#58 アトリエ・魔導文明のはじまる場所
人通りが多く賑やかな街路を、カナたちは重い足取りのまま進んでいる。
夕刻まではまだ時間があり、カナはカノンの屋敷に遊びにいく途中だった。
「……たすけられなかった」
カナはぽつりと、いまだ受けいれがたい事実を呟く。
教皇を救うことで〝自覚者〟たちが対立をやめ、結束力を高めるかもしれないと、カナは淡い希望を抱いていたのだ。
「大丈夫ですよ、カナさん。勇者も教皇も、これから助けましょう」
カノンはそう言ってカナをなだめた。
カナは自信のない様子で、それにうなずくことしかできない。
目的地である〝工房〟はオルキナ南部区域の、さして遠くないところにあった。外観は他の建物と変わらない。ヨーロッパ地域で見られる建築様式である。
「ここなの……?」
拍子抜けだ。これまで見せられてきた〝魔導具〟の数々を思えば、爆発すればどくろの煙がたちのぼるような研究所を、カナは想像していたのである。
「ふふ、意外ですか? 最新技術を誰にでも見せるわけにはいかないですから。驚くのはこれからですよ」
カノンはそう言いながら、玄関を三度ノックした。自分の家なのに。
するとわずかだけ扉が開かれ、せまい隙間から意地の悪そうなオバサンが顔をのぞかせた。
「ただいま。おかーさん」
カノンがそう言うと、オバサンは訝しむような目をカナに向ける。
「そっちの子は?」
「えっと、カナさん。お友だちなの。工房を見せてあげたくて」
カノンは照れくさそうにそう答えた。すると。
ピピ。キュイーーン……。
オバサンの目から甲高い駆動音が鳴り、青白いレーザー光がカナに向けて照射される。なにかを探るようにあたまのてっぺんから、足先まで。
すでにカナはぶったまげていた。このオバサン、人間じゃないのか。まさかアンドロイド。いや、それにしてはこまやかな動きはひとのようだ。
「潜在脅威度がたかい。ほんとに大丈夫?」
「私の権限で許可します」
「虹彩を登録した。個体名カナ、どうぞあがって」
カナは口をぱくぱくさせてその場から動けない。
「カナさん、びっくりしすぎですよ」
「だ、だって……ロボット、ロボット……」
カナはオバサンを指差しながら、カノンにたすけを求めるような視線をおくる。
「失礼な子。あたしが機械だって?」
「あ、すみません……」
「はやく入りなさい。オレンジラインを超える疲労度を検知。あんたには休息が必要」
ヒトかロボットか、その正体がわからないまま、カナはオバサンにうながされ玄関に入った。
エントランスの中央部には狼の石像がある。それ以外にはとくに不自然なところはない、むしろ普通すぎる邸宅だった。
「カナさん、ここに立って」
カノンはカナを石像の前に立たせると、石像の目に埋めこまれた赤い宝石を、奥に押しこんだ。
ガタコン。床下で何かがひっくりかえる音がすると同時に、石像を中心とする魔法陣が展開される。その中には、等間隔に小さな魔法陣がさらに三つ。誰かがとなえたわけでもないのに、自動で発動した。
「な、なに……!」
「あばれない。落っこちるよ」
オバサンは魔法陣の外側からカナをながめながら、注意する。
カナはカノンのうでにしがみついて、目を閉じてじっとした。
魔法陣の光が強まると、やがてカナの足元がゆっくりと下降を始める。かすかに、からだが軽くなる。
これはワイヤーのないエレベーターだ。すっぽり床下にもぐると、一階の床はゆっくりと閉じていく。
魔法陣の放つみどり色の淡い光だけがあたりを照らすその場所で、やがてカナはとてつもない光景を目にすることになる。
地下に広がっていたのは、巨大な工場だった。いきおいよく流れてくる熱気にカナは顔を覆う。それでもこの景色からは目がはなせない。
あるところでは服飾をぬい、またあるところではなにかの部品を、はたまたガラス、陶器、どろどろの鉄の流れをおえば魔石の埋め込まれた機械もある。
見渡すかぎり、ありとあらゆるものがそこでは造られていた。
そして、その作業をおこなうのは数多の魔法陣から伸びる、生きものみたいな金属のうで。千をこえるそれらすべてが、カノンの魔法。
「すごいでしょう」
「はい……」
「ふふ、楽しんでくださいね」
「周期を繰り返すたびにこの景色を……?」
カノンはにこやかに、そして少し寂しそうにその問いにうなずいた。天才だ、彼女は。それ以外に形容する言葉をカナは知らない。
やがて絶景が地にかくれると昇降機が減速して、魔石が照らすリノリウムの通路へと出た。そこはまるで、病院の廊下のような場所だ。
「先日、民を避難させましたから、通路が土でよごれていますね。ごめんなさい」
「ぜんぜん気にならないです……」
というか絶景のあまり足元をみている余裕などない。日本に戻ってきたのかとすら思えてしまう。古風な都市の地下に、こんなものが眠っていようとは。
通路をすすんでいくと、ひとつの部屋にたどり着いた。カノンはかがんで、壁に張られた魔法陣に視線を合わせる。カシャ、と解錠する音が鳴る。
そこにあるのがカノンの自室だった。青く照らされた作業台のうえには魔法陣の書かれた設計図がある。カナが見てもわからないが、何らかのあたらしい発明品のようだ。
壁に沿うように、コンピューターの画面のようなものまで浮かんでいる。ここには電気で動くものはひとつもない。すべてが魔法を原動力にしている。
「ささ、どうぞー」
「おじゃまします……」
「飲みものなにがいいですか?」
「な、なにがとは……?」
「自動販売機魔法があるので、だいたいなんでもそろってますよ」
販売て。無料じゃないんかい。カナはひとつ突っ込んだ。
こまかく処理していかないとツッコミが追いつかない。
「じ、じゃあカレーで……」
たまにはボケてみる。陰の者からの手痛い一撃。カノン、どういなす。
「ふふ、わかりました」
カノンはにこやかに、部屋の奥へと消えていった。カナはしょんぼりした。
ちなみにその後、普通においしいカレーライスが出てきたので昼食はそこで済ませることにした。
*
その部屋はもはやなんでもありだった。
冷蔵庫、エアコン、洗濯機、電子レンジ、トースター……家庭に必要なすべてが〝魔導具〟というていで再現されている。
電子基板のような精密さは実現できないのか、どれもごてごてしているが、いずれはそれも解決するのだろう。
ここにあるのはこの世界の未来なのかもしれない。
「あ、あの……なんでこんな技術力があるのに、普及させようとしないんですか?」
カナは気になったことをひとつ尋ねる。庶民の手に行き渡らせれば莫大な利益を生みだせるはずなのに。
「過去に失敗したことがあるんです……」
「失敗?」
「まだ生産の最適化に踏みきっていなかった周期なので、大したものではありませんが――」
カノンは過去を懐かしむような目をして、失敗をかたった。
彼女はひとえに人々を豊かにしたいという一心で、自身の未来技術の普及に乗り出したことがあった。
しかし急速な文明の発展がまねいたのは、持つ者と持たざる者の格差の拡大。多くの者が仕事をうしなって、飢饉が起きた。
やがて貴族と民衆が対立すると事件も増え、人々からはこころの余裕がなくなった。結果的に豊かになったのは金持ちだけで、多くの死傷者が出たのだという。
「そのときばかりは、勇者には悪いですが周期のサイクルに対して感謝するほかありませんでした。私は取り返しのつかないことをしていたんです」
それからは〝工房〟の技術はできるかぎり隠すようにして、過ごしてきたらしい。昇降機の途中でみた生産ラインも、カノンが魔法をといて照明を消せばほとんど見えなくなるそうな。
「……周期のたびに一からやりなおしなんですよね……。よく立ち直りましたね」
「うふふ。そう見えますか? すごく病んでたこともありますよ。でも――〝時間〟が私におしえてくれたんです。あきらめてはならないって」
カナはふとフューリィも同じことを言っていたのを思いだした。自分がほろびることを〝時間〟がおしえてくれた、と。
「……運命ってこと? お話できるんですか?」
「ふふ、どうなんでしょう――あら?」
カノンが不思議そうな顔をしてカナを見る。
カナも変化に気がついていた。なにもしていないのに、髪の色が銀に、目の色が金に変わっている。
「な、なんで……? 変身がかってに!」
『カノンとやら。汝に興味が湧いた』
口を動かしていないのに、カナのなかから青年の声がひびく。
直後、カナの深層意識が古代の叡智とつながって、ひとつの魔法がカナの目の前に提示された。まるで唱えよとでも言うかのように。
『顕影しろ――?』
その魔法に危険はない。召喚術のたぐいだ。それだけはわかるのだが、状況が読めない。
呼応に応じ召喚されたのは、銀の髪に黄金の眼――変身したカナと同じ特徴を持つ、顔だちのよい青年だった。




