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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第二章 魔王の章
82/110

#82 本に魅入られた邪悪


 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。

 窓はなく壁も天井もまっしろで、閉塞感のある無機質な空間。天井のかどには監視カメラがついている。


 カナは背もたれのたおれた大きな椅子に縛りつけられて、寝かせられていた。髪は黒にもどっている。ハイドはカナのなかだ。


「ハイド! いる?」


 反応はない。ハイドとのつながりが希薄になっている気がした。


 しばらくすると、扉のそとからスーツを着た眼鏡の男がやってきた。自動車にいた人物のなかでは、一番マシに見える男だった。


「目覚めましたね」


 眼鏡の男はカナの横に座り、淡々とした様子のままカナに語りかける。


「驚きましたよ。まさか〝梯子(はしご)〟と〝書架(しょか)〟が一緒にいるなんてね」


 梯子とはリュウのことだろうか。男の視線はタブレット端末に向かっていて、よもやカナのことは気になどかけていない。


「先輩はどこですか? リエちゃんは?」


 カナは眼鏡の男に尋ねる。


「女の子は家に帰ったでしょう。そもそも連れてきていませんので。……ああでも、警察が助けてくれるという期待はしないことです」


 男は懐から名刺を取りだしてカナに見せる。

 そこには〝自然科学省 環境対策委員会 鬼龍院(きりゅういん) 聡真(そうま)〟と書かれていた。


「まさか――ソウマ教皇……?」


 カナはおそるおそる尋ねる。名前が同じなのが偶然だとは思えなかった。ソウマ教皇が自身のことを政治家と言っていたのを、カナは思いだす。厳密には官僚のようだが、役割はさして変わらないのかもしれない。


「向こうの私に会ったのですね。ということは、貴方も〝後援会〟に?」


 そのときようやく、ソウマはカナに興味を示した。されどその目はひとではなくひとつの物を見ているようだ。


「そ、それは……」

 

 正直に答えるべきかわからず、カナは黙りこむ。


「いや、貴方は勇者の誕生を止めようとした。ならばありえないことだ。ともあれ、私を向こうのソウマと重ねるのはおやめください。無意味なことです」


 ソウマは〝悪の周期〟に転移した。彼がそこでなにを見たかカナは知らないが、勇者があらゆる者を敵にまわすような所業をしてきたことだけはわかる。


 その証拠とでも言うかのように、彼の目はどす黒い闇の底に沈んでいる。淡白で、まるでひとのこころがないかのようだ。


 ソウマはタブレットを操作して、ある映像をカナに見せた。

 別室にて衣服を脱がされたリュウが眠らされており、目を覚まさないでいる。なんらかの、機械のなかで。


「先輩……!」

「今日は記念すべき一日です。人類史において初めて異界とつながるのですから。それも、このうつくしき日本で!」


 拍手をしながら高らかに宣言するソウマの目は笑っていない。

 おそろしい目をカナに向けると、彼はつけ加えた。


「それなのに、まさかそれを止めようとする者がいるなんてねえ……。なんて悲しきことでしょう。侵略の魔の手が、こんな近くにまで(せま)っていようとは! なんと嘆かわしい!」

「なにを言ってるの……? あなたの目的はなに!」

「私の目的ぃ? 質問がちがう。日本の目的はなに、でしょ!」


 映像のなかで、リュウの横たわっている機械が動きだす。ガラスのような(ふた)がされると、透明な液体で満たされていく。


「先輩! おねがい、やめて!」


 カナの必死な叫びはとどかない。リュウを閉じこめたカプセルは、そのまま壁のなかにしまわれてしまった。


「大丈夫ですよ、死ぬわけではありません。死なせるわけにはいきません。だって、彼は日本の未来なんだもの!」


 タブレットの映像は消され、波形のようなグラフとまっくらな画面が映しだされている。そこまで見せる気はないのか、ソウマはそれを取りあげた。


「ああ……助けられなかった……」


 事故ではなかった。これは国家ぐるみの誘拐事件だ。

 実用化されていたことがまず衝撃だが、リュウはおそらく、コールドスリープさせられていた。


 彼の精神は〝エリュシオン〟へとつながって、悲劇の冒険がはじまろうとしている。


「妙だな……。同調がはじまらない。時間がかかるのか?」


 ソウマは不機嫌そうな顔をカナに向ける。その直後、パチンッと音が鳴った。「まさか……」とつぶやき、ソウマは周囲をゆっくりと歩きながらカナを凝視する。


「まあいい。カナさん。貴方なぜここにいるのか知りたいでしょ?」

「…………」


 カナはうつむいたままなにも答えなかった。リュウを助けられなかったことを気負い、それどころではない。


 そもそもソウマは聞いておきながら答えを求めていないようだ。返事を待たずして、その理由を語りだす。


「我々はねえ、未来が知りたいんです。世界の未来。それでねえ、カナさんにはできるかぎり遠い未来から来た〝自覚者〟を探して、未来を聞きだしてきてほしいのです」

「そんなこと――!」

「できない? そうですか……」


 ソウマは残念そうにそう言うと、とつぜんに椅子を蹴飛ばした。


「うっ……!」


 縛られている腕がきしむ。カナは椅子ごと転倒し、起きあがることができない。


「拒否権があるわけねえだろうがあっ! 日本のぉ! 未来が! かかってんだよ!」


 ソウマはひとしきり椅子を踏みにじると、それをもとの位置になおした。


「カナさん、社会のお勉強です。日本は、おおきな国だと思いますか?」

「は、はい……」


 機嫌を損ねないようにカナは必死でうなずいたが、間違いだったらしい。ソウマの情緒はさらに乱高下する。

 

「……ちがう。断じてちがうッ! だが勇者がいれば変わるんだ! 本さえあれば日本は初めて諸大国と対等になれる! 東雲(シノノメ)リュウ――彼こそまさしく神のもたらした神器! だってそうだろう、運命はつねに善意の味方なのだからッ!」


 ここまで壊れた人間が、官僚として過ごしていたことにカナは驚きを隠せないでいた。本質をひた隠して生きてきたのだろう。


 高尚な未来を語るソウマの恍惚(こうこつ)とした表情は、カナがこれまで出会ってきた誰よりも、邪悪にゆがんでいた。

 

(ハイド……たすけてよ……)


 こころのなかで呼びかけても、彼は反応しない。

 電池がきれているみたいに、バチっと音が鳴るばかりである。


「カナさぁん。――本を呼べよ」

「え……?」

「友だちか家族、一人ずつ殺しちゃうよー!」


 本を呼ぶ――そんなことができるのか。あの史録はこれまでの二回とも、勝手にかばんのなかに入っていた。

 仮にも呼べるなら、それは状況を打開するチャンスになるかもしれない。


 狂いわらうソウマを尻目に、一縷(いちる)の望みを賭けて、カナは本の名をつぶやく。


『――星天の史録(ウラノメトリア)……?』


 ごすっ。

 一冊のあかい本がカナの膝のうえに落ちてきた。

 傷や(しわ)のひとつもなく、表題も書かれていない原典だ。


 カナもソウマも目を丸くした。思っていたものとちがう。


「……なぜだ。なぜ原典が――いや、待て。むしろ好都合ではないか。私が……世界を牽引できるのではないかッ! 神は! 私に! 世界を導けとッ! 言っているんだなッ!」


 このときカナは気づいていた。これは《コスモポリス》で触れて、どこかにふっ飛ばした史録だ。


 飛んできたのかもどってきたのか。それはわからない。

 咄嗟にカナは、なるようになれとこころの底から叫んだ。


「わたしを助けて――!」


 史録が羽ばたくような音を立てながらひらく。

 一ページずつ未来をめくって、そして太陽のようにひかり輝いた。


 カナの精神はひかりに吸いこまれるように、異空間へと転移した。


「どういうことだ……本のなかに逃げたのか!」


 意識をうしなったカナを見て、ソウマは頭が混乱している。思考をめぐらせながら、なにが起きたのか把握する。


 その結果芽ばえるひとつの疑問。


「だとしたら……なにと入れ替わったというんだ……?」


 それに答えるかのようにカナの肉体は目をあけて、ソウマをにらみつけた。


 あまりにも不気味な状況に、ソウマは拳銃を取りだして構える。迷いもなく、即座に発砲した。耳をつんざく銃声が数発。


 なおもカナは動じない。放たれた銃弾が空中で静止していた。


 腕を縛りつけていた縄をたやすく引きちぎり、なぜか腐りはてていたそれを床に捨てる。

 銃弾をひとつずつ素手で回収し、なぜか(さび)だらけだったそれを床に捨てる。

 

 整然とする冷たさだけが宿る眼差しを向けながら、一歩ずつゆっくりとソウマに近づいていく。

 

「なんだ……なんなんだお前はぁ!」

「――運命」


 なにかが憑依したカナはひとことそう答えると、手に持っていた史録のカドで彼の顔面をぶん殴った。

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