#99 【間話】
気づけば私は脇目も振らず、逃げるように駆けだしていた。自分のなかで暴れまわる激情に突き動かされたみたいに。
屋敷の敷地を抜けると次第に平静さを取りもどしていき、膝に手をついて息を整える。
「なんなの……」
胸は依然としてドキドキしたままだが、ジンから離れると先ほどまでの感情は嘘のように沈黙していた。
――今の私はどっちなんだ。
リミナが出てきてどうなったのか、よくわからない。
「おーいリミちゃん!」
「おにーちゃん……」
あとから追いかけてきたおにーちゃんの声で、おそらくリミナの人格は寝静まったのだと思う。
「大丈夫か?」
「うん……」
その返事が明らかに元気がなかったのは、自分でもわかるくらいだった。無用な心配をかけてしまっている。
こんなとき関わりの浅いひとならつくり笑いでごまかせるけど、おにーちゃんには見抜かれる。
「……とりあえず宿にもどるか」
「うん……」
私はおにーちゃんに手を引かれて、民泊にもどった。
借りている部屋にもどってすぐ、私は倒れるように布団に寝ころがった。身体のほてりがおさまらない。
「なんやリミちゃん、風邪でも引いたんか?」
「え……?」
「顔あかいし、熱も……あるな。まさか村の影響かなんかで……」
おにーちゃんがわたしのおでこに手を当てながらそんな推測を立てている。風邪なんか引くはずない。旅する者が自分の体調管理に気を配れないでどうする。
「わかんない……でも、ちょっと寝ようかな」
「ほな夕飯のときに起こすわ」
おにーちゃんはそう言いながら、荷物の整理をはじめてしまった。ここのところ研究にも熱心で、試験管の薬品に浸けられた植物の数々といつも睨めっこしてる。
なにをしてるかはわからない。それでも表情を見ればうまくいってないことはわかる。
彼の背中を眺めながら、久しぶりのふかふか布団に安らいでいると、私はすぐに眠ってしまった。
そして夢に見るんだ。
『――リミさん』
エコーがついてひびく声。
ごつごつした手を差しのべる、朝の陽射しのように優しい眼差しの、イケてる執事。
夢のなかで私は貴族のお嬢さまで。ひげは私が綺麗に整えてあげてる。
身分や年齢という垣根を越えて、私たちの距離は次第に近づいていき。
「はぎゃあああああああああああっ! わあああっ!」
情緒への二段攻撃。
脳の処理装置がオーバーフローを引きおこし、私はバグった。
「うおおっ!」
ビビり散らかすおにーちゃん。さっきと姿勢が変わってない。
「私――どんぐらい寝てたッ!」
「え、むしろもう寝てたん。まだ五分も経ってないけど?」
「まじでッ! ……もう一回寝ようかな!」
「……なんやねん」
そして私は二度寝の態勢にはいった。望んだ夢を見ることはなかった。
*
私たちは普段から旅する身だから、ぐっすり眠ることは滅多にない。それは村の宿にいても変わらない。かならずしも身の安全が保証されているとはかぎらないから。
火事が起こるかもしれないし、村に魔物が侵攻してくる可能性だってある。この民泊は大丈夫だけど、宿屋の主人だって善人とはかぎらない。
浅い眠りでも体力が回復するように身体が慣れてしまっているから、今となってはそれが私たちにとっての当たり前だ。
この世界に来たばかりのときは、信頼できるひとなんて一人もいなかった。
姿の変わったおにーちゃんにすら警戒していた。だっておにーちゃんの場合、十歳の少年がハタチになるんだもん。急に大人びちゃって、顔も全然似てないし、信じられるわけがない。
それでも多くのひとが、行き場のない私たちを助けてくれた。
偶然、執務で王都にやってきていたジンもその一人だ。
ローブで顔を覆いかくして、見るからに不審だったけど、絶望の渦のなかにいた私たちが彼の優しさに救われたのはまちがいない。
そうか、だから私はジンのことが――。
おそるおそる扉をノックする音で私は目を開けた。
「あの……お食事をお持ちしました……」
看板娘の子が夕食をとどけてくれた。この民泊は部屋までご飯を運んでくれる。ちいさい宿だから食堂のスペースが用意できないらしい。
「おーうありがと。お嬢ちゃん」
おにーちゃんがそれを受けとって、室内のテーブルに乗っけていく。
食事を運び終えると、看板娘の子は逃げるように去っていった。
「おにーちゃん、怖がられすぎ」
「しゃーないやん……。この周期でも仲良くしてあげてー」
私はいつもあの子と仲良しになる。周期が変わるたびに忘れられてしまうけど、そんなこともはや気にならない。
悔しかったら前よりも仲良くなるだけだ。
「でも今回は……そうはいかないかも……」
「あ? どうして?」
「あちし……ジンおじと結婚するんだぁ」
おにーちゃんは無表情のまま固まってしまった。冷めないうちにご飯を食べよう。お、今日はローストチキンの日か。主人の味つけがパンと合うんだよな。
「リミちゃん……。やっぱ村のゴーストに頭イジられてへん?」
「は? 正常に決まってんでしょ!」
「そんな話いつしたん。唐突すぎるわ」
「だって今決めたんだもん♡」
「あ、そう……」
怪訝な表情を向けたのち、おにーちゃんはなにか察した様子を見せた。殴りてえー。
「まずは式場おさえなきゃ♡ 新居はどこにしようかな♡ 夜景が綺麗なタワマンがいいなー♡」
「だれが建てるん」
「夢のないホタルだなあ。カノンちゃんならなんでもつくれるんだよ! おにーちゃんの好きな〝機械獣ゼノ〟だって再現できると思うのになー!」
そこまで言ってやるとおにーちゃんも少したじろいだ。
しかし彼は現実主義なところがある。
「いいかリミちゃん。結婚……百億歩ゆずってするとして、お金がかかるんやで。それにジンさんがいつ死ぬかだって――わかるやろ。そっからずっとさびしいで」
多くの〝自覚者〟はこのさき世界でなにが起きるのかを知っている。もちろん歴史的な事件なんかは、止めることもできる。
でもすべてが変えられるわけではない。
一部の老いた〝自覚者〟は自分がいつ老衰で死ぬのかを知っている。勇者の脳を保管することで五十年近く続いた周期があるからだ。それがボスの周期なんだけど。
私たちは必然まで動かすことはできない。だから勇者の生死をめぐって対立が起きる。
「それは大丈夫」
「あ? なんで」
「おにーちゃんが、若返りの薬を作ってくれればいいから!」
この世界には魔法がある。
ひとが思いつくことはいずれひとによって実現される。
「若返りって、あのなあ……」
おにーちゃんは呆れたようにため息をついた。しかしなにか思いつくことがあったのか、難しい顔をしながらぶつぶつと独り言をつぶやきはじめてしまった。
「おにーちゃんどうした。さてはぁ、あちしの天才的ひらめきに言葉をうしなったか!」
「……若返り。それは考えもしなかったな」
「え?」
まさかのまじで。
「枯らすんじゃなくて、新芽にもどす――。新芽から種子に、種子からもどれば……原因にたどり着けるのか――」
「で、できちゃうの……?」
「わからん。かなり高度な魔法が必要になると思う」
おにーちゃんは夕食を口のなかにかきこむと、瞬く間に試験管のある作業台に向かってしまった。
*
翌日、おにーちゃんは夜通し研究に勤しんでいたようで、まだ作業をしていた。
「もっとゆっくりすればいいのに……」
重い目をこすりながらつぶやく。そこまで急いではいないのよ。どうせこの周期はいずれ閉じるから。
私はパジャマから着替えて、カコイチ容姿に気を配りながらまつ毛や髪のセットをした。
「えらい張り切ってんなぁ。どっかでかけるん」
「うん。ジンおじに告ってくる」
「あらそう。がんばってー」
はじめから成功しないと思ってそうでムカつく。
ジンはあんなに素敵なのに生涯独身でその一生を終えちゃうんだ。そんなの絶対楽しくない。私が彼を幸せにしてやる。
そーいうことで、私は朝食を済ませると今日も屋敷に向かうのだった。
この時間ならジンもセネットと食器の片づけをしているはずだ。
だれもいない庭園をまっすぐ進んで玄関のノッカーを叩く。
出てきたのはセネットだった。
「あんたは昨日の客人……。なんの用だい?」
「ジンおじはいますか? 会いたいんだ!」
「ちょっと待ってな」
セネットはそう言うと、屋敷の奥に向かって大声を出した。
「ジン! あんたの客だよ!」
すぐに部屋の奥からジンがやってきた。胸の鼓動が高鳴る。
「これはリミさん。今日はお一人ですか?」
「あ、うん……」
「お茶菓子をお出ししますから、どうぞあがってください」
名前を呼ばれた途端に、彼の顔が直視できなくなった。
「あ、いいの! すぐ、すぐ済む話だから!」
「ふむ。いかがされましたか?」
「あの……えっとね……?」
準備してきた言葉がなぜか出てこない。
なんで急に冷静になる。ダメだったほうの未来が頭をよぎって、なにも言い出せなくなってしまった。
「リミさん……?」
「えっとなんだけどね……! あちしね……ジンおじのことが――」
そこまで頑張って言えたのに、ジンはそれでなにか察してしまったようで、私の言葉をさえぎった。
「リミさん。いけませんよ、それ以上は」
「え……」
ジンは困ったような笑みを浮かべながら、私を諭した。
せめて気持ちを伝えさせてほしい。でもそのあとのことを考えて、彼は私を止めてくれたのかもしれない。
「この世界は残酷です。でも少しずつ明るい方向に向かっている。私は老い先短い身ですが、貴方はちがう。私は貴方に明るい未来を生きてほしい……。ですから、貴方の気持ちには応じられません」
時間が止まったような気分になった。
そんなことなど知ったものかと、死神がこころのなかでささやく。
『唇をうばって押し倒しちゃえばいいんだよ』
いや無理だ。ジンは日頃から鍛えてるから全力でタックルしても受け止められてしまう。
『いけー! 押し倒せー!』
いつにも増してうるさい。いつも呼ばないと起きないくせに。
そんなことを考えていると、リミナに身体の制御を持っていかれた。
やめて、私の身体で変なことしないで。
「あちしの身体でもあるんだよ……!」
ジンが不思議そうな顔をするのをよそに、私は目をつむって「んっ……」と唇をとがらせて彼のほうに向けた。
思ってたよりピュアだな私。
「リミさん。仕方ありませんので失礼を承知でお伝えしますが……。私は貴方のような子どもに興味などありませんから」
ピシャーン。
頭のなかで雷が落ちて、やはりリミナも撃沈した。もともと同じ人間だからわかりきってたことだ。
「ジンおじのばかーっ!」
捨て台詞を吐き散らして、私は闇雲に逃げだすのだった。
もちろん、この程度ではあきらめない。
なぜなら私は、魔法少女なのだから!




