#55
「カノン。こんな夜更けに貴方が何の用だ」
アルレンがカノンをお前よばわりしなかったことに、カナはぶったまげた。見た目からすればリミちゃんともさして変わらない年齢のはずなのに。
リミちゃんが小さく手を振ると、カノンはにこやかにそれにほほえんだ。
以前、着ている服は〝工房〟で仕立ててもらったとリミちゃんが言っていたことを、カナは思い出した。それなりに顔見知りの仲のようである。
「非常事態ですもの。こんな日くらいは、外の空気を吸わないとでしょう」
そう言いながらカノンはあくびをした。その肌は雪のようにしろい。どうやら昼間に寝る生活をおくっているようである。彼女はリミちゃんが用意した席にすわった。
「……ちょうどいい。紹介しよう。そこの黄色いのがカナ。魔王を継承した〝書架〟だ」
「まあ、魔王を? 渦が消えたのはそういうことなのね」
「そして赤いのがマヤ。理由はわからんが〝自覚者〟に変わった。魔王の魔力をゆずり受けているそうだ」
黄色いだの赤いだの、なんて雑な紹介の仕方だ。チューリップか。
「二人とも興味深いわ。はじめまして。私はカノン。〝工房〟のトップを務めている、魔導工学者です」
気品の溢れるあいさつをして、しろいまつ毛が弧を描いた。なんと美しい顔つきだろう。
それなのに。惜しいのだ。惜しいというか残念というか、カノンは紺色のクソダサジャージを上下に着ている。ファスナーをしっかり上までしめて。
寝起きそのままの格好で、ここまで来たのがバレバレだ。コンビニ行く感覚で王都を出歩いているんだ。強いから。
メイド服着せたいな。このときマヤはそう思っていた。
せめて学校の制服着せたい。カナはそう思っていた。
「よ、よろしくお願いします……」
「あら、そのネコローブ。着てくれてるのね。うれしい。とっても似合ってるわ」
カノンは両手を合わせて喜んだ。
「あっ……」
そしてカナは察した。
この人、たぶんファッションセンスが壊滅的だ。ファスナーをつくる技術はあるのに。
「あ、それあちしが選んだんだよー!」
「リミちゃん、ナイスチョイス!」
「でしょー!」
これある意味で世界の危機だろ。閑話休題!
*
カノンが訪ねた理由は、ひとえにイレギュラーな事態の解明のためだった。そこでアルレンは、カノンにわかっている情報を共有した。
かつてから〝工房〟は中立的な立場をとっている。〝自覚者〟たちに等しく技術を提供してきたこともあり、アルレンはカノンのことを信頼していた。
「魔力の量に関していえば、マヤは俺よりもはるかに多いだろう」
説明の途中、アルレンはそう断言した。
「うちには魔力の容量を測定するマシンがあります。ぜひ明日にでも来てください。あ、夕方以降に」
「それがそうも言ってられん」
本に描かれた魔王の死を、彼らは回避せねばならないのだ。カナが死ぬことを知ると、カノンは口を覆っておどろいた。
「世界がとじるとき、カナお姉ちゃん居なかったもん……」
頬をふくらませながら、リミちゃんは供述する。マヤもそれに頷いた。この場に彼女らをうたがうものなどいない。
「ともあれ、犯人はカナが魔王になったことを知っている人物だ。だから明日、みなにはこう伝える。魔王はアルレンが継承した、と」
それを周知すれば標的はアルレンに変わり、カナの死は回避されるということだ。
「そもそも、勇者は今どうしているのでしょう……」
カノンは疑問をていする。たしかに、巻き戻った世界で勇者がアクションを起こさないのは妙だ。
本に書かれていた内容をカナは思い起こした。必死に書きつづる、こわいという文字。
「もしかして……渦に飲まれてショックを受けているんじゃ……」
「ありえん話でもない。奴は渦に対する対応策をもたないはずだ。宿で気を失っているかもしれん」
カナの推測にアルレンは同意した。
「まあ。それは大変です!」
「だが、なによりも不可解なことが一つある――」
世界が途中からはじまったこと。カナが魔王になると宣誓した直後から時間が動きだしたのだ。
「魔王が亡くなったことと、関連があるのでしょうか。仕組みが解明できればとても心づよいのですが……」
カノンは多くのものを生みだし、そして崩壊の渦にのまれて失っている。今回の現象が偶然でないならば、文明水準におおきな進歩をもたらすことになる。
「あまり期待はするな。〝暗黒の周期〟はまだ訪れていない」
その周期で書かれるのは解明できない暗号文であり、勇者は必要以上に本を書かない。訪れないことが確定しているなら〝暗黒の周期〟を経験した〝自覚者〟がいるのは矛盾している。
「これまで勇者が亡くなると勇者が誕生した時間まで世界は巻きもどりました。同様に、魔王が亡くなったときも、魔王が誕生した時間まで巻きもどるのではないでしょうか?」
カノンの発言はまだ仮説にすぎない。しかし説得力のあるもので、アルレンも反論はしなかった。しかしそうなれば大きな懸念が生じる。
「……〝後援会〟の動きが複雑化するな」
アルレンは腕をくみ、背もたれに寄りかかった。これまでは都合の悪い展開になれば勇者を殺して一からやりなおす選択肢しかなかった彼らが、中間択を手にすることに辟易しているようだ。
「彼らも混乱するでしょうね……」
カノンも彼らの素行には困っているようである。
カナは以前〝後援会〟の教皇と約束をとりつけた。教皇が元気になるように勇者にたのむこと。そのかわりに〝後援会〟は〝黎明〟に危害をくわえないこと。
教皇の容態にかんしての口外は禁じられている。相談してもいいのかカナはわからず、言いだせなかった。
ただ一つたしかなことは、カナは勇者に会わねばならないということだ。ミラは殺意を向けるだろう。危険なことにちがいない。
「あの、カノンさんは勇者さんがどこに停泊しているのかわかりますか?」
「ごめんなさい、わからないわ……」
カノンは首を横に振った。
勝手なことをされるのが不服なのか、アルレンがカナをにらむ。
「なにをするつもりだ」
「……会って話がしたいんです」
「ダメだ。お前も見たはずだ。勇者は正常ではない」
「それでも、たしかめたいことがあるんです」
カナは不器用にもアルレンをにらみ返した。
「ゼノに似て勝手な奴だ。お前は俺の所有物だぞ」
「わ、わたしは……そうなったつもりはないです」
嫌悪な空気が募っていく。内心、カナはおそろしすぎて逃げだしたいくらいだったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「それなら、私が護衛いたしましょうか」
「…………」
カノンがにこやかに手をあげると、アルレンは沈黙した。不服であることに変わりはないようだが。
「私ならば敵対する人もいませんし、騎士団にも顔がききます。適任でしょう?」
カノンのフォローに、リミちゃんはぱあっと顔を明るくした。
「……いいだろう。ただし条件がある」
「なんでしょう」
すました顔でカノンは問う。なんて頼りになる少女だ。
「昼までに起きろ。そして夕刻までには帰ってこい」
「ゔっ……」
なんか奇妙な声がカノンから漏れたが、こうしてカナは約束をとりつけ、明日の日中に勇者に会いにいくことになった。




