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【恋愛 異世界】

最後の嘘と、最後の本当。

作者: 小雨川蛙
掲載日:2024/11/06

 

 苦し気に呼吸を繰り返す。

 息を一つ吸って、ようやく吐き出す。

 生きるために必死にしている行為が、より自分を苦しめている気がした。

 妻が泣きながら私の腕を握っているのを感じながらも、私は無力に目を閉じることしか出来なかった。


 そんな時。

 ふと、閉じているはずの瞼の裏に独りの少年が現れた。

 麦藁帽を深く被っていて、私の目には彼の顔が見えない。

 奇妙なことにどこか近しいものを感じる。

 彼は私を見るなり舌打ちをして、唾をこちらへ吐きかけた。

「嘘吐きの馬鹿!」

 あまりの言葉に私は一瞬、呆然とするがすぐに気を取り戻して彼に尋ねた。

「何故、そんなことを言うんだい?」

 そう問いかけながら、私は奇妙なことに彼に一歩近づくことが出来た。

 今、この瞬間も妻に手を握られ、必死に命を繋いでいるという現実を確かに理解しているのに。

 身動き一つ取れない現実が虚しさを覚えるほどの滑稽さを持って、私は彼に尚も尋ねる。

「何故、君にそんなことを言われなければならないんだい?」

「お前が嘘吐きの馬鹿だからだ!」

 繰り返される言葉に私は首を傾げる。

 本気で彼が何を言っているのか分からない。

 すると少年は近づいてきて、私のことを思い切り蹴飛ばした。

 その瞬間、彼の麦藁帽が落ちた。

 それを見て、私は思わず声をあげる。

「あっ!」

 少年は私を強く睨んでいた。

 私は彼を知っていた。

 誰よりも。

 何せ、それは幼い頃の私自身だったのだから。

「嘘吐き! 嘘吐き! 嘘吐き!!」

 彼は。

 幼い日の僕はそう言って私の身体を蹴り続けた。

 ここにきて、私は何故僕がこうも睨んでいるのかを知った。

 いや、思い出したと言うべきか。

「野球選手になるって言ったじゃないか!」

 僕が泣きながら私を蹴る。

 殴って、蹴って、また殴って……泣き叫ぶ。

「誰よりも強い選手になるって言ったじゃないか!」

 ここにきて私はようやく悟る。

 そうか。

 目の前に居る僕は、私の内にある最期の思考なのか。

 泣き叫ぶ僕の姿を見つめながら、私は過去の記憶や挫折を色々と思い出す。

 現実とは残酷なものだ。

 こんなにも夢に満ちていた僕は、数え切れないほどの挫折や要因、そして時には自分の意思によって私へと変わったのだから。

「ごめんな」

 私は小さな僕の身体を抱きしめた。

「夢を諦めちゃって」

 私の腕の中で僕が泣き続ける。

 もっと、ずっと、抱きしめ続けてあげていたいほどに僕は哀れだった。

 しかし、僕は私よりずっと偉かった。

「ねえ。後悔はしている?」

 こう問いかけてくれたから。

 私は僕の身体から静かに離れて告げた。

「悪いけれど、全くしていないよ」

 私の答えに僕はまた泣き声をあげて、そしてそのまま走り去った。

「嘘吐き! このバカ!!」

 そんな捨て台詞と共に。

 その後ろ背を見つめたままでいた私の意識がふと現実に戻る。


 私が微かに開いた目を見てすっかりと年老いた妻が泣き叫ぶ。

 私の手を包んだ妻の手が力強いものに変わる。

「あなた」

 妻の声が辛うじて形となって聞こえる。

「私と一緒で……幸せでしたか?」

 きっと、これが最後だ。

 私も妻もそれを悟っていた。

 だからこそ、二つの言葉を告げた。

「一つも後悔はしていないよ」

 一つは僕の嘘。

「君と一緒に生きられて良かった」

 もう一つは私の本当。

 長く、長く共に生きて妻はそのどちらも心穏やかに受け止めてくれた。

 妻の顔はあまりにも涙でまみれて笑ってしまうほどだったけれど、それでも妻は言葉を返してくれた。

「愛しています」

 その言葉に私もまた言葉を返す。

「僕もだよ」


 子供染みた後悔よりも遥かに大きな愛に包まれたまま、僕は安らかに死の世界へと先立った。

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― 新着の感想 ―
 やすらぎのひと間に浮かぶ懺悔は温かく、心の奥深くに埋めたタイムカプセルを開いたかのようで、責められて尚も何処か懐かしさに嬉しさが上回るような感じは、年の功に重ねた日々の幸せな老いを判らせ、最期の灯火…
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