#71
カナたちは客室にて机をかこみ、マヤの持つ手紙の内容に耳をかたむける。
§
『私たちの最愛の娘、マヤへ。
この手紙を読んでいるあなたは、きっとおどろいていることでしょう。
あなたがジンの書斎で目にしたものは、すべて真実です。
私たちは馬車の滑落事故で命を落としたあなたの両親。それはつくりだされた偽りの記憶でまちがいありません。
私たちは繰り返しの世界を認識できません。それに気づけたのは、ひとえにカナのおかげです。
カナが村に呼びよせた霊体が屋敷にやどったことで、私たちは一時的に実体を得ることができたのです。
彼女には感謝をしてもしきれません。このように、あなたにメッセージを残すことができたのですから。
マヤ。世界でいちばん大切なあなたに、この手紙とともに杖を贈ります。
本当は、あなたが十歳の誕生日をむかえるころにプレゼントしたかったものです。このようなかたちになったことを許してください。
そしてどうか、私たちの形見だとおもって大切にしてください。
お誕生日、おめでとう。
マヤ。あなたがこれから目の当たりにするすべてのものは、決してつくりものなどではありません。
よくみて、触れて、あるいは香りをかいでみて、それを全身で感じとってください。それがきっと、いずれあなたの糧となるでしょう。
貴族たるもの、ときには厳しい決断をしいられることもあります。人間ですから、まちがえることもあるでしょう。
迷ったら、民の味方をしなさい。そして、民を頼りなさい。困難に屈さず、あなたがすこやかに成長することをねがっています。
そして親愛なるあなたの旅路が、ひかりに祝福されるものであることを祈っています。
私たちはいつもあなたのそばで見守っています。どうかそのことを忘れないで。
あなたの母 アプリル・ロックフット
あなたの父 ヤヌス・ロックフット より』
§
マヤはゆっくりとその手紙を机に置いた。そしてすすり泣くのを隠すように、横にいたカナに抱きついた。
「四人じゃなかったんだ……!」
マヤは弱々しい声で、そうつぶやく。
勇者がやってきて、世界がひろがったその瞬間から、コペラ村の屋敷には霊が住みついていたということだ。
それが男のえがかれた肖像画と、ペンダントのなかの家族写真だった。
そして二人がみた白髪の少女・リルは――どうやらマヤの母親だったらしい。ゴーストたちが村から撤退したことで、彼女は消えてしまったようだ。
「マヤ、杖もあるよ」
カナは優しくマヤの髪をなでながら、杖を手にとるようにうながした。きっとそれが、マヤのこころの支えになるはずだ。
マヤは宝箱から、みじかくて飾り気のない、まっしろな杖を取りだす。直後、杖の先にあかい粒子が渦をまくように集まり、燃えあがる炎のような宝石が生成された。まるでマヤを所有者としてみとめるかのように。
「……あったかい。これ〝魔導具〟だわ。明らかに、ふつうの杖とはちがう」
それを始動させると、杖はマヤの背丈と同じほどのおおきさに、かたちを変えた。ちからづよい火のオーラと、おだやかな木漏れ日のオーラをまとっている。
きっとそれは、マヤの両親のちからの象徴なのだろう。
なんの根拠もないが、そこにいた誰もがそう感じていたにちがいない。
「……そうか。まがいものではなかったんだな……」
ジンは目頭をおさえながら、そう確信する。彼の手袋が少しずつ涙にぬれていくのがみえる。大のおとながうなるように号泣するのを、カナははじめて目の当たりにしていた。
ジンもセネットも、もとよりマヤの両親に仕えていた身だ。親にかわってマヤを立派に育ててきた二人は、このとき誰よりも報われていたにちがいない。
「ジン、セネット。あたし、立派な領主になるわ。もちろん、世界でいちばんの魔法使いにもなるけどね。……だから、これからもあたしを支えてね!」
マヤの両親は、たしかに存在しない。
けれども、はじめからそこにいたのである。
三人がわんわんと泣きながら抱きあうのを、カナはほほえましく、ヘネは滝のような胞子を流しながら見守っていた。
ふとカナは疑問に思うことがあった。
この世界にはオバケがいる。ガス状のコアを持つ霊体型モンスターだったり、ゾンビや骸骨のような不死型モンスターだったり。彼らは死より生じて、聖なるひかりに照らされると消える。
ともすれば、死とはいったいなんなのだろう。哲学的な問いの答えは、すぐに得られそうもない。
そんなときだ。
壁に立てかけられた肖像画が、さりげなくおだやかな笑みを浮かべるのを、カナは視界のすみに見た気がした。
いつもそばに。手紙に遺された一節が、脳裏をよぎる。
気のせいかとじっくりながめていると、肖像画の男はとつぜん、カナのほうを見てウインクをした。あるいは、そういう幻覚をみた。
「あ……! きゅう……」
結局のところオバケはこわい。カナはまたもや白目をむいて気絶して、疲れて眠ったと勘違いしたジンに寝室へと運ばれるのだった。
*
魔物たちも寝静まる真夜中のころ。
ぴょいん。ぴょいん。
軽やかな身のこなしできのこの森をすすむ一匹のスライムがいた。幻想的なあかりが照らすようになった森だ。天敵を呼びよせがちなコアの明滅も些細なもので、それに気づく者はいない。
スライムは知性をもたない。彼らにあるのは羽虫とも等しい生存本能だけで、危機とみとめれば相手がひとの子供であろうが一目散に逃げだしていく。
そんなスライムがなんの迷いもおそれもなくすすむ先には、純白の塔があった。動力源であるマヤの魔力もうしなって、闇に覆われた塔のなかに、さりとてスライムはまっすぐと入っていく。まるでそこになにがあるのかを、知っているかのように。
塔をすすむスライムの足音はしだいに遠くなっていき、やがては闇のなかへと消えた。朝がやってきても、スライムがそこから戻ってくることはついになかった。




