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6.彼女の周囲に"人"は少ない

時間軸が戻ってきました。モーラ達には個別に名前があります。

突然修正することがあります。

 王都邸からイルゼカイン達が出立したのは養子達三人との晩餐を共にした翌日未明だった。雪は止んでいたが闇は深く、人々は未だ眠りに就いていた。

 護衛兼伝令その他雑用のために十名の私兵、監査業務の補助をさせるために十名の侍女、合わせて二十名とゲアハルトを連れてイルゼカインは王城へと向かう。私兵と侍女はアスカロンと共に領都から来ていた。

 二台の馬車と騎馬で真っ暗な雪道を進む。夜が明ける前に出発したのは通りの渋滞と混乱を避けるためであり、ゲアハルトと二人だけで乗る領主用馬車を曳くモーラ達の姿をあまり人目に付かせないようにするためだった。

 明かりの無い車内で、軽騎兵姿のゲアハルトは対面にいる彼女を見ていた。文官の正装に身を包み、魔力によって視力を強化しているために、仮面から覗くイルゼカインの瞳は黄金の光を湛えている。

 手元にある粗末な冊子を読むために視力を上げているせいか、いつもより光が強かった。

「イルゼカイン」

「ん」

「何を読んでいるんだ? 並足だが王城は近い。それだけ薄い冊子でも最後までは読めないぞ」

 長い付き合いの気安い副官にそう言われて、彼女は視線を上げないまま「うん」と返した。

「とりあえず、重要そうなところだけ読んでる」

「重要? 本当に何を読んでるんだ? お前は」

 怪訝そうにゲアハルトは再度尋ねる。イルゼカインは彼のために冊子の題名を読み上げてやった。

「『アホでもわかる! ジョークでみんなを笑顔にする職場でのコミュニケーションテクニック!』」

「タイトルだけでもう内容が分かった。今すぐ捨てろ」

「え、いや、行商人から買ってまだ全部読んでないし……王城の使用人達に怯えられては円滑な監査は難しいだろうし……」

「毎年毎年その手のモンを読んでるが上手くいった試しが無いだろうが。監査官を継いで何年目になるんだ。いい加減学べ」

 彼は本気で阿呆を見る目で主人を見る。反論したいイルゼカインだが、どうしようもない冊子を読むくらい会話が不得手なことを自覚しているので身を縮ませることしかできない。だが捨てるなんて選択肢もない。

 無表情なりに強硬な姿勢を見せるイルゼカインに対し、ゲアハルトは溜息を吐いて肩まで竦めた。先の尖った耳と、白い髪と浅黒い肌、火の粉が煌めき揺らめく真珠色の虹彩、そして人並み外れた美しさを持つ男はそんな仕草でも美神像のようになる。

「じゃあ、その冊子にあるテクニックとやらを俺に一つ披露してくれ。それが良かったら納得してやる」

 副官の馬鹿にしたような態度に、それを見返してやろうとイルゼカインは息巻いた。

「良いだろう。冊子を読んで思い付いた、私自身を題材にした場を和ませるジョークを披露してやろう」

「ああ」

「『おっと、安心してください。私は燃え滓ですから触っても燃え移りませんよ』」

「………………」

 彼女が言い終わるや否やゲアハルトは腰を浮かせて手を伸ばして冊子を奪い取る。そして小窓を開けて無慈悲に投げ捨てた。イルゼカインは「あー」と声を上げただけで、取り戻そうとはしなかった。

 彼の言っていることは正しいし、結局どれだけこちらから歩み寄ろうとも忌避されることは分かり切っている。だから恨めしそうに睨むふりだけに留めた。無表情のままだったが。

 どすん、と腰を下ろしてどうやって説教してやろうかと思ったゲアハルトだが、無意味なことはしまいと話題を変えることにした。

「で? 本気でお前は、あの馬鹿に義娘を嫁がせるのか?」

 その問いにイルゼカインは当然のように「いいや」と答える。

「早い内に王太子がリリーベルに対して良い感情を抱いていないことは分かっていたからな。王太子は、勉強はできると聞いているから頭が悪いわけではないと思うんだが……記録を見る限り三代連続で穏やかな形質の王と王妃が選ばれたから、その弊害で潜性形質が出たのだろう」

「お前等の王家は豆か何かか」

「王太子の気質についてはともかく、婚約はリリーベルにも一応の利があったからしただけだ。社交界に入る上で婚約者がいない娘は醜聞に繋がり易い。そもそも我が家の婚約者選びは難しい。あれは社交用に用意した娘だし、そのことで先代との相談しているところに王家から打診があって受け入れたんだ」

 あの時の煩わしさを思い返してイルゼカインは虚空を眺めた。

 先代である父親の荒れ方は異常だったし、かと言って名乗りを上げた王家を差し置いて他の婚約者を探すのは難しい。その上こちらから他家に申し込んでも王太子を理由に断られてしまう状況になってしまった。

 せっかく養子にした社交用の娘を無意味にされても困る、とイルゼカインは頭を悩ませた。

 結局、「リリーベルと王太子が成人した時に改めてこのまま結婚するか、婚約解消するかを選択させる。その意志が無いリリーベルとの結婚が強要されるようであれば、王の許可を取って王太子の脳味噌を少し弄って娘の好む人格に書き換える」ということでイルゼカインは先代を納得させたのだ。

 彼女が体を弛緩させて記憶を反芻させている間もゲアハルトの問いは続いた。

「もし、リリーベルのほうが別れたくないって言い出したらどうするんだ? 解消の話をお前は話しているんだろう? 甘ったれの小娘は感激して飛びついたんじゃないのか?」

「リリーベルも王太子の態度に思うところがあるようだし、解消になるだろう。だが解消するのであれば王太子と話し合いをしてからだと、あれがな。王太子の成長にはそれが必要だとリリーベルは考えている」

 そこまで言って、イルゼカインは黄金の両瞳を瞬かせて向かいに座る男を眺める。その視線を受けてゲアハルトは怪訝そうにした。

「なんだよ?」

「意外だな、と。お前は子供達に関心が無いのだと思っていた」

 主人のそんな言葉にゲアハルトは甘い顔立ちの魅力を存分に引き出す笑みを浮かべて首を少し傾けた。一番美しく見える角度で、愛おしげな目で黄金色の瞳を見つめ返した。

「俺だってお前が可愛がっているモノに興味は持つし、それなりに付き合っていれば情だって湧くさ」

「その割にはダインに付けていた稽古がかなりきつかったような気がする。小さい頃のあれはずっと泣いていたぞ」

 「領主にする予定の奴が弱かったら困るだろ」とゲアハルトが渋い面を作った。決して自分に非があるわけではないと態度で示すが、イルゼカインは曖昧にしか理解できない。

 馬車が停車した。少しして、若い男の悲鳴が聞こえた。その後にはどっと笑う男達の声もあった。二人は慣れたように「いつものか」「いつものだな」と頷き合う。

「…………新人の度胸試しに使われるのは、喜ぶべきことなのだろうか」

「モーラ共は楽しんでるんだから別に良いんじゃないか?」



「うぅ~……くそ、寒いなァ……」

 王城を囲む高い城壁には幾つかの門がある。その内、城の裏手にある門を守護する兵士に抜擢された彼はまだ若く、寒さに悪態を吐いて分厚い支給外套の襟を立てて顔を埋めた。雪は止んでくれたが吐く息は真っ白だった。

 長い冬の間は夜明け前が一番暗く、一番冷え込む。そして一番眠い。今日こうして寒さに震えている若者は今年から王城の門を守護する部隊に配属された。

 二時間おきに交代するのだが、この時期ばかりは普段仲が良いはずの仲間同士で罵り合いながら持ち回りを決めている。

 それまでは先輩達が色々と気を遣ってくれていたのだが、今日の持ち回りについては「絶対お前がやれ」「一年目のお前がやれ」と何らかの悪意が込められているのでは思うほど有無を言わさぬ決め方だった。

「こんな冬の晩には恐ろしい化け物が馬車を曳いてやって来るんだぜ」

 門番は二人一組で行う。新人の彼の相棒になった守護隊長は前の組との交代時にそう嘯いた。馬鹿らしい、と新人は笑った。それから眠気覚ましに他愛のない会話を繰り返して、夜明け前のこの時間を迎えた。

 寒さと眠気に苛まれる彼の耳に、近付いてくる騎馬と馬車らしき音が届いた。早さと音の間隔から馬の速度は並足程度であることが分かる。

「馬車、か? こんな時間に?」

 新人の独り言を拾った隊長は心当たりがあるらしく応えた。

「明日からの業務のためにお越しになったんだよ」

「お越しになるって、こんな時間に登城ですか? 予定表にそんな記載は無かったと思いましたが」

「王城配属の研修で一通り説明したじゃないか。こっち側の官吏門を使う登城の場合は原則前々日からの事前通告。緊急対応時は当日二時間前までの先触れ。大臣職、または王家専属財務監査官は国王陛下の命令書提示した場合に限り無通告での登城を許可する、ってな」

 つまり、こちらに向かって来ている馬車は「とんでもない例外」ということになる。聞いて思い出した新人は慌てて姿勢を正した。

 今からやって来るのは遙か頭上の高貴なる方々か、そんなお偉方だって殺す処刑人なのだ。粗相をしてはいけないと彼は緊張のために意識を張り詰めさせる。

 降り積もった雪を重い蹄が踏み締めて、六頭立て四頭曳きの黒い馬車が門の前へとやって来た。馬車は二台。馬車は大型で、一見しただけでも頑丈な造りであることが分かった。それぞれの馬車の前を走る騎兵達の他に左右と後方を守るように併走している。合計十騎の編成だった。

 見たこともないほど大きな馬が曳く先頭の馬車の扉に、ヘルロンド家の家紋が施されているのが見えた。新人は寒さから来るのとは別の震えに襲われる。処刑人がやって来たのだ。間違いを犯した人間を挽肉みたいにして殺す断罪卿が。

 縮み上がる新人に隊長が苦笑していると、馬車を先導していた騎馬兵の一騎が前に出て彼等に声を掛けた。

 立派な体格の馬に乗る騎士の装備は軽騎兵のものであり、艶の無い暗色の兜の下にある頭は黒布でぐるぐる巻かれて目元しか見えなかった。褐色の肌に真珠色の瞳があった。

「馬上からの無礼、許されよ。王家専属財務監査官当代付副官私設近衛が一人、ハシュトレイ・チェンヴァレンである。先達て、アントピア国王陛下から財務監査のお赦しを頂いた。故に明日より開始される監査業務のために王家専属財務監査官以下二十二名で参上仕った次第である。仔細はこちらの返答書簡をご確認頂きたく。宜しいか?」

「承りました。暫しお待ちください」

 隊長は騎士から差し出された二つの書簡を受け取り、丸まっているそれ等の封蝋を確認してから広げて文面に目を通し始めた。

「しかし、監査官殿は毎年のことながら律儀であらせられますな。前日にお知らせ頂いているお陰でこうして私がお迎えできるわけですが、不正防止と機密保護の観点から言えば懸念点になるのでは? 無論、一度たりとも情報を漏らしたことはありませんがね」

「当代は貴殿が長らく務めるこの守護隊長職に対して忠実であることをご存知なのだ。先代からそのように聞いているからだと」

「過分なお言葉、痛み入ります。礼を申していたとヘルロンド様にお伝え下さい」

「ああ」

 軽騎兵と隊長は面識があるらしく、気安さの滲む会話をしていた。それを聞いていた新人は「だから先輩達は俺を……」と心の中に寒風が吹き荒んだ。

 確かに断罪卿が乗っているであろう、霊柩車に似た大型馬車を見れば背筋が凍る。監査官の来る夜の立哨を新人が担当するのは、恐らくちょっとした悪戯を兼ねた慣習なのだ。

 嘆息する新人は、ぼそぼそと誰かが喋っているらしい低い声に気付いた。

 隊長は無言で書簡を確認しているし、軽騎兵もそれを黙って待っている。馬車の傍にいるヘルロンド家の騎兵達も話している素振りはない。

 だが声は今も聞こえている。馬車のほうからだった。

 そこで漸く彼は当主の馬車を曳いている馬が、普通の馬ではないことに気付いた。

 鬣があり、二又の蹄を持っているその生き物は、顔の部分が布で覆われた。顔の部分が少し凹凸のある平面で馬らしい形をしていない。加えてどんな馬よりも大きな体躯があるその馬の、頭部の両側面からは牛のように角が生えていた。

 それらの特徴からそれが魔物であることに新人は気付いた。王都で生きている魔物を見る機会は殆どない。それも、サーカスの興行で魔物使いが手懐けた個体に芸をさせるのを見物するのが精々だ。ここまでの巨体には遭遇したことがない。

 隊長が騒がないということは書簡にその旨が記載されているか、毎年のことなのだろう。彼はそう納得した。

 ぼそぼそと、中年男のような声が魔物達から聞こえ続けている。新人は好奇心から、少しだけ馬車に近付いた。不思議と軽騎兵達はそれを止めなかった。

 魔物達から聞こえてくる会話は夜更けの荒れた酒場で話すような、酷く下品な内容だった。

「あ~チクショ~、さっみぃなァ~。このまんまじゃタマが凍っちまう。世界の損失だぜ? 俺のタマが無くなるのはよ」

「テメェのタマなんざ誰も惜しまねぇよこのボケ。クソッ、とっとと通せってんだよなァ。なにチンタラやってんだよ馬鹿野郎」

「でもよォ、どうせお行儀良くしてなきゃなんねぇんだ。ああ、そろそろ温けぇ女のハラに突っ込みてェよ。もう何年もヤってねぇ」

「俺もだよ兄弟、このままじゃインポになっちまう。今年の城に間抜けの雌豚がいりゃ、我等が偉大なるクソ女に頼んでこっちに回して貰おうぜ」

「おお、我等が偉大なるクソ女! 真っ黒焦げのアバズレ女!」

「煤塗れの女神! 割れ目は無事か見せてみろ!」

 四頭の魔物が歌い、げらげらと嗤った。顔を引き攣らせた新人は、操り手であるはずなのにこの会話を止めさせない馭者に目を向ける。そして息を呑んだ。

 馭者台に座っていたのは、喉笛が深く切り裂かれた男の死体だった。

 馭者に扮する粗末な鎧姿の戦死者は真っ白な顔色で、乾き切った喉の傷を晒したまま手綱を握っている。白濁した目には何も映っていなかった。

 言葉を失う新人に向かって、馬鹿にしたような声が投げつけられた。

「おい、おいテメェ。見世物じゃねぇんだ。仕事サボってんじゃねぇよ、ダボカスがよ」

「えっ」

 再び彼が魔物のほうを見ると、四頭のうち右側の先頭にいる魔物が顔を男に向けていた。魔物の中で一際大きな角と青黒い毛並みを持つ個体。それが挑発するように頭を軽く上下させて、新人を罵った。

「ケツの青いションベン臭ぇクソガキ、テメェのことだよ。さっさと仕事に戻れ。俺のタマが凍って腐り落ちたらテメェを喰い殺してやるからな」

 魔物はそう言って、息を強く吐いて自分の顔を隠している布を捲り上げる。それまで隠されていた魔物の顔が露わになる。

 その顔は、醜悪で野卑な下種の笑みを浮かべる、無精髭を生やした酷く歯並びの悪い中年男の顔だった。

 人面の魔獣は横長の瞳孔がある目に嘲りを浮かべて彼を見ていた。新人は大きな悲鳴を上げて腰を抜かしてしまった。途端に哄笑が起きる。魔獣も、ヘルロンド家の軽騎兵達も、新人が恐怖する姿を見て大笑いしていた。

 踏み荒らされた雪の上にへたり込む新人は、振り返った先にいる隊長が笑いを堪えているのを見て「なんて酷い悪習なんだ」と思った。

「面白い」と思ったらコメント欄で好きなヱヴァーシリーズを教えてください。ワイは量産機です。

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