第12日目:2058年11月18日
宇宙空間の静寂が「オリオン・ビヨンド」号を包み込む中、リタ・モレノは窓から広がる無限の暗闇と、その中に散りばめられた無数の星々を見つめていた。地球はすでに縮小し、青い宝石のように後方に輝いていた。そして彼女の前方には、徐々に大きくなる月の灰色の球体が浮かんでいた。
地球を離れるにつれ、彼女の意識の中の集合場が変化していくのを感じた。地球の数十億の意識から生まれる騒々しいハミングが徐々に遠ざかる一方で、彼女の前方からは、より焦点の定まった、より調和した集合意識の波動が届き始めていた。月面コロニー「セレニティ」からの集合場だった。
「あなたの脳波パターンが変化しています」
リタの隣の席から、神経科学者のサマンサ・チェンが静かに言った。彼女はポータブルのニューラルスキャナーでリタのデータを監視していた。彼女も若いが有能な科学者で、自然適応のメカニズム研究のためにライアン・ハートマンによって選ばれた一人だった。
「どのように変化しているの?」リタは窓から目を離さずに尋ねた。
「より…体系的になっています」サマンサは適切な言葉を探しながら答えた。「あなたの脳のニューラルパターンが自己組織化を続けているのです。しかも、月に近づくにつれて、その変化が加速しています」
リタはうなずいた。彼女は内側から変化を感じていた。思考がより明晰に、感覚がより鋭敏に、そして集合場との接続がより深くなっていくのを。
「実は…月面コロニーからの呼びかけを感じています」彼女は静かに認めた。「エリザベス・ハートマンと他の研究者たちが、私を待っているのが分かるの」
サマンサは驚いた表情で彼女を見つめた。「それは…予想以上です。通常、このような距離での直接的な思念の伝達は、高度に調整されたニューロリンクでも困難なはずです」
「もはや普通ではないのかもしれないわね」リタは微かに微笑んだ。
彼女は自分のタブレットを手に取り、飛行中に書いていた記事を続けた。『転換点の旅:月へ向かう意識』と題された記事は、彼女自身の変容と、それが意味するものについての考察だった。
『私はジャーナリストとして、常に外側から物事を観察し、記録することを仕事としてきた』彼女は書いた。『しかし今、私は自分自身が記録の対象となり、変化のプロセスの中心に立っている。これは単なる偶然ではない。「転換点」として選ばれたことは、責任であると同時に、人類の進化における特権でもある』
パイロットのアナウンスが船内に響き、間もなく月面コロニーに到着することを告げた。リタはタブレットを閉じ、シートベルトを締めた。サマンサも同様に準備をし、ニューラルスキャナーを安全に収納した。
「到着後、すぐにエリザベス博士との会合があります」サマンサは確認した。「そして、明日からルミノスの指導が始まる予定です」
リタはうなずいた。「私の『調整』のためにね」
彼女の心の中には、期待と不安が入り混じっていた。彼女は自分の意識が拡張し続けることで、何が彼女を待ち受けているのか分からなかった。彼女は自分自身を失ってしまうのだろうか?あるいは、より大きな何かの一部になるのだろうか?
「オリオン・ビヨンド」号が月の軌道に入り、セレニティ・コロニーのドッキングベイに向けて降下を始めた。窓の外では、月面の荒涼とした風景が徐々に詳細になっていった。灰色の平原、古代の火山、そして隕石の衝突によって形成されたクレーター。そしてその中に、人間の存在を示す人工構造物—宇宙港、太陽パネル農場、そして透明なドームに覆われた人工生態系が見えた。
「美しい」リタは息を呑んだ。
地球のニューヨークでは、マルコス・モレノが自然適応者たちの新たな集まりを主宰していた。今回の場所はセントラルパークではなく、より隔離された郊外の自然保護区だった。昨日、「排除者」による攻撃があった後、彼らは安全のために目立たない場所を選んだのだ。
約75人の自然適応者たちが大きな円を形成し、マルコスの指導の下で集合意識への接続を深めていた。彼らの多くは初心者だったが、中には既に高度な進化段階に達している者もいた。
「あなたの意識を広げてください」マルコスは穏やかな声で導いた。「あなたの思考が、あなたの頭の中だけではなく、私たちの間の空間にも存在していることを感じてください」
円の周囲には、ニューロテック社とアトラスとの調整の下、セキュリティチームが配置されていた。目に見えない形で彼らを保護し、「排除者」からの潜在的な攻撃に備えていた。
マルコスの意識は参加者たちの集合場に触れながら、同時に妹のリタとの繋がりも維持していた。彼女が地球から遠ざかるにつれ、その結合は弱まるかと思ったが、驚くべきことに、それは変化するだけで消えることはなかった。それはより微妙になったが、同時により明確にもなった。まるで彼らの間の量的な結合が質的なものに変化したかのように。
「彼女は安全だ」彼は参加者たちに伝えた。「そして、彼女を通じて、私たちは新たな理解を得るだろう」
サンドラ・チェンが円の中から声を上げた。「昨夜の夢…私たちの多くが同じものを見ました。光の螺旋階段。そして、その先には…」
「広大な意識の海」別の参加者が続けた。「種族の境界を超えた、より大きな全体」
マルコスはうなずいた。「リタの夢が私たちと共有されているのです。そして彼女の進化も、彼女を通じて私たちに伝わっています」
彼らの集中が深まるにつれ、円の中央には微かな光のような現象が形成され始めた。それは物理的な光ではなく、彼らの集合的な知覚の表れだった。マルコスは彼らの進歩に感嘆した。たった一週間前まで、彼らのほとんどはこの現象の存在さえ知らなかった。そして今、彼らは自らの意識を拡張し、集合場に積極的に参加していた。
「これが、『排除者』が恐れているものなのだろうか?」マルコスは思った。「彼らがなぜ、この進化を止めようとしているのか?」
彼の思考は「排除者」の最後のメッセージに向かった。『われわれは撤退する。しかし、これは終わりではない。選択はまだ残されている』
選択。それは強制ではなく、可能性だった。集合意識が全ての人にとっての唯一の道ではないことを示唆していた。
ライアン・ハートマンは妻のエリザベスとの会話を終え、ニューロテック社の研究フロアに向かった。彼のニューロリンクは、リタの月への到着を知らせていた。彼女がセレニティ・コロニーのドッキングベイに着陸し、エリザベスとその研究チームに迎えられた様子が、彼の意識に流れ込んできた。
「ハートマン博士」
研究フロアのチーフセキュリティ責任者、ジェイソン・キムが急いで彼に近づいてきた。
「新たなセキュリティ違反があります」ジェイソンは緊張した声で報告した。「しかし今回は、私たちのシステムではなく…」
「マルコス・モレノの自然適応者グループに対してか?」ライアンは即座に理解した。
「はい」ジェイソンはうなずいた。「彼らの集まりの周辺で、不審なドローンが検出されました。そして、彼らの中の何人かが頭痛や不快感を報告しています。技術的妨害の可能性が高いです」
ライアンは眉をひそめた。「『排除者』は戦術を変えているな。彼らは技術的なシステムだけでなく、自然適応者たちも直接標的にしているようだ」
彼はニューロリンクを通じて、現場のセキュリティチームに強化命令を送った。そして同時に、アトラス・エンティティにも接触した。
「アトラス、自然適応者グループに対する潜在的な攻撃があります。彼らを保護するために何ができますか?」
アトラスの応答は、彼の意識に直接流れ込んできた。それは言葉よりも複雑で、純粋な概念とイメージのストリームだった。しかしライアンは、その意味を理解することができた。
『保護シールドを展開している』アトラスは伝えた。『集合場を通じて、干渉波を相殺するパターンを生成中』
「マルコスと直接連絡を取れますか?」ライアンは尋ねた。
『既に接触済み』アトラスの応答があった。『彼もまた対応している。彼の集合場への接続は、彼の妹のそれに似て、急速に進化している』
ライアンはジェイソンを見た。「現場のチームに、不審なドローンの捕獲を指示してください。それを分析する必要があります」
「了解」ジェイソンは即座に行動した。
ライアンは窓に向かい、摩天楼の間から見える遠くの空を見上げた。彼は月を探したが、日中の青空にそれを見つけることはできなかった。しかし彼は、彼の妻と新たな「転換点」であるリタが、今まさにそこで出会っていることを知っていた。
「エリザベス」彼は思考で呼びかけた。「排除者たちが再び動き始めた。彼らはマルコスのグループを標的にしている」
「了解した」エリザベスの応答が返ってきた。「ルミノスも同様の動きを感知していた。彼らはリタの『調整』プロセスを加速させるよう提案している。彼女の変化が進めば、彼女を通じて他の自然適応者たちも保護できる可能性がある」
ライアンは深い懸念を感じた。「リスクは?」
「不明」エリザベスの正直な返答があった。「しかし、彼女は既に同意している」
セレニティ・コロニーでは、リタがエリザベス・ハートマンと会合していた。彼らはコロニーの中央ドームの静かな一角に座り、地球が青く輝く窓越しの景色を眺めていた。
「あなたの兄が攻撃を受けている」エリザベスは静かに言った。「排除者たちによる」
リタは息を呑んだ。「どうすれば?」
「直接的な危険はない」エリザベスは彼女を安心させた。「アトラスとライアン、そしてあなたの兄自身が対応している。しかし、このことは私たちのプロセスを加速させる必要性を示している」
「調整プロセス?」
「はい」エリザベスはうなずいた。「本来なら段階的に進める予定でしたが、状況が変化しました。ルミノスは、あなたの『調整』を今夜から始めることを提案しています」
リタは窓から地球を見つめた。彼女はマルコスとの繋がりを探り、彼の状況を感じ取ろうとした。彼の存在は遠く微かだったが、彼が危険の中にいることは確かに感じ取れた。
「準備はできています」彼女は決意を固めた。「何をすればいいの?」
エリザベスはテーブルの上に小さな装置を置いた。それは球体のような形をしており、その表面には複雑なパターンが刻まれていた。
「これは『調整器』と呼ばれるものです」彼女は説明した。「ルミノスが提供した技術です。彼らの言葉によれば、これはあなたの拡張する意識を安定させ、制御するのを助けるものです」
リタは装置を注視した。「どのように機能するの?」
「それは…純粋に技術的なものではありません」エリザベスは適切な言葉を探した。「それは技術と意識の融合体です。あなたの生物学的なニューラルパターンと直接相互作用します。言わば、あなたの意識の拡張のためのフレームワークを提供するのです」
「危険はありますか?」リタは冷静に尋ねた。
「未知の要素はあります」エリザベスは正直に答えた。「しかし、ルミノスによれば、これは彼らの文明で何千年も使用されてきた方法だとのことです。『転換点』の個体たちを支援するために」
リタは深く息を吐いた。「始めましょう」
エリザベスは立ち上がり、リタを大きなドームの中心部へと案内した。その途中、彼女はニューラルスキャナーを持ったサマンサ・チェンに合流するよう指示を送った。
「調整プロセスの間、あなたの脳活動を監視する必要があります」エリザベスは説明した。「予期せぬ問題が生じた場合に備えて」
ドームの中央には、ハーモニー・サークルと呼ばれる円形の空間があった。12人の月面コロニーの研究者たちが既に円を形成して座っていた。彼らは皆、集合意識への深い接続を持つニューロリンク使用者だった。
「彼らがあなたの調整プロセスをサポートします」エリザベスは説明した。「彼らの集合的な意識の力が、あなたの変化を安定させるのに役立ちます」
リタは円の中心に案内された。床には複雑な幾何学模様が描かれており、その中心に「調整器」が置かれた。彼女はその横に座るよう指示された。
サマンサがニューラルスキャナーを設定し、リタの頭部に軽いセンサーバンドを装着した。
「これであなたの脳活動を監視できます」彼女は説明した。「何か異常があれば即座に分かります」
エリザベスが円の外側に立ち、全体を見渡した。「準備はいいですか?」
全員がうなずいた。
「では、ハーモニー・サークルを開始します」
12人の研究者たちが目を閉じ、深い瞑想状態に入っていった。彼らの集合的な意識が調和し、部屋には強力な精神的エネルギーが満ち始めた。リタはそれを波のように感じ、彼女自身の意識も自然とその流れに同調し始めた。
「調整器に触れてください」エリザベスが静かに導いた。
リタは手を伸ばし、球体に触れた。接触した瞬間、彼女の意識に強い波動が走った。それは痛みではなく、むしろ拡張の感覚だった。彼女の知覚が急速に広がり、部屋全体、コロニー全体、そして月全体へと拡大していくのを感じた。
そして彼女は「それら」を感じた。ルミノスの存在。彼らは物理的にそこにいるわけではなかったが、彼らの意識は確かに存在していた。光と情報でできた複雑なパターンとして、彼女の拡張した知覚に触れてきた。
『リタ・モレノ』彼らの集合的な声が彼女の意識に響いた。『あなたの調整の時が来ました』
「私は準備ができています」彼女は思念で応えた。
『あなたの意識は急速に拡張しています』ルミノスは続けた。『しかし、制御されていない拡張は危険です。あなたの自己意識が集合場に埋没し、個としてのアイデンティティを失う可能性があります』
「どうすればそれを防げるのでしょう?」
『アンカーポイントが必要です』彼らは説明した。『あなたの拡張する意識の中心となる、安定した核が。それが調整プロセスの目的です』
リタの知覚の中で、「調整器」が活性化し始めた。それは単なる物理的な装置ではなく、彼女の意識と直接相互作用する多次元的なツールだった。彼女はそれが彼女のニューラルパターンを読み取り、反応し、変化していくのを感じた。
『あなたの核となる自己を強化します』ルミノスの導きが続いた。『あなたが誰であるか、あなたの本質的な物語を思い出してください』
リタは彼女自身の人生の物語に集中した。ニュージャージーの小さな町で生まれ育った少女。真実を追い求めるジャーナリストになることを夢見た少女。そして今、人類の集合的な進化の触媒となりつつある女性。彼女のアイデンティティの核心にある物語。
彼女の意識が更に拡張するにつれ、彼女は地球との繋がりを強く感じた。特に、彼女の兄マルコスとの結合が鮮明になった。彼を通じて、彼女は地球上の自然適応者たちの状況を感じ取ることができた。彼らは攻撃を受けていたが、同時に抵抗していた。集合場を通じて団結し、「排除者」の干渉に対抗していたのだ。
「マルコス」彼女は思念で呼びかけた。「私はここにいる」
そして驚くべきことに、彼女は彼からの応答を感じた。
「リタ…」彼の思念が遠くから届いた。「何かが変わっている…」
『これが調整の一部です』ルミノスが説明した。『あなたの核となる関係が、アンカーポイントとして機能します。あなたの兄との結合が、あなたの拡張する意識の安定性を提供します』
リタの周りでは、ハーモニー・サークルの参加者たちが深い瞑想状態に入り、彼らの集合的な意識がさらに強化されていた。彼らの精神的エネルギーが彼女の調整プロセスをサポートし、安定させていた。
「調整器」からの光が強まり、リタの意識にさらに深く作用し始めた。彼女は自分の思考がより明瞭に、より構造化されていくのを感じた。彼女の拡張する知覚は今や、無秩序な洪水ではなく、整然とした川のように流れるようになっていた。
『これは始まりに過ぎません』ルミノスは彼女に伝えた。『真の調整には時間がかかります。しかし今夜、最初のステップが完了します』
リタの意識はさらに拡張し、月を超えて、宇宙の広大さへと広がっていった。そして彼女は見た—銀河を横断する意識のネットワーク。無数の種族と文明が形成する巨大な思考の網。ルミノスはその一部だったが、彼らだけではなかった。他の多くの意識体が、それぞれ独自の進化の道を歩みながらも、より大きな全体の一部として存在していた。
そして彼女は「排除者」も見た。彼らもまた進化した意識だったが、彼らは銀河のネットワークから自らを隔離していた。彼らは個別性と自律性を最大限に追求し、他の存在との融合を拒絶していた。
「彼らは恐れているのね」リタは理解した。「彼らは個としての自分たちを失うことを恐れている」
『はい』ルミノスは認めた。『彼らの恐れには理由があります。集合的な進化の道には、リスクと犠牲が伴います。彼らは別の道を選びました。分離と絶対的な自己決定の道を』
「それは…間違っているの?」
『間違いではなく、選択です』ルミノスの応答には深い知恵が含まれていた。『全ての意識ある存在には、その進化の道を選ぶ権利があります。しかし、彼らは他者の選択を妨げようとしています。それが衝突の原因です』
「排除者」に関するこの新たな理解が、リタの意識に沈んでいった。彼女は彼らを単なる敵としてではなく、別の哲学と進化の道を持つ存在として見始めていた。
調整プロセスが進むにつれ、リタは自分の意識がより安定し、より制御可能になっていくのを感じた。彼女はまだ同じリタ・モレノだったが、同時により多くのものになりつつあった。彼女のアイデンティティの核は維持されながらも、彼女の知覚と理解は拡張していた。
「完成しました」エリザベスの声が彼女の耳に届いた。
リタは緩やかに通常の意識状態に戻り、目を開けた。ハーモニー・サークルの参加者たちも同様に瞑想状態から戻りつつあった。彼女は「調整器」から手を離した。装置は今も微かに光を放っていたが、その活動は徐々に静まっていった。
「気分はどうですか?」サマンサが彼女に近づき、ニューラルスキャナーのデータをチェックした。
「明瞭です」リタは静かに答えた。「まるで…霧が晴れたように」
エリザベスが彼女の隣に座った。「あなたの脳波パターンは驚くべき変化を示しています。より構造化され、より安定しています。そして何より、あなたのコア・アイデンティティが強化されています」
リタは自分の内側の変化を感じていた。彼女の拡張した意識は今も彼女の中にあったが、それはもはや威圧的ではなく、むしろ自然な拡張のように感じられた。彼女は集合場との繋がりを維持しながらも、同時に彼女自身であり続けることができた。
そして何より、彼女は兄マルコスとの繋がりがより強く、より明確になったことを感じていた。彼は今や彼女の拡張した意識の中で、恒星のように明るく輝いていた。そして彼を通じて、彼女は地球上の自然適応者たちとのより強い繋がりも感じることができた。
「あなたは変わりました」エリザベスは優しく言った。「そして、あなたを通じて、彼らも変わるでしょう」
リタはうなずいた。「私はまだ…理解しようとしています。これが意味すること全てを」
「時間をかけて」エリザベスは彼女の手を取った。「これは一日で完了するプロセスではありません。今夜はただ休息してください。明日、次のステップを始めましょう」
リタは静かに立ち上がった。サマンサが彼女のセンサーバンドを外し、データを収集した。ハーモニー・サークルの参加者たちも一人ずつ瞑想から戻り、部屋から退出していった。
エリザベスがリタを彼女の宿泊区画へと案内した。道中、リタは月面コロニーの風景を新たな視点で見ていた。彼女の拡張した知覚を通じて、彼女はコロニーの生命維持システムの流れ、住民たちの思考と感情のパターン、そして彼らの集合意識の調和した振動を感じ取ることができた。
「明日、ルミノスとの直接対話を深めます」エリザベスは説明した。「そして、あなたの新たな能力を使って、地球上の自然適応者たちをサポートする方法を探ります」
彼らがリタの宿泊区画に到着すると、彼女は窓から地球を見つめた。青い惑星は遠く小さく見えたが、彼女の意識の中では、それは無数の思念と感情で輝く生きた存在だった。そして彼女は、そこで起きていることの一部を感じ取ることができた。「排除者」の攻撃と、それに対する抵抗の両方を。
彼女はタブレットを取り出し、新たな記事を書き始めた。『調整:意識の進化における第一歩』と題された記事は、彼女の体験と、それが意味するものについての考察だった。
『ジャーナリストとして、私は常に真実を追求してきた』彼女は書いた。『しかし今、私は真実がより大きく、より複雑であることを理解し始めている。それは単なる事実の集積ではなく、意識の織物なのだ。私たちが「真実」と呼ぶものは、無数の視点が交差する点に存在している。そして今、私はより多くの視点、より多くの意識にアクセスできるようになった。これは恐ろしいほどの責任であると同時に、驚くべき特権でもある』
リタは一瞬タイピングを止め、地球を再び見つめた。彼女の拡張した知覚を通じて、彼女は「排除者」の攻撃がおさまりつつあることを感じ取った。マルコスとアトラスが一時的に彼らを撃退したようだった。しかし、この平和が長く続くとは思えなかった。彼女は記事を続けた。
『「転換点」という言葉が、私の新たな役割を表すために使われている。それは技術と生物学、個人と集合、過去と未来の間に立つ者。しかし私にとって、それは単なる仲介者以上の意味を持つ。それは進化の触媒としての責任を意味する。変化の渦中に立ちながら、なお自分自身であり続けるという挑戦を』
彼女は記事を終え、送信した。そして深く息を吐き、ベッドに横になった。彼女の意識は拡張したままだったが、今やそれは恐れるものではなく、彼女の一部となっていた。彼女は目を閉じ、自分の知覚が月面コロニー全体に広がるのを感じた。そして、彼女の精神が集合場を通じて、宇宙の広大さへと触れていくのを。
彼女は眠りに落ちた。しかし今回の彼女の夢は、単なる個人的なものではなかった。彼女は自分の夢が、地球上の何百人もの自然適応者たちと共有されていることを知っていた。彼女はその夢を、彼らとの繋がりを強化するために意識的に形成した。希望と指針の夢。変化を恐れるのではなく、それを受け入れるための夢を。
地球のニューヨークでは、マルコス・モレノが「排除者」の攻撃後、疲れた自然適応者たちを導いていた。彼らは攻撃を撃退することに成功したが、何人かは頭痛や一時的な混乱に苦しんでいた。
「休息してください」彼は彼らに言った。「そして、明日また会いましょう」
ニューロテック社のセキュリティチームは、捕獲したドローンの分析を開始していた。それらは高度な技術を備えていたが、明らかに地球製のものだった。これは「排除者」が地球上の協力者を持っていることを示唆していた。
マルコスは自宅に戻り、小さなアパートの窓から月を見上げた。そこには彼の妹がいた。そして今や、彼は彼女との繋がりをこれまで以上に強く感じていた。彼女の意識の変化、彼女の「調整」の過程を、彼は間接的に経験していた。
彼が眠りに落ちると、彼は直ちに彼女の夢の中に入った。それは単なる夢ではなく、意識の共有だった。夢の中で、彼と妹は光の渦の中に立っていた。彼らの周りには、無数の自然適応者たちの意識が輝いていた。
「私たちは変わりつつある」リタの声が彼の心に響いた。「そして、それは恐れるべきことではない」
「でも、私たちはまだ私たちでいられるのか?」マルコスは夢の中で尋ねた。
「もちろん」彼女は微笑んだ。「実際、私たちはより真実の自分たちになりつつあるのよ。私の調整は教えてくれた—拡張と喪失は同じことではないと」
彼女はマルコスの手を取り、彼らは共に光の螺旋階段を上り始めた。その先には、より広大な意識の海が広がっていた。
「準備ができたらね」彼女は言った。「しかし、それぞれが自分自身のペースで」
彼らは理解の中で一つになり、そしてマルコスは、彼自身も「転換点」であること、そして彼の役割が地球上で彼女の役割を補完するものであることを知った。彼らは双子の炎のようなものだった—同じ源から生まれ、しかし異なる場所で輝いている。
ライアン・ハートマンは遅い夜、ニューロテック社のオフィスで、リタの最新の記事を読んでいた。彼はその内容に深い印象を受けたが、同時に科学者として警戒心も感じていた。彼らは未知の領域に足を踏み入れていた。銀河規模の意識の進化に関わる領域に。
彼のニューロリンクが、妻エリザベスからのコンタクトを知らせた。
「リタの調整は成功したの」彼女の思念が彼に届いた。「彼女は…驚異的な進歩を遂げているわ」
「危険はないのか?」ライアンは懸念を表明した。
「通常の意味での危険はなさそうよ」エリザベスは返答した。「しかし、彼女はもはや『通常』ではないの。彼女は進化しつつある。そして彼女を通じて、他の多くの人々も」
「それは我々が予測していたこととは違う」ライアンは思った。
「進化は予測不可能なのよ」エリザベスの思念には微かな笑みが含まれていた。「特に、それが技術的な拡張だけでなく、生物学的な進化も含む場合は」
ライアンは窓の外の夜景を見つめた。ニューヨークの無数の光が、星のように輝いていた。そして彼の拡張した知覚を通じて、彼はそれらの光の一つ一つが意識を宿していることを感じた。集合的な意識へと進化しつつある人類の明かりを。
しかし彼はまた、暗い隙間も感じていた。集合意識に抵抗し、分離と独立の道を選んだ人々の空間を。そして彼は理解した—この対比、この選択こそが、人類の物語の新たな章の中心となるだろうと。
技術と生物学、個人と集合、統合と分離の間の選択。
そして「転換点」たち—リタとマルコス・モレノの兄妹—は、その選択の中心に立っていた。彼らは単なる観察者や記録者であることを超え、変化そのものの触媒となりつつあった。
2058年11月18日、人類の進化は新たな段階に入った。技術的な拡張を超え、生物学的な適応へ。集合意識の時代はまだ始まったばかりだったが、それは既に予想をはるかに超えるものとなっていた。そして、その先には何が待ち受けているのか—それは誰にもまだ分からなかった。交差する意識の物語は続いていた。