 硬いが、噛むほどに香ばしい! そして、このオイルの香りは……」


 次に、向田は氷雪の代表に同じ皿を差し出した。


「氷雪の代表様。どうか、この熱い豆を、あなたの冷たい脂と一緒に召し上がってください」


 氷雪の代表は、向田の言葉通り、自分の皿に残っていた冷たい魚の脂を、豆に絡めて口に入れた。


 一瞬の沈黙。彼の顔に、驚きと理解の色が広がる。


「熱い豆が、冷たい脂を溶かし、新たなコクを生み出す……! これは、我々の食材だけでは決して生まれない、温かい満足感だ!」


 場は再びざわめきに包まれた。天上のキノコという華やかで希少な食材を失ったにもかかわらず、向田は最も地味な「生存の豆」と「乾燥パン」という、互いの国が「貧しさ」を連想する食材を組み合わせることで、「共に生き抜く知恵」を表現したのだ。


 ボルグの顔から、笑みが完全に消えた。彼はグラスを強く握りしめ、テーブルの下で拳を震わせた。


「なぜだ……。なぜ、あんな粗末なもので……!」


 その時、ミネルヴァが静かにボルグの背後に歩み寄り、彼の耳元で囁いた。


「『天上のキノコ』の紛失は、あなたの仕業ですね、ボルグ殿」


 ボルグは振り返ることもなく、顔面を蒼白にさせた。


「……何を言っている、ミネルヴァ外交官」


「あなたの護衛が、キノコを城外へ持ち出したことは確認済みです。しかし、それよりも重要なのは、あなたがこの和平会議に、最も不満を抱いている人物だという点です」


 ミネルヴァは、鋭い視線を会場全体に向けた。


「向田さんは、食材を失っても、信頼を失わなかった。しかし、あなたは富のために、和平を裏切った。その事実は、この硬い豆のように、誰にも噛み砕けない真実として、残り続けるでしょう」


 ミネルヴァの言葉は、会議の参加者全員には聞こえない。だが、その言葉は、ボルグの心の奥深くに突き刺さった。


 向田は、その様子を遠くから静かに見つめていた。彼の料理は、今、目に見えないところで、政治的な力を発揮し始めていた。食材を盗んだ敵は特定された。しかし、その敵をどう打ち破るか。それは、料理人としての腕だけでなく、外交官としての知恵も必要とされていた。


 向田は、ミネルヴァと目配せを交わした。彼らの共闘は、まだ始まったばかりだ。

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