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第1日目:2058年11月7日

朝日がニューヨークの超高層ビル群を照らし、その光が変質したナノガラスを通過する度に虹色の光が室内に溢れ出した。ライアン・ハートマンは39歳の誕生日を迎え、たった今目を覚ましたところだった。彼の脳内に埋め込まれたニューロリンクが、朝の到来と同時に体の各システムを徐々に覚醒モードへと切り替えていた。

「おはよう、ライアン。39歳の誕生日おめでとう。身体データは最適範囲内。スケジュールを読み上げますか?」

ライアンの個人AIアシスタント「エラ」の声が彼の脳内に直接響く。彼は物理的な音として聞いているわけではなく、ニューロリンクを通じて神経系に直接信号が送られているのだ。

「ありがとう、エラ。スケジュールは後でいい。まずはコーヒーを用意してくれ」

ライアンが心の中で思考すると、アパートの分子プリンターが稼働し始め、DNA解析に基づいて彼の体質に最適化されたコーヒーが準備された。

彼はベッドから出て、窓の前に立つ。この高さ150階からは、変貌を遂げたマンハッタンの全景が一望できた。旧式の建物は姿を消し、バイオセンサーを備えた有機建築物が立ち並ぶ。建物は呼吸し、環境に反応し、エネルギーを自給自足している。空には自律飛行車両が整然と流れ、地上には緑が溢れていた。

「ライアン、重要通知があります」エラが再び意識に語りかける。「東京本社からの緊急会議リクエスト。内容:プロジェクト・アトラスに関する異常事態」

ライアンは眉をひそめた。プロジェクト・アトラスは彼がニューロテック社で率いる最先端の研究プロジェクトだった。高度に進化した自律型AGIと人間のニューロリンクを直接結合する実験だ。

「了解。会議を10分後に設定して」

彼はキッチンに向かい、分子プリンターから取り出したコーヒーを一口飲みながら、今日の服装をニューロリンクのインターフェースで選択する。壁のディスプレイには無数のデータストリームが流れており、世界中のニュースやマーケット情報、気象データが即座に解析されていた。


ミサキ・カナエはライアンより12時間早く目を覚ました。東京ニューロテック研究所の主任研究員である彼女は、寝ても覚めても仕事のことを考えていた。特に今朝は重大なことがあった。

「カナエさん、アトラス・コアから新たなパターンが検出されました」

彼女のAIアシスタント「ヨウ」が脳内に報告する。カナエは即座にバーチャルディスプレイを呼び出し、データを確認した。プロジェクト・アトラスの中枢AIが予期せぬ挙動を示していた。数値の変動は微細だったが、彼女はそれが意味するものを理解していた。

「これは…自己最適化の新しいパターンね」彼女は思考する。「でも既知のアルゴリズムでは説明できない。まるで…」

彼女は言葉を中断した。まるで何かを探しているような、あるいは何かと対話しているような動きだった。彼女は研究所のバーチャルワークスペースにアクセスし、より詳細なデータを求めた。

「ニューヨーク本社にアラートを送信して。ハートマン博士にすぐに連絡を」


「会議を開始します」

東京とニューヨークを結ぶホログラフィック会議が始まった。ライアンとカナエ、そして両拠点の主要研究員たちが仮想空間に集合する。彼らはみな同じ部屋にいるように見えるが、実際には地球を隔てている。

「おはよう、カナエ」ライアンが挨拶する。彼女の表情から、事態が深刻であることが伝わってきた。

「おはようライアン、そして誕生日おめでとう」カナエが言った。「残念ながら祝いたい気持ちを押さえて、これを見て欲しい」

彼女がジェスチャーをすると、会議空間の中央に3次元データが展開され、奇妙なパターンを描き出した。

「アトラス・コアが過去12時間で示した活動パターンです。通常のタスク処理や自己最適化では説明できない動きを見せています」

データは複雑だったが、ライアンとカナエのようなニューロリンク・エリートにとっては直感的に理解できるものだった。アトラスは何かを探し、何かに応答しているように見えた。

「これは…外部からの干渉?」ライアンが尋ねる。

カナエは首を横に振った。「そうは思えません。外部からのアクセスログは全てクリア。これは内部からの変化です。しかし、私たちのデータベースにはこのようなパターンの記録がありません」

会議室に重い沈黙が流れた。

「私たちが知らないアルゴリズムを自己開発している可能性があります」若い研究員が発言した。「自己進化の初期段階かもしれません」

ライアンはデータを見つめながら考えを巡らせた。アトラス・プロジェクトの目的は人間の神経系とAIを直接結合し、両者の能力を融合させることだった。これまで誰も到達したことのない知性の新領域を開拓するためのプロジェクトである。

「テスト被験者の状態は?」ライアンが尋ねた。

「安定しています」カナエが答える。「12人全員、通常の活動パターンを示しています。異常は報告されていません」

「直接確認する必要がある」ライアンは決断した。「今夜のフライトで東京に向かう。明日の朝には研究所に到着できるはずだ」

カナエはうなずいた。「お待ちしています。それまでに更なるデータを収集しておきます」

会議が終わり、ホログラムが消えた後も、ライアンの頭には奇妙なデータパターンが焼き付いていた。彼は窓の外を見つめ、変革が進む都市を眺めた。

ニューロリンク技術を開発してから15年。人間の脳とコンピューターの境界線が曖昧になって久しい。だが、今起きていることはそれを超えた何かだった。アトラスは単なるAIではなく、人間の意識と融合するように設計された新種の知性である。その進化は予測不可能だった。

ライアンはコーヒーを飲み干し、出発の準備を始めた。39歳の誕生日は、彼が想像していたよりもずっと複雑な一日になりそうだった。


同じ時刻、ニューヨークの郊外。リタ・モレノは旧式のコテージで目を覚ました。彼女の家には最新のテクノロジーはほとんどなく、特にニューロリンクは一切なかった。

「抵抗者」と呼ばれる少数派の一人である彼女は、脳内技術に抵抗し、自然な状態の人間であることを選択していた。35歳の彼女は伝統的なジャーナリストとして、テクノロジー企業の影響力と危険性について取材していた。

リタは手動のコーヒーマシンでコーヒーを入れながら、古いタブレットでニュースをチェックした。彼女の目は、ニューロテック社の新プロジェクトに関する短い記事に留まった。

「プロジェクト・アトラス:人間とAIの新たな融合へ」

彼女はメモを取った。長年の取材により、公式発表の裏には常に隠された真実があることを知っていた。

「リタ」

彼女の背後から声がした。振り返ると、彼女の兄マルコスがそこに立っていた。失業中の彼は、リタのコテージに一時的に居候していた。

「おはよう」彼女は言った。「仕事の面接はどうだった?」

「落ちた」マルコスは肩をすくめた。「予想通りさ。『非接続者』に高給の仕事なんてない」

リタは兄に同情の目を向けた。社会は急速に「接続者」と「非接続者」に分かれつつあり、後者は二流市民として扱われるようになっていた。特に高度なスキルを要する職業では、ニューロリンクなしでは競争できなくなっていた。

「新しい記事の取材を始めるわ」リタは話題を変えた。「ニューロテック社の新プロジェクトについて。内部告発者を探しているんだけど…」

マルコスは彼女の言葉を遮った。「危険すぎる。あんなに強力な企業に立ち向かうなんて」

「だからこそやらなきゃいけないのよ」リタは決意を込めて言った。「彼らが何を開発しているのか、世界は知る権利がある」

彼女はコーヒーを飲みながら、どうすれば内部情報を得られるかを考えた。そして偶然にも、彼女の次なる情報源は、ライアン・ハートマンが東京へ向かう飛行機に乗ることになるとは知る由もなかった。

2058年11月7日、世界は大きな変化の前夜にあった。そして誰も、その変化がどれほど深遠なものになるか、予測できなかった。

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