#60 さし迫る運命の時
邸宅の玄関を開くまえから、なかからの喧騒が伝わってくる。カナが両手で扉をあけると、それまで談笑したり、あるいは議論を繰りひろげていた者たちがいっせいにカナに注目した。
「カナだ」「ひとりで戻ってきたの?」「色違いじゃん」
彼らは遠慮を知らないのか。気恥ずかしさのまえに呆れが先行し、苦笑するほかない。
外に出る用事がないからか、みな普段とはちがう服装をしている。町民に扮した格好をしている者もいれば、部屋着のままの者もいた。
「カナお姉ちゃんー!」
ゼノたちとともにいつもの場所に陣取っていたリミちゃんが、カナに手を振った。彼女も今日はピンクではなく、白くて清楚な感じだ。癒される。
「なんで変身してん? なんかあったんか」
「カナ、だいじょうぶ?」
ゼノとマヤが焦りに満ちた顔で尋ねる。カナは肩を落としながら、マヤのとなりに座った。
「大丈夫だけど……いろいろあって疲れたよ」
こんなときはあったかい湯舟に浸かって、ぐっすりと眠りたいところだ。しかし、そうはいかない。きっとカナは今日、眠れない夜を過ごすことになる。
「そういえば、目元の紋様が消えてるわね」
「うん。……なんか、分離したの」
カナが答えると、マヤは首をかしげた。
「……いなくなったの?」
「カノンさんといるよ。すぐに戻るって。だけど……」
「だけど?」
カナはそれ以上は言わず、ただ顔を赤らめた。ハイドの声が、腹立たしいほどに脳裏にひっついて離れないのだ。
「カナお姉ちゃん、顔赤いー!」
そんな大声で言わんといてくれ。ますます恥ずかしくなるではないか。カナはこころの中でそう願いながら縮こまっていた。
「目的は果たせたんか? たしか、勇者に会うんやろ」
「……会ったけど、むりでした。勇者さんでも教皇は助けられないそうです」
カナはその日あったことを、じっくりとゼノたちに共有した。一週間後にまた元の世界にもどることや、これから勇者が継承の方法を探そうとしていること。
気づけばまわりにいるみんなが、カナの声に聞き耳を立てていた。
ただ一つ、どうしても話せないことがあった。カナの一存でこの世界が消えるということだ。
リュウを助けて悲劇を防ぐのか。
事故を見送って地獄をつくるのか。
カナに根づいた大切な思い出が、決断を先おくりにする。一人では決められない。かといって相談する相手もいない。たぶんみな、後者を選択するだろうから。
「なら、当面のオレらの活動は勇者の手伝いと防衛ってところやな……」
いきさつを聞いたのち、ゼノはため息をつきながらそうつぶやいた。周りのメンバーたちもそれに同意といった様子だ。
「〝後援会〟のひとたちも約束を守ってくれればいいけど……」
カナが果たせなかったのだから、それは難しいのかもしれなかった。教皇が樹木になった今、だれが代理者をになうのか。候補者はいるものの推測の域をでない。
「ひとまず今日はカナの護衛よ。これからのことは明日考えましょう。あたしは朝まで寝ないから!」
「あちしも! 寝だめはばっちし!」
「男性陣は邸宅周囲の警備やな。気合いれてこ」
みなが士気を高めて歓声をあげる。
「みんな、ありがとう……」
カナは彼らの厚意に感謝してもしきれず、思わず目元に涙を浮かべた。
*
早めの夕食はあまりのどを通らなかった。みなはそれを不安によるものだと察し、カナを元気づけていた。
寝室へともどり、沈みゆく太陽をながめていたときだ。窓の外からハイドがよじ登ってきて、せまいテラスに降り立った。ここ四階なんだけど。
「きゃあああああああっ! だれ!」
なにも知らないマヤは悲鳴をあげる。リミちゃんは威嚇しながら即座に素手カメラをかまえた。それもそのはず、ここは女子棟だ。男子がいていい場所ではない。
「ハイド! その格好ではいってくるな!」
「ああ、そうか。我は男のかたちをとっているのか。だから門前払いされたのか」
ハイドはでぶんっとした黒猫に変身した。そういうのでいいんだよ。おなかの毛がながくて、足がみじかく見えるのがキュートだ。オスのくせに。
「カナお姉ちゃん、そいつなに……?」
「我はハイド。元よりカナのなかにいた古代の意志なり」
けだまになったハイドがえらそうに答えた。そのイケボはなんとかならんのかなあ。
「なでてもいいの?」
「ああ」
リミちゃんとマヤはおそるおそるハイドをなでた。気持ちよさそうにするのがなんかむかつく。警戒を解いたとはいえ手のひら返すのが二人とも早すぎだ。なごんでる。
「そんなことより、変身が解けないの。なんで……?」
「召喚したのも汝、ならばそれを解放するのも汝の役目だ。我を使役するあいだはその姿になるようだな」
「うーん……消してもいい?」
マヤとリミちゃんは首をぶんぶん振った。どうやらカナはしばらくは銀髪で過ごすことになりそうだった。
真夜中になった。リミちゃんは巨大な黒猫に身体をうずめて、寝息を立てている。マヤは別室で警戒にあたっている。
カナは座っていたベッドから立ちあがり、窓の外をながめた。〝黎明〟のメンバーたちが周囲を厳重に警戒しているのが見える。
マヤたちの証言によると、前の周期で世界が閉じたとき、カナは寝室にいなかったそうだ。つまり、この部屋から出ないだけでも未来は変えられるはず。
本に書かれたことは起こるというが、そもそも〝しんだかも〟というのがどんな状況なのかカナにはわからなかった。
室内を手でふれながら見てまわっていると、見覚えのない赤い水晶玉が飾られているのをカナは見つけた。さして大きくはない。野球のボールほどの大きさだ。
「なに、これ?」
こんなものあったっけ、と思いながらそれをながめる。なかではホタルのような光の粒がひとつ、内壁をはね返りながら飛びまわっていた。
そこからはなんとなく力の流れを感じる。魔力というものだろうか。ということはこれは、マヤの私物のようだ。
「カナ、どうしたの?」
上階からマヤの声がして、カナは振りかえった。
「これなあに?」
「ああそれ。初めてみるの? コアストーンというものよ」
「こあすとーん」
それは言うなれば魔物の核となるものだった。高位の存在になるほど、かどが丸くなり球体に近づいていくらしい。加工すれば魔石の原料となり、やがては〝魔導具〟にうまれかわる。
カナの目の前にあるものも、目にはみえないが超多角体の構造をしているという。
「これは……フューリィが持っていたコアよ」
フューリィがほろび、砂のなかにうもれていたものをマヤは保管していた。これは彼女の形見だ。
「なかで光ってるのは?」
カナが尋ねると、マヤは眉をゆがめながら覗きこんだ。
「……わかんない」
光の粒はみるみるうちに速度をあげていた。はやすぎるあまり、しろく色づいているように見える。青い月あかりだけのうす暗かった部屋が、まぶしい光に照らされる。
「でもなんか、いやな予感はする」
マヤは青ざめながら付け加えた。直後、水晶にひびが入り、その隙間から強い光がはなたれる。ああ、たしかにこれは〝しんだかも〟――。
どっかーん。
幻聴だろうか。耳をつんざく爆発音のなかに、カナはフューリィの高らかな笑いを聞いた気がした。




