#70 存在するあなたへ
夕刻。マヤはカナを引きつれて村の様子をたしかめにきていた。ジンとセネット、それときのこのヘネは荒らされた屋敷を片づけている。
正気を取りもどした村の人々はいまだ混乱しており、阿鼻叫喚の光景が広がっている。小川こそ、もとの爽やかなせせらぎを奏でていたものの、かたちの変わった家屋や樹々は、ゴーストが抜けでてもそのままのようだった。
「なんか……ずいぶんと個性的な村になっちゃったわね……」
ひとしきり村をめぐったあと、マヤは高台からその景色をながめながら、げんなりしていた。
されど絶望するほどではないようで、復興に対しては前向きのようだ。
ある村民がマヤを見つけたとき、こう提案した。観光業に注力すべく村の変貌ぶりをそのままにしておくべきでは、と。たしかに村の景気がよくなるならば、ない話でもないようで、マヤは悩んでいる。
そんなおり、遠方からから二人を呼ぶ男の声がひびく。
「おーい、マヤ様、カナ様ー!」
まわりに対する遠慮もなく腕をぶんぶん振るうのは、憲兵のギルだった。なにやら、ひどくやつれている。それなのに、その顔はどこか満足げだ。
「ギル。無事……だったの? ひどい顔だけどだいじょうぶ?」
「ええ、おかげさまで……。お二人が村を救ってくださったのですね。ありがとうございます」
「ゴーストの親玉とは話をつけてきたから、それはこんど村のみんなに説明するわ」
ギルはなにやら残念そうにほほえみながら「そうですか……」とつぶやいた。なんかあやしいぞこいつ。
「あいや。じつは霊体の影響で反抗期だった娘がすなおになってくれまして……。妻も、その……ねえ?」
疑念のやどる眼差しに気づいたギルは照れくさそうに笑って、それをごまかした。ねえ、と言われましても。
「道中で踏まれてたおじさんもまんざらでもない様子だったし……悪いことばかりでもないのかな……」
「判断の基準かえよう?」
たまらずカナは突っ込んだ。
少なからず、ギルは霊体の侵攻によってなにかイイことがあったようだ。いやらしい笑みを隠しきれていない。
「と、とにかく。村を救っていただいたお礼をしたかったのと……。どうか、職務を放棄したことへの処罰は大目にみていただきたく……」
「ああ、そんなことか……。かまわないわよ。ただし村の復興に力を尽くしなさい」
マヤがそう告げると、ギルは安堵の表情をみせた。よほど気負っていたようだが、彼がいなければ二人はなにも知らないまま村の惨状を目の当たりにしていたことだろう。
そう考えれば、助けを求めるべく夜通し駆けたギルの行動は、むしろ賞賛すべきことだった。責任を問う道理などありはしない。
ギルはあらためて頭をさげると、自身の仕事にもどるべく駆けていった。
「あたしたちも帰りましょう」
太陽が沈むのを見届けて、マヤは踵を返しながら言った。カナも「うん」とうなずき、それにしたがう。なんだか今日はどっと疲れる一日だった。魔力をたくさん使ったこともある。
この世界にきて、カナはいろんな知り合いができたことを実感していた。次はどんなひとと出会えるのだろう。かつては考えもしなかったことが頭に浮かぶ。
――帰りたくないな。
以前から募らせていた感情は、日を増すごとに強まっていた。ネットを駆使して本を探そうとする者たちの気持ちが、痛いほどよくわかってしまう。そうならないためにも、後悔のないように過ごさなければ。
カナは邪な考えを押しころして、マヤの横にならびながら屋敷へともどった。
*
「ただいま」
二人は屋敷に着いた。事件がひと段落して、ようやく帰ってきたという実感が湧く。
「主人ぃ……!」
ヘネが泣きべそをかきながら、逃げるように二人を出迎えた。メイド服を着た……着せられていたヘネはそのまま、カナの背中に隠れてしまう。
やがて奥の部屋から、セネットがやってきた。
「マヤ様、おかえりなさいませ。カナァ! あんたはもたもたせずに着替えてきな! まさかただで寝泊まりする気じゃないだろうね!」
「ひいい……!」
当たり前だが対応の落差がはげしい。カナはいったん離脱して、屋根裏部屋に着替えにもどった。
カビのにおいの混ざった樹木の独特なかおりがなつかしい。クローゼットの衣服も、質素なベッドも、格子窓から見える景色も、あの日のままカナを待っていた。しかしオバケと一悶着あったばかりである。ふつうに怖い。
腰元のベルトをぎゅっと締め、カナはメイド姿になった。腰まわりこんなにきつかったか。
して、エントランスにもどると全員が集合しており、なにやら問題に直面しているようだった。
「ど、どうしたんですか……?」
「客室の点検をしていたとき、ななめに傾いていた肖像画が落下しまして……」
カナがおそるおそる尋ねると、ジンがそう答えた。奇妙なことに、この屋敷は霊体の侵攻をうけて建物がゆがんだりしなかったらしい。
ぶちまけられたトマトも、かじられたお皿も、すべて綺麗に片づけられていた。まるで何事もなかったかのように。
「それで、壁のなかからこんなものが……」
とジンが見せてきたのは、ちいさな宝箱だった。いつからあったかはわからないが、肖像画のうらに隠されていたようだ。
「なにが出るのかわからないから、カナが来るまで開けるのを待ってたの。魔物だったら止められるでしょ」
マヤはジンにうながし、ジンは持っていた宝箱をおそるおそる開く。
そこにあったのは一枚の手紙と、光沢のあるまっしろな杖だった。紙の質感はまだあたらしい。最近入れられたもののようだが、誰にもこころあたりはない。
不思議に思って、マヤは手紙を手にとった。簡素な書きおきだ。便せんに入っているわけでもなく、なんらかの本からちぎったものにみえる。
その直後、マヤは手を震わせながら目を丸くした。
「……ママの手紙だ」
それを聞いたジンも、同じくおどろいていた。
それはこの世に存在しない者から、マヤに宛てて送られたものだった。




