2.過去の悲劇には覚えがない
今回から時間を遡っていきます。よくあるやつだね!
突然修正することがあります。
この国では全てが眠る冬の終わりであり、暖かな命が芽吹き始める日々が始まる季節を、暦の日付とは別にして一年の始まりとしている。
宮廷に席がある貴族や五年以内に爵位を受け継いだ、または新たに与えられた貴族達が登城し、春の芽吹きを祝って王への祝辞を述べる慶賀の儀が行われるのもこの季節である。
王立学園の卒業式典は、慶賀の儀を終えた後に行われるのが通例だった。
今年もまた、厳粛な王の間にある玉座には新年の装いに身を包んだ壮年の王と王妃が座し、名を呼ばれた者から前に出て最敬礼と共に祝辞を述べていく。最初は王弟の遺児であるセイル大公からだった。
大公は年若い貴公子で、王と同じ金髪と透き通った湖面のように明るい青色の瞳を持つ美男であり、昨年に成人を迎えて大公位を継承したばかりだった。
二人いる王弟のうちの一人、前代の第二王子であった大公は少し前に病で亡くなっていた。
「セイル大公メアベル・アステリトス・セイル・ユストピアが新年のお祝いを申し上げます。国王陛下、王妃殿下、この度は新年を恙無く迎えられたことをお喜び申し上げます。本年も陛下の御威光が国中に遍く降り注ぎますように」
為政者として威厳を持った表情を浮かべていた王は、皺が刻み付いた顔にふと柔らかさを滲ませて声を掛けた。
「大義である、セイル大公よ。そなたの成長は目覚ましいな。期待しておるぞ」
「勿体無きお言葉で御座います。身命を捧げて尽くす所存でございます」
王妃もまた伯父と甥のやり取りを優しく見守っていた。大公が王と王妃に再度一礼して下がる。
次に名を呼ばれたのはディグレンゼ領々主代行とその義弟で、二人の青年は王の前へと歩み出て最敬礼と共に祝辞を述べた。
「ディグレンゼ領々主代行カインベルン・アスカロン・ヘルロンドが当代に代わり新年のお祝いを申し上げます。国王陛下、王妃殿下、旧年を無事に終えられましたことをお喜び申し上げます。本年も平穏で善き御時世を民にお与えください」
「王国騎士団第四席次カインレオン・ダイン・ヘルロンドが領主代行と共に新年のお祝いを申し上げます。国王陛下、王妃殿下、新年を無事に迎えられましたことをお喜び申し上げます。本年もまた我等を陛下の善きお力でお導きください」
領主代行のアスカロンは柔和な雰囲気の美しい青年だった。背は高いが、女性的な顔立ちや、肩甲骨辺りまで長く伸ばされた艶やかな黒髪がその雰囲気を助長している。
彼の義弟であるダインは対照的で、眼光は鋭く口元は強く結ばれている。煤けた銀の色をした髪は短く刈り込まれているために、物語の騎士と言うよりは戦場を駆け回る兵士のようだ。
二人とも寒々とした印象を受ける氷河のような青い瞳をしていた。
王は気分を引き締めるように短く息を吸って、甥と同年代の青年達に言葉を掛ける。
「大義である、ディグレンゼ領々主代行。そなたの家がこの数年間を費やして辺境の広大な荒野を穀倉地帯へと作り替えてくれたことで、昨年は飢えて死ぬ我が民が随分と減った。ご苦労であった」
「陛下の惜しみなき御援助、そして歴代国王陛下の御加護によるものであります。当代イルゼカインに代わり感謝申し上げます」
「大義である、騎士カインレオン。王国騎士団の長い歴史の中で、その歳で十番席次以内に任命される者は片手で数える程度だと聞く。我が国のためにその力を奮ってくれ」
「若輩の身に余る光栄でございます。国王陛下、妃殿下に勝利のみを捧げすることをお約束致します」
ヘルロンド家の義息子達に言葉を掛けた後、王は一瞬沈黙して何かを言いかけた。そして思い直して口を閉じた。この慶賀の儀の終わりに分かることをわざわざ聞く必要はないと考え直した。
二人は再び一礼して下がった。次は王の腹違いの弟であるロマスク公爵だった。
ロマスク公爵は側妃が産んだ王や前セイル大公とは違い、正妃が産んだ王子であり王太子でもあった。だが十八年前に廃嫡となり、臣籍降下している。
ロマスク公爵は王より十歳以上年下で、彼もまた王やセイル大公と同じ金色の髪を持っていた。瞳は削り出した翡翠の色をしている。大理石の彫像が命を吹き込まれたのかと思うような精悍な美丈夫ではあったが、その生白い顔には苦悩の影が焼き付いていた。
彼は最敬礼して祝辞を述べた。
「ロマスク公爵ノアベル・アレルクス・ロマスク・オートピアが新年のお祝いを申し上げます。国王陛下、王妃殿下、新年を迎えられましたこと、まことにお喜び申し上げます。本年も陛下、妃殿下に誠心誠意お仕えすることを私めにお許しください」
王はロマスク公爵に掛ける言葉を十数秒も考えてから選び出した。
「大義である、ロマスク公爵。今年もまた、無事にそなたの顔を見ることができて嬉しい。引き続き儀礼厩舎長として励んで欲しい」
「過分なる御温情、有り難き幸せにございます」
公爵は深々と頭を垂れて王と王妃の前を辞した。毎年のことながら、その顔には新年を祝う気持ちなどなかった。
次々に貴族達の名が呼ばれ、玉座の前に歩み出て祝辞を述べて下がっていく。子爵以降には王の声掛けがないので流れ作業のようになっていた。
後に呼ばれるほど爵位が低くなっていくので、現王太子ルミナントが愛する男爵令嬢、シーナの養父であるヨーギ男爵の名が呼ばれたのは殆ど最後尾だった。男爵本人はおらず、代理の文官が祝辞を述べていた。
全ての貴族が祝辞を述べ終える。その途端に王の間全体の雰囲気が冷たく、硬くなった。
晴れやかな慶賀の儀は、王家専属財務監査官の報告によって締め括られるのが常である。
「王家専属財務監査官、入室!」
係官が裏返りそうな声で叫ぶ。貴族達が恐れによって青褪める中、王城内で武装を許されているヘルロンド家の当主はゆっくりと王の間へと入ってきた。
監査官は漆黒の板金鎧を鳴らしながら王と王妃の眼前までやって来る。口元が覗く仮面で顔を隠しているためにその表情は分からなかった。
少しの間を置いて、彼女は片膝をついてその頭を垂れた。
「王家専属財務監査官イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンドが国王陛下、王妃殿下に新年のお祝いを申し上げます」
彼女が嗄れた低い声で祝辞を述べる。緊張感に包まれていた玉座の二人と貴族達はひとまず安堵した。
監査の結果、王家に不正があったと判断された場合は跪くことも祝いの言葉を述べることもなく弾劾から始まるのだ。
五代前の王が王族費を賭博と愛妾に注ぎ込んだために、玉座での弾劾を経て王位を王太子へと譲ったという記録が残されていて、戒めの記録として今でも広く知られている。
王は気を強く引き締めてイルゼカインに対峙した。
「大義であった、監査官よ。報告を聞こう」
「承知致しました」
跪いていたイルゼカインは立ち上がって滔々と報告を始めた。心なしか、威圧感と寒気が僅かに和らいだ。
「まず王領の運営についてですが、こちらは問題ありませんでした。提出頂いた税収等の資料を見る限り健全に運営されていると判断します。置かれている官吏達も職務に忠実です。不正を行う傾向は今のところありません。王城内についても同様です。ただ、新任や経験の浅い文官達が処理したものに誤述が多数見受けられました。詳細は報告書に纏めてあります。誤りは全て上長によって修正されていますが、今年度は新任の研修期間を長く設定し、既に着任している文官には再研修の機会を与える措置を提案致します」
「検討しよう」
「ありがとうございます。王族費の使用については幾つか懸念事項がありました。こちらで処理を進めていますが、管轄を離れるため憲兵隊に引き継ぎを行っています。この件については今後の対策を宰相並びに各部門の大臣の方々を交え、急ぎ協議する必要があると考えています」
「そなたの管轄を離れる案件か……ふむ、余も同席しよう。仔細を聞きたい。協議は卒業式典後に行おうか」
王は宰相と大臣達の名を呼び、「式典後に協議したい。良いか?」と問い掛けた。並ぶ貴族達の中でも最前列にいた彼等はすぐに了承を返した。
「陛下のお心遣い、深く感謝申し上げます。大臣の皆様方にも。そして陛下、御裁可頂きたいことがございます」
緊張した面持ちの王は彼女に「それは何か」と尋ねた。イルゼカインは感情を何一つ変化させることなく答えた。
「フィアベル王太子と我が義娘クロエカインの婚約についてです」
王太子であり息子であるルミナントの名を出された王と王妃は声を上げそうになった。この場でその話を持ち出すとは考えていなかったという驚きと、やはりそうなったかという落胆だった。
貴族達がざわめく中、唸るように息を吐いた王は再度問い掛けた。
「婚約について、とは?」
「学園入学時より様子を見ていましたが『王太子と義娘の関係は婚約当初より好転することは無い』と我が家は確信しました。義娘からは王太子とこのまま継続し結婚するか、婚約を解消するかを式典後に話し合う予定であると聞いています。その結果がどちらであったとしても当家は義娘の意志を尊重致します。ですから、婚約解消となった場合は王家側にもそれをお認め頂きたく」
王太子が七歳の時に開かれた園遊会で、リリーベルはルミナント本人によって見初められた。当初ルミナントはリリーベルに熱を上げていたが、次第に彼女を疎ましく思うようになった。リリーベルが自分より賢く、自分より努力するからだった。
彼は「王太子のために」と諫言する彼女が嫌いになった。学園に入学する頃には「無口なくせに口を開けば煩わしい陰気な女」としてリリーベルを扱うようになっていた。今では公式の場でのエスコートと、誕生日に花を送るだけの関わりしか持たないのだ。
両親として諫めることも叱ることもした王と王妃だが、破局する予感は強くあった。故に王はヘルロンド家当主に頷いた。
「相分かった。その場合は国王テルアベル・ソーラクス・ドミナンテ・アントピアの名において婚約解消を認めよう」
「ありがとうございます。話を戻しますが、懸念事項の件については王太子に責に問うことが確定しております」
イルゼカインの発言によって王の間に動揺が広がった。ロマスク公爵は顔を強張らせ、セイル大公も厳しい顔をしていた。既に知っているヘルロンド家の義息子達は平然として当主を見つめていた。
王は瞑目して「左様か」と呻き、最悪の結果を思い浮かべた王妃が唇を噛み締めて俯いた。罪に問うことの是非を突き詰めることはしなかった。ヘルロンド家が確信と根拠なく罪を突き付けることなどしないと分かっていた。そうなった時、できるとしたら助命を乞うことだけだ。
「………………監査官よ、王太子への責はどの程度になる?」
感情を押し殺した王の声が響き、王の間全体が静寂に包まれる。イルゼカインは淡々と答えた。
「フィアベル王太子に王としての資質があるのかを確認してからになりますが、最も重くするとして廃嫡及び断種を考えています。当人に更正の可能性があるようでしたら、王太子教育を初年からやり直して頂きます。ああ、我が義娘に対する礼を失した態度は関係ありません。此度の件は『若気の至り』の範疇を超えているのです、我が王よ」
「そこまでなのか、息子は」
「王として即位するだけならば事足りるでしょう、ですが統治するには難があるでしょう。裏切らない優秀な補助役としての妃や側近が幾人も必要になるかと。学園内での立ち振る舞いを見る限り、当人の直情的な性質や狭窄な視野も問題ですが、周囲の影響を強く受け過ぎているようにも思えます。側近達は解散させて再選考を行うべきでしょう」
王妃は嗚咽を堪えて、「どうしてあの子はああなってしまったのか」と呟く。震えるその肩に手を置いて、王は慰めの言葉ではなく「二代続けて王太子が廃嫡となるやも知れぬとは」という悲しみを吐露した。両親の嘆きを王家専属財務監査官は無感情に眺めていた。
「此度のルミナントについても、我が弟アレルクスの時についても……すまなかった、イルゼカイン。本当に、すまない」
手で顔を覆って王は深く悔いる。ロマスク公爵もまた目を伏せて苦しみに耐えていた。セイル大公や貴族達の視線は厳しく両者に向けられている。イルゼカインの養子であるアスカロンとダインは憎悪と侮蔑を隠さず公爵を見ていた。
王が謝罪を口にするということは一大事であり、並ぶ臣下達の前でするべき振る舞いではなかった。だが、臣下の殆どは王の心痛を察して咎めることができなかった。それだけの仕打ちを、イルゼカインは過去に受け、今もまた受けているためだった。
全くの平静を保っているのは前代の王太子について全く覚えの無いイルゼカインだけだった。
「国王陛下、王妃殿下。陛下が築かれた御世に瑕疵はございません。王太子の廃嫡が二代続くのは御心の煩いとなるでしょうが、ひとまず王太子の関与について判明している事実を述べさせて頂きたく…………」
彼女はそこまで言って舌を止めた。何かを聞こうと耳を澄ませている様子だった。「どうかしたのか?」と王が声を掛けるのと同時に、イルゼカインの黄金の瞳が強く輝いた。そして彼女は踵を返す。
出て行こうとするその背中を王は慌てて呼び止める。
「監査官! 何処へ行くのだ!」
「たった今、王太子が義娘に婚約破棄を突き付けました。どうぞ皆様、大広間へ。卒業式典を終えてからと考えていましたが、予定を繰り上げてフィアベル王太子に裁定を下します」
喧噪の中、イルゼカインは王の間から出て行く。空気が再び冷えていく。
「面白い」と思ったらコメント欄で好きな短編集を教えてください。ワイは「他人事」(平山夢明 著)です。