#93 アリアドネの糸
それからカナは教授とやりとりをつづけ、魔法やそれを行使するために用いる魔力に関する情報を提供した。
二週間ほど経つと家のまわりの報道陣もほとんどいなくなり、カナは変わり映えのない学校生活を取りもどしていった。
ときは流れ〝イセカイズ〟の発足から一ヶ月ほどが過ぎたころ。
期末テストも終わりもうすぐ冬休みを迎えようというときに、教授から一件のメッセージがとどいた。それはもはや珍しくもないことだ。
ただ今回ばかりは、その内容にカナは自身の目を疑った。
『試作機の実験準備ができました』
そのうしろには詳細な日程が書かれている。市内の病院でなにかするらしい。
「保護者の方も同伴してくださいって書いてある……」
『説明はあったほうがいいだろう。……それにしても、いくら試作とはいえ早いな』
それはハイドのおかげかもしれない。警戒心のつよい彼が、持ちえる知識をあますことなく提供したのだ。
いわく、魔力に関わることも多いからこの世界の文明におおきな影響はないらしい。
母は事情を理解しているが、カナが危険なことに首を突っこむことには反対している。過保護ではなく、親として当然の感情だ。
それがカナにもわかるからこそ、相談するのには少なからずうしろめたさがあった。
「おかーさん、ちょっと読んでほしいものが……」
へりくだった態度で申してみると、思いのほかすんなりと母の承諾を得ることができた。拍子抜けだ。
*
十二月二十日。ついに最初の実験の日が訪れた。
カナは放課後、母に迎えにきてもらった。
助手席には遠方に赴任している父もいる。日焼けしたガッシリとした体格の持ち主で、さっぱりした金髪のちゃらけた雰囲気があるものの、仕送りでカナたちを支える江利田家の大黒柱である。
「パパ、おひさじゃん」
「おう、元気だったか」
「うん」
父も事情を聞いているはずだが、彼はカナに歯を見せて笑った。心配を悟らせまいとしているようである。
カナたちは他愛もない会話をしながら病院へと向かった。
到着するや書かされたのは、問診票と同意書。どうやら全身麻酔を使うらしい。
「なんだか健康診断みたいね」
そうつぶやく母の表情はこわばっていて、無理しているのは火を見るよりも明らかだ。
やがて廊下の奥からつかつかと足音を立てながら、千条教授がやってきた。
「カナちゃん。久しぶりね」
「は、はい!」
挨拶も手短に、教授はカナたちを特設された実験室に案内する。そのあとすぐに両親は別室に招かれ、実験についての説明を受けた。
取り残されたカナは茫然と立ち尽くす。そこには如月さんだけでなく八名ほどの科学者が訪れており、カナは注目の的だった。
そこにいる全員がイセカイズのメンバーだ。なかには計画に巨額を投じてくれた資産家もおり、カナに挨拶をしにきた。
絵に描いたようなお金持ちらしく、一般人とはまるで品格がちがう。向こうの世界の貴族を彷彿とさせるような、所作のひとつひとつが丁寧な紳士だった。名刺をもらっても扱いに困る。
「カナ、おどろいたろ?」
緊張で地蔵のようになっているカナを見かねて、如月さんが近づく。
「は、はい……」
「安心しな。ここにいるみんなの素性は慎重に審査してる。……教授がな!」
カナは知らなかったが、そこにいるのはみなそれぞれの分野において著名な人物だった。
そこに混ざる文系女子高生と、無職の男性。場違いにもほどがある。
「どうしてこんなに早く準備できたんですか?」
「それがな。教授も二年ほどまえに、カノンからの伝言を受け取っていたそうなんだ。俺のとこにも変なこと言う中学生が来たから、同一人物だろうな」
二年前〝書架〟をになった中学生がカノンからの伝言を授かり、それを伝えた。
教授の手には正体不明の設計図も渡っていたそうだ。それをもとに作ったのが今回の試作機らしい。
「成功させなきゃ……」
「気負うなよ。失敗することも大事な一歩だ。ちょっとついてきて」
如月さんとともに実験室の奥にすすむと、昏睡状態のリュウが寝かされていた。事件を受けてコールドスリープは解除され、病院で生命維持がなされているらしい。
身体中に電極が付けられており、一定間隔で筋肉に刺激が送られている。呼吸はおだやかで、まるで眠っているようだった。
「リュウ先輩……」
「大丈夫だよ。ここにいるかぎりは安全だからな」
側面にあるモニターには、波形のグラフと奇妙な模様が描かれており、リュウの脳波をモニタリングしている。
脳科学者の権威である首藤という男性が、少なくともそれが正常ではないことを説明してくれた。脳の働きが四次元的になり、複数の夢を同時に見ているような状態らしい。
「そんでこれが、試作機だ」
「おお……」
リュウの眠る寝台の横に、ひとつ空席の背もたれが倒された椅子がある。頭の部分にはメット型の機械が用意されており、思わずカナは息をのむ。
「そう緊張するな。簡単に説明するならお前の見る夢をデータに変えて、この男のなかに伝送するだけさ。命に関わることはないよ」
いわく、コンピューターによるシミュレーションと哺乳類による動物実験は無事に終えたそうである。
『やあキサラギ。その子が例のカナかい?』
ふいにイギリスなまりの英語を話す学者に、カナたちは声をかけられた。
素粒子物理学者のルーカス・ホランドという人物で、イギリスから遥々やってきたそうである。
カナには英語が話せない。
ぎこちなく『ハイ……』と気さくな挨拶だけして、お茶をにごした。
『ああ。あまりいじめないでやってくれ』
『まさか動力源にマジックパワーを使うなんてね。もしかすると、それこそが人類の探し求める対称性粒子なのかもしれない』
『――まちがいなく人類は進歩するだろうな。貴重な瞬間に立ち会えることを共に願おう』
二人は握手とフィストバンプをして、感動を分かちあっていた。
カナは置いてけぼりだ。
その後も各分野の学者と軽く挨拶を交わして、いよいよ実験のときがやってきた。
カナは試作機のうえに寝かせられ、頭にぷすぷすと電極をつなげられた。脳波だけでなく脈拍や呼吸、ありとあらゆる健康状態が慎重に監視されるようだ。
「カナちゃん、いい? これから貴方の意識は時空の果てに吹っ飛ぶ。仮に成功したとしても、そこがあなたの行きたい空間なのか、行きたい時間なのかはわからない。今回の目標は、向こうにタッチしてもどってくることだと思ってちょうだい」
千条教授の言葉にうなずき、カナはいちど深呼吸して緊張を和らげる。
「カナ、このマシンはお前のものだ。よかったら名前を決めてくれないか」
ルーカスの提案を如月さんが通訳して伝える。
カナは迷いなく、ひとつの言葉を紡ぎだした。
「――《アリアドネの糸》」
現実世界に生きる人類の初となる〝魔導具〟を創ると聞いて、カナはあらかじめ決めていた。
勇者を救う一縷の望みであり、意味するところは〝解決の糸口〟である。
『いいね』
ルーカスが一言そうつぶやく。簡単な英語だったからカナでも聞き取れた。
起動準備のさなか、脳科学者の首藤さんに「これを持て」と言われて、両手になにかを手渡された。なにか確認しようとするが、それは止められた。機械が頭につながっていて、もう動かせないのだ。
「……感触はよく確かめるべきだが、見てはダメだ」
「これ、なんですか?」
握ったかんじ、小瓶かあるいは注射器のような形なのがわかる。
「東雲さんをこっちの世界にもどす薬だ。しっかり握って」
首藤さんが迷いもなくそう答え、たまらず「は?」と返してしまう。いくら天才の集まりでも一ヶ月でそこまでのものができるとは思えない。
「……ああ、まちがいないな」
如月さんが代わりに答える。
天才ってそうなの。見てはならない理由が気になるところだが、科学のちからに感動するほかない。
「――大切なのは、空想すること」
ボソッとつぶやく首藤さんの言葉の意味が、そのときはまだわからなかった。
その後、千条さんから始動方法の説明を受け、みながカナから一歩離れる。
「では、始めよう――」
千条さんの言葉にうなずき、両親に手を振る。
「行ってきます」
つかの間の別れだ。すぐもどってくるから、さびしくはない。
ハイドとのつながりを意識すると、髪のいろが変わっていく。椅子につけられていた取手に魔力を流しこむと、試作機から駆動音が鳴りはじめた。
機械が、魔力に反応している。
リュウ先輩、マヤ。いま行くから。
意志をその胸に、カナは声音認証式の起動メッセージを唱えた。
『――始動!』
直後、首筋にぷすっとなにかが刺さる。注射のような痛み。表皮麻酔が塗ってあるから苦しくはない。
「良い旅を――」
千条教授の言葉を聞きとどけたのち、ものの数秒でカナの意識はまどろみのなかに沈んだ。




