#56 勇者一行の崩壊
翌日。カナが死ぬ日。
カナは待ち合わせである王都南門の広場にてカノンを待っていた。約束の時間より遅れてくるだろうと、カナは勝手に予想していたが、カノンは予定時間よりも早くやってきた。
「ごめんなさい……待ちましたか……?」
カノンは昨日に引き続き、今日はしろいジャージの上下を着ていた。合流するや、ひざで両手をささえながら息を整える。体力はさして多くないらしい。
「いえ、わたしもいま来たところです」
これではまるで付き合いたてのカップルだ。しかしカナには大事な目的がある。気を抜くわけにはいかない。
「太陽の下を歩くのはひさしぶりです。ではまいりましょうか」
カナたちはまず南門の駐在所で勇者の所在を聞くことにした。
訪ねると、カナがオルキナにやってきたときに手荷物検査をした女性が、顔を出した。
「貴方はカノン様? それと奴隷の……」
女性兵士はきょとんとしながらそんなことを言いだした。
「どれい? この方はそのようなひとではありません。むしろアーサー国王にも引けをとらないくらい重要な人物ですよ」
カナは少し緊張して背筋を伸ばした。ずいぶんと大きくでたものである。たしかに魔王ではあるけれど。
「そ、そうなのですか? それは失礼いたしました。して、ご用件は?」
女性は半信半疑の眼差しを向けたまま本題をたずねた。
「勇者の所在を知りたいのです。どこかの宿に滞在してるそうなのですが、ご存知の方がいればと……」
「少々お待ちください」
女性はそういうと、駐在所のなかに入っていった。他の兵士からも情報を募ってくれているようである。
「カノンさん、大丈夫ですか? なんかさっきから……ゆらゆらしてますけど……」
カナは隙をみて、気になっていたことを尋ねた。
「実は私……昨日ねてないんです……」
「あっ……」
道理で空をかがみに映すかのような眼がガン開きしているわけだ。
「だっていきなり生活をなおせって無理じゃないですか? アルレンさんったらひとでなし。せめて事前にいってくれれば寝だめしたのに!」
カノンはカナとは別のベクトルで陰の者だった。
本人なりに約束を果たす努力をしてくれたようなので、それを責める気はないのだが。途中でたおれたりしなければ。
ややあって女性兵士が戻ってきた。
「申しわけありませんが、所在までは確認できませんでした。ですがちょうどすぐそこ、南部区域の都立病院にてミラ様とサーベラス様が療養しておられます」
「あら、それは耳寄りな情報です! さっそくいきましょう」
カナは少しうろたえてしまった。
なんの迷いもなく銃口を向けるミラの眼差しが、まだ脳裏に根づよくこびりついていた。彼女は――友人の仇敵なのだ。
「はい……」
会うことになるかもしれないと、もとより覚悟を決めていたことだ。それなのに、いざ行くとなるとこわくて足がうごかない。ミラを憎んでいないといえば、うそになる。本当は会いたくない。
「カナさん……?」
足取りが重いことに気づいたカノンが、心配そうにカナを見上げた。
カナはミラとの確執を打ち明けることにした。なぜか一方的に嫌われていて、銃口を向けられて、友だちになったフューリィが自身をかばって滅びたこと。それはカナが魔王になった経緯でもある。
「わたしがしっかりしてれば、フューリィちゃんは……魔王は死ななかったんです……」
「そんなことがあったのですね……」
カノンはなにか考えるそぶりを見せ、なにか思い立った様子で言葉を紡いだ。
「カナさん、用を済ませたらうちにあそびにきませんか?」
「カノンさんのおうちにですか?」
「はい。気分転換になるとおもいまして」
カナにはその意図がわからなかったが、彼女の善意を汲みとってお邪魔することにした。よほど自信があるらしい〝工房〟のトップの家がどんなところか、興味があった。
「ご迷惑でなければ……」
「決まりですね。そうと決まれば急ぎましょう」
カノンはカナの手を引いて、早足で歩きだした。彼女の手はちいさく、そして冷たかった。
*
二人は病院に着いた。王都の病院だけあって大きいが、機能的には古くささを感じる。個室などはなく、広い部屋にベッドが並べられているような空間だった。
魔王の襲撃の翌日だ。負傷した兵士が多く入院している。これはフューリィがまねいた惨状で、到底ゆるされることではない。そう考えると彼女は死をもってその報いを受けたのかもしれない。
「もしでしたら待っていてくれても……」
カノンは気をつかって提案したが、カナはそれを断った。ミラがどのように過ごしているのか気になったのだ。
医師は襲撃で死人が出なかったのは奇跡だといいながら、カナたちをミラのところまで案内した。カーテン一枚の向こう側に、カナを殺そうとした者がいる。
カナは勇気を振りしぼって、それを開いた。
そして思わず目を丸くした。そこに居たミラは、彼女が想像していた以上にやつれた顔をして、弱っていたのである。
「ミラさん、なの……?」
病衣を着て、額に包帯を巻いている姿は、もとの煌びやかな聖術師とはえらくかけ離れていた。
「……何の用です」
「大丈夫ですか……? いったいなにが……」
憎むべき相手なのに、カナは思わず尋ねてしまう。あまりに哀れな様子に、敵意は一瞬でなくなった。アルレンのダイヤモンド手刀でここまで弱るのは不自然だ。その後になにかあったようだ。
「貴方には関係ないでしょう……っ!」
殺そうとした相手に慈悲のこころを向けられるのがつらかったのだろう。ミラは布団に顔をうずめて、すすり泣きはじめた。
しかし彼女が泣きながら紡いだ「お父さま……」という嘆きに、カナは悟ってしまった。教皇の容態がよくないことを。
もしかしたら出会ったときから、すでに病状は末期まで進行していたのかもしれない。そう考えるとカナはそれ以上、ミラに声をかけることができなかった。
まだ手遅れでもないならば、すぐにでも勇者に会わねばならないのに。約束を果たさねばならないのに。使命感に反して、声がのどを通ることをかたく拒む。
そんなとき、別のベッドから聞き覚えのある声がとどいた。
「カナどの……ですかな?」
その声は獣人であるサーベラスのものだった。おだやかな声音に安心したカナは、すぐに声のしたほうに向かい、カーテンを開けた。
そこに横たわっていたサーベラスの身体は、大部分が包帯が巻かれていた。
「サーベラスさん、どうしてそんなぼろぼろに……」
「単騎で魔王にいどみましたからな。まるで歯が立ちませんでしたがな」
そのときになって、カナは実感することになった。魔王と呼ばれる者に課せられた大きな責任を。
アルレンが勝手な行動を止めようとしたことも、悔しいことに納得してしまった。気づかぬ者たちにとって魔王は――今のカナは、うち滅ぼすべき宿敵なのである。
「カナどの。魔王はどうなりましたかな? リュウどのは勝てましたか?」
「魔王はアルレンさんが継承しました」
うそをつくことに後ろめたさを感じていたカナに代わって、カノンがそう答えた。
それを聞いたサーベラスは、一度なにか観察するかのように目をほそめ、そして残念そうにうつむいた。
「そうですか……」
事実ならば勇者は詰み。絶望的な状況を前にサーベラスも動揺を隠しきれていない。
「そのことを勇者に伝えたいのですが居どころがわからないのです。教えていただけませんか?」
それは勇者に対する事実上の勝利宣言だ。ともすれば彼のこころは打ち砕けるかもしれない。そのことを懸念したサーベラスはひとしきり考えたのち、カナたちに居場所を教えた。
「我のかわりにリュウどのに伝えてくださりますかな。巨大な力を前にしても、決してあきらめてはなりませんぞ、と」
「もちろんです。では、お大事になさってください」
カノンがねぎらい、カナは去り際に頭を下げて勇者の停泊する宿に向かった。
*
カナたちは勇者の停泊する部屋までやってきた。庶民では利用できないような、高級ホテルの一室に彼は居た。
カナはおそるおそる、扉をノックする。しかし中は静まりかえっており、反応もない。出かけているのだろうか。
「勇者さん、いますか?」
カノンと顔を見合わせながら、カナは扉の向こうに声をかける。
すると、かちゃり。ゆっくりと部屋の扉が開かれて、茫然とした様子でなにかに怯える勇者が顔をのぞかせた。
このときなんとなくカナは察してしまった。
勇者の一行はそれぞれ異なる巨大な力に屈して、壊滅的な状況におちいっていたのである。