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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
9/110

#9


 カナは深いまどろみの中にいた。正確な時間はわからない。ただ長い時間そこに留まっていたことに、その時になってようやく気づいた。


「ここはどこ……?」


 周辺を見渡しても、無尽蔵に闇が広がっているだけだ。

 時折、稲妻のような閃光が走り、その闇が雲のようなモノによって構成されていることだけはなんとなく理解できた。


『ようやく同調が始まったか』


 待ちくたびれたと言わんばかりの声が、カナの目の前から響く。

 声はすれども姿は見えず。されど、自分でもおそろしいくらいにカナは落ち着いていた。


「誰……?」

『我は、意志なり』

「あっ、そういうタイプの人かあ……――ってなんで!」


 こころの声が意図せず漏れて、慌ててカナは口を塞いだ。すぐに状況に適応できず「心の声が(ほほろのほえあ)……!」と、もごもご何か喋りつづけ、さらに混乱して、さらに喋る。


『幻想の中では強気なのだな』

「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

『しかし驚いた。まさか汝がエルフの子だったとは。しかも、その器を依代にする魂が、異界の存在だとはな。言い表すならば、まさしく混沌だ。――〝エリュシオン〟に何があったのだ……』

「何言ってんだこいつ――……すみません、おっしゃっている意味がわたしにはよくわかりません……。つか、……というか、ここはどこでございましょう」


 カナはそう尋ね、すぐに口を塞いだ。もごもごしてはいるが、よもやそれは意味の通じない雑音に過ぎない。


『ここは汝の深層意識だ。汝が我を呼び覚まし、その代価として我が汝の肉体に宿った。エルフとは知らず、同調までに予定外の時間を要したがな』

「それ、わたし損しかしてなくない?」

『案ずるな。害などない。意志は繋いだし、我は再び眠りに就く。もう出会うこともないだろう。あとは勝手にするがよい』


 憤怒がそう言うと、カナの目の前に現実世界の自分の部屋が現れた。

 その時ようやく、彼女の目の前に黒い影が漂っていたことに気づいた。黒い背景と完全に同化していたのだ。


 その姿は、黒くて丸い毛糸玉のようだった。禍々しさなど感じさせず、むしろ小動物のような愛くるしさを感じさせるのは、カナの脳がそう補完しているからかもしれない。


「えっ! ごめん、なんか、無駄に大きな声で喋ったかも……。ていうか、そこで寝るのか……わたしのベッドなんだが……」

『記憶から創り出した幻想だ』

「幻想……そうなんだ……。そっかぁ……え、じゃあ、おやすみ? てか誰……?」

『少し静かに出来ぬのか。我は誰でもない。遠い昔に生き、そして滅びた人類の、運命に対する未練の集合体だ。ゆえに名前など無い』

「えー、運命わからん……。名前ないんだ……。可哀想……」

『ねえうるさくて寝れない!』


 名前のない毛玉は言葉の波状攻撃に耐えかねて、威厳を捨ててキレ散らかした。


 威嚇するように図体をもこっと大きくさせて、その愛くるしさもまたカナの補完を加速させてしまう。


 見た目だけでなく雰囲気や性格までもが、同調によってねじ曲げられていることにようやく危機感を覚えた毛玉は、カナを強く睨みつけながら、逃げるように闇の果てへと飛び去っていった。


「変わった夢だなあ……。あとで名前つけてあげよ」


 カナはそうつぶやきながら毛玉を見送った。

 その夢から()めるのを、夢の中の自室で(くつろ)ぎながら待つのだった。


 そしてカナは、普段よりも清々しい気持ちで目を覚ました。体内の悪いものが全て抜けたみたいに、身体が軽い。不思議に思いながらも窓の外を見ながら、身体を伸ばす。ちゅんちゅん。


 太陽がいつにも増して眩しい。

 窓の格子の影の角度から、だいたいの時間はわかる。今は、正午過ぎ。うん。


「寝坊したあっ!」


 清々しい気持ちは速攻で消沈し、転がるように階下へと降りていく。


 厨房に行くと、ジンが一人で食器を洗っているところだった。ジンはカナが物陰に隠れていることにすぐに気づき、作業の手を止めて挨拶した。


「カナさん、おはようございます」

「お、お……おはようございます。寝坊しましたごめんなさい……」


 カナは元の世界にいた頃、中学に通う時から遅刻はおろか病欠すらしたことがなかった。たった一日を除いて。

 それは決して真面目だからではなく、心配されたり怒られたりして目立ちたくなかったからだ。


「その様子は――どうやら元のカナさんに戻ったようですね」

「も、元の……? そうだ、わたし――」


 ジンの言葉で、自身がいかなる経緯で意識を失っていたのかを、カナは思い出した。


「貴方の尋ねたいことは分かります。マヤ様は無事ですよ」


 カナはほっと胸を撫で下ろす。友人の無事に涙を流すのは、生まれて初めてのことだった。


「よ、よかったぁ……」


 それが自身の力によるものかどうかは分からない。しかし結果として、本に記された未来は変わっていた。


「……カナさんは大丈夫ですか?」

「え……?」

「少々、お顔に疲れが見てとれますので……」

「い、いつにも増して元気なくらいなんですけど……」

「……なら、いいのですが。屋敷に戻ってからの記憶は?」


 カナはジンの問いに首を傾げた。

 それと同時に、身に覚えのない記憶が頭の中にあり、言葉を失う。


「な、なにこれ……。わたし、何やって――」


 ジンに介抱され屋敷に戻ったカナは、すぐに目を覚まして(いささ)か図々しい態度で過ごしていた。

 マヤには「またカナが壊れた」と泣かれ、セネットに呆れられた記憶が、カナの中に残っている。


 屋敷に戻ってからの二日間、カナは黒い影に身体を乗っ取られていたのである。


 カナは茫然と床にへたり込んでしまった。

 起きてから寝るまでに何をしたかは記憶が語っている。ヘンなことはされていない。


 しかし、それよりも得体の知れない現象に対する嫌悪感に鳥肌が立つ。


 言うなれば記憶の事後承認だ。

 肉体と精神の調子に明確な齟齬があるのが、気持ち悪い。


 ジンは家事の手を止め、震えるカナを優しく撫でてなぐさめる。


「大丈夫ですよ。大丈夫。すぐに元の生活に戻れるでしょう」

「……顔を洗ってきます」


 カナはゆっくりと立ち上がり、洗面室に向かった。

 鏡に映る彼女の目元は、でかい青あざがあるかのように黒ずんでいる。痛みはない。白い肌も相まって、まるでパンダのよう。


「あの毛玉ぁ……! 次会ったら水槽に沈めてやる……水槽ないけど……」


 毬藻のようにぷかぷかと浮かぶ黒い影を想像しながら、カナは気つけに顔を洗ってから厨房へと戻った。



 *



 カナが厨房に戻ると、ジンとセネットが怪訝な顔付きで何か相談ごとをしているところだった。


「あ、あの……セネットさん、おはようございます……」

「ん。……あんた、ひどい顔してるけど大丈夫なのか?」

「ですよね……。と、特に不調ってほどじゃないんですけど……」


 カナはセネットが奇妙な姿をした大根を手にしていることに気づく。胴体が人の手足のように枝分かれしていて、中央には目があり口があり――まるでひとの顔を真似ているかのようだった。


「カナも見なよ。これは〝マンドラゴラ〟だ」

「それって……うるさいやつじゃ……?」

「物知りだね。あんたの世界にもいるのか」

「いや、あの……初めて見ました。空想上のモノかと……」


 そのマンドラゴラは目と口を半開きにしたまま、茫然として身動きのひとつも取らない。


「ふうん。まあいい。こいつはうちの菜園で今しがた取れたんだ。でも眠ってんのか、騒音の一つも立てやしない。不気味ったらないよ」

「輪切りにしてステーキにしましょう。生け捕りしたものは高級食材ですよ」


 ジンはすでに夕食のことを考えている。


「おかしいだろ。暴れもしなければ騒ぎもしない。変異種だとするならまずは毒味からだよ!」

「塔を開いた影響でしょうか。霊体型モンスターの目撃も増えているようですし、菜園に入り込んだ変わり者が野菜に宿ったのでしょう」


 ジンとセネットがそんな言い合いをしている時、偶然にもマンドラゴラとカナの目が合った。


 すると茫然としていたマンドラゴラは少しの間カナの全身を()めまわすように見たのち、

「ふっ……」と小馬鹿にするような態度を見せて、いやらしい不敵な笑みを浮かべた。


「いや、キモすぎるでしょ……」


 なんだか無性に腹が立ったカナは、黙ってそれを鷲掴みにし、シンクの水に沈めるのだった。


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