#78 究極の選択
ピピピピ。ピピピピ。
聞きなれない電子音が、カナの頭のなかで鳴っている。
ベルとか、シンバルの音も鳴っている。
まったく聞き覚えのない知らんひとのパンクロックが大音量で流れはじめる。
「はあっ!」
カナは咄嗟に飛び起きた。すかさず額をガード。竹刀はない。
頭が痛くなるほどの騒音に満ちあふれるのは、カナの自室だった。大量の目覚まし時計が鳴っている。それと知らん洋楽。
「帰って……きた……?」
時刻は朝の五時。まだ外はうす暗い。
ひとつずつ目覚ましをだまらせて、カナは日付を確認した。
イチイチイチゼロ。運命の日まではまだ余裕がある。
向こうの世界で死亡したら、もとの世界にはもどれなくなる。カナがそこにいるのは〝書架〟の役割をうしなわずにもどってこれたからだった。
「……最悪だ」
カナのこころはかつてないほどに疲弊していた。借り物の身体に致命傷を負わせてしまった。それだけでなく、まるでみがわりにさせるかのようにもとの世界にもどってきた。
せめて生きていると信じたかった。そうでなければ本がやってきて、世界はやりなおしになるはずだ。
そしてそうでなければ……カナはひと殺しにも等しい者になってしまう。ただでさえ苦悩で頭が鉛のように重いのに、そうなればきっと耐えられない。
「おかーさん……」
すぐにでも母に抱きつきたいところだったが、あいにく早朝でカナの母はまだ寝ている。今日は土曜日で学校は休みだ。
カナは病人のように立ちあがりながら、部屋に置いてある身鏡で、自身の顔を確認した。
目のしたの紋様は線が増えて、複雑なかたちに変わっている。化粧で隠せるからこれはいい。
それよりも、髪のインナーがなんかあおい。勝手に染められている。当然だが、それを責めたてる資格は今のカナにはなかった。
弱々しく、ベッドに顔を伏せる。しばらくのとき、なにもする気が起きないままカナは泣いていた。
*
カナは決断せねばならなかった。
九日後にリュウは事故に遭う。助けるのか、助けないのか。
「カナ、朝ごはん食べないの?」
「……食べるよ」
カナ母はカナがもどってきたことを喜んだが、様子がおかしいことにはすぐに気がついていた。
朝食は特盛のフレンチトーストだった。一枚のお皿を二人で共有している。食パン一斤まるごと使っていて、重い。
「向こうでなにかあったの?」
切りわけられたトーストをフォークで刺しながら、カナの母はやさしく尋ねる。
「…………」
なにもないよ。心配かけまいとそう答えたかったが、口が裂けてもそんなことは言えなかった。食事がのどをとおらない。
「話したくない? こっちでなにがあったか話そうか。カナ、あなたったらね――」
「やめて……!」
カナはフォークを机に置いて、両手で耳を覆った。なにを聞かされても、罪悪感が口からあふれでそうだった。
「カナ……。つらいことがあったのは見ればわかる。でもそれは、かかえこんじゃダメ。あなたはやさしい子だから、ほっておいたら積みかさなって、つぶれちゃう」
「……わたしは、そのやさしさが憎いよ」
声を震わせながら、それだけつぶやく。
古代人のちからを借りて強力な魔法が使えるのに。
結局自分がよわいから、だれかを傷つけてばかりいる。
フューリィは滅びたし、エルフのカナも瀕死だ。
やさしいだなんて綺麗事だ。それは単なる弱みにしかならない。
それでもカナの母は首を横に振って、それを否定した。
「どこの誰がなにを言おうと、あなたのやさしさはひとつの武器よ。もしもそれを責めるひとがいるなら、それはそのひとが自分のよわさを隠したいだけ」
カナは気づけばわんわん泣いていた。
「だっで……! わたしがちゃんとしてれば……!」
誰も傷つくことはなかったはずだ。
「あなたの失敗を、だれかが責めた?」
「責めないよ! でもそれだけのことをした!」
誰かが不幸になるのはダメなのに。結局みんなを不幸にしている。
『お前のせいで世界がゆがんだ』と面を向かって言われたことは、カナの脳裏から離れない。
「メッセージは見た?」
「え……?」
カナはスマホの画面をだして、メッセージを開いた。
史録を探している人物から返事がきていた。エルフのカナが勝手にやりとりを残してる。なにが『それ私が伝えとくよ』だ。自撮りを載せるな。
「もうひとりのカナは、あなたのこととっても褒めてたわよ。勇気に満ちた人間だって。たやすく真似はできないだろうって」
「わたし、そんなんじゃない……」
「ほかのひとに、そう言われたの?」
カナは首を横に振る。
自分のことは自分がよく知っている。その認識が、ひょっとすると間違いなのか。
「わたしは許されないことをしたの……」
「ならまずは、私がそれを許してあげる」
「みんなの未来を決めなくちゃいけないの……」
「私が一番にそれに賛成してあげる。だって私、あなたのママだし」
なにも知らない母の言葉に、されどカナの荷は半分になった。
フォークでトーストを串刺しにする。一枚、二枚、三枚四枚。まるごと口に押しこんだ。
「はふへんほへふ」
「え?」
「はふへん」
カナはがたっと立ちあがり、食べかけのお皿を自室にもっていった。
「私もまだ食べてる……」
カナ母の言葉はもう充分で、とどかなかった。
して、カナの自室。フレンチトーストは机の上。
「ハイド、あなたいるんでしょ?」
『……ああ』
彼の言葉にカナは安堵した。ひとりじゃないんだ。
「……いっしょに決めよう。〝勇者〟と〝エリュシオン〟――どっちを救うか」
結果いかんでハイドは消える。それでも彼は、カナの言葉にこころのなかでうなずいた。




