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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
7/110

#7


 円満な送り出しなど、起こりようがない状況だった。


「追いかけなきゃ……」


 カナは無心で屋敷を出て、塔のある方向に駆けだした。いくつもの木の根を踏み越えるさなか、本がえがく運命に干渉したことを自覚する。


 途中、森の一部に焼け焦げた領域があることにカナは気づいた。初めて見る、戦闘の痕跡だ。


 熊ほどの大きさをした猛獣の死体もある。凄惨な光景だが、マヤが足止めされていたとすれば、少なからずまだ追いつける可能性が残っているらしい。


 屋敷を飛び出してどれくらいの時間が経っただろうか。(つの)りはじめていた不安感が、ついにカナの足取りを止めた。


 そこは鬱蒼と茂る森のどこかで、目印などありはしない。林床は暗く、今進んでいる方向が本当に正しいのかすら、もはやわからない。


 ただ、希望がないわけではなかった。息を整えていると、どこからか水の流れる音が聞こえてきたのである。


 このときカナは、エルフの優れた聴力に感謝した。清流をたどれば、少なくとも村に戻ることはできる。カナは水の音がする方向に向かった。


 やがてたどり着いたのは、大きな湖だった。視界が広がり、その向こうには目的地とおぼしき白い巨塔が(そび)えたつ。


 カナはほっと胸を撫で下ろした。しかし湖のほとりに沿って進み始めたとき、危機は訪れた。


 数匹のスライムの群れが、カナの行く手を阻んだのである。


「なんで……? 魔除けの力があるんじゃ……」


 草原で(もてあそ)ばれていたことを思い出し、カナは進むのをためらってしまう。


 ここにいたるまで魔物に襲われなかったのは、魔除けの力のおかげなのではなく、ただの偶然に過ぎなかったのだ。

 それに気づくと、みるみるうちに血の気が引いていった。


 スライムの中身が点滅し、カナを取りかこんでいく。

 咄嗟(とっさ)に、カナは足元の小石をスライムに向かって投げた。当たらない。否、当てる気になれず、わざと外したのだ。ノーコンじゃない。


 びっくりして逃げて欲しいという淡い期待はすぐに(つい)えた。


 スライムはそれを宣戦布告と認識したらしく、カナに向けて一斉に飛びかかる。

 ダメージこそあんまりないが、濡れ雑巾を四方から投げつけられるような感覚に、カナの尊厳が傷つけられていく。


「やだっ。やめてええ……えぶっ」


 何発か攻撃を受けたカナが必死に懇願すると、思いもよらないことに攻撃が止んだ。

 きょとんとして、思わずカナはスライムに問いかける。


「あなたたち……言葉がわかるの?」


 スライムは何も答えない。


「……わ、わたしから離れて! ……ください、お願いします」


 カナがそう命令……ではなくお願いすると、スライムたちは指示通りに彼女から遠ざかった。


 何となく、彼らとの繋がりを感じ始めていた――その直後だ。


 森の中から何者かが飛び出して、スライムをまたたく間に追い払ってしまった。


「あ――」

「お怪我はありませんか、カナさん」

「ジンさん……!」


 安心させられら声音に、カナはたまらず泣き出しそうになった。


「探しましたよ。追いつけてよかったです……」

「スライムたちが……」


 ジンが現れるや、敵対すらせず蜘蛛の子を散らすように逃げていったスライムたちは、すでにカナの見えないところに隠れてしまった。


 彼らに言葉が伝わったように見えたのは気のせいだろうか。


「取るに足らない相手ですから、ご安心ください。ただ水辺にいる時は気を付けて。彼らは水を得ると活発に動きますので」

「そ、そうなんですね……」


 その取るに足らない相手に二度もボコられたのだが。

 エルフに備わると聞いていた魔除けの体質も、まるで機能していないようだ。


 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。マヤとの合流が最優先だ。


「ここに来れたということは、本の拘束から逃れたんですね」

「……そうだと良いですが。先日、自身に残した書き置きが功を奏したかもしれません」


 カナが屋敷を飛び出したとき、ジンはそれを呼び止めることもせず、普段通りの職務に取りかかっていた。何の違和感も感じぬままに。


 普段通りの生活を強いられるような制約を受けていたということだ。


 そして彼が自室に戻ったとき、自身に宛てた書き置きが目に留まった。


『カナとマヤを助けろ。運命を信じるな。全ての記憶を、心を疑え』


 自分の筆跡で書かれたそれを見た瞬間、彼は激しい頭痛に(さいな)まれ、正常な記憶を取りもどした。そして、全速力でカナを追いかけたという。


「気をつけてください。今のこの状況が、勇者が作ったものなのか、貴方がゆがめたものなのか――私たちに判断は出来ません」


 カナはジンの言葉を肝に銘じ、二人は塔に向けて駆けだした。



 *



 やがて二人は塔のふもとにたどり着いた。

 純白に染められた金属質の外壁には、窓の一つも見当たらない。ただ巨大なだけで空虚すら感じさせる様は、明らかに異質だ。


 塔にいたるまで、舗装された道すらないのだ。塔が建てられた目的も、マヤの血族がこれを守ってきた理由も、さっぱり見当がつかない。


「マヤ……マヤはどこ?」


 二人は塔の外周を進むと、そこで茫然と立ちつくすマヤの姿を見つけた。


「マヤ様!」


 ジンが呼びかけると、マヤは二人に気づき振り向いた。直後、まるで魂が抜けたかのように倒れてしまった。

 ジンは慌てて駆け寄り、マヤを介抱した。


「嘘……でしょ……?」


 カナは生まれて初めて目の前で人が倒れるのを見て、半ば混乱していた。足がすくんで、近づくことさえできないでいる。


 この世界で初めてできた友達が――死ぬかもしれない。絶望が目を覆い、視界に映るもの全てが無意味に見える。


「大丈夫です。疲労で意識を失っているだけです」


 ジンの言葉で、カナは理性を取り戻し、その場にへたり込んだ。


「よ、よかったぁ……」


 しかし、何者かの襲撃を阻止するまでは安心はできない。


「戦闘で魔力を使いすぎたようです。すぐに目を覚ますでしょう」


 ジンの言う通り、マヤは彼の声に気づき目を開けた。

 そして一言、弱々しい声で彼に尋ねる。


「ジン……。あたしの一族は――罪人なの?」


 予想だにしなかった質問に、ジンは目を丸くした。


「突然、何をおっしゃるのです。貴方は(ほま)れ高き〝守護者〟です。そうでなければ、私は貴方にも、貴方のご両親にも仕えようとはしなかったでしょう」


 マヤの目元から、抑えていた涙が(あふ)れだした。彼女は何かに怯えながら、恐怖にふるえた声でジンに問う。


「――じゃあ、塔の中に何があるのか教えてよ」

「申し訳ありません。そこまでは存じておりません……」

「でしょうね……。塔の扉は過去何百、何千年も開かれていなかったもの……」

「マヤ様……もしや――」


 ジンの腕にかかえられたマヤの眼差しは、どこでもない遠い場所に向いていた。


「……ごめん、無理よ。――あたしには、荷が重すぎる」


 か細い声でマヤはそうつぶやき、カナも確信した。

 マヤはもう、塔の扉を開いたんだ。


「マヤ様、貴方はご立派ですよ。ご自身の力で危険な森を抜けたではありませんか」


 ジンの言葉に、マヤは嗚咽(おえつ)を漏らす。


「勇者様に実力を証明したかったの……。カナが、先に仲間に誘われるなんて思わなかったのよ……」

「……確かに、おかしな話です」


 ジンは勇者たちに対して懐疑的な念を募らせていた。

 時を同じくして、森のなかから勇者たちが現れた。


「ようやく追いついた……。みんな無事かい?」


 旅に慣れた者たちと言えど、リュウとミラの呼吸には疲労が垣間見える。

 獣人のサーベラスだけが、普段と変わらぬ様子を見せていた。


「勇者様……」

「貴方は執事の……ジンさんでしたね。二人を守ってくれてありがとうございます。……まさか先に出発してしまうとは思わず、救援が遅れてすみません」


 リュウの一挙一動は、本の力でジンの運命を操作しているとは思えぬほどに自然な振る舞いだった。


 演技なのか判断もつかず、これ以上関わるべきでないと確信したジンは、マヤを抱きかかえたまま立ち上がる。


「帰ります」

「……マヤに一体何が?」


 リュウの問いにジンは何も答えなかった。

 しかしそれはまずいと判断したのか、マヤが代わりに答えた。


「勇者様、扉を開いてはダメよ。あの中には――絶望しか入ってない……」

「何だって……?」

「好奇心で封印を解いちゃったの……。世界を救う糸口なんか、絶対ないから!」


 ジンは歩みを止めず、マヤの声は勇者たちから遠のいていく。

 ミラは慌ててジンを追いかけて、両手を広げて彼の行手を阻んだ。


「あ、あの! その子を離してください!」

「……お断りします。マヤ様には休息が必要ですので」

「私たちにはマヤさんが必要なんです。神のお告げが――」

「黙れ」


 ジンが怒りに満ちた眼差しでミラを一瞥(いちべつ)すると、おそれのあまり彼女は即座に黙り、道をゆずった。


 本気で殺されると思ったのか、彼女はそれ以上ジンを止めようとはしなかった。


 重苦しい空気に耐えかねて、カナがジンを追いかけようとしたときである。


 突如ジンは激しい頭痛に襲われ、悶え苦しんだ。耐えかねて、地に膝をつく。マヤを抱きかかえていることもできず、彼女を降ろしてしまった。


「敵襲ッ!」


 直後、サーベラスが何かの気配を感じ取り、空間が波打つようにすら感じる声で()えた。

 リュウは即座に剣を抜き、臨戦態勢を整える。数多の妨害をくぐり抜けてきたからこそ、その所作には一片の迷いもない。


「ジンさん、一度戻って! 森に何かいる!」

「くっ……! あ、頭が……!」


 ジンの様子は明らかに変だった。鼻から出血し、まるで未来を変えるのを、何かに邪魔されているかのようだった。


 もし本当にそうなら、マヤが危ない。


 ジンの行動が封じられている今、止められるのはカナだけだった。


「ミラ、マヤを連れてこっちへ! サーベラス、敵の数はッ!」

「塔からの死臭がひどく定まりませんぞ! 最低でも……六人はいますな!」


 リュウの問いにサーベラスが答えると、ミラがおどろいた様子を見せた。


「ろ、六人も? ――きゃっ!」


 何処からともなく飛来した矢が、ミラとマヤの近くにあった樹木に突き刺さる。


 強力な毒が塗られていたのか、矢が刺さった樹木は音を立てながら徐々に腐食していく。やがてへし折れた樹木はミラとマヤを分断し、ジンとマヤが孤立する状況になった。


 少しだけ頭の痛みが引いたジンはよろけながらも立ち上がり、森一帯を見渡す。命を賭してマヤを守ろうとする彼が、ほんのかすかに揺れうごく人影を見逃すはずがなかった。


「我が(いかずち)から逃れられると思うなよ……」


 ジンは姿勢を低くして、右手に力を込める。魔力の影響によるものか、焼け焦げる匂いがあたりに充満し、彼の拳はやがて青白い電気を帯びはじめた。


 そして標的に向けて駆ける彼は、誰もが一閃の稲妻のように見えていたことだろう。


 ジンが敵の一人を仕留めたことを皆が理解するのは、影に(ひそ)んでいたそれが短い(うめ)き声を上げて森のどこかで倒れてからだった。


「なんて速さだ。目に追えなかったぞ……?」


 想定外の実力に、リュウは半ば見入ってしまう。しかし、それによって同時に理解してしまった。


 ジンが本に選ばれた者の抜け殻であるということを。

 それはリュウにとっては自身に敵対する者であることを意味していた。


 休む暇もなく、今度は別の方向から円形の刃がカナに向けて飛来する。

 エルフ補正で動体視力が良かったカナは、まるで時間が減速したかのようにその攻撃の軌道を目で追いかけていた。


 走馬灯を見ているのだと勘違いして、思考が停止する。避けるという判断ができるわけもなく、カナは死を確信したが、その攻撃はリュウの剣によって防がれた。


「大丈夫かい? 僕とサーベラスから離れないで!」

「あ、あ……」

 

 明確な殺意が向けられていることを認識してしまい、カナは足がすくんで動けなくなっていた。


「状況が悪い! 塔を背にしながら後退しろ!」


 これではまるで、本の筋書きどおりではないか。

 何者かも分からぬ暗殺者の襲撃によって、マヤが死ぬ。それどころか、ジンも危機的な状況にある。


 未来を変えられるかもと自惚(うぬぼ)れていたことを自覚して、カナは自身に対して激しい無力感と虚しい(いきどお)りを感じていた。


 マヤまでの距離はほんの数メートルしかない。

 そのはずなのに、恐怖に支配された今、それがあまりにも遠く感じる。


「たすけてよ……」


 (わら)にもすがる思いで、カナは神に祈った。自分にはこの世界は厳しすぎると確信して、さっさと元の世界に帰してくれとすら願っていた。


「ぬうっ……!」


 盾になっていたサーベラスは、衣服の上から複数の斬撃を受け出血している。

 ミラは全体をカバー出来る位置にいるものの、視界の悪さから迂闊(うかつ)に動けない状態だ。


 見えぬところからの攻撃は予測こそできないが、マヤを孤立させようという明確な意図が感じられる。


 少しずつ赤く染まっていく景色に、ついにカナの限界は訪れた。


「誰でもいいから――わたしたちを助けてよッ……!」


 意思が森林に波及する。風から鳥へ。鳥から樹々へ。樹々から山へ。まるで水面に描く波紋のように。


 何の因果か、はたまた単なる偶然か。彼女の声にはかすかにも魔力が宿っていた。


 つまるところ彼女の願いは、言い換えればこの世界において〝魔法の詠唱〟と呼ばれるもので。


 そこに居合わせた者は敵味方問わず目を丸くして、刹那ではあるが戦いの手を止めてカナのほうに目を向けた。


 直後、風の流れが大きく変わり、渦を作りながら塔へと吸い寄せられていく。

 春先の気温は一気に冷たくなり、塔の外壁が青くひかり輝いて、誰も見たことがない文字を描いた。


「……カナ、ゆっくりでいい。ここから離れよう」

「え? え?」


 呆然とそれをながめるリュウの提案に、カナは意図が理解できずに困惑した。


 それと同時のことだ。塔の扉が重厚な鉄の音を(とどろ)かせながら、開かれた。


 先刻のマヤの発言を勘案し、誰もが察していたことがある。


 ……カナはこの時、少なくとも良くない存在を呼び覚ましてしまったということだ。


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