#63 ゴーストタウンへようこそ
カナとマヤの二人は、王都から馬車で二日ほどのところにある辺境の宿屋に転移していた。魔王の力か、長距離をまたいでも疲れがない。
もしもの事態にそなえ、一晩はここで過ごすことに決めたのだ。
『ごめん、カナお姉ちゃん。あちしやっぱり一緒にいけない。みんなも同じくらい、大切な仲間だから……』
とのことで、リミちゃんはアルレンの邸宅に残ることになった。
『それならわたしたちも戦うよ』
カナはそう提案し、マヤもそれにうなずいたが、それを拒んだのははるみんだった。
『カナさんー。アルレンさんはあなたを逃すために時間をかせいでいますからねー。どうか指示にしたがってくださいねえ』
はるみんはアルレンが魔王を継承したと信じきっている。ここでカナを逃がそうとしたのは〝書架〟である彼女を守るためだと思っていたようだ。
いまや世界は途中からはじまっている。本に書かれた内容についてはさして重要視されていないのかもしれない。
「だいじょうぶかな、リミちゃん……」
「あとから合流するって約束したでしょ。信じましょう」
「……ほんとにだいじょぶかなあ」
しばらくのとき、カナはうじうじしていた。アルレンが負けるとは思わないが、それ以上に彼女が心配なのはひとえに大切な友だちだからだろう。あとゼノ。
「ほら、はやくなかに入りましょう。風邪ひいちゃう」
「うん」
マヤにうながされ、二人は思い出の残る宿屋に足を踏みいれた。からんからん。
ぶどう酒のほのかな香りが鼻をくすぐる。相変わらずおだやかなところだった。そもそも世界が広がったいま、消滅をおそれて勇者の近くを旅する必要はないのだ。
いずれは店じまいになるかもと考えると、もの寂しさを感じてしまう。
「いらっしゃい。あら、貴方は書架のカナちゃんと、お友だちのマヤちゃんね」
グラスをみがいていた店主の女性が、カナたちに気づくと笑みをみせた。名前を覚えてもらっていることに、二人は頬をほころばせている。
「こ、こんにちは」
「二人だけなの? ずいぶんと荷物がすくないようだけど」
「はい……。一晩だけ泊めていただこうかと」
のんびりと準備している時間もなく、カナたちは転移魔法にあまえて軽い手荷物と着替えだけもってくることにした。かばんも小さいし、はたからみれば遠足のようだ。
「わかった。部屋はひとつでいいかしら?」
酒場の店主は多くを詮索せずにたずねた。以前とくらべて、二人をとり巻く魔力の気配が明らかにちがっていることに気がついていた。
警戒をしなかったといえば嘘になるだろう。その変容ぶりは、悪しきものがとり憑いたのかと勘ぐってしまうほどの異質さがあったのだから。
「はい。だいじょうぶです」
カナは迷いなく答えた。なにやらマヤは頬を赤らめてもじもじしたが、理由はわからない。それと同時のことだ。
ぐう。腹の音がおおきく鳴った。今度はカナがうつむいて、真っ赤な顔を両手でかくす。だって朝はパンをひとかじりしただけなんだもん。
「ふふ、さきになにか食べる?」
「はい……」
変わらぬ一面もあることに安心した様子を店主は見せ、ほほえましい気持ちで朝食の用意にとりかかった。
しばらくして。食べる専門の二人のまえに朝食がひとつずつ並べられていく。トースト、めだま焼き、ベーコン、コーンバター。油の熱せられる音が食欲をそそる。調味料も、ばっちり再現。
「おおっ、ぼりゅーみー!」
マヤは美味しそうな朝食に目を輝かせた。たしかにこの量なら昼食と兼用でもいいのかもしれない。
「いただきます」
二人は談笑をまじえながら、頬がおちそうなほどにおいしい料理を堪能した。
ほとんどの料理をきれいにかたづけ、そろそろひと息といったとき、事件は起きた。
きい……と、宿舎のとびらをゆっくりと開く音がなり、カナたちは目を向ける。
ほかの〝自覚者〟だろうか。兵士の格好をしたやさぐれた男がそこにいた。呼吸があらく、うつろな眼差し。おぼつかない足取りで店内にやってきたかとおもえば――そのままぶったおれてしまった。
*
店主は救急箱をとりだして、慌てて男に駆け寄った。
「ちょっと貴方、だいじょうぶ?」
「みず……みずをください……」
床に這いつくばりながら、苦悶の表情をうかべながら男は懇願する。あきらかに様子がおかしい。
店主は近くのテーブルに置かれていた水を、彼の口にながしこんだ。
「あり、がと……」
それだけ言い残して、男はぱたりとうごかなくなった。
「気をうしなったみたい。いったいどこから来たのかしら」
カナたちは店主を手伝って、その男をひとまず安全なところに寝かせた。
男の年齢は三十代なかほどといったところだろうか。かすかに老けてはいるが、身体はしっかりと鍛えられている。しかし頬はやせ、目元にはくまができている。まるで、以前のカナのような。
「……あたし、この人に見覚えがあるわ」
「そうなの?」
「コペラ村の東門をよく警備してた憲兵よ。たしか名前は――ギル?」
マヤがその名前を呼ぶと、男は顔をしかめながらも目をあけた。
「ここは――」
そのまま上体をおこし、ゆっくりとあたりを見わたす。いまだおぼろげな彼の視界には、美女が三名。
「俺は……天国にきたのか?」
「あなた、ギルよね? どうしてこんなところに?」
やがて男が正気を取りもどすと、目の前にいたマヤにおどろいて声をあげた。
「うおっ! ま、マヤ様なのですか!」
「落ち着きなさい。まずは水をのんで。食べものはいる?」
「き、奇跡だ……。こんなところでマヤ様に会えるとは……」
ギルはひとしきり補給をすると、すっかり元気になった。マヤにそうみせようと、無理をしているのかもしれないが。
「あたしは王命でコペラにもどるところなの。あなたはなぜここに?」
落ち着きを取り戻したギルに、あらたまってマヤは尋ねた。
ギルはあわあわしながらそれをどうにか止めようとする。
「い、いけません。コペラ村は、コペラ村は……」
「……村になにかあったの?」
ギルはうつむき、無力感にさいなまれている。覚悟を決めて、ひとおもいに真実を告げた。
「コペラ村は、モンスターの侵攻をうけました……」
「――なんですって」
空気が張りつめ、まるで時間が止まったかのようだった。
マヤは信じがたい事実に、目を丸くする。あのあたりに手に負えないほどの魔物はいないはずだった。泣きそうにふるえる吐息をまえに、ギルはあわてて付け加える。
「ご、ご安心ください。死傷者はでておりません。ただ――」
「ただ、なに……?」
「みんな、こうなってしまったというか……」
ギルはそういいながら、自身のやさぐれた顔を指さした。
「どういうこと?」
「その……グレました。私も、なにもかもどうでもよくなって、仕事をほっぽって草原でちょうちょを追いかけていたのです。奇しくもそのおかげで我にかえり……」
わずかに水のはいったボトルを片手に、丸二日かけてここまで駆けてきたそうである。
霊獣の馬車でもコペラ村からここまで二日を要した。それとおなじ距離を自身の脚で、眠ることなく走りつづけたという。おそろしい精神力だ。
そんな彼をちょうちょを追いかけるまでに至らしめる存在が、村をおそった。たいへんな事態ではないか。
「マヤ、すぐにでもいかないと……!」
カナが唖然とするマヤに声をかけると、マヤは我にかえって冷静さを取りもどした。
「死傷者は、でていないのよね?」
「……はい。侵攻したのは霊体型モンスターの勢力で……。度がすぎた迷惑行為をされているといいますか……」
「……なら、出発は明日にする」
マヤはじっくり考えたうえで、そう決断をくだした。
「なんで……? わたしのことなら、元気だからだいじょうぶだよ。まだ飛べるよ?」
「転移先で戦闘になったとき、万全の状態で戦えない。あたしもカナも疲れてるから、今日は休むべきよ」
領主のマヤにとって、その判断がどれだけつらいものであったかなど、言うまでもない。村には育ての親がいる。それだけではなく、彼女にとっては村で生活するすべての者が、家族も同然のような存在だった。
「マヤ様……ご立派になられましたね」
「ギル、あなたもゆっくり休んで。明日から仕事よ」
「明日、ですか?」
このとき、彼はまだ知らなかった。二人が長距離を転移するとかいう常軌を逸した手段で旅をしていることを。
「あたしの大切な村を……ぜったいに取りもどすっ!」
決意に満ちた炎のような眼差しで、マヤは怒りにふるえる拳を握りしめた。