#65 恐怖! 戦慄のオバケ屋敷からの脱出!
「はあっ!」
だれかに呼ばれている気がして、やわらかい絨毯に寝かせられていたカナは飛び起きた。客間から引っ張られて、エントランスに戻ってきたらしい。
「よかった、目覚めた!」
近くにいたマヤが安堵の息をつく。その横には、屋敷のメイド服を着た見知らぬ少女がひとり。カナが目覚めたことに明るい表情を見せた。
「えっと、その子だれ……?」
えらく小さくて、そして可愛らしい少女だ。真っ白な長い髪に、マヤと似て真っ赤な瞳を持つ子だった。
「わ、わからない……。あたしの部屋に隠れてたから連れてきたの……」
マヤの部屋は二階の奥にある。どこまで逃げてんだ。
「きみ、名前は?」
「……リル」
少女はつかの間を考えたのち、自身をリルと名乗った。
「どうしてそのお洋服を着てるの?」
「……ここで働いてるの」
「そうか。わたしが抜けたから人手不足になったんだ」
リルはカナが旅に出たあと、代役で雇われた使用人のようだった。でも、その割には若すぎる。ジンはこの子にも戦闘のノウハウを教えているのだろうか。
「リル、ジンとセネットはどこかわかるかしら?」
「裏手の森に行ったの。原因を断つって」
リルの言葉に、マヤは安心した様子を見せる。でもすぐに「ん?」となり、眉をひそめた。
「ちょっと待って。セネットも一緒に行ったの?」
マヤはときにセネットから魔法の基礎を学ぶこともあった。しかし彼女が戦えるかどうかまでは知らない。ひとは老いると魔力の限界量が減っていく。そう考えるとかなり不安になる話だった。
ともかく、カナたちはジンたちと合流するべきだった。そのために成さねばならないことはひとつ。
この屋敷からの脱出だ。
*
カナたちはまず情報の整理をすることにした。
マヤも確認したが、玄関はびくともしない。凍ってしまっているかのように。
「二人とも離れて。魔法でぶっ飛ばす」
いきなりマヤは野蛮な方法での解決を試みる。脱出系作品の主人公にはなれないタイプだ。
二次被害を考慮して、マヤは水のオーブを扉にぶつけた。鉄塊をゆがませるであろう威力があったが、それでも玄関は傷ひとつ付いていなかった。
魔法での干渉は無効のようだ。物理的な衝撃もだめだろう。
「なら、飛んでみよう」
カナはそう思い立ち、変身した。転移魔法で着地点を探ろうとする。
けれどもおかしい。俯瞰的な視点は得られるのに、屋敷の外は暗黒が広がるばかりで、なにも見えないのだ。
(ここ、本当に屋敷なの?)
そんな身の毛のよだつことを考えてしまう。
玄関がだめならと、近くにある窓も確認したが結果は同じだった。その後も二人はどうにか玄関から脱出しようと試行錯誤を重ねに重ね――そしてぜんぶ失敗した。
「意地でも探索させようという意思をかんじるわね……」
探索なんてしたくないのだ。怖すぎるから。
「そういえば、リルちゃんはどうしてやさぐれてないの?」
ふと気になって、カナは尋ねる。
村のみんなは目の下にくまができていたのに、リルの顔はきれいなままだ。
またもリルはなにか考えるように目をおよがせ、ひと呼吸おいて答えた。
「……マンドラゴラかも」
「マンドラゴラ?」
「ジンとセネットも平気だったの。マンドラゴラを食べて、耐性がついていたみたいなの」
ギルは言っていた。この村は霊体型モンスターの侵攻をうけたと。以前、気色のわるいマンドラゴラが現れたのは、その予兆だったのかもしれない。
「それなら少なくとも……あたしたちが変になるということはなさそうね」
二人は渋々、決断を迫られているところだった。
行くしかないのだ。屋敷の奥へ……。
ついにカナたちは、まず食堂へと向かった。一階の、近いところにある部屋だ。
「マヤ、先に行ってね」
「は?」
頬を膨らませるのは無理もない。カナは一度おいてけぼりにされている。これ以上は許さない。
マヤは少しうろたえながらも、覚悟を決めてひとおもいに扉を開いた。
その直後、待ちわびたかのように彼女のもとにトマトが飛来する――!
クシャ。
マヤの顔はトマトにまみれた。それと屈辱に。
「あ、あぶなかった……」
カナは安堵の息をつき、もっと気を引き締める。これがもしナイフやフォークだったらと思うとゾッとする話だ。霊体型モンスターは思っているよりも多くのものに憑依しているようだった。
ふと見ると、マヤが髪をゆらめかせ怒りに燃えあがっている。そこにナフキンが飛来してマヤの顔を覆いかくす――!
「――全員、一匹残らず浄化決定……」
追撃により顔面が真っ白だったマヤは、片手でそれを引っぺがしながら宣言した。
食堂はひどい有り様だった。食材がひとりでに動きながら、お皿をかじっている。悲鳴をあげるお皿を護ろうと、ナイフとフォークが攻防一体の激戦を繰り広げているところだった。
「マヤ、ここは危ないよ……」
カナは怒りに触れぬよう、慎重にマヤをなだめる。が、彼女は聞く耳をもたない。リルもあわあわしている。
『魔法使い、なめんじゃないわよ……! 聖なるひかりよ!』
どうやらマヤは神聖術の素養もあるらしく、なにやらすごい眩しい光で部屋を照らして、カナを失明させた。リルもたまらず、カナの背後にかくれた。
「うわああああ、ま、まぶしいっ……」
聖なる光は陰の者には刺激がつよすぎる。カナまで浄化されるところだ。
「よし、次っ!」
マヤはそう言うと、静まりかえった食堂をあとにしてどんどん進んでいってしまった。目的が脱出から殲滅にかわっている気がする。
彼女らはそのままの勢いで進軍を続け、またたく間に一階をゴーストたちから奪還した。
「リル、お部屋をかたづけとくの」
一階が安全になると、呼び止める隙もなくリルは食堂のほうへと走っていった。
「……なかなか肝が据わってるわね、あの子」
マヤとカナはそれを茫然と見送りながら、二階へと進む。
次に訪れたのはジンの書斎だった。本の数々が鳥のように羽ばたいている。
それらが扉を開いたマヤに向けて一斉に飛びかかる――!
のだが、どれも二人に危害を加えることなく浄化されて床に落ちた。
「ジンは屋敷のもろもろを管理してくれてたから、なにかヒントがあるかも」
マヤはそう考えて、書斎を物色しはじめた。執事の私室を勝手に覗くのは気が引けたが、カナもそれを手伝うことにした。
散らばった本の数々を束ねて、本棚に戻していく。それらのひとつひとつには何も書かれていない。つい先日に〝自覚者〟となったマヤは初めてその異質さに気がついて、混乱していた。
「マヤ。この世界はね、勇者さんが本に書いたものしか存在しないの」
カナはできるかぎり優しく、世界の真実をマヤに告げた。どこまで細かい描写が必要なのかはカナも知らない。
「そんな……だってあたしの頭のなかには、本を読んで魔法をまなんだ記憶があるのよ……」
それはきっと、誰かの持つ〝波及力〟の影響によってつくられた偽りの記憶だ。そこまで残酷なことは、カナには到底言えなかった。
「あれ? この本……」
ふいにカナが手に取った本は、ほかの物とは様子がちがった。その表紙には文字が書かれている。
『研究日誌』と。
これはカナの周期で書かれたものにちがいない。
カナはおそるおそる、その文書の内容を追いはじめた。