#81
カナとリュウは自宅が逆方向にある。母に帰りが遅くなることを伝えておき、カナはスマホをかばんにしまった。
ひとどおりの多い街道を、リュウとリエが二人並んで自転車を漕いでいる。そのうしろをカナは黙々と追従していた。部室で泣きじゃくったせいで、目元の紋様が露出しつつある。
意味があるのかはわからないけど、マフラーを巻いてできるかぎり顔を隠していた。
それでも感じるのは、かつてないほどに強烈な視線。まるですれちがう人すべてに向けられているような。
「カナちゃんって家こっち側だったんだね」
リュウは振りむきながらそう尋ねる。カナのことを心配しているのが垣間見えた。
「あ、はい……」
カナは嘘をついた。今日が過ぎれば、あとのことはどうだっていい。
リエは不機嫌そうに自転車を漕いでいる。本当はふたりきりで帰りたかったんだろう。
「事故なんて起きないじゃん……」
カナの言ったことはまず信じていないし、後輩である手前、面と向かって文句を言いづらいのが痛いようにわかる。
申し訳なさでいっぱいだった。今日だけだから許してほしい。
「僕はちょっとだけ信じるかも」
「え?」
「昔、変なやつに声をかけられたことがある。いわゆる不審者ってやつ。そいつに同じことを言われた気がする」
リュウはさりげなく、そんな過去を明かした。
過去に〝書架〟だった誰かが干渉したんだろう。あやしい人物に耳をかたむける道理などない。それは未来を変える決定打にはならなかったらしい。
ならばどうして今日は誰も干渉しないのか。あるいは、できないのか。
カナとちがって世界を救う選択をしたのかもしれないが、真相は闇のなかである。
「それなら、できるだけひとが多い道をとおって……」
「そうは言ってもな。ここ曲がってまっすぐ行ったら、もう僕の家だよ」
曲がり角で足を止めながら、リュウはそう告げる。大通りから逸れた先は、家屋が少なくてうす暗い。
「ど、どれくらいですか……?」
「自転車で五分くらいかな」
「……少し待ってください」
カナは小道に入りこんで精神を集中させる。ハイドとのつながりを強く感じると、次第に髪のいろが変わっていく。
足元には黒の魔法陣。幸いなことに夜ならばさして目立たない。すると手品のように、カナの手元にモップが転移してきた。
「まさかこれ……魔法ってやつ?」
リュウとリエは唖然としながらその様子を眺めている。生まれて初めて目の当たりにする、正真正銘、ホンモノの古代魔法。
『顕影しろ――』
主人の呼びかけに応じて現れる銀髪の青年。こうしてみればずいぶんと背が高い。
ハイドが無感情な眼差しでリュウたちを一瞥すると、
「あ……♡」リエの表情は恋する乙女のそれに変わった。リュウ先輩ごめん。
ハイドはときおり音を立てて明滅する。未来が不確定で、存在が曖昧になっている。
「カナせんっ! しゅごーい! このひと眷属? あたしにも紹介してえええ!」
リエの不機嫌は一瞬にしてどこかに吹っ飛んでいた。感動して自転車にまたがったままカナに近寄り、銀に変わった髪をさわさわする。
「眷属……ではないと思うけど、このひとに護衛してもらいます。あ、リエちゃん撮らないで……」
こっちの世界でも魔法が使えるのは、すでに家で試していた。
ちからは魂に宿る。魔王の魔力こそなく高位魔法を連発というわけにはいかないが、自衛手段としては充分だ。
『道の安全を確認してくる。カナは二人を守れ。汝らはゆっくりと進め』
「キャー! 汝って呼ばれちゃったー! これ脈アリ?」
なんでそうなる。
リエの思考回路はよくわからなかったが、カナたちは指示どおりに、街灯だけが照らす道を自転車を引いて歩いた。
「すごい……魔法ってこうなのか……。メモっとかないと」
リュウはスマホを取りだして片手で操作している。
そんなとき、うしろから大型車が道路に入ってきた。振りむいたカナはハイビームのまぶしさに顔をしかめる。
三人は脇道にそれて、乗用車に道をゆずった。ほっと息をつくのもつかの間だ。
ほんの一瞬、運転手と目が合った気がした。別にそれ自体は自然な状況なのに、なんだか異様におそろしい。
悪い予感は的中するものだ。その黒い乗用車は、カナたちの進行を阻むように停車した。
*
車のなかからは、見るからに恐そうな見た目の男が数人、降りてきた。
「下がって!」
カナは咄嗟に叫ぶものの、後方から二台目の車がやってきて退路をふさぐ。
前方の車内ではスーツを着た眼鏡の男が、タブレット端末の画面でなにか確認したのち、サングラスをかけたスキンヘッドの男に耳打ちをした。
スキンヘッドはうなずいて、カナたちに近寄っていく。
後方からはフードを被ったパーカーの男。容姿は若いが、見るからに与太者だ。目線がおかしい。
その横にはスーツを着た強面の男もいる。屈強な腕をまくっていて、刺青が見える。
「やだ……来ないで!」
リュウとリエが恐怖で硬直するなか、カナは震える声で叫び、モップの持ち手のほうを向ける。
スキンヘッドの男はいちどその足を止めるが、すぐに距離を詰めだす。
「お前が〝書架〟の江利田カナだな」
「近寄らないで! 魔法を撃ちます!」
見るからに拳銃とか持ってそうだったので、カナは先手を打って脅した。
後方でパーカーの男が短い口笛を吹いて「そりゃ見てみたいな」とつぶやいた。どうして彼らはこんなに余裕な態度を見せるのか。
カナはすぐにその理由に気づくことになる。
『――昏眩しろ!』
カナは対象の血液をゆさぶって貧血を引き起こす魔法をとなえる。眩暈のあまり、立っていられなくなるはずだった。
そしたら逃げだしてもいいし、ハイドが合流するのを待ってもいい。
でも実際にはそうはならなかった。
男たちはなにごともなかったかのように、互いに顔を見合わせる。たしかに発動したはずなのに、魔法が効いていない。
パチンッと電気がはじける音がして、それっきりだ。
「……魔法ごっこはそれだけか?」
おかしなことはもうひとつある。
ハイドがいつまで経ってもこない。彼とのつながりが、断続的に曖昧になる。
『カナ……めだ。逃げ……』
「え……?」
『すべ……かんちが……』
勘違いって、なにが。ハイドの声はぶつぎれになっていて、聞きとれない。まるで電波の悪いラジオを無理矢理ながしているみたいに。
「……鬼龍院の言ったとおりだな。嬢ちゃん、魔法が効かねえ理由を教えてやろうか。俺たちを止めたらどうなるか考えてみな」
スキンヘッドの男は口角の片側を吊りあげながらそんなことを言う。
「世界は生まれないはずじゃ……」
それが答えだった。
事故を止めて世界が生まれなければ、ハイドの存在もカナの魔法も矛盾の産物になりかわる。
存在しないものを振りかざしたところで事故は止められない。それはただの、幻想だから。
カナは魔法を使わずに、この状況を打破せねばならないのだ。
もちろんそれに気づいたときには遅い。ひとりの女子高生にすぎないカナに、そんなちからがあるはずもなく。
「世界はかくして護られた」
スキンヘッドの男は仰々しくそうつぶやいて、カナになんらかの薬を注射した。
「先輩……」
――止められない。
おぼろげになっていく視界のなかで、どうにかリュウに手を伸ばそうとする。
抗えない暴力にさえぎられ、カナは意識をうしなった。




