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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第二章 魔王の章
79/110

#79


 王都オルキナ。

 リュウの滞在している旅館の一室に〝工房〟の総責であるカノンが訪ねていた。今日は部屋着のダサジャージではなく、西洋人形のようなドレスを着ている。


 その姿はさながら一国の王妃のようにうつくしい。しかし首元をよく見ると、その下には戦闘スーツらしきものを身につけているようである。


 相対する二人の間には魔法のチェス盤がある。

 明滅する世界の空を眺め、雑談を交わしながら対局しているところだった。


「可哀想なカナさん。きっと、頭をかかえて悩んでいるのね」


 カノンは運命を託された若き少女のことを(うれ)い、勇者のポーンを弾きとばす。

 

 世界は今、有と無のふたつの状態にある。街並みも、ひとも、動物も、空も。すべてが曖昧な状態を行き来して点滅する。


 その理由を知るのはリュウとカノンの二人だけであり、誰もが世界の危機を悟っていたことだろう。人々の喧騒も漏電するような音にさえぎられ、こわれた映像のようにぶつぎれになっている。


「治安の悪化が心配だな。これはしばらく続くだろう」


 リュウはビショップの駒を動かして、カノンのポーンを飛ばした。キングの駒があかく点滅する。チェックだ。


 マヤと見知らぬきのこの少女が訪ねてきたときは、なにごとかと焦ったものだった。まさかサーベラスが病院を抜けだして、カナを襲うだなんて。


 そのときになって初めてリュウは、アルレンが魔王を継承したことが嘘だと知った。もとより、半信半疑ではあったが。


 二人の怒りに満ちたおぞましい顔が目に浮かぶ。きっと、復讐にはしるだろう。


 次の周期ではサーベラスは仲間にしない。

 マヤに強く言われたとおり、リュウはすでにそう決めていた。


「あら、カナさんの心配はしないのですね」

「僕はカナの選択を信じているからね」


 バチチチ。呼応するかのようにひときわ大きく世界がひかる。


 リュウの望みはこの世界の消滅だった。

 カナが運命の日に東雲(しののめ)リュウを助ければ、この悲劇は生まれない。過去が変わればすべてが変わる。積み木の塔が崩れるように。


 反して、カノンの望みはこの世界の存続だった。

 彼女には二つの世界をつなげることで、果たしたい願いがあった。

 リュウの陣営のキングが点滅する。


「本当におかしなひと。まるでこころがないみたい」


 そうなるのは無理もないのだが。カノンは〝自覚者〟のなかでも古参だ。勇者が歩んできた地獄も、作りあげた地獄も知っている。


「きみだって、魔王の死を望んでいるだろう」


 カノンは周期における影響を誰よりもうけている。

 

 勇者が死ねば、開発してきたあらゆる施設が作りなおしになる。なかには勇者の本に書かれたことで消滅をまぬがれたアイテムもあるが。


「……私はそこまで落ちぶれてなどいませんよ。誰も死なないのが〝自覚者〟の願いであるはずです」

「認められないだけさ」


 チェックメイト。チェスはリュウの勝利だった。そこそこ得意なボードゲームで負けたことに、カノンは動揺を隠せない。いや、それとも動揺したから負けたのか。


 達観したような眼差しでリュウは言葉をつけ加える。


「そんなきみには悪いけど、この周期は僕が死ぬべきなんだろう」

「それは……カナさんのためですか?」


 カノンの詮索にリュウはうなずいた。


「今エルフのカナは仮死状態で石化しているそうだ。エルフの高い治癒能力をもってしても、乗りきれる状態ではないだろう。魔王が死ねば、カナは間違いなく気負うだろうね」


 そこから生じるゆがみは、かつてないものになるだろうと勇者は予測を立てていた。


「自殺、するつもりですか?」


 重苦しい空気のなか、カノンはおそるおそる問う。


「あるいはきみが楽に殺してくれればいいが」

「……ひとを殺めるものは作りたくありません」

「安楽死は殺人なのか?」


 カノンはうつむき、雪のような髪で表情を隠す。嫌なところを突いてくる男だ。

 嫌悪感を募らせながらも、彼女は懐から薬剤を取りだし、そっと勇者に差しだした。

 

「これは〝自覚者〟に無償で配布している薬です」

 

 一錠で仮眠、二錠で熟睡、三錠飲めば即失神。

 そんなうたい文句で配布している睡眠薬だと、カノンは説明する。


「これを一気飲みすればいいのか?」

「いいえ。飲みすぎると心臓が先に止まります。五錠ほどが適切な致死量ですが……。苦しみを感じない保証はしません」

「物騒だな」


 そう言いながらもリュウは、その錠剤を自身のポケットにしまった。


「それが支えになるひともいるのよ」


 カノンは立ちあがると、いちどお辞儀をして部屋を去ろうとする。


「もう行くのかい?」

「貴方の様子を見にきただけですから。お互い、求める未来は異なりますが祈りましょう」


 カノンは振りかえってほほえみながら、リュウに別れを告げた。

 すべてを決めるのはカナだ。思想をぶつけあったところで意味はない。


 混乱する民衆と、それをおさえようとする兵士。

 この構図は王都のみならず、存在するすべての町村で起きていることだった。


 どこかの草原には、世界の明滅など気に留めることもなく、復讐の炎をこころに(とも)す魔法使いが。

 どこかの湖の底には、臆病なあまり戦禍から逃がれたことを後悔する、半透明なスライムが。


 どこかの険しい岩山の洞窟には、異常な世界に怒りを募らせ咆哮(ほうこう)をあげる獣人が。

 どこかの病院の一角には、希望をうしないおだやかにおわりを迎えようとする聖女が。


 そのとき世界はおおきくうねり、ねじり変わろうとしていた。

 さなぎから蝶が羽化するさまを、人々は気づかぬうちに眺めている。

 すべての蝶が天に羽ばたくわけではない。

 

 されど多くの人々が、そうなることを望んでいた。



 *



 カノンが去ったあと、リュウは机上に史録をひらき、あたらしい文章を紡ごうとしていた。


「こんなひどい状況は、書くべきではないだろうな」


 犯罪が起こりそうな状況を窓から眺めながら、リュウはつぶやく。

 

 多くを(つづ)れば、次の周期におけるカナの負担もおおきくなる。ともすれば、記述は最低限のほうがいい。


 リュウは世界で起きたことを正確に記すようにつとめてきた。それはひとえに〝悪の周期〟でこの史録の禍々しいちからを思い知ったからでもある。


 歴史を作れる本だなんて、ひとりの手に渡っていい代物ではない。すでにリュウにはその自覚があった。


 そんな彼が情報の取捨選択をしようとするのは、久しぶりのことだった。それもまた、カナのもたらしたゆがみなのかもしれない。


「きみには意志があるんだろう」


 リュウは史録に声をかける。もちろん反応はない。

 けれど永きにわたる旅路のなか、そんな確信がリュウのなかには芽生えていた。


「ならば教えてくれ。僕はなにを綴ればいい? 向こうにいるカナに、なにを残せばいい?」


 世界の点滅は少しずつゆるやかになっている。

 数秒を消滅することもあるようだ。それを観測できる者はいない。


 されどいきなり位置がズレる空の雲や、時計の針がそれを知らしめている。カナの答えが、定まりつつあるのだろう。


 きっと人々は、自身が消えることに気づかない。


「きみはなにも背負わなくていい。だからどうか、僕を助けてくれ……」


 リュウは藁にもすがる思いで、空を見つめながらつぶやいた。

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