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第13話 伝説の料理人と、不本意な二番手

 魔王城の厨房は、今日も平和な戦場だった。

「ボルカンさん!そのソース、火が強すぎますって!煮詰まって味が濃くなります!」

「黙れ小僧!これは俺の百年ものの経験が導き出した『魂の火加減』だ!貴様こそ、ジャガイモの面取りが甘いぞ!」

「面取りは、煮崩れで生まれる一体感を計算して、あえて…」

「言い訳は聞けん!」


 そんな怒鳴り合いも、今では日常のBGMだ。俺、向田健太むこうだ けんたは、かつて世界を救った「伝説の料理人」なんて呼ばれているが、やっていることは下町の洋食屋時代とそう変わらない。


「健太殿、いい匂いがするな!それはもしや、我が故郷の『鎧ボア』の肉か!?」

 ひょっこりと厨房に顔を出したのは、山のように巨大なガルバス将軍だ。彼のつまみ食いを阻止するのは、今や俺とボルカンさんの共同作業である。

「将軍、まだ準備中です!」「つまみ食いは、兵士の風上にも置けませんぞ!」

「む、二人同時に言うでない!」


 そんなやり取りを、厨房の入り口で、魔王ゼノ様が微笑ましげに眺めている。

 全てが順調だった。そう、数週間前までは。


「…うーん」

 俺は、味見用のスプーンを手に、首を捻った。

 作っているのは、ゼノ様の大好物になったクリームシチュー。レシピも、手順も、完璧なはずだ。なのに…。

「(味が、ぼやける…?)」

 美味しくないわけじゃない。だが、以前のような、食材が持つ生命力というか、食べた瞬間に心と体に染み渡るような「力」が、明らかに弱まっているのだ。まるで、食材たちがみんな、疲れているみたいに。


 その日の謁見の間。

 俺の懸念を裏付けるように、人間界の王となったアランが、通信水晶の中から沈痛な面持ちで報告していた。

「ゼノ陛下。我が国でも、原因不明の『大地の枯渇』が広まっております。作物の育ちが悪く、民の間にも活気がない…」

「こちらでも同様だ、アラン王」

 ゼノ様が、こめかみを押さえる。「一体、何が起きているのだ…」


 その時だった。

 謁見の間の重々しい扉が、何の断りもなく、ゆっくりと開いた。衛兵たちが慌てて止めようとするが、彼らの足元から伸びた若草のツルが、優しく、しかし抗いがたい力で彼らの動きを封じる。


 現れたのは、一人の女性だった。

 森の木漏れ日のような緑の髪に、歳を感じさせない神秘的な美貌。だが、その表情は、徹夜明けのプロジェクトマネージャーのように、深い疲労と、隠しきれない苛立ちに満ちていた。


 彼女は、玉座のゼノ様を一瞥すると、まっすぐに俺の前まで歩いてきた。そして、深々と、しかしどこか棘のある溜息をついた。


「あなたが、向田健太ですね」

「は、はい、そうですけど…」

「話は、魔王様たちとの会話で大体聞きました。原因はわかっています」


 彼女――女神に仕える巫女リラは、静かに、しかしとんでもない事実を告げた。

「世界の生命を司る大地の女神様が、現在、ストライキに突入されております」

「「「ストライキ!?」」」

 俺だけでなく、ゼノ様も、アランも、ガルバスも、全員が素っ頓狂な声を上げた。


 リラは、こめかみを押さえながら説明を続ける。

「ええ。原因は、ここ数百年、捧げられてきた供物が、神聖なだけで、あまりにもマンネリで味気なかったからだと。『もう飽きたわ!』と、お引きこもりになられたのです」

 あまりに人間くさい理由に、一同は言葉を失う。


 リラは、そこで一度言葉を切り、今度は俺をじっと見つめて、さらに衝撃的な告白を始めた。

「実は、あなた方を頼る前に、私はすでに手を打っていました。この地で、異世界の料理人が平和をもたらしたという伝説を聞き、最後の望みをかけて、私自身が召喚の儀を行ったのです」

「え、召喚って…俺以外にも!?」


「はい」と、リラは肯定した。その目に、苦々しい色が浮かぶ。

「私が召喚したのは、あなたのいた世界で、おそらく『最高』の腕を持つ天才料理人。――カイという名の男です」

「カイ…」

 知らない名前だ。だが、最高の天才、という言葉が胸にチクリと刺さる。


「彼は、まさに天才でした。知識も、技術も、完璧。ですが…」

 リラは、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

「彼は、魔界の食材を『非科学的で、再現性に乏しい』と断じ、私の祈りの儀式を『非論理的で無意味』と一蹴しました。そして、女神様に一皿もお出しすることなく、この置き手紙一つで、任務を放棄してどこかへ消えてしまったのです」


 そこに書かれていたのは、たった一言。

『論理的結実の可能性、皆無。よって、任務を棄却する』


「私の切り札は、最悪の形で消えました」

 リラは、深々と、今度は本当に深々と頭を下げた。その声は、悔しさと、諦めと、そして不本意さに満ちていた。


「ですから…不本意の極みではありますが、こうして頭を下げに参りました」


 彼女は、顔を上げて、まっすぐに俺の目を見た。


「伝説の料理人、向田健太。いいえ――この際、はっきり申し上げます」


「『二番手』のあなたに、お願いがあります。どうか、我が主、食いしん坊の女神様のご機嫌を、あなたの料理で直していただけないでしょうか」


 二番手。

 その言葉が、謁見の間に妙に響いた。

 俺は、驚きと、少しばかりの屈辱と、そして、目の前にある、あまりにも壮大で、あまりにも馬鹿げた問題の大きさに、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 こうして、俺の新しい異世界ライフは、「不本意な代打」という、なんとも言えない形で幕を開けたのだった。

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