17.ヨーギ商会に知り合いはいない
すいません間が開きました。危うくエターナルところであった。今回の更新分は纏めて読んでもらったほうが良いかなァ〜と思ったんですよ。ほん摩尼。
セイル大公に敵対する勢力を公国内から一掃することが短い面会の中で決まった。王と宰相にさえそれ以上のことは伝えず、アステリトスは未明に十数名の護衛騎士や供回りたちとヘルロンド家の大型馬車で城を出た。通常のものより大きい馬車が二台もあれば彼等を運ぶのに十分だった。
死者の馭者が操る馬車の行き先は王都にあるヘルロンド邸。夜の内に義娘には連絡してあるので、アステリトスたちを恙なく迎え入れて戦支度を手伝ってくれるはずだ。
無精髭を生やした酷く歯並びの悪い中年男の顔を面布で隠している異形の馬、醜悪で野卑な魔物であるモーラ達におっかなびっくりで腰が引けている大公一行を、イルゼカインと副官は押し込むようにして馬車に乗せて見送ったのだった。
「いいのか? 緊急移動の大結界なんか使わせて。アレはディグレンゼの最高機密なんだろ?」
ゲアハルトが念のため確認すると彼女は頷いた。
「仕方ないよ。王都から公国に向かうとひと月は掛かる。王都邸から辺境の屋敷に飛んで、そこからモーラ達の足で公国に向かえば二日で入国できるはずだ。結界には四回分の魔力が充填してあるから、行き帰りには不自由しないし」
緊急移動の大結界は「同一の結界がある地点の間を、どれだけ離れていようが瞬時に移動できる」という代物で、ヘルロンドの王都邸、ディグレンゼ領々都の本邸、領の外れである辺境平原の端にある屋敷の三カ所に設置されている。
この大結界はイルゼカインが一人で起き上がれる程度にまで回復した時期に、暇を持て余した末にヘルロンド家の書庫に保管されている古文書を読んで作り出したものだった。
戦局を変えてしまうほどの高い性能を持つこの大結界だが、欠点も凄まじかった。結界の術式があまりにも複雑な上に、異常な記述量になるために巨大な基礎杭が必要になる。しかも設置したところで、起動するだけで莫大な魔力を消費するのだ。
現在イルゼカイン以外に設置と魔力の充填を行える者はいないし、今後も現れないだろう。便利ではあるが、実現性と実用性が皆無であるため王城にも設置されていなかった。
その大結界がある地点の一つ、イルゼカインの生活拠点でもある辺境の屋敷はアントピア王国の国境に程近い。国境は共和国と、大陸中央に横たわる山脈の裾野に広がる魔の大森林、そしてセーリュ公国に接している。
屋敷から公国までは、普通の馬を走らせたところで一週間以上掛かるが、モーラであれば二日で走破する。脚力以外にも魔法が使えるので戦力になるし、使役の補助を兼ねた伝令としてゲアハルト配下の護衛役も五名ほど貸した。
ここまで手助けして負けるならやむなし、と監査官は副官と頷き合った。
アステリトスとの面会では監査官は「公国からの攻撃」と敢えて曖昧な表現で伝えたために、青年の頭には様々な記憶が浮かんだ。続けざまに「王位の簒奪」を疑えば彼は強く動揺し、お陰でより鮮明に、本心の奥底に留めていた事さえ浮かび上がった。それをゲアハルトが読み取ることで、二人は必要な情報を手に入れることができた。
お粗末な前大公家から刺客を向けられたり工作を受けたりしていること。
周囲から婚約者を進められているが公国内から取るつもりがないと公言していること。
それにも関わらず前大公家の娘との縁談がしつこく勧められること。
前大公家はアントピア王国になんとしても復讐したがっていること。
工作の一つとして、行商人などを襲う野盗に混じって窃盗と物流の破壊を行うために捕縛が難しいこと。
大陸に広く知られている魔法体系とは別の術を使うこと。
監査官の口にした「攻撃」とは、その類いではないのかと思ったこと。
大勢の公国民を犬死にへと追いやり、前大公家が戴いていた冠を叩き落とされた時、アントピア王家はその責を当時の公主にのみ求めたこと。
公主には、親子ほどにも歳の離れた、強引に婚姻を結んだ貴族の若い娘と、その間に産まれた幼い子供たちがいたこと。
王は彼女たちを助命したこと。
前大公家に連なる人間たちは、それを大恩ではなく恥辱と受け取ったこと。
イルゼカインが口にした、たった数単語の言葉だけで様々なことが思い浮かんだ。それを彼女の副官は脳内から読み取り、己の主人に伝えていた。
その時、王は公妃と幼子らを哀れみ、助命をヘルロンド領々主当代カインシルトに求めた。
当代はたった一人で迫り来る公国軍を殲滅し、その死体の山で遊んでいた次代に「どうする?」と尋ねた。
次代はどうでも良かったので「わがおうの、おおせのとおりに」と答えた。
そのせいで、前大公家は当主を除いて助命された。
不完全ながらも次代として擁立され、公国の大軍に死を振りまいたイルゼカインは父と自分の会話を覚えている。
こんなことになるなら族滅しておけばよかった、と彼女は思う。
「セイル大公の無実が分かって良かった。ついでに外の"掃除"も押し付けることもできた。監査書類の回覧も進んでいるし、あと少しでこの監査も終わりだな」
彼を見送り、離宮に戻ったイルゼカインは返却する書類の確認を始める。大きな仕事の終わりが見えてきて、侍女や護衛にも弛緩した空気が広がっていた。あとは片付けをして、帰還の準備を進めるだけだった。
「…………いや、『自分の仕事は終わった』みたいな感じ醸してるけど、まだ解決してねぇぞ?」
ゲアハルトが騎士団の帳簿を箱に放り込みながら、のほほんとしている主に言う。「うん?」と応答して、イルゼカインは「あー」と空中に視線を上げた。
「なんだっけ、えっと、あの、女子生徒、みたいな……」
「シーナ・ヨーギだよ。暫定だけどな」
イルゼカインの義娘であるリリーベル。その婚約者である王太子フィアベル・ルミナント・アントピアが、彼女を差し置いて寵愛しているのが、シーナ・ヨーギという女子生徒だった。男爵家に引き取られた元平民。だがその姿は偽りで、素性は誰にも分からない。
「結局、憲兵どもが調べても分からなかったんだろ? こっちで学生の書類を浚ったけど、大した収穫は無かったが」
回覧用の監査報告書の草案作成と同時進行で王領や騎士団の書類も精査していたゲアハルトだが、学園で複写した学生の資料も調べさせて報告を受けていた。結果は芳しくなかった。
魔法によって見目を変えている者は同年代にはおらず、シーナ・ヨーギ及びヨーギ男爵家に繋がりを持つ者はいなかった。
親類縁者はおらず、商会の取引相手は同規模かそれ以下の商会や個人の行商人が多く、国内外の貴族とやり取りもあるが特別何かあるわけでもない。
男爵位になったのだって五年近く前のことで、税とは別に規定の金額を十年間納め続けた功績を称えて与えられたからだ。
後ろ暗さのない、欠点もなければ目立つ功績もない、強いて言えば引き取った娘が美しくて小賢しくて、王太子のお気に入りであるというだけだ。
ゲアハルトとしては消化不良である。
「得体の知れない女を放っとく気かよ、なあ」
顰め面の男に、イルゼカインは少し思案して返した。
「じゃあ、正体を確かめに行こうか」
「あァ?」
「帳簿を返しに行くついでに、憲兵隊長にヨーギ商会の臨検を頼むつもりだったけど、でも私達も一緒に行ったほうが手っ取り早い気がしてきた」
侍女たちによってテキパキと片付けられていく室内に、「片付けを手伝うわけでもないのにいては邪魔か」とイルゼカインは部屋の隅に寄る。ゲアハルトもついてきた。
「憲兵に臨検させたところで高が知れていると思うぜ?」
彼がそう言えば、イルゼカインは同意した。
「威嚇ぐらいにしかならないだろうな。内密に、かなり慎重に調べたとはいえ、憲兵とお前たちで調べて分からなかったんだ。なら、正体を知っている人間はごく僅か……恐らく男爵家のみだろう。それなら、嫌がらせをして相手の出方を見るのが今のところ最善手かなと」
ヨーギ商会が公国と繋がっていることは明白であるため、監査官は王太子の歳費の件とセイル大公への工作行為を混ぜ合わせて、現状がより深刻な事態であることを憲兵隊長に説明し、臨検を要請するつもりだった。
アステリトスは彼女の手引きで公国へ戻ったが、馬車も経路もヘルロンドのものを使ったので帰国と掃討作戦については恐らく露見していない。仮に一日で敵勢力の掃討が完了するとして、往復時間を加味すると、彼が王国に戻ってくるのは慶賀の儀が始まる直前になるだろう。
「今、大公はこの国にいない。恐らくセーリュ公国に向かったことを相手は察知していないだろうが、王国内の潜伏者が察知して公国側に通報されても面倒だ。威嚇でこちらに意識を向けさせるのも必要だろう?」
イルゼカインの説明に、ゲアハルトは一応納得した。
「それはあるな。臨検にはお前も行くのか?」
「表は憲兵に任せて、尾行用の目印付けをするだけのつもりだった。でも私とゲアハルトが店内にいれば相手の細かい情報も拾えるから、先に店に入って、臨検に居合わせた客を装うほうがいいかもしれないな」
一人で頷く監査官の姿は彼にとって不安を呼び起こすことが多い。
「その格好で行くのか?」
ゲアハルトの前に立つ女の姿は男物の文官姿で、顔を隠す仮面まで付けている。目立ち過ぎる。
彼女にもその自覚はあるので、「流石にちゃんと偽装する」と胸を張った。
憲兵隊長と打ち合わせをし、強引なこじつけもとい説得によってヨーギ商会への当日臨検実施を決定させ、イルゼカインは一度離宮に戻った。憲兵隊が支度をしている間に後の指示を侍女達、護衛役達に出して、自分の見た目を魔法で偽装した。
監査が始まる前日に王都のヘルロンド邸で見せた美しい姿を、彼女は副官に披露した。母親と事件前の自身を描いた肖像画を元にして作り上げた幻は現実ではないからこそ美しかった。
偽りで作られた彼女の顔に火傷はなく、露わになっている絹の肌にも傷が無い。
額を晒し、形の良い柳眉の下には黄金の虹彩を持つ大きな目が一対あり、その左の目尻には黒子が二つ横に並んでいる。優美な曲線を描く鼻があり、慎ましげな口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
服装は共和国の貴族女性が好む絹と緞子をふんだんに使ったドレスを選んだ。
ドレスは全体的に白を基調としながらも、金糸銀糸、赤や橙の明るい色に染められた糸で織り込まれた花模様が浮かぶ生地は豪奢で眩い。袖口は広いが繊細なレースで編まれた長手袋によって細く優美な女らしい手は隠されている。ショールもまた緻密に編まれたレースだが、黒と銀の糸で作られていて華やかさばかりの風体に品を与えていた。
ただでさえ細く薄い腰はコルセットで更に絞め上げられていて、作り物のような相貌も相俟って人形のようだった。光の帯が浮かぶ長い緑髪は敢えて結わずに下ろしたままにした。
庇の大きな牝帽子を被れば、白粉のために色を失った顔は真正面からでなければ見えなくなる。
ゲアハルトや配下達には初めて披露する火傷面ではない姿だが、男は見た途端に「ア゜ッ゜」と変な音を出して、顔を両手で覆って蹲った。
周囲でせかせかと動き回っていた侍女や護衛役も硬直して監査官の姿を二度見してしまった。自分達より反応が大きい副官を見て我に帰り、すぐに職務に戻ったが。
魔法で偽装した表情を動かすことができないイルゼカインは微笑を浮かべたまま困惑する。
「えぇ……?」
理解できない彼女に対して、男は「二人っきりの時に見たかった……」と聞いても仕方が無い台詞をほざく。それを聞いたイルゼカインは「やっぱりこっちのほうが良いのか」と頷いた。
「確かに顔に傷がある女は醜いよな」
「は? 違うが? 単にお前の『新作』が出て喜んでるだけだが? そういう新しい一面を経ていつものお前により深みを感じられるんだが?」
「何を言っているんだお前は」
「その服見たのは俺が最初だよな? ガキ共には見せてないよな?」
「え、うん」
「ッッッッッッッッッッッッッッシャッ!」
「本当になんなんだお前は」
ゲアハルトの言動に監査役はますます困惑した。二人の遣り取りを見ていた居残りの護衛役達も、「キッショ」「族長のあの性癖って治んねぇのかなぁ」と軽蔑に諦念が混じった視線を向けていた。
思考を読み取られた護衛役達はその後すぐにゲアハルトの鉄拳を叩き込まれた。
イルゼカインはただ立っているだけで死の気配が身の内から漏れているらしく、初対面の人間には形容し難い恐怖を与えることが多い。当然、動物にも激しく忌避される。だから移動の際には事故を避けるために魔物であるモーラや死者の馭者を使っていた。
だが、今はセイル大公に貸し出してしまっている。安全に商会へ赴くには気配遮断の魔法を幾重にも掛けなければならなかった。
王城で使用している紋無しの馬車と馭者を借りて、二人は憲兵隊に先んじてヨーギ商会へと向かった。
王太子の寵愛を賜るシーナ・ヨーギ男爵令嬢。その父親が会頭を務めるヨーギ商会は王都大通りの一番端に本店を構えている。平民街に近い区画にあるその店の前に、彼女達の馬車は停まった。
その馬車後部の補助席から降りた従僕が扉を開ける。先に降りたのは、煌びやかな長衣と帯を身に纏ったゲアハルトだった。彼もまた、髪と目の色を黒色に偽装していた。特徴である尖耳は帽子の下で、その出で立ちから成金の外国人商人に見えた。
ゲアハルトが地に立ち、馬車の中へと手を差し出す。その手を取って降りてきたのは等身大の陶器人形と見紛うイルゼカイン。繊細なレースで装飾された扇で口元を隠していた。
臨検のために憲兵隊が出立したと王城にいる護衛役から連絡を受けている。三十分ほどでこちらに到着するはずなので、イルゼカイン達はその間ずっと身元を偽装したまま店内に滞在し続けなければならない。
〈ここまで来といてなんだが、偽装したまま店に入ってもバレないのか?〉
彼女の脳内に副官の声が響く。イルゼカインもまた頭の中で答えた。
〈商会の届出書には使用する結界の効果に偽装除去は含まれていなかった。そもそも、王都であっても店舗で使用される結界は盗品の売買、強盗、盗難を防ぐ結界が主流なんだ。それ以上の防犯機能を持たせると設置と維持の費用が馬鹿にならないから〉
商会の娘が見た目を偽っているので敢えてその機能を外している可能性もあるので、自分たちの偽装が気付かれることはあまり考えていなかった。
長い冬が遠退き始め、春の兆しが衣の裾を見せ始めた昼前。商会の扉を過ぎて入ってきたのは成金の外国人と白い女だった。
ヨーギ商会が本店として構えているこの店は居抜き物件で、外装は少し年期が入っているが内装は新しい。貴族が利用するには最低限の品格があり、平民が出入りするには少し気後れする程度には調度品の質は良い。
そんな店に現れた大柄な外国人と、彼よりは低いが女にしては長身な貴婦人。組み合わせとしてはちぐはぐで場違いな美男美女。それでも何故か視界には残らないのが不思議だった。
出入り口の傍に控えていた接客担当の男はそんなことを思った。来店予定の客がいないので、飛び込みか馴染み客の口利きだろうとも。
「いらっしゃいませ」
接客担当は二人に近付いて恭しく頭を垂れる。彼に応えたのは男のほうだった。
「予約も紹介もなんもねぇんだがよ、それでもええか?」
「はい、問題ございません」
何処の地域かも分からない酷い訛りの王国語に内心苦笑しながらも接客担当は頷く。そんな彼の思考を、一見客の外国人もといゲアハルトは読み取っていた。訛りはデタラメなので分からなくて当然である。
「俺ァ仕事でこっち来とんのやけど、それが無事に終わってのう。祝いになんか買うてやろかと思ってよ。そういう、女が好きそうなモンはあっかい?」
そう言ってゲアハルトは隣の女を示す。白い貴婦人もといイルゼカインは扇で口元を隠したまま僅かに会釈した。
彼女の声は嗄れて低い男のような声なので、喋らずにいることは最初から決まっていた。リリーベルの声帯を模倣することもできたが、試しに馬車の中で披露したところ、副官に「その顔からその声がすると怖気が走る」と言われたので断念した。
牝帽子と扇のために目元しか見えないが、美しい造形をしていることは分かる。接客担当は息を呑みつつ笑顔で頷いた。
「なんてお美しい方! ヨーギ商会へようこそお出で下さいました。当商会の扱っている宝飾品はきっと奥様のお気に召すかと」
そう言って、彼は出入り口の辺りから見えるカウンター型の陳列棚の一つにゲアハルト達を誘導する。店内は男の腰辺りの高さで統一された陳列棚が左右の壁に並び、それぞれに担当者がいる。奥の扉は商談用の応接室や事務室などの区画に繋がっているであろう扉も見えた。
彼等が陳列棚の前に立った時には、すでに商品担当がを幾つか棚から取り出し、並べ始めていた。
「どうぞお手に取ってご覧ください。どれも素晴らしい品ですよ」
商品担当者である若い女性は二人に勧める。ゲアハルトとイルゼカインは天鵞絨が敷かれた天板の上で輝く宝飾品を見て、一瞬反応に迷った。
並べられている宝飾品は耳飾りや首飾り、腕輪などだ。値段はそこそこ、造りも値段に見合ったもの。庶民が買うなら、確かに素晴らしい品なのだろう。どれも、王国内でよく売られているものだった。
てっきり公国からの輸入品が出てくると思っていたので面食らったが、第二種型店の調査があったのだから警戒して店先には出していないのかもしれない。
商会員たちの思考をゲアハルトは覗いてみたが、全員が本職でない上に王国人でさえないことを改めて認識しただけだった。余程の揺さぶりがなければ抱える秘密を思い浮かべることがないのは分かっている。こればかりは臨検を待つか、こちらから衝撃を与えるしかない。
ひとまず、ゲアハルトは芝居を続けることにした。
「ほーん、こういうのはどうやろか」
金を雫型に成形した大振りの耳飾りを一つ取って彼は女のほうを見る。抽象化された花の文様が刻まれたそれをイルゼカインの左耳朶に当てた。
彼女は扇を閉じて顔の前から退かしてよく見えるようにしてやった。露わになったその美しい白貌に、担当達の溜息が漏れた。春の日差しの中に躍り出ればそのまま融けて消えてしまいそうな儚さのある女だった。
安物の、玩具のような耳飾りが彼女を引き立てるはずがない。それでもゲアハルトは当然のように褒める。隠蔽魔法さえ貫通する、イルゼカインの月のような美貌を。
「よォ、別嬪さん」
女は煌々と輝く黄金の瞳を細めて微笑むだけだった。恥じらう慎ましい貴婦人の姿に、商会員たちは心を蕩かされて溜息を吐く。
「他にも棚があっけど、そっちはなんだい?」
耳飾りを天板に戻しながらゲアハルトは接客担当に尋ねる。客の問い掛けに彼は手を揉んで答えた。
「なんでも取り揃えておりますよ。ドレスやタペストリー、陶器、金細工、渡来の植物まで」
「植物? 観賞用にかい?」
「それに適した物もありますが、薬として用いられている物の輸入が主ですね」
「勿論、禁輸品などではありませんよ」と、接客担当は茶目っ気を交えて説明する。彼の頭の中には売れ筋の商品が無意識に浮かぶ。ゲアハルトはそれを読み取り、主人へと伝達する。商品の中に気になる物があったからだった。
〈俺の記憶が正しいなら、どれも興奮剤だよな?〉
〈うん。そしてどれも単体での使用に留めることが大陸法で定められている。この商品の中の幾つかを調合すると、人間の思考能力を徐々に低下させる魅了薬が作れるからね。材料一つだけでも販売する際には身分証明が必須で、店側で販売記録と追跡調査を行うことも必須なんだ〉
〈魅了薬、ねぇ……どうやらお前の嫌がらせは大当たりみたいだな〉
「そらすげェや。俺ンとこは精々シケた地元と共和国の往復よ。良けりゃ、その辺りの商品も見せてくれねぇか?」
監査官の思惑が予想を遙かに超える打撃になる予感に内心舌を巻きつつ、外国人商人に扮した副官は更に情報を引き出そうと試みた。担当は魅了の暗示を掛けたわけでもないのに、美女の姿に酔ったままだった。
「植物の輸入については、副会頭が行っていますので確認して参りましょうか?」
「駄目だったらそれでも構わねぇぜ。ああ、もし取り次いでもらえるなら、会頭にも是非ご挨拶させてくれや」
ゲアハルトが「駄賃は弾むからよ」と声を潜めて懐を探ってみせる。しかし男は苦笑して首を横に振った。
「会頭は不在でして……」
「へぇ、なら仕方ねェや。外回りかい?」
客の問いにそれまで滑らかに回っていた接客担当の舌が止まった。そして答えないまま「副会頭を呼んで参ります」と奥へ下がった。彼は沈黙を選択したことで秘密を隠し通せると思っているが、相対しているのはアルヴ族。他者の頭の中を覗く存在だった。
〈イルゼカイン〉
脳内でゲアハルトに名を呼ばれて、商人の笑みを浮かべている副官へと彼女は視線を向けた。男は監査官の顔を見ずに続ける。
〈会頭はとっくの昔に死んでる、とさ〉
接客担当の頭の中に浮かんだ言葉は穏やかなものではなかった。ゲアハルトに伝えられたその言葉の意味は考えるまでもない、と彼女は判断する。
現ヨーギ男爵の正体はなんとなく察しがついているので深く考える必要はない。イルゼカインが思案しているのは、「男爵家にいつ訪問するか」ということだった。
「お待たせ致しました、お客様」
初老に差し掛かった男の声が足音と共に近付いてきた。ゲアハルトとイルゼカインが見れば、管理職らしい服装に身を包んだ五十がらみの男が接客担当と共にこちらへ向かってくるところだった。公国出身らしく、耳朶に複数の装身具を付けている彼が副会頭なのだろうと二人はすぐに理解する。
傍までやって来た副会頭は今一度深く頭を下げてから顔を上げた。そして愕然とする。大きく目を見開き、呻きとも唸りとも分からない声を出す口を震わせ、血の気を失って滝のような汗を掻き始めた。
激しく狼狽する副会頭の視線はイルゼカインの顔にびったりと釘付けになり、動かなかった。喉から込み上がってきた彼の声は締め上げられる雄鶏のそれだ。まるで、死人が蘇ったのを目の当たりにしたような顔色をしていた。
「なっ、な、な、なぜ……!?」
そんな副会頭の問いに与えられたのは答えではなく、蹴破るようにして扉を開けて入ってきた憲兵隊による臨検だった。
「臨検! 臨検! 王宮勅令の臨検である! 全員その場を動くな!」
どかどかと雪崩れ込むようにして憲兵隊が店内に入ってくる。驚いたふりをしてゲアハルトたちは壁際へと寄り、副会頭らがいる辺りから自然に離れた。
憲兵隊長が声を張り上げて指示を出しながら二人に近付いた。
「え、え゛っ!? っん゛ッ゛! ……貴方がたは? 取引でこちらに?」
一瞬、イルゼカインの完璧な外見を見て憲兵隊長は顎が外れかけていたが即座に平静に戻る。幸い、奇妙な悲鳴は激しい物音に掻き消された。
彼が打ち合わせ通りの台詞を口にしたのでゲアハルトも同様に答えた。
「へ、へぇ。たまたまカミさんと立ち寄っただけでして……」
「ふむ。手間を掛けるが、規則のため貴方がたにも聴取を行わせて欲しい」
「ひとまず外へ」と促されて、彼等は憲兵隊長の後に続いて外へ出た。商会の店舗の周囲には防音と退出不可、そして外側からの視認を歪ませる結界が張られていた。
憲兵隊が使った装甲馬車の影にイルゼカインたちを連れてきた憲兵隊長は途端に脱力した。
「監査官殿、お願いですから金輪際こういったことは勘弁してください!」
その懇願に監査官は触れず、臨検を無意味なものにしない情報を彼に与えた。
「このヨーギ商会は特定植物の販売について、禁則に触れている可能性があります。そして会頭本人の所在が不明の状態です。臨検の成果としては十分かと」
「『結果があったから良い』というわけではありませんよ! うぅ、本当にイヤだこの人……その顔でいつもの声が出るの怖過ぎる…………」
泣き言を漏らす憲兵隊長は彼女が「あと、王太子に禁忌薬が投与されている可能性があります」と付け足せばとうとう泣き出す。
そんな今回の協力者を無視して、ゲアハルトはイルゼカインに尋ねた。
「あの副会頭とかいう男、知り合いか? 『あの時、酷い火傷を負ったはずだ』って頭の中で何度も繰り返していたが」
答えなど明白の問いに監査官は首を横に振る。ヨーギ商会の副会頭に会ったことなどない。そもそも、今こうして自身の顔に被せている偽装の顔は身内以外に見せたことなど無いのだ。
つまり、副会頭は燃え滓になる前の女の顔を、ディグレンゼ領々姫イルゼカイン・エルドリーザ・ヘルロンドの顔を知っている。強烈な恐怖に変貌する記憶と共に。
王家専属財務監査官イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンドは副官に今後の動きを告げた。
「四日後にヨーギ男爵家を訪問する」
臨検を終えて、離宮へと戻ったイルゼカインがヨーギ男爵家に送った文は、監査官としてのものではなく王太子殿下の婚約者クロエカイン・リリーベル・ヘルロンドの義母として送ったものだった。
ヘルロンド家長である己は我が養子が結んでいる婚約について憂いている。フィアベル・ルミナント・アントピア王太子殿下は貴家シーナ嬢と密かに想いを寄せ合っていて、義娘クロエカイン・リリーベルを蔑ろにしているからである。現状を鑑みた当家は王家に婚約解消を願い出るつもりである。
王家と当家の婚約は慣例や当時の情勢によって決まったものであり、解消の取り決めも婚約時にされていた。当家はこの婚約に対して消極的であったのと、義娘は王太子殿下の幸せのためになら喜んで身を引く所存であるので貴家に責を問うつもりはない。
就いては、王家に先んじて貴家と話し合い、ある程度の合意を固めておきたいので四日後に其方へ伺う。持て成し不要。
そんな内容の文を送り、条件付きだが了承の返事も当日受け取った。
ゲアハルトがなぜ手紙を送るのかと尋ねると彼女は、卓に置かれていた憲兵隊の報告書を示して「別にもう殺してもいいだろうし」と返した。その報告書には臨検によって明らかになったヨーギ商会の犯罪内容について記載されていた。
イルゼカインの意図を正しく汲み取った男は即座にヨーギ男爵家の監視と、学園にシーナ・ヨーギを卒業式典当日まで留めておく工作を部下たちに命じる。
四日後。イルゼカインはゲアハルトを連れてヨーギ男爵家を訪れた。男爵が訪問に応じるにあたり、武器の不携帯と私兵の無帯同という条件を付けていた。それに従って彼女は文官姿、侍従として伴う副官も革鎧を脱いだ騎士服という格好だった。
男爵家は平民街と貴族街の境界にあった。新興の男爵家らしく、爵位を得てから購入した古い屋敷だった。邸宅に入る際にも二人は身体検査を受けつつ、中へと招かれた。
敷居を跨いだ瞬間、結界を踏んだ感覚があった。何かが断ち切られる感触。魔法が封じられる感覚だった。ゲアハルトもそれに気付いたらしく案ずるように彼女を見遣る。一瞬動きの止まったイルゼカインだが、すぐに歩き出した。
執事の案内で応接室へと通される。邸内の装飾に華美なところはない。成金趣味と揶揄されるどころか品の良い内装と家具で揃えられている。
イルゼカインは奥のソファに腰を下ろし、その背後にゲアハルトが立った。声を出さず思念だけで〈この内装の趣味は"どっち"の趣味かな?〉〈知るかよ〉という会話をして男爵を待っていれば、程なくして件の男爵が応接室へと入ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、ヘルロンド様」
にこやかに微笑む六十近い見目の男はヨーギ男爵の名を名乗る。ゲアハルトがそれを嘘だと彼女に伝える。王国出身であるはずだが、男爵の耳殻には複数の穴が開いていた。公国特有の装身具の痕だ。
イルゼカインは立ち上がらずに応えた。
「不躾な訪問を快く受けてくれてありがとう、男爵。用件はお伝えした通りだ」
仮面越しに見える黄金の瞳は揺らがない。侮蔑もなく、ただ無感情に外敵を眺めていた。男爵が対面に座る。メイドが紅茶とケーキをテーブルに置き、扉に近い壁際まで下がってから男爵はイルゼカインに尋ねた。
「恐れながら……殿下とクロエカイン様との婚約を解消されるおつもりとか。その件で我が家を責に問わないというのに合意を形成したいとは、どういったことでしょうか?」
「まあ、対外的な発表の読み合わせみたいなものだ。ところで、先日は宅の商会に臨検が入ったとか。大変だったな」
監査官がそう言うと、向かいに座る男の頬が僅かに揺れる。取り繕うことは忘れず、すぐに彼の顔は元に戻った。
「ええ、本当に。私は長い間必死に働いてきたというのに、臨検だなんて」
「営業停止では済まないだろうな。植物の違法取引だと、最低でも国外追放か」
「王宮からの発表もないのに、よくご存知ですねェ。ですが事実無根ですよ。当商会の潔白は昨夜証明されて、憲兵隊長自ら謝罪に参られました。『王のお気に入り』に頼まれて無実と分かっているにも関わらず臨検を行わなければならなかった、と」
彼の嘘を聞きながら、ヘルロンド家の長はテーブルに置かれたケーキを眺めていた。バタークリームで覆われたケーキの上には飴細工と林檎の飾り切りで作られた薔薇があり、義娘はこういう菓子を好むかどうかを考えていた。
「ヘルロンド様?」
訝しげな様子で男が彼女を呼ぶ。イルゼカインは聞いていた「本物のヨーギ男爵」と人相が全く異なる彼に対して、真実を告げることにした。
「実は、話し合いに来たというのは嘘なんだ」
「は?」
「お前の連れてきた阿婆擦れの売女が王太子にちょっかいを掛けたせいで私の義娘は迷惑を被っていて、我が王と我が王妃の心労となっている。どんな企みがあってそんなことをしているのかはどうでもいいが、その付けを、お前に支払わせようと私は思う」
ゆっくりと足を組み直して、イルゼカインは淡々と静かに、男爵を名乗る者とその手下どもに分かるように話した。上唇まで覆う黒鉄の仮面越しに、無感情な金色の瞳が彼等を見ていた。
「我が家名を舐めてくれた、お前のような畜生風情に、寛大な私は、付けを払わせてあげようと、そう言っているのだ。言葉の意味は理解できるか? 公国の豚には難しいか?」
有能な右腕の物真似をして怒りを招くような物言いを彼女はしてみた。
案の定、目の前の男は取り繕うとして、しかし自分の正体が既に露見していることを察して、形相を歪める。そして、イルゼカインとその副官が動く前に決着を付けようとした。
「<curse target><twist break scrap>イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンド</twist break scrap></curse target>! 貴様は自分の置かれている立場が分かっていないようだな! 既に貴様は我が術中だ!」
ゲアハルトの反応が僅かに遅れたのは、数世紀ぶりに見た『呪術』の対処を思い出すのに少し時間が掛かったからだった。
ばぎん、と不吉な音が応接室内に響いた。イルゼカインは首を傾げて、ふと自分の左手を見る。
手袋に包まれている指先が、べきべきべきべきべき、と凄まじい音を立てながら捻じ曲がり折れ始めていた。
「おぉ、すごいな。これが呪術か」
当の本人があまりにも暢気な声を出したので、偽男爵は唖然としてしまった。
彼は女の首を捻じ切ったと確信していた。しかし捻れ折れていくのは首ではなく左手で、肘の辺りで捻れは止まった。
不可視、不可逆の呪術が中断されている。その理由が男には分からない。
「変な顔をしているな、男爵。もしかして呪術は一度発動すると途中破棄されないのか? それだと構成を間違えたら危険だし、脆弱じゃないか?」
興味深そうに自分の破壊された左手を眺めているイルゼカインの影がぐうっと濃くなる。ずるずると、座面と彼女の服裾の間から出てきたのは、奇妙な人影だった。
その人影は異様に首が長く、豪奢な仕立ての葬礼服に身を包んで八房の鶏冠帽子を戴く影の顔は禍々しいほどに美しかった。それは焼き潰される前の、青い瞳が輝くイルゼカインのものだった。
偽男爵にはそれが何なのか知っていた。
それは呪術を扱う彼の一族に口伝されている存在だった。魔法の一切を禁じる結界の中で、発動中の呪術を打ち消し、細い枯れ枝と変わり果てた監査官の左手を逆回しのように修復しているその影こそ、『精霊』と呼ばれる存在だった。
そして最悪なことに、今こうして顕現しているモノは精霊の中で最も悍ましく恐ろしく忌々しいモノだった。
あのゲアハルトでさえこの世ならざる存在を見て顔を青褪めさせる。言わずもがな、室内にいたヨーギ家のメイドや侍従たちは悲鳴を上げ、その場にへたり込んでしまった。
「"く、くらやみ王"……ッ!」
畏れと共に偽男爵がその名を口にすれば、影は彼に嬉しげな視線を向けてにこりと笑う。
向けられた者を瞬きさえできない恐慌へと叩き落とす、凄惨な微笑だった。
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