表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

3.無礼を許す道理がない

お義母さん大好きリリーベルさん。

突然修正することがあります。

 まだ冬の最中の静かに雪が降り積もる季節。夕暮れの時間帯を迎えて王立学園に講義終礼の鐘が響いた。

 自習室の窓際に置かれた大机の端で、リリーベルは一人で本を読んでいた。

 彼女の姿は落ち着いた淑女そのもので、星が放つ光を纏めたような長い髪は丁寧に編み込まれていて、緻密な刺繍が施されたリボンで結い上げられ、白蝋の肌を照明の光に照らされるその姿は一枚の絵画のようだった。

 身に付けている学園支給のジャケットと足首丈のスカートが画一化された物だということを忘れさせる美しさだった。

「失礼致します、ヘルロンド様」

 自習室の係員が静かにリリーベルの傍に来て声を掛けた。彼女は本を閉じて顔を上げる。

「何かしら」

「侍女の方がお迎えにいらしています」

「そう、ありがとう。こちらの本を戻しておいてくださる?」

 「かしこまりました」と頷く係員にリリーベルは微笑んで本を手渡した。

 出入り口へと向かうと扉の傍では彼女に仕える侍女が待っていた。赤銅色の肌と黒髪黒目を持つ侍女は乗馬と弓術に長けた「平原の民」の出身であり、リリーベルより五歳年上で、学園に入学する前から彼女に仕えてくれている。

「いつものように待機室で待っていても良かったのよ、イース」

 リリーベルがそう言うと彼女は静かに首を横に振った。

 二人は良く言い換えれば歴史ある学び舎の古びた廊下を進んでいく。他の生徒や教師達にリリーベルは律儀に「ごきげんよう」と声を掛けながら歩く。全員が挨拶を返してくれる。彼女が誰の義娘なのかは知れ渡っているので、中にはぎこちなさや怯えが混じっていた。

 いつものことなのでリリーベルは気にしない。

「領姫様、今日は当代様がお越しになりますね」

 イースがそう言うとリリーベルの顔がパッと明るくなった。

「ええ! 晩餐の前に到着される予定だから、万全の支度でお出迎えしましょう。抜かりは無いわね?」

「次代様、領子様もいらっしゃるのですから勿論ですとも。みんなで張り切ってご用意しております」

「お義母様とお義兄様達、喜んで下さるかしら……」

「領姫様が調理担当達と一所懸命に考えたメニューですもの。きっとお喜びになりますよ」

 主人との気安い会話に、リリーベルよりも少し背の高い侍女は妹を見る眼差しを向けて顔を綻ばせた。

 いつも礼儀正しく、規則正しく日々を過ごしているリリーベルは、ふた月もすれば卒業と成人を迎える。

 リリーベルは社交界デビューした十三歳の時、学園に入学するために義母と離れ、先に入学していた義兄達と共に王都で暮らしていた。しかし三つ上の長兄、二つ上の次兄が卒業し、それぞれの進路に従って屋敷を出てしまえば、彼女が気を許して相談できる相手はイースのような護衛達しかいなかった。

 そして、王都で暮らし始めると敬愛する義母と会う機会は極端に減ってしまっていた。長期休暇で領地に帰ってイルゼカインの元を訪れる時か、ヘルロンド家の役目である王室監査のために彼女が王都を訪れる時を除けば数える程度だった。

 手紙のやり取りはこまめにしているし、養子となった際に刻まれた魔術印によって大まかな彼女の体調や精神状態が養母に伝わっている。

 それでもリリーベルは王都邸に義母が来るという知らせを受け取れば飛び上がって燥いであれこれと支度を始めるし、自分が領地に帰省する日の前日は嬉しくて全く眠ることができないほどだった。

 共に過ごしていたイースから見ても、リリーベルは少女らしい時間をあまり過ごしてこなかった。「お澄まししたお利口さん」なリリーベルの、時折こうして顔を覗かせる可愛い子供らしさがイースには健気に思えた。

 生徒会室の前を通り掛かった時、楽しげな男女の笑い声が室内から漏れ聞こえてきた。リリーベルは思い出したように足を止める。

「イース、少し待っていて」

 頬を紅潮させていた美しいリリーベルの顔は淑女のものへと即座に戻った。侍女に待機を命じて、リリーベルは生徒会室の扉の前に立つ。そして控えめにノックした。

 少しの間を置いて、扉が開かれた。応対に出たのはルミナント王太子の側近であり護衛役の王国騎士団々長令息、ヴェルナル・ロン・クレイだった。

 ロンはリリーベルを見てあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。仮にも忠誠を誓った相手である王太子の、現婚約者に対して向ける表情ではなかった。

「何の用だ」

「フィアベル殿下にお伝えしたいことがありまして。いらっしゃいますか?」

「殿下はご歓談中だ。お前に使う時間など無い」

 あまりに無礼な彼の態度にイースは強く憤るが待機姿勢を崩すことはなかった。慣れているリリーベルは「そう」と冷たく言って、ロンに言付けを頼んだ。

「ではお伝え下さい。本日は当代が我が家にお越しになるので、その出迎えの支度をするためにお見送りはできません、と。それから、話し合いをする件について決してお忘れにならないように、とも」

 彼女の言葉にロンは嘲笑を浮かべて見下した。

「お見送りなんか、一度もさせてもらってないだろ」

 平時であれば、リリーベルは放課後の生徒会活動が終わるまで、学年毎の成績等級別に割り当てられている教室や自習室で待っている。ルミナントはそれを知っているが、声を掛けることなく生徒会室からそのまま帰路についてしまう。リリーベルは教室に王太子の鞄を回収しにやって来た侍従からその帰宅を知らされてから帰る。

 それがいつもの下校風景だった。

「ええ。でもお断りの言葉はお伝えしないと。私はそこまで『礼儀知らず』ではありませんから」

 お前等のようにな、というリリーベルが含ませた言外の嫌味を感じ取って青年は「なんだと?」と怒りを滲ませる。

 自分より遙かに体格の良い男に睨まれても全く怯えない淑女は念押しする。

「確かにお伝えください、アード伯爵令息ヴェルナル・ロン・クレイ様。ヘルロンド家が義娘、クロエカイン・リリーベル・ヘルロンドがしかとお願いしました」

 学園内のような公共の場で家名と共にされる約束は、たとえ口約束であろうと、その場に第三者がいれば「公式な契約」という認識が貴族社会にはある。もちろん断ることも可能だが、それにも相応の理由が必要なるほどの約束になる。

 そのためにリリーベルの侍女イースがいる時点でロンは特段の理由がない限り「伝言を王太子に伝えない」という行動はできなくなった。また、王国騎士団を統べる団長の息子であることも約束に強制力を与えた。家名と父の顔に泥を塗る行為は騎士としてできるわけが無かった。

 このような約束の作法は伝言を頼むだけのために使うものではない。それはロンもリリーベルも分かっている。だからこそ舌打ちが青年の口から飛び出した。

 単なる伝言なら即座に断れたのに、家名での約束などという方法を取られたせいで伝言というあまりにも簡単過ぎる頼みを断ることができない。

 未来の王と王妃の障害であり憂いでしかない女の頼みを聞くのは心の底から嫌だが、仕方なかった。

「チッ……確かに承った」

 彼が頷いたので用件が済んだリリーベルは侍女を連れて去っていった。彼女の後ろ姿をロンは睨み付け、強い力で扉を閉める。

 王太子達と愛らしい女生徒の笑い声が再び響き始めた。



 王都にあるヘルロンド家の屋敷は王城に程近い壮麗な大邸宅である。その庭園と屋敷の広さに対して使用人の数はあまり多くない。

 屋敷の保全管理等を行うのはディグレンゼ領の領都で募集を掛けた四十名の仕事である。それとは別に、義母からリリーベルに貸し与えられている護衛十五名。侍女役が五名、残りが男性使用人役だ。炊事と財務管理は護衛達の職務に含まれていた。

 侍女役の若い女達はイースと同じ平原の民出身だが、男性使用人役の男達は白い髪と浅黒い肌、真珠色の虹彩、そして人並み外れた美しさを持っていた。

 全員がイルゼカインに忠誠を誓い、成人前のリリーベルを王都邸の主人として扱っていた。

 帰宅したリリーベルは晩餐に供される料理以外の部分について指示を出した。改めて入念な最終点検を命じ、テーブルとエントランスホールに飾る花を庭師に用意させる。自分も入浴、着替え、化粧と身支度を調えた。

 晩餐の内容を再度確認しながら髪を結い終えたところで、従僕の一人がリリーベルに当主の到着が間近であることを伝える。

 若き女主人は鏡から視線を移して頷いた。

「すぐに行きます。貴方達も準備を」

「かしこまりました、領姫様」

 リリーベルと護衛全員がエントランスホールに並び終えるのと同時に正門が開かれた。

 雪が降る中、減速することなく滑らかに二台の馬車が護衛の騎兵と共に入ってくる。六頭立て四頭曳きでやって来た大型箱馬車は王都でも類を見ないものだった。

 先に入ってきたほうの馬車の扉には家紋が配われている。

 家紋の意匠は「真下の王冠に剣先を向けた処刑剣」。古代語で記されているモットーは「我は殺す者」。

 その二つが、馬車がヘルロンド家当主の物であることを示していた。

 領主の馬車を曳いている獣は馬の形をしていたが尋常ではなかった。

 鬣もあれば二又の蹄もあるそれは、複数ある馬種の中で最も大きくなるものよりも二回りほど大きな体躯を持ち、頭部の両側面からは牛のように角が生えていた。ぶつぶつと文句を言うように唸る声は中年男のそれに似ていた。

 馬との最大の違いは、布で覆われた顔の部分が少し凹凸のある平面であることである。いわゆる「馬面」ではないのだ、その生き物達は。それはヘルロンド家でのみで飼育されている魔物であり「モーラ」と呼ばれていた。

 そんな異形に先導され、曳かれてきた馬車は車寄せへと静かに停まる。内側からドアが開き、軽武装の男が降りてきた。

 浅黒い肌のその男はかなり背が高く、短く刈り込まれた白髪を後ろに撫で付けていて、真珠色の中に火の粉が煌めき揺らめく虹彩を持っていた。

 平原の民とも違う異国の、目が覚めるほど美しい顔立ちと尖った耳先を持つ若々しい外見をしている。同様の特徴を持つことから、男性使用人役の護衛達と同族であることが分かる。

 男はヘルロンド家の家令であるのと同時にイルゼカインの従者であり副官としても彼女に仕えている。

 名はゲアハルト・ハイスタン。リリーベル達がイルゼカインの養子に迎えられた時から既にその隣にいた。

 踏み台を置き、ドアの横に立ったゲアハルトは手を差し出す。薄暗い車内から、指先まで布に包まれた手が現れて男の掌に乗せられた。

 助けを借りながらイルゼカインは馬車から降りた。宮廷の文官が着るような、襟首が詰まった式典服という男装姿の彼女は仮面で顔を隠していた。

 留場に向かう二台の馬車と護衛達を見送った二人がエントランスホールに入ると、其処で待っていたリリーベルは並ばせた護衛達と共に最敬礼して迎えた。

「御屋敷から王都までの早駆け、ご無事でなによりです。当代」

「出迎えご苦労。お前も息災のようで何よりだ、我が義娘よ。イース達もアインスライ達も、よく仕えてくれているようだな」

 護衛役達と共に労いの言葉を掛けられたリリーベルは貴族的な微笑を浮かべていた顔に喜びが滲んだ。

 彼女が頭を上げると黒い仮面に開けられた目の部分から満月のように輝く瞳が見えていて、穏やかな視線が向けられていた。それが感情表現の乏しい義母の、愛情の示し方だとリリーベルはよく知っている。

 自分よりもずっと小柄で華奢な義娘を見下ろすイルゼカインは「お前の義兄達はまだ到着していないようだな」と言った。

 イルゼカインの三人いる養子のうち、領主代行であるアスカロンと王国騎士団に所属しているダインも晩餐に出席することになっている。

 ダインは騎士団の官舎があるので晩餐を終えたら帰ってしまうが、アスカロンは来月に行われる慶賀の儀の支度と定例の挨拶回りを行うためにこの邸宅に滞在する予定だった。

 リリーベルは義母の言葉に頷いた。

「もうすぐいらっしゃると思いますよ、当代。さ、応接間へどうぞ」

 丁度その時、門扉の辺りから馬車がこちらへと向かってくる音が聞こえてきた。馬蹄と車輪の音は複数。領都にいる義兄と王都で騎士団に所属している義兄も到着したのだと、年若い女主人は理解した。

 彼女はイルゼカインの案内を男性使用人役の一人であるアインスライに命じ、自分は義兄達を出迎えた。

「面白い」と思ったらコメント欄で好きな異端派を教えてください。ワイはカタリ派です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ