#76
森のきのこの数々にはゴーストたちが宿っている。
サーベラスからしてみれば、目に映るすべてが敵対する者といっても過言ではない。
それでもなお、彼の進撃は止まらない。巨大きのこが行く手を阻もうものなら八つ裂きにして、しいたけのマンドラゴラの群勢はよもや相手にされてすらなく、触れるまえに吹き飛ばされる。
骸骨の兵士もばらばらにされ、よもや彼を止められるのは古代の意志たるヘネだけなのかもしれなかった。
「厄介なものを生み出して……やはりあれは魔王、ですな」
汗をぬぐいながらふたたび駆けようとしたとき、胞子の霧がサーベラスの視界を隠す。
「そ、そこの獣人。これ以上の破壊行為はゆるしません。なんじを敵とみなし排除することになるから、おひきとりください」
ヘネはきのこの陰から顔だけ覗かせながら侵入者に警告する。ゴーストたちがカナの危機を伝えたことで、すぐに森の異変に気づくことができた。
「……この危険な気配。魔王の配下といったところですかな」
サーベラスは上に着ていたシャツを脱ぎ捨て、巨大化していく。
「あの姿……凶獣化ですか……?」
咄嗟にヘネは身を守って伏せる。直後、その場一帯にあおい炎をともなう大爆発が起こった。
*
カナが転移したころには、幻想的でうつくしかったきのこの森はめちゃくちゃにされていた。
「これ、ぜんぶサーベラスさんがやったの……?」
戦禍から逃れようとするゴーストやきのことすれちがうように、カナは黒煙のたちのぼるところへと向かう。
『待て、カナ。この威圧感、かなり危険だ』
「待たないよ。ヘネを助けなきゃ!」
『我々はもとより霊体だ。実体が滅びても消えるわけではない』
ハイドはカナの選択にずっと反対している。魔力が少ない状態でうかつに動くべきではないと。
「友だちが傷つくのを見たくない!」
『ならばなおさら行くな。ヘネはメンヘラだがまちがいなく強い』
よくそんなナウい言葉知ってるな。古代人のくせに。
カナはいちど足を止めて、息をととのえた。
「サーベラスさんにも……勝てるの? あの人……凶暴化するよ」
『凶獣化だ。古代にもあった獣人の特性。だから行くなと言ってる。やつの嗅覚にとらわれたら、標的はまちがいなく――』
ハイドがこころのなかで話すさなか、森の奥から巨大な人狼が姿をあらわした。『カナに変わるぞ……』うん、見ればわかる。
「見つけたぞ、カナ……」
その人狼は先ほどまでのサーベラスとはまるで風貌がちがう。かつて塔のまえで披露したものともかけ離れていた。
全身を覆うのはまっしろな体毛で、あおい炎を手足にまとっている。そしてその眼は血のようにあかい。瞳孔の向きはさだかではないが、カナのほうを見下ろしているのがわかる。
その姿はおぞましくもあり、そして神々しくもあった。
サーベラスは地響きをおこしながら、一歩ずつカナににじりよっていく。
「サーベラスさん、戦うのをやめてください!」
「…………貴様、まさか。その呪いのような言葉で勇者を惑わしたのだな……!」
「なにを言ってるの……?」
サーベラスはカナの言葉にしたがって、攻撃の手を止めていた。敵意は残ったままだが、戦意を感じない。
まさか、魔モテのちからが効いてるのか。
『そうか。凶獣とて魔獣の派生。その可能性がたかい。だが警戒をおこたるな。罠かもしれない』
こころのなかのハイドに、カナはうなずいた。
「サーベラスさん、聞いてください。信じてもらえないだろうけど、勇者か魔王が死ぬとこの世界の時間は巻きもどってしまうんです。だからわたしを殺さないでほしくて……」
サーベラスは〝自覚者〟ではない。突拍子もないことを言うイカれた女だと思われてもおかしくないことを、カナは真剣に告げる。
「――知っている。そんなこと」
「え?」
予想外の反応に、たまらずカナは目を丸くした。
「古来より、犬やその獣人は時間をつかさどる高潔な存在としてあがめられてきた伝承がある。その名残か、ときに犬種の獣人は悪夢にうなされるのだ。そこで見るのは並行世界における未来だと言われているが、実際はちがうのだろう」
犬の獣人は、過去の周期で起きたできごとを夢で見るらしい。
サーベラスには勇者の仲間として同行するかたわら、考古学者として過ごしてきた記憶がある。自身のルーツを探求するうちに知ってしまったのだろう。この世界の構造についてを。
「記憶は引きつがないけど、なにがあったのかはわかるってこと……?」
カナの問いに、サーベラスは「そうだ」と告げた。
「我はいつも悪夢を見た。勇者があらゆる因果によって死ぬ夢だ。それを止めるため、我は強くなりつづけたのだ」
勇者の死を、回避するために。ならばその目的は〝自覚者〟と変わらない。敵対する理由なんてないはずだ。
「わたしたちは勇者と魔王が共存できる道を探してるんです。サーベラスさんも協力してください!」
「ウガアアアアアアアアアアアッ!」
カナの必死な懇願をさえぎるように、サーベラスは牙をむきだしにして吼えた。強制力から逃れようとしている。聞こえなければ通じないのだとしたら、まだ懸念がある。
「自分を傷つけないで!」
サーベラスが自身の耳を裂こうとする直前、咄嗟にカナは命じてその腕を止めた。彼の本気が垣間見える。立派な聴力を捨ててでも、カナの支配から脱しようとしている。
「蠱惑の魔女めが……!」
つよい憎しみを向けられて、たまらずカナは泣きだしそうになった。きっと良心に訴えかけるその態度すら、サーベラスからしてみれば邪悪なものに見えたことだろう。
「わたしは……そんなんじゃないよ……。わたしがゆがみってなに……。教えてよ、なおすから……」
「勇者は魔王に大敗した。しかしなんどでも立ちあがるはずだった。それが貴様がきて勇者はどうなった……! まるで腑抜けてしまったではないか!」
貴様のせいで、貴様のせいで――。サーベラスは言の刃をひたむきに突きたてる。
「わたしが、魔王になったから……?」
「そうだ。貴様は――勇者のこころを折ったのだ!」
永きにわたる旅において、彼のせなかには巨悪にも屈しない尊大な大義ができあがっていた。
ときには忠実な仲間として。
ときには頼れる師範として。
勇者を導いてきたところに、カナはやってきた。そして魔王に成りかわることで、勇者の旅を終わらせた。
――〝勇者の憧憬〟としての役割を果たしてきたサーベラスは、その存在意義をうしなった。
「だが我はちがう。誰が魔王になろうとも、断じて屈しなどせぬッ!」
彼は周期をまたがない。だからなんど繰り返そうが、魔王を殺しにやってくる。
「……あなたは本にとらわれてる」
カナがサーベラスに投げかけてやれるのは、その一言だけだった。目には見えないが、彼には呪いの首輪がついている。鉄鎖をほどき、彼を解放してやれるのは――たぶん、勇者だけだろう。
「それでも構わぬ! 恨まれても構わぬ! それで勇者の意志がふたたび灯るのならば……我は貴様を迷いなく殺す!」
もはや、どうすれば止まってくれるかという話ではない。彼を止めねばならない。どこかの村でのどかに暮らす、考古学者にもどってもらう。
そうしなければ……自分だけでなくみんなが不幸になる気がした。
「……凶獣化をといてください」
言葉をさえぎる隙もあたえず、カナは早口でそう命じた。
「うぐ……ウガアアアアアア……ッ!」
悲嘆の混じる咆哮もむなしく、サーベラスはもとの姿にもどった。それでもまだ、油断はならないのだが。
地に膝をつき「くそう、くそう」と嗚咽をこぼす彼の姿に、罪悪感がないといえば嘘になる。
それでもカナは、つとめて冷静に決別を告げた。
「王都に帰ってください。もう、わたしたちに干渉しないでください……」
「ウウウウ……!」
しかし妙なことが起きた。帰れと命じたのに、サーベラスは立ちあがろうとしない。彼もまた、そのことをすぐに自覚した。
直後サーベラスはゆらりと立ちあがる。気のせいだろうか。
『カナ、だめだ!』
「え?」
わずかな油断。ハイドの必死な呼びかけの意味がわからない。
『ちからが通じていない!』
魔モテの性質は獣人にはおよばない。
それに気づいたころには遅かった。めまぐるしい速度で距離を詰め、太いうでを振るいあげる獣人。カナが最後に見たのは、そんな光景。
獣の爪牙が喉元を裂き、鮮やかな赤が森を汚した。