#96 自覚者のキャラバン
その夜、カナは〝エリュシオン〟に降りたった。
実験のときに見た景色が変わらず目に映る。見渡しの良い平原にたたずむ〝キャラバン〟のテント群。現実は深夜だがこっちは昼間だった。
「このカッコは、少し目立つかな……」
貴族のご令嬢が着るような人形みたいな服に、カナは些かうろたえている。
「文句を言うなよ。キミが望んだ姿だぞ」
「うう……」
ハイドはというと、ずんぐりむっくりした黒猫の姿に変わっている。魔力コストの節約のためらしい。
テントの村も今は昼食どきのようで、数人の男たちがおおきな焚き火を囲みながら談笑を交えて食事をしているのが見えた。
「そこのお前、この集落になにか用か」
簡易的なやぐらで見張りをしていた中年の男性に、カナは声をかけられた。最低限の武装をしているものの、その様子は気怠げだ。されど険しい目つきと、ひかりのない眼差しを見れば一目でわかる。
「あなたは――〝自覚者〟ですか?」
確認を込めてカナが問うと、兵士の視線が鋭いものへと変わった。
「見たことない顔だな。何者だ?」
「えっと、わたし――」
名乗ろうとしたとき、村の奥からカナの発言をさえぎるような悲鳴があがる。
「な、なんだぁ? 少しここで待っていろ。話はあとで聞く」
見張りの男性はそう言うと、やぐらから飛びおりて駆けていってしまった。なにやら不穏な空気がただよう。
「カナ、ひとついいか」
「どうしたの? ハイド」
「仮にここがカナの周期よりも過去ならば……迂闊に名乗るのは危険な気がする」
自分が〝書架〟だった周期では、たしかに自分の名前を耳にすることはなかった気がした。
「どうして?」
「なにか悪い予感がするんだ……。カナが初めて世界に来たとき、キミのことを知る者は勇者を除いていなかったのだろう。余計な可能性は排除するべきだ」
実際のところ、カナはこれまで〝キャラバン〟の人物と関わったことがない。
彼らがよく利用するという辺境の宿屋の店主も初対面のような反応だったのは思いだせるが、それは偶然の範疇だとしても違和感はない。
そのとき脳裏によぎったのは、カノンとジェンガで遊んだ記憶だった。
些細な過去のズレによって、世界の未来はおおきく揺らぐ。
「かといって――偽名を名乗るのが正解なのかもわからないよ」
「だがこの世界には史録がある。偽名が知れ渡ることにメリットはある」
リュウはまさかこの周期にカナがいるなんて思ってもいないだろう。
それが知れ渡って彼の行動がゆがんでしまうことを考えると、偽名を使うのが正解かもしれない。
「じゃあ名前は――Kにする。とおりすがりの魔法使いケイ。なんかかっこいい」
「イニシャルか……まあいいだろう」
そんなことを決めているうちに、村の奥からとどく喧騒がより一層増した。なにやら、煙もあがっているようである。
「ほっとけない。入っちゃおう」
カナたちは騒ぎのする方に向かって駆けだした。
*
魔物による襲撃かもと思っていたが、騒動の渦中にいたのは人間だった。
なにかに酷く怯えながら涙で顔をしかめる男性が、刃物を片手に暴れくるっている。
「やれよ! はやく、オレを殺してくれっ! 自分じゃできないんだ!」
その男は死にたがっているようだった。
刃物を無雑作に振りまわすものの、それは脅しに過ぎずだれかを傷つけることはない。どうやら彼は正常のように見える。
「あの……彼の身にいったいなにが?」
カナはおそるおそる、傍観していた村人の男にたずねた。
得体の知れないものを見る目を向けられたものの、村人の男はなにか勝手に納得して答えてくれた。
「きみは新入りか。あいつはこの周期がこわくて仕方ないのさ」
「この周期って……〝暗黒の周期〟ですか?」
「そうさ。勇者がそこかしこで〝書架〟の居どころを探しまわってる。ほぼ確定だろうな」
つまりこの周期ではリュウはじきに自殺する。
そして不条理によって世界は閉ざされる。暴れる男はそれが怖くて耐えられないようだった。
「薬を飲めばいいんじゃ……。無料ですよね」
「薬? この時代にそんなものあったら苦労しねえよ……」
「でもカノンさんが配ってるはずで――」
「はあ? 誰だよそりゃ」
そこまで言われて気がついた。この世界にはまだ〝工房〟がないのである。あるいは、即効性のある睡眠薬がまだ完成していないか。
〝自覚者〟たちはどの周期に飛ぶかわからない。
ともすればこの周期は――最悪にも等しい地獄かもしれない。あの理不尽に対抗する手段を持たないのだから。
「わたしが止めなきゃ……」
カナは絶望する男にゆっくりと近づき――魔法で彼を眠らせた。刃物を落として肝を冷やしたが、それが傷を負わせることはなかった。
その様子に周囲はどよめき、別の意味で騒がしくなる。
「きみ、魔法が使えるのか」
「えっ?」
魔法は誰でも使えるものではない。カナの咄嗟の行動が注目の的になるのは必然だった。
突然に来訪した部外者であるにも関わらずそれが功を奏して、カナは集落の者たちに歓迎されることとなった。
――〝自覚者のキャラバン〟。この時間におけるその数、十七名。
彼らは世界が閉じて繰りかえしていることを知る数少ない一団である。いわば〝自覚者〟のパイオニアだ。
すでに周期の分類は進んでおり、とくに最も数の多い〝暗黒の周期〟は幾度となく経験しているらしい。
「ケイと言ったっけ。きみは〝自覚者〟なのか?」
集落の代表者であるマサと呼ばれる男が、焚き火で芋を焼きながら尋ねる。疲れているように見えるが、おだやかな雰囲気の人物だった。
「はい、そんなところです……」
「よくひとりでここまで来たな。ゆっくりしていくといい。できることはしてもらうが」
「あの、コペラっていう村を探しているんですが知りませんか?」
集落で長居する気はなく、単刀直入にカナは尋ねる。
「知ってる。でもここからだとかなり遠い」
マサはもぐもぐしながら、とおりがかった村人に地図を持ってくるようにうながした。
「遠い……ですか」
「知ってのとおり、俺たちの行き先は勇者が決める。あいつの旅の目的はどこにいるのかもわからん〝書架〟を探すことだ」
そしてほとんどの場合、勇者は世界を時計回りに旅するようである。コペラ村は南寄りにあるため、赴く可能性は極めて低いらしい。
しょんぼり肩を落とした直後、近くで村人に撫でられていたハイドが様子を変えて唸りだした。
「どうしたの? ハイド」
『世界が閉じはじめた』
こころのなかでハイドは答え、カナは目を丸くした。
「……みんなを集めてください」
「なに?」
「世界が閉じます。勇者さんが――亡くなりました」
カナの言葉とともに、村人の耳にも地鳴りの音が聞こえはじめた。なかには騒ぐ者もいれば、身を寄せあって絶望する者もいる。
「きみになにができるというんだ……?」
「せめて……怖がらないように眠らせることはできます」
先ほど絶望に狂っていた男も、おそらくまだ爆睡しているだろう。
この村にはちいさな子供もいる。せめて精神まではこわされないように助けてやりたかった。
『ハイド、いいよね?』
『ああ、もちろん』
カナとハイドは目を合わせ、決意を込めてうなずいた。
「……わかった。どうか助けてほしい」
マサは焚き火の炎を消すと、村人みんなを中央の広場に集結させた。
そのなかには、のちに〝黎明〟のリーダーとなるハルミや、メンバーになるハナもいた。彼女たちは元々〝キャラバン〟の一員だったらしい。
雰囲気が全然ちがってふたりともこころが痛むほど弱々しい。
友だちになりたかったけど、それはこんどだ。
「これで全員ですね?」
「ああ、頼む」
全員を横になるようにうながし、カナは足元におおきな魔法陣を展開した。
ハイドといっしょに考えた次代魔法の応用だ。
『――安眠しろ』
発動と同時に、人々は深い眠りのなかに落ちた。
「カナ、キミもいったんもどすぞ」
「うん、お願い」
カナはうなずき、一瞬にして現実にもどった。
しかしそのことには気づかなかった。現実では熟睡の真っ最中だったのである。
それからどれくらい時間が経過していたのかはわからない。
次に目に映るのは、先ほどとは異なる自然の景色だった。




