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19.その恋には嘘しかない

すいませんマジで遅くなりました。一応夏までに終わらせるつもりで書いてたんだけどな……なんでやろな……。

 憲兵隊長カルロ・ヒュー・ホフマンはそれなりに幸せな人生を過ごしてきた。子供の頃は食糧難が続いたお陰でいつも腹を空かせていたが、なんとか死なずに成人を迎えられた。

 彼の家は王宮で官職持つ宮廷伯爵、言わば領地を持たない貴族で、父は内務大臣室の事務官だった。その縁も有って王国騎士団に入団して初年度課程を修了後、王都で発生した重犯罪や王侯貴族、近衛や憲兵を含む騎士団絡みの犯罪を取り締まる憲兵隊に配属された。

 それからこつこつ働いて三十年。ごろごろと六人も男ばかり続いた後に産まれた末娘が無事に七歳の誕生日を迎えたのが先日。憲兵隊長に任じられて二年。

 激務ではあるが高給だし彼には「憲兵とは規律の守護者である」という誇りがあった。「ホフマン家歴代当主の中で最も出世したのは自分だ」という矜持もあった。だから老体に鞭打つことなど些末なことなのだ。

 だが、ただ一つ耐えられないことがある。それは王家専属財務監査官イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンドに声を掛けられ、あまつさえ仕事を頼まれることだ。先代のカインシルトも詰め方が怖くて苦手だったがこちらは別種の恐怖がある。守護隊長などの兵士や平民たちからは何故か人気なのが余計怖かった。

 監査官の業務上、憲兵隊と連携することは多々有る。監査官から依頼を受けることも憲兵隊から何か頼むこともあるが、イルゼカインの頼み事はできれば受けたいものではなかった。どれも血腥く、足りな過ぎる説明と共に唐突な結末を与えられるからだ。

 前任の隊長は心得として「諦めだよ、カルロ。諦めろ」と消え入りそうな儚い笑みを浮かべて諦念を説いた。


 今回、突然「臨検を要請する」とイルゼカインに頼まれ、憲兵隊が断る根拠が少な過ぎて結局やる羽目になり、いざヨーギ商会に踏み込めば出るわ出るわ見たくもない犯罪証拠。王太子に対する加害行為の可能性まであった。

 いっそ仕込みであれば、と憲兵隊長は祈ることしかできなかった。相変わらず監査官の説明は足りないし、「王への報告は待って欲しい」などとほざく。これこそ納得の行く説明を、と求めれば「王太子と側近候補たちの傍に工作担当がまだいるし協力者の絞り込みができていない」とまた短い説明が返ってくる。

 王太子や側近候補たちを帰宅の際に保護すればいいのではないかと考えてみたが保護者に通達しなければならない。監査官は情報漏洩を懸念していたし、憲兵隊長もそれには同意できた。

 王は心優しい御仁であられる。報告や通達などで王太子やその友人たちが脅かされていると知れば即座に御下命されるだろう。しかしそれでは困るのだ。確定している工作者の他に協力者がいて、もしそれが王と王妃、まだ幼い王女、最重要職にいる臣下たちの傍にいたら、何が起きるのか分からないからだ。

 少なくとも憲兵側で王室と重臣たちの安全確認を行ってからでなければ報告は上げられない。そしてそれは臨検当日の今日いますぐに行えるわけではない。少なくとも三日は必要だった。

 憲兵隊長が「待てるのは三日間だけです」と毅然として言えば、美しい偽装を施した監査官は嗄れた男のように低い声で「結構。ただ四日後に私はヘルロンド家当主としてヨーギ男爵家を訪れるつもりですので、悪しからず」と答えた。

 「つまり男爵家への臨検調書と逮捕状は四日後にしろってことかな……」と憲兵隊長は察した。



 そして四日後。暗雲の晴れた空の端が薄赤く滲む頃。書類一式を取り揃えた憲兵隊長がヨーギ男爵家を訪れると、門前の馬車停めには「真下の王冠に剣先を向けた処刑剣」の家紋が遇われたヘルロンド家の馬車があった。

 馭者台では白髪に浅黒い肌を持つ美しい異国の青年が座り、愉快そうに憲兵隊長を眺めていた。憲兵隊長が誰何すればヘルロンド家の馭者だと答えた。

「当代は中でお待ちです」

 白に様々な色が瞬く虹彩で見つめられると何故だか冷や汗が出る。憲兵隊長は気合いで狼狽を隠し、部下たちを引き連れて男爵家へと踏み入った。そこには血の河が流れていた。

 血の足跡を辿って彼等は惨劇に見舞われたヨーギ男爵家の応接室にやって来た。その中は特に酷い有様だが、イルゼカインの服には一滴の血も飛んでいなかった。

 彼女は帳簿やら手紙やら、当主の執務室を漁って見付けてきたらしいそれ等を乱雑に茶器を除けたテーブルの上に広げて読んでいた。近くの床には捕虜らしき使用人が二人、恐慌状態で呆然としたまま転がっていた。

「監査官!」

 思わず憲兵隊長が声を荒げて近寄れば、眼前に血で濡れた硬鞭が差し込まれる。いつの間にかイルゼカインの副官がすぐ傍まで来ていた。長身の男は馭者の青年と似た異国風の相貌を返り血で染めていた。

「こんにちは、憲兵隊長。おかえり、ゲアハルト」

 蹈鞴を踏む憲兵隊長と、彼に殺意を向けている副官に、監査官はそれぞれ声を掛ける。それを契機に、副官は硬鞭を引いた。

「ただいま、イルゼカイン。ご機嫌いかが、憲兵隊長殿」

 硬鞭でトントンと肩を叩きながらゲアハルトは彼を見ていた。憲兵隊長も挨拶をしなければならなかった。

「失礼しました、監査官殿。なんですかこの状況」

 「私、逮捕状を持ってきたんですけど」と青い顔をしている部下の一人から受け取った書類を差し出せば、副官はいちおう騎士服で血塗れの手袋を拭ってから受け取る。騎士服も返り血を大量に浴びていたので意味が無かった。

 一読してから副官はイルゼカインへと渡す。渡された書類に視線を落とした彼女は「血で汚れて読めない」と呟いて卓の端へ置いた。

「状況の説明をお願いします。ヘルロンド監査官殿。ちゃんと、しっかりした説明を」

 憲兵隊長は見慣れた文官姿のイルゼカインに向かって厳しい表情を浮かべる。監査官は首を巡らせて、思案して、思いついた説明を口にした。

「我が王と当家への侮辱を行ったので郎党諸共手討ちにしました」

「………………………………通じるとお思いですか? その言い訳」

「先代からは『家名を舐められたら殺せ』という教えを受けておりまして」

「そういうことじゃないんですよ! 臨検の報告は待ってくれって言うから今日来たのに! 逮捕しに来た容疑者が死んでるってどういうことですか!?」

 そう叫んで、落ち着いたのか憲兵隊長は長い長い溜息の後で部下たちに「生存者を探してこい」と命じた。断罪卿とは同じ部屋にいたくない彼等は足早に応接室を出て行った。

 見送った監査官は「ゲアハルト、生き残りっているのか?」と隣に来た男に確認する。「いや?」とゲアハルトは返した。

「執務室から書類をこちらに運んだ後は各部屋隈無く丁寧に回った」

 そんなことを副官が宣うので憲兵隊長はやり場のない怒りに苦悶する。

「なっんっでっ皆殺しにするんですか! 必要ありました!? ねぇ!?」

「言った通り無礼討ちにしましたので」

 監査官が馬鹿の一つ覚えを繰り返していると、ゲアハルトは咽頭から夥しく出血した痕跡のある男の死体の襟首を掴んで引き摺ってきた。

「はいこちら、ヨーギ男爵を詐称していた公国人の間抜け野郎」

 憲兵隊長は男の言葉に目を剥く。一番生きていて欲しい人間だった。最も尋問すべきその男の後頭部には大穴が空いて、肉と骨と神経、ぐずぐずになった脳髄、破れた気道が穴から顔を出している。どう見ても死んでいた。

 「これじゃどうしようもないじゃないか」と憲兵隊長が思っていると、平坦で罅割れた声が慰めるように言う。

「本人の証言など不要なほど、証拠が集まっていると思うのですが」

 不意に死体の顔が上がって彼を見た。

「わぁたたたたくししししはぁ、おろろろろかかかかかかなぁ、ぶぶぶぶっぶぶぶぶぶぶぅっ」

 声帯など跡形もないのに、死体が声を発する。それがイルゼカインの仕業だとすぐに理解した憲兵隊長が鋭く叱責する。

「死体で遊ばない! 王に言いつけますよ!」

 途端に死体の頭はがくんと落ちて静かになる。死霊魔法を使う女は不満げな反応をして見せた。副官が死体の襟首から手を離せば身体は床に落ちる。鈍い音が響いた。

 憲兵隊長から叱責を受けたところでイルゼカインは無表情で、理解しているのかどうか怪しい。だから嫌なんだ、と憲兵隊長は心の中でうんざりする。

 なまじ業務が不備なくできているせいで誰も指摘しないが、イルゼカインの中身は分別の付いていない子供だ。周囲が甘い顔をするからいつまでも未成熟なまま。王も叱ってくれたらいいのに負い目があるせいか、なあなあに済ますばかり。最側近である異国人の副官は言わずもがな甘やかすだけ。

 これなら俺の娘のほうがまだマシだ。憲兵隊長はそんなことを思った。

 監査官の人間性に危うさしか抱けない憲兵隊長を、剣呑な視線を向けながらもゲアハルトは労った。

「王家回りの掃除、ご苦労さん」

 彼にそう言われて、憲兵隊長の脳内で点と点が線で結ばれて、凶兆が浮かび上がる。

 内務大臣から下された監査業務への憲兵隊援助派遣と王立学園の結界及び誓約に関する極秘調査の指示。

 店舗を持っていない商人や場所を確保できない商会の代わりに店の陳列棚を貸し出しと販売を行う第二種型店に対する調査。

 強引な説得により言いくるめられて行ったヨーギ商会の臨検。

 巡り巡って、その結果がこの屍の山と血の河だ。

「………………最初っから証言させる気なんか無かったんじゃないのか、監査官殿」

 疑念の視線を向けたところでイルゼカインは動じない。

「事情聴取をする時間が無いと判断しましたので」

 だからさっさと断罪したのか、という言葉を憲兵隊長は飲み込む。薄らと見え始めた真相があまりにも危険で、目前に迫った脅威であると察していた。

 彼の心情を知ってか知らずか、イルゼカインは司会者のように両手を開いて「それでは、感覚器官の情報を抜き出していきましょうか」と言った。



 その日の真夜中近く。王都のヘルロンド邸にセイル大公アステリトスとその配下達が帰還した。邸宅の裏手には広大な庭があり、園木としては葉の密度が多い防風林に囲まれている。人目を楽しませるため、というよりは演習場に近い殺風景な其処に、異形たちが曳く大型馬車が忽然と現れた。

 同行させていたアルヴ族の護衛役たちから先に連絡を受けていたので、イルゼカインは副官と義娘、その側仕えたちと共に彼等を出迎えた。

 当主として彼女は大公を歓迎した。

「セイル大公殿下、無事ご帰還されたようで何よりです」

 這々の体で大型馬車から転がり落ちるように出てきたアステリトスは、出迎えるヘルロンド家に気付いて姿勢を正した。鎧に身を包んだ美しい青年の風貌は土埃と汗、渇いた返り血で汚れていたがそれでも凜々しく輝いていた。

「今回のことは貴家の御助力が無ければ叶いませんでした。このメアベル・アステリトス・セイル・ユストピア、ディグレンゼ領々主イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンド殿から受けた御恩は一生忘れません」

 若き大公は片膝をつき、深く頭を垂れる。鎧姿の配下たちもそれに倣った。

「当家の勇士たちが殿下の助けになったのであれば。そのご様子だと、モーラたちが振り回したようですね」

 大きな黒い四頭曳きの馬車を引いている騎馬は醜悪で野卑な魔物だった。無精髭を生やした酷く歯並びの悪い中年男の顔を持つ魔物モーラたちは、全頭が面布を捲り上げていて、血で酷く汚れた口元に下品な笑みを浮かべている。騎馬の中で一際大きな角と青黒い毛並みを持つ個体が、彼女に向かって唇を突き出して気色悪い唾液塗れの音を出して主人を揶揄った。

 気にせずイルゼカインは即座に彼等を立ち上がらせる。

「夜明けまで時間がありません。クロエカイン、御支度の世話して差し上げろ」

「かしこまりました、当代。セイル大公殿下、湯の準備ができておりますのでこちらへ。近衛の皆様もどうぞ」

 女主人の役目を引き受けているリリーベルが彼等に手で指し示す。アステリトスは今一度深く頭を下げてから、配下たちと共に従う。

「ディグレンゼの麗しい領姫様から一度ならず二度までも持て成しを受けられるとは光栄です」

「あら、褒めても内容は行きと変わりませんことよ?」

「滅相もない。ところで、代行殿は如何されたのですか?」

「領主代行カインベルンは領子カインレオンを連れて夜の散歩に出ておりまして。騎士団に所属している領子が以前解決した強盗団の事件について、実際の現場を巡りながら聞きたいと……明日は騎士団の寮舎から王城に向かうようです」

 歩きながら大公と義娘が親しげに話しているのを見て、イルゼカインは「会うのは二回目のはずなのにもう仲良くなれるのか……」と感心していた。



 夜が明けて、王国に暮らす人々は新年を迎えた。慶賀の儀ならびに王立学園の卒業式典当日である。卒業生は婚約者や、慶賀の儀に参加しない家族または親族、懇意にしている教育者といった年長者に付き添われて入場することが慣例となっている。

 イルゼカインの義娘であるリリーベルは王太子フィアベル・ルミナント・アントピアと婚約している。しかし関係は冷え込んでいて、生涯に一度しかない晴れ舞台の今日であろうと彼女をエスコートする気などルミナントには無かった。既に断りの連絡を受けているリリーベルは自身の護衛役であるアインスライを同伴させるつもりだった。

 そんな義娘をイルゼカインは止めた。大公一行は既に朝日と共に屋敷を出ていて、後は彼女たちだけだった。

「エスコートを爵位のない使用人にさせるのはあまり褒められた行為ではない。ゲアハルトを連れて行きなさい」

 ゲアハルト本人と、青を基調とした式典用のドレスに着替えたリリーベルからは嫌そうな反応が返ってきたが彼女は気にしない。

「会場の警備に問題はないだろうが、今回は万が一のこともある。礼服は以前仕立てたものでいいだろう」

 家長が決めてしまえば従うしかない。副官は渋々といった様子で身支度をしに別室へと向かった。ゲアハルトがいなくなった後で、イルゼカインは思い出したように義娘を見た。

「そういえば、モーラの幼体を欲しがっていたな。リリーベル」

 そう尋ねられて頬を上気させたリリーベルは頷いた。

「お許し頂けるのですか?」

「うん、いいよ。それとは別に、何か欲しいものはあるか? 卒業と成人のお祝いを贈りたいが思いつかなくて。私に叶えられる範囲であれば、なんでもあげるよ」

 義母の質問にリリーベルは腕を組んで悩む。結局ゲアハルトが戻ってきても思い付かず保留することになった。

 礼服姿の副官を見て「ちょっと太ったか?」とイルゼカインが言ったところで馬車の準備が整う。慶賀の儀は卒業式典の前に行われるので、彼女は先に屋敷を出た。



 イルゼカインの後に出立し、王城に到着した義娘はゲアハルトを伴って会場となる大広間へと足を踏み入れた。出入り口傍に立つ係官が声を張り上げる。

「ディグレンゼ領々姫クロエカイン・リリーベル・ヘルロンド様、ならびにゲアハルト・チェンヴァレン・ハイスタン卿、ご入場!」

 大広間の上部は吹き抜けになっている。天井で金と水晶で作られた華やかな大シャンデリアが列を成す下で、風の無い水面のように静謐で磨き上げられた大理石の床の上に、大勢の着飾った貴族子女とその同伴者たちがいた。彼等の視線が二人に向けられる。多くがその美しさを賞賛し、僅かに恐れと嫌悪を視線に込めていた。

 視線を気にせず、二人はゆったりと進み出ていく。大広間の端に学園の講師たちが固まっているを見付けて、リリーベルは挨拶をしに行くことにした。その前に義母の副官に傍を離れる許可を出した。

「ではゲアハルト、エスコートありがとう。貴方も楽しみなさい」

「ああ。何かあれば呼べ」

 彼はそう応えて、華やかな風貌と上背で目立つ男であるにも関わらず人混みへと紛れて消えた。

 結界があるはずなのにどうやってるのかと頭の中で自分なりに仮説を立てつつ、リリーベルはにこやかに恩師へと挨拶して回る。この会場で最も美しい淑女は間違いなく彼女だった。


 そうして待っていたところで始まったのが、謂われなき冤罪による断罪劇である。

「式典の前に、諸君には伝えておくべきことがある!」

 彫刻が施された壮麗な大階段の中程に立ち、そう声高に言い放ったのはリリーベルの婚約者、王太子フィアベル・ルミナント・アントピアだった。客観的に見ても「美しい」と評価される金髪青眼の彼はすらりとしたその長身に王族らしい煌びやかな式典服を纏っている。

 そんな美青年に身を寄せているのは垢抜けない赤毛と栗色の瞳をした少女。無垢さや純朴さを引き立たせる淡い色合いのドレスに身を包む彼女こそ、ヨーギ男爵令嬢シーナだ。

 か弱げに身を震わせる少女は困惑と焦りを滲ませて王太子ルミナントを見上げていた。それを不安の表れと受け取ったルミナントは優しく彼女の肩を抱き、微笑んで見下ろした。

「ルミナント様……」

「大丈夫だ、シーナ。何も恐れることはない」

 小鳥が囀るように可愛らしい声で馴れ馴れしく名を呼ばれて、決意を新たにするルミナントは視線を階下の同級生や後輩、教師陣に向けた。

「私は今この時を以て、狡猾で陰湿な悪女、クロエカイン・リリーベル・ヘルロンドとの婚約を破棄する! そしてこのシーナ・ヨーギ男爵令嬢を新たな婚約者に迎える!」

 王太子の言葉を聞いた人々は動揺してざわめきが大広間の中に広がる。リリーベルはそれを、酷く蔑む眼差しで観察していた。

 こうした式典入場の際、係官が名前を先客たちに知らせるようになっている。しかし王太子と男爵令嬢の名を聞いていない。どうせ、シーナ・ヨーギに「恐れ多い」と一緒の会場入りを断られたために、王族側の通路から大広間に入ってきたのだろう。

 ヘルロンド家の姫は鼻で笑い、顔を鉄仮面の微笑みで包む。いつの間にかすぐ傍まで戻ってきていたゲアハルトを手で制し、彼女は敵の前へと進み出た。

 リリーベルは言葉のみで彼等を叩き潰すつもりだった。なにを言われても平気だった。自分がどれだけ貶められても何とも思わなかった。だが、王太子が彼女の義母を、家名を侮辱したことで頭に血が上った。月の光を纏う白金の髪が逆立つほどの怒りを覚えた。

 殺す。今すぐ殺す。観衆がいるこの場で惨たらしい死をくれてやる。二目と見られない骸にしてやる。

 リリーベルがそう思ったのと同時に、慶賀の儀の最中であったはずのイルゼカインが大広間にやって来た。ゲアハルトが知らせたのだろう。勝手なことを、と誹りたくなった。

 王家専属財務監査官の、深い洞穴から響くような声が大広間に広がった。

「今し方、我が家名を蔑む声と何の根拠もない裁定を下す声が聞こえた。はて、私には覚えがない。蔑みを受ける理由も、何の権限もなく貴族子女を罰する愚かな王太子がいることにも」

 リリーベルは自分の傍までやって来た義母に対してカーテシーで迎え、そのまま目を伏せて謝罪した。

「当代、このような事態になってしまい申し訳ありません。ですが先日お伝えしたように、殿下と私の個人的な問題でございます」

 我を忘れかけた姿を見せたと思うと、義母から失望されることを恐れる少女の心は酷く波立つ。とうに王太子たちへの怒りは吹き消されていた。

「控えろ、我が義娘クロエカインよ。もうお前にできることはない」

 その言葉にリリーベルはびくりと肩を跳ねさせて、息を詰まらせた。

「も、申し訳ありません……お義母様…………」

 今にも泣き出しそうなリリーベルを宥めるように、イルゼカインは彼女の背中にそっと手を当てる。失望などしていないと伝えるための慰めだった。リリーベルはそれに安堵して引き下がった。

 ヘルロンド家当主は大階段の上にいる王太子と男爵令嬢に目を向ける。そして喉を引き絞って凍てついた声を出した。

「王家専属財務監査官イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンドが申し渡す。王太子フィアベル・ルミナント・アントピアは廃嫡とし、血統剪定のため断種とする。また、シーナ・ヨーギ男爵令嬢は斬首とする」

 王太子の地位を剥奪し去勢すると明言されたルミナントは酷く狼狽し、死を宣告されたシーナは青褪めた。

「ふざ、ふざけるな! 断罪卿! いったい何の咎で俺とシーナを裁くというのだ! 不敬にも程があるだろう!」

 説明を求められたイルゼカインは、自分と同じように慶賀の儀に参加していた王族諸侯が大広間に入ってきたのを確認する。そして説明を始めた。これまでに起きた出来事のことを。判明したヨーギ男爵家のことを。初めは学園内での窃盗から、終わりはヨーギ商会の魅了薬とその正体まで。

「ヨーギ男爵家の人間は全員が殺害され、反王国主義の公国人によって身元を乗っ取られています。つまり、そこにいる女は『シーナ・ヨーギ』ではない。そして、その女は王太子含め学園内の人間に魅了薬を継続的に与え、ロマスク公爵ノアベル・アレルクス・ロマスク・オートピアが王立学園特別養護教諭キサラギ・サクラに送った寄付金を奪った。斬首にするのに何ら問題ないと、お思いなりませんか?」

 イルゼカインの言葉にルミナントは顎が外れんばかりに驚く。傍らの男爵令嬢と眼下の監査官を交互に見た。

「う、うそだ、嘘だ! シーナが……そんな馬鹿なことを、するわけが……公国人? 彼女は王都出身の…………」

「神殿の管理文書である住民台帳が著しく汚損しており、シーナ・ヨーギの出生記録は確認できませんでした。恐らく、身元を偽称するための工作でしょう」

 恋をしていたと思い込んでいた、思い込まされていた王太子ルミナントがどれだけ拒絶しても断罪卿は否定を繰り返す。男爵令嬢の顔色はいよいよ蒼白であり、眦が吊り上がる。愛嬌のある可愛らしい顔の少女から懸け離れた表情になっていくのを見た王太子と側近たちが悲鳴を飲み込んだ。

 変貌する女の顔を見てもイルゼカインは何も思わない。話を戻して説明を続けた。

「その女の目的は公国に金と情報を流すことです。王太子妃、ひいては王妃になるつもりなどなかった。身体検査を受けることなどできないし、王城で暮らすようになれば金と情報の受け渡しが困難になるからです。だからこそ、今回のことは意図していないものだった。違うか? 逆賊」

 そう問い掛けられて、シーナ・ヨーギと偽っていた女は音が鳴るほど奥歯を喰い締める。彼女を守るように傍にいた王太子の側近たちは既に距離を取り、ルミナントも信じられないものを見るように女を見ていた。

 偽物の男爵令嬢は何も言わず、憎悪の目をイルゼカインに向け続けている。その視線を受けて、彼女は首を傾げた。

「黙っていられると、お前が何をしたいのか分からない。申し立てがないのであれば斬首にするが」

「黙れ! 逆賊はお前だろうが! お前だ! お前らヘルロンド! 私利私欲に走る貴族ども! そして王家だ!」

 垢抜けない赤毛と栗色の瞳をした少女は首の血管が千切れるのではないかと思うほどの声量で叫んだ。そして、濃い茶色の長髪を振り乱す、小柄な体躯の女へと姿を変えた。

面白いと思ったらぜひコメント欄に好きな竹書房文庫を教えてください。ちなみにワイは「吐気草(神沼三平太)」です。

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