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第21話 砂漠の乾きと氷雪の傲慢

 向田の「融合のスープ」が和平会議の第二幕を成功裏に終結させた翌日。会議は予定通り、各国の食文化を紹介する晩餐会へと移行した。しかし、会場の雰囲気は、まだ温かいとは言えなかった。警戒と不信は、一皿の料理だけでは消えない。


 向田は厨房で食材をチェックしていた。今日のテーマは「交流と多様性」。


 その背後から、冷たい声が響いた。


「昨夜は運が良かっただけです、向田さん」


 振り向くと、ミネルヴァが腕を組み、厳しい表情で立っていた。


「あれは政治です。彼らは一時的に感情を揺さぶられただけ。和平という名の『妥協』を強いられる前に、あなたの料理で空腹を満たしたかっただけかもしれません」


 向田はまな板から視線を上げず、優しく答えた。


「それでも、皆さんが同じ食卓で、同じ料理を口にした。それが重要だと俺は思っています」


「甘いですね。もっと現実を見てください」ミネルヴァは鋭く指摘した。「裏で暗躍する勢力がいることは確定です。彼らは次に、もっと巧妙な方法であなたを潰しにくる。料理そのものに手を加えるかもしれません」


「警戒はしています」


「言葉だけでは不十分です。例えば、今日の献立はどうです? 砂漠の民と、氷雪の民。彼らの食文化は水と油。どう融合させるつもりですか?」


 向田は手を止め、棚に置かれた乾いた肉と、氷漬けの魚に目を向けた。


「砂漠の民は、保存食文化。水を極端に嫌い、乾いた肉を好みます。氷雪の民は、脂を蓄えた生魚、新鮮さを重んじる。この二つを一つにするのは至難の業です」


「そうでしょう? 彼らの食のタブーを破れば、すぐに不和が生まれる。そして、それが和平会議の破綻につながる。それが彼らの狙いです」ミネルヴァは続けた。「あなたは、どちらかの文化を優先し、どちらかを否定するつもりですか?」


「いいえ。どちらも否定しない」


 向田はそう断言し、調理を再開した。その揺るぎない眼差しに、ミネルヴァは一瞬、言葉を失った。


 晩餐会が始まった。席には、全身をローブで覆った砂漠の国の代表と、青白い肌に銀髪の氷雪の国の代表が座っている。彼らは互いに視線も合わせず、場の空気は最悪だった。


 向田が運び込んだ第一皿は「二つの太陽デュアル・サン」と名付けられた料理。


 それは、氷雪の民の伝統的な脂の乗った魚を、砂漠の民が好む特殊な香辛料と、太陽光で乾燥させた塩で軽くマリネしたものだった。魚の脂と香辛料が絶妙に絡み合い、乾燥塩が素材の甘みを引き出す。しかし、魚は生のままだった。


 砂漠の代表が怪訝な声を上げる。


「これは……魚。しかも、生か。我々は水と、それに触れた肉を口にすることはタブーとしている。水の精が宿ると信じているからだ」


 氷雪の代表は、冷たい笑みを浮かべた。


「ふん。砂漠の猿どもは、新鮮なものも知らぬか。乾いた肉ばかり食らうから、心が荒む」


「黙れ、氷漬けの怪物め!」


 場が一気に険悪になる。ミネルヴァは顔を覆い、失敗を予感した。


 その時、向田が口を開いた。


「砂漠の代表様。この魚は、氷雪の地で、風と寒さによって鮮度を保たれたものです。そして、この塩は、あなたの故郷の太陽の恵みを受けています」


 向田はそう言うと、氷雪の代表にも語りかけた。


「氷雪の代表様。この香辛料は、砂漠の民が、限りある水分を大切にするために編み出した、知恵の結晶です。決して、荒れた心を反映したものではありません」


 向田は皿の中央を指差した。


「どうか、この魚の脂は、砂漠の太陽の熱が溶かし、この香辛料は、氷雪の純粋さが引き立てる、その融合を味わってください」


 両代表は、向田の真剣な眼差しに気圧され、恐る恐る口に運んだ。


 砂漠の代表は、一口食べると、ハッと息を飲んだ。彼の瞳が、乾いた砂漠の風景から、一瞬にして広大な海原を見つめているかのように潤んだ。


「この……この味は……。乾きを癒やす……だが、水ではない……」


 氷雪の代表も、無言で二口目を口に運ぶ。そして、静かに、しかし力強く言った。


「新鮮な脂を、こんなにも深く……引き出せるとは。この香辛料は、我々の料理にも応用できるかもしれない」


 二人は顔を見合わせた。互いに敵意ではなく、驚きと好奇心の入り混じった視線を交換していた。


 しかし、その成功の裏で、異変が起きた。


 向田が用意したはずの、次の料理のメイン食材――「天上のキノコ」が、厨房の冷蔵庫から忽然と消えていたのだ。


「そんな馬鹿な! 私が最後に確認したときは、確かにここにあったはずだ!」


 魔族の料理長が慌てて叫ぶ。厨房は一気に騒然となった。


 向田は、その事実を聞いた瞬間、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。


(ミネルヴァさんの言っていた通りだ。仕掛けてきた……!)


「天上のキノコ」は、魔族の料理と人間の薬膳料理を繋ぐ、最も重要な食材だった。それがなければ、今日の晩餐会は失敗に終わる。そして、和平の空気は、再び氷点下へと逆戻りするだろう。


 その時、ミネルヴァが厨房の入口に現れた。彼女は冷静だが、その表情には強い緊迫感が漂っていた。


「見つけました。あなたを陥れようとする最初の敵の正体です」


 彼女の鋭い視線は、遠く、商業国家の代表が座るテーブルの一点を射抜いていた。

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