#84 カナの周期Ⅲ
カナは「はあっ!」と目を覚ます。転移するとき呼吸感がどうにも合わなくて、意図せずとも気合の入った声をあげてしまう。落ちる夢から覚める感じ。
そこはコペラ村の屋敷のベッドだった。エルフのカナったら、メイド服のまま寝るなんて。服が皺だらけじゃないか。
しかも昼に差しかかるころなのが、太陽の位置からわかる。
「はあ……また寝坊だよ」
カナは鏡台で身だしなみを整えながら階下に降りた。そこはかとなく自分の身体から雑草みたいなにおいがして、カナは眉をひそめた。
「カナッ!」
同時に、別室からマヤが不安げな様子で駆け寄ってきて、カナに飛び込んだ。
「マヤ……おはよう。もどってきたよ」
「よかった……本当によかった……!」
史録にはカナの容態が、マヤの言葉を介して綴られていた。
〝傷口はヘネの菌糸で縫われたものの意識はなく、古代魔法によって水晶石に封印されることで延命がなされている〟と。
サーベラスがそうしたとは書かれていなかったが、それは勇者なりの危機管理だった。凶獣化したサーベラスは勇者であろうと止められない。
復讐にはしろうとするマヤのおそろしさも、そこには記されていた。
〝怒りに打ち震えるその形相はまるで修羅のようだった〟と。
――そんな未来、ぜったいに起こしてなるものか。
「マヤ……。ごめんね。わたし、この身体を大事にしようと思ってたのに……傷つけちゃった……」
その事件によってマヤだけでなく多くのひとのこころを傷つけたのは言うまでもないだろう。あとでみんなに謝ろう。
「ううん、いいのよ。あたしはカナがもどってきてくれてすごく嬉しいの。おかえり、カナ……」
「うん……ただいま」
前の周期ではしっかりとした別れの挨拶もできなかった。こうしてふたたび出会えた奇跡を、カナとマヤはしっかりと分かちあっていた。
「ところで……今日はいつだろう。わたし、初めてここに来たときは丘のうえで目覚めたのに」
ひとしきり再会を喜んでハグしたあと、カナは気になることをつぶやいた。
「かなりもどったみたいね。もしかしたら、勇者が誕生した日かしら」
「たしかに、なんか暑い……」
つまり、前の周期では勇者が死亡したということだ。本の結末が曖昧だったことにも納得できる。そこまでもどったならば、魔王フューリィも助けに行ける。
「……あたし、魔王の魔力がなくなったみたいなの」
それはカナも感じていた。今カナのなかにあるのは、エルフの魔力と古代人の魔力だけだ。
「……待って。闇の渦がまた発生したってこと?」
『それはちがう。魔王の資格は、カナに継承されたままだ』
世界は広がったままだというハイドの言葉に、カナは胸を撫でおろす。マヤにも同じことを伝えた。
時間が巻きもどったことでフューリィはふたたび封印された状態になった。しかしそこにいるのはたくさんの魔力を持っただけの普通の女の子だってことだ。
「すぐにでも助けに行きたいけど……さすがに長距離の転移は無理だ……」
王都の近くにいる〝自覚者〟が助けに行ってくれればいいが。新参のカナには、この時期にだれがどこにいるかなどわからない。
「とりあえずなにか食べましょう。おなかすいたわ」
カナはうなずいて、二人は食堂に向かった。
厨房ではジンとセネットが昼食の準備をしているところだった。
「カナァァァァァァァァァァァァ! いつまで寝てんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁい! なんだよその顔の落書きはぁーっ!」
「ひいいい……ごめんなさいごめんなさい。すぐに手伝います……!」
怒号に圧されカナは縮こまる。セネットはその態度に表情を凍りつかせながら、食器を落として割った。
「あんた……正気なのか?」
「え? ……あ」
ほんの一瞬だけカナはきょとんとしたが、すぐに理解してしまった。
セネットは〝自覚者〟ではないから記憶を引き継がない。
時間が巻きもどったことで、彼女は江利田カナのことを忘れていた。知らないというのが正しい。
泣きだしたいくらいのショックを受けたのは言うまでもない。これではまるで、一方通行じゃないか。
いや、ならば、いっそ。
「な、なんてね! セネットさんなんて……知らないんだから……」
震える声でそれだけ言い放ち、呼び止める声も無視して屋敷のそとに飛びだす。
あてどない哀しみを、憎らしいほどあおい空にぶつけるように叫んでやった。
このとき初めて、カナは〝自覚者〟の孤独を痛感した。
*
カナは落ち葉で埋もれた裏手の森を、ぼんやりと進む。頭を整理するために軽めの散歩をすることにしたのである。
途中、凶暴な魔犬の群れと遭遇することもあったが、貧血魔法を振りまけば簡単に追いはらうことができた。
そもそも襲おうとするわけでなく、舌を出しながらかまってほしそうな様子だったが。こわいもんはこわい。
少し進むと枯れていた森の様相は一変し、きのこの森へと変わる。史録にはゴーストに侵攻された村のことや、姿が変わった森のことも書かれていた。
マヤが勇者に経緯を説明してくれたのだ。きっと両親が遺してくれたものを、なかったことにしたくなかったのだろう。
「カナ! どこまで行く気?」
のんびり進んでいたから、マヤに追いつかれてしまった。その手には片手でも食べられる軽食がある。わざわざ持ってきてくれたんだ。
「ありがと、マヤ。みんなの無事を確認したくて……」
そういえば森のきのこがひかっていない。まだ各地からゴーストが集結していないようである。胞子がところかまわず飛散していて、けむたい。
なにが次の周期に引き継がれて、なにが引き継がないのか正確に知っておきたかった。これ以上、かなしい気持ちにならないために。
ハイドは〝自覚者〟じゃないのに、記憶をうしなっていない。ともすればヘネもそうなのだろう。
かといってゴーストはまだ少ないし、塔のなかの屍も元どおりなのかもしれない。
『宇宙が閉じても、意志は残るんだ。カナ』
(でもそれじゃあ、この世界は周期の数だけ意志が無限にあるってことじゃない?)
『意志は質量を持たない。あるのは情報だけだ。きっと同じ情報をもつ意志は、衝突が起きてひとつになってしまうんだろう』
(んん……?)
ちがいのないものはこの世にふたつと存在しないのだと、ハイドは補足した。それでも言っている意味はわからんのだが。
「カナ……むずかしい顔をしてるけど、大丈夫?」
「意志が残るから、意志から造られる古代の〝魔導具〟も形を変えずに残るソウデス」
カナはぎこちなくハイドが言ったことを復唱してみると、マヤも遠い目をして「宇宙」となんかそれっぽいことを返す。
『魔王と勇者の資格もルーツをたどれば信心により生まれたものだ。だからカナに委譲されたままなのだろう』
ハイドはそう推測する。まだ確信には至っていないようである。でも叡智の集合体がそう言うならそうなんだろう。複雑だなあ。
二人でサンドイッチをむさぼりながら歩いていると、塔があるところまでやってきてしまった。扉の入り口は開いたままだった。おそらく、前の周期でカナがこわしたから。
「えっ、なんでっ?」
マヤはそれに一番おどろいていたが、この塔――またの名を《コスモポリス》も、ひとが住めるほどに巨大な〝魔導具〟のひとつとのことだった。
「ヘネ……いないのかな……?」
気配はないので、そのまま湖のほとりのほうへと向かった。こんどはシエルの所在確認だ。
小石だらけの湖畔には、体育座りで水面をながめるヘネの姿があった。平べったい小石を見つけては湖に向かって投げているが、いちども跳ねることなくチャポンと沈む。
あまりにもネガティブだった。哀愁が漂いすぎるあまり、重力が強い。見ているこっちまで哀しくなる。
「ヘネ、そんなところでなにしてるの? わたしたちのことわかる?」
「主人……。それとマヤさま……」
覚えていてくれたみたいで、ほっと一安心だ。と思った矢先、ヘネの言葉がそれをひっくり返す。
「今、どうやって死のうか考えていたところです……」
「ダメだよ死ぬなんて」
「わたくしは……主人をおまもりできませんでした。それでいて冥村に侵入した者をみすみす取りにがす始末……。あっもう無理……きのカしよ」
ヘネは相変わらずどんよりしていた。カナのことを気負っていたようで、今はとくにひどい。元気づけてあげないと。
「それでもあなたは延命してくれたでしょ。わたしのために王都まで行ってくれたんでしょ。そこまでしてくれただけでも、わたしはすごく嬉しいよ」
カナが優しくそう言うと、ヘネはじめじめと泣きだしてしまった。とりあえずは踏みとどまってくれたようだ。
「うう……わたくしもっと立派になります……。修行がんばります……」
「なら、この周期でもうちでメイドね! あたしがセネットを説得する!」
「うう……あのおばさんこわい……やっぱ無理かも……」
もはやカナの言葉が嬉しくて泣いてるのかセネットが怖くて泣いてるのかわからない。
これ以上こじらせると厄介なので、ひとまずカナはヘネの言葉にうなずきながら励ました。
「ところで、シエルはどこ? あの子は〝自覚者〟だよね」
「シエルは……湖の底にいます」
「湖の……底?」
思いもよらぬ答えにカナは首をかしげる。ヘネは「はい」と答えて湖を見た。
「あの子もまた、主人の負傷を気負っているのです。あの子、騒ぎが起きてると知るや、真っ先に逃げましたからね……」
スライムはすごく臆病だ。危険から脱するようにコアにプログラムされている。
カナとしては逃げだそうとも、無事ならそれでよかった。戦わなかったことを責める気など、これっぽっちもない。
「シエルーっ、怒らないから出てきてーっ」
とりあえず、湖に向かって呼びかけてみる。一目でいいから会いたかった。
「カナ、声ちいさすぎ……」
「う……。シエルーっ」
あまり変わってない。それでもやがてぷくぷくと湖面が泡だち、しょんぼりとしたシエルがこっそりと顔を覗かせた。