#54 思わぬ来訪者
「はあっ!」
カナは〝エリュシオン〟に降り立った。起きてるのに目覚めるような感覚はいつまで経ってもなれないものだ。
そこは街灯の淡い光が照らすオルキナの街道だった。記憶に新しい景色だ。膝の上にはフューリィが着ていた服が、砂のようなものにまみれて乗っかっていた。
「なんで……?」
カナは魔王の資格を継承した直後の時間にやってきていた。この周期ではフューリィを助けられないということだ。
周囲を見渡すと、当時の面々が茫然とした様子でそこに居た。アルレンを除き、みなカナと同じように荒げた息を整えている。
「カナお姉ちゃん……なの?」
すぐ後ろにいたリミちゃんが、おそるおそる尋ねた。
「うん……もどってきたよ……」
「カナっ……! おかえり!」
マヤが脇目も振らずカナに抱きついた。
「ただいま、マヤ……。でも、この状況は……」
前の周期と完全に同じだった。何が起こるのかわかるんだから、だれかが未来を変えようとして状況が変わっていてもおかしくないのに。
本人には失礼だが、ミラの銃撃などわかっていれば止めるにたやすいはずだ。それを誰もせず、彼女はすぐそこで煙を上げながら沈黙している。
「どういうことだ……」
アルレンもまた状況を理解できていないようで、周囲を見渡している。
「アルレンさん……?」
「俺たちも、今この時間に戻ってきた……」
その言葉にカナは絶句する。勇者の旅がはじまるところまで、世界が巻き戻らなかった。まるでゲームのセーブデータを読み込んだかのように、世界は途中からはじまった。
「カナちゃん、本の結末は?」
ゼノが慌ただしく尋ね、カナは我に返った。そうだ。こうしている場合ではない。
「……わたしが、死にます」
しばしを沈黙のときが流れる。再会は断じて、喜ばしいものとはいえない空気が続いた。
*
アルレンの邸宅。受付の奥にある事務室にカナはやってきた。
部屋の真ん中におおきな机があり、隅にはふかふかの仮眠ベッドが置いてある部屋だった。事務的な書類の入った棚もあるが、かなり雑にあつかわれているようである。
そこに居るのはアルレンと、マヤと、リミちゃん。ゼノはアルレンの意向で外された。余計なことをしでかすから、という理由で。
扉の向こうから気配がするから、おそらく盗み聞きしているのだろう。アルレンも面倒なようで、それ以上はなにも言わないようである。
「わかってはいるだろうが、未解決の問題は山積みだ」
アルレンがそう切り出し〝自覚者〟が解決せねばならないものを列挙する。
「まず一つ。マヤが〝自覚者〟に変わったこと。過去に類を見ない現象だ。なにか原因に心当たりはないのか?」
「わ、わからないわ。ただ、フューリィからすごいたくさんの魔力が流れて……それがまだあたしに内在してるみたいなの」
マヤが答えると、アルレンはその発言内容を資料に書き記していく。
「……古代の魔力、か。それはもう使ったのか?」
「まだよ。なにか、危険なかんじがして……」
「ここで使ってみせろ」
「こ、ここで……? じゃあ――」
マヤは机の上に両手をかかげて、念じた。
『――石よ転がれ』
ずん。
手のひらサイズの銀の鉄球がマヤの目の前に落ちて机にめり込んだ。
「ずいぶんと重い石だな」
「……すごく加減したのに! これじゃなにもできないじゃない!」
マヤはめちゃくちゃ強い力を手に入れていた。恵みの雨をいま降らせたら、王都は沈むのだろう。
困ったようなことを言っているが、マヤの表情は嬉しさを隠しきれていない。世界一の魔法使いに大きく近づいたのだから仕方ないのかもしれない。
「俺のように防御魔法の探求をすすめることだな。強すぎる力は孤立をまねくぞ」
「あ、うん……」
それでもなお、冷徹な眼鏡が立ちはだかるようだが。
「マヤの件に関しては、被験者をさがし魔力をあたえる実験をする。古代の魔力を保持すれば、記憶が受け継がれるのか確かめる」
「わかった」
「そして次の問題が、魔王という資格が継承されたということだ。カナ、どうやった?」
みながカナに注目した。カナは記憶を呼びおこす。フューリィや、ハイドとのやりとりを。
「ハイド……古代の意志はこう言いました。フューリィちゃんははじめから資格を継承することを決めていたって。たぶん、マヤと一緒にたすけられたときだと思います……」
そして世界が閉じる直前、カナは宣言したのだ。
わたしが魔王になる、と。
「つまり、資格を継承する動きと、継いだ者がそれを宣言する動きがあるわけか。その目元の紋様はなんだ。隈が変形したのか?」
カナはぴかぴかな机に映る自身の顔をたしかめた。そこには現実で見たのと同じものがある。
「これは……わたしにもわからないです。向こうの世界でも同じものが付いてました」
「魔王にまつわるものではないな。ともすれば古代の意思にまつわるものか」
「きっと、そうだと思います」
アルレンの推測にカナは頷いた。アルレンは一度たばこをふかして、煙を吐いてからカナに命令した。
「実験だ、カナ。その魔王の資格とやら、俺にわたせ」
「そんな……」
「お前が持っているよりずっとマシだ。殺せば、奪えるのか?」
たしかにそうかもしれなかった。生存するという点でみれば、カナよりもアルレンのほうがずっと適任なのだ。彼はだれの手にも負えないほど、強すぎるから。
反してカナは、勇者ではない敵意を持つ者にねらわれたら、そうはいかない。
本当に殺すことも厭わないかのような冷徹な眼差しを向けられて、カナは怯えてうつむいてしまった。
しかしリミちゃんとマヤは、そうではない。
「ちょっとボス! ノンデリすぎ!」
「そうよ。フューリィはカナが魔王になることを望んだのよ!」
アルレンは女子二人の高圧的な物言いにも動じない。
「明日の深夜、カナは殺されるのだろう」
「ぬうう……」
その一言で二人をだまらせた。
「俺が手を下さなくても、同じことを考えた誰かが動くこともありえる話だ。そもそも、お前たちはカナと寝ていたのだろう。真っ先に疑われるのはお前たちだ」
「そ、そんなわけ――」
二人がそんなことするわけないやろがい。
カナは心の中でつよく反論した。
「ならば屋敷にいるすべてを疑うことになるぞ。組織の崩壊につながりかねん」
「とにかく、魔王はカナお姉ちゃんなの! ボスはごっこ遊びでもしてな!」
リミちゃんは右目の下まぶたを指でさげ、舌を出しながらおそろしいことを言い放った。そのまま席を立ち、ビビりながらカナの後ろに隠れた。言わなければいいのに。
「ごっこ遊び……?」
とてつもない重圧感とともに、アルレンはその言葉の意味をたしかめるようにゆっくりと繰り返す。
「あ、あの……ごめんなさ……」
震える声であやまろうとするリミちゃんをよそに、アルレンは人差し指で眼鏡の位置をただしながら、思いもよらぬことを呟いた。
「――妙案じゃないか」
彼は魔王ごっこをするようである。
*
女子三人が絶句していると、ゼノがノックもせずに部屋の扉を開いた。
「ボスぅ、来客やで」
「誰だ」
追い返すこともせず、確認もなしに勝手に通されたことに、アルレンはかすかに苛立ちを募らせる。
しかしそこから現れた人物を目にすると、納得するしかないようだった。
「おじゃましますね」
氷のようにすきとおった声。そこに居たのは腰まで伸びる水色の髪を垂らした神秘的な少女だった。
少女の名はカノン。誰もがアルレンと同列にかたる能力の持ち主であり――〝工房〟の総責をになう者である。




