#53
二度目ともなれば、カナは落ち着いていた。やれやれだ、と溜息を吐く。再会への喜びをさしおいて湧き立つ怒りに、一度深呼吸。
「借りた本読んでる時間ないじゃんかああああああっ!」
カナは五秒間溜めこんだ怒りをぶちまけた。カナ式アンガー・マネジメント。おうちの中では元気である。
して、カナは準備をすることにした。赤い本の始動条件は結末を読むことだ。使ってないノートを机の棚から取り出して、紙を一枚やぶる。
見出しは『見ろ! ぜったいにやってはならないこと!』とした。目立つように、鉛筆ではなく油性のペンで大きく書いた。
一つ、これ以上じぶんのことをエルフだと言うな!
二つ、まほうもぜったいに使うな!
三つ、人を投げるな!
四つ、お母さんをこまらせるな!
五つ、部活にいけ!
六つ、彼氏はつくるな! ただしやさしくてイケメンなら可。
言いたいことは山のように出てくる。ようは、郷にいれば郷に従えという話。そのことわざがエルフに伝わるのかは知らない。
加えてカナはひなのに手紙を残すことにした。内容は『カナはまた壊れるのでどうにか制御してください』と。これをエルフのカナが渡してくれればいいのだが。
「あとは……」
カナは夕食の支度をしている母のところに向かった。母が娘の豹変に大きなショックを受けたであろうことは、聞かずともカナにはわかる。
父は遠方に赴任しており、連絡こそ取れるがもう半年は顔を合わせていない。これ以上大きな負担をかけるわけにはいかなかった。
「カナ、ごはん何時?」
「あ……もう食べる」
その日の夕食はでかいハンバーグだった。エルフが居た影響か、品揃えの分量がゆがんでいるようである。二人で食べきれる気がしない。
「なにか言いたいことがあるんでしょ」
「え」
テレビ番組を眺めながら向かい合って食事していると、カナの母がそう切り出した。
「あなたわかりやすいもの。すぐわかるわ」
「う……」
「また、行ってしまうのかしら」
親に隠しごとなど通用するわけがないのだ。儚げな笑みを浮かべる母に、カナは泣きそうになるのをぐっとこらえながら、噛んでいたものを飲み込んだ。
「うん。行ってくる」
その言葉にもカナの眼差しにも迷いはなかった。このとき母は娘の成長を心から実感していた。だからこそ「行かないで」という簡単な一言すら伝えられない。
「助けたい人がいるんだ」
カナは続けざまにそう告げた。それはカナの命の恩人だ。フューリィが居なければカナは銃撃に伏して、この世界に戻っていなかったのだから。
そして、エルフのカナがこの世界で生きていくことになっていたはずだった。
「カナがそう言うのなら、きっとすごく良い人なのね」
「うん。わたし、向こうの世界で助けられてばっかりだった。だからその恩返しがしたいの」
「立派よ。でも一つ、約束してね。必ず無事で、帰ってきて」
カナの母は笑みを浮かべてそう言うが、その声は涙をこらえるように、かすかに震えていた。
「うん! ぜったい、約束する!」
だからこそ心配させまいと、精一杯の自信を声に込めてカナはそう答えた。
それからカナは〝エリュシオン〟がどんなところか、カナがそこでどんなものを見てきたのかを母に伝えた。もちろん、危険な目に遭ったことは内緒だ。気づけば重々しい量の夕食も、ほとんどカナのおなかの中に入っていた。
*
これ以上思いつかないくらいに入念な準備を終えたあと、カナは赤い本を開いた。カナが過ごした世界のことが、勇者の目線で描かれている。
ほとんどの部分はソウマ教皇が魔法で記憶していたものと同じだったので、読み飛ばした。そして終盤。
『ミラの活躍により、魔王は滅びた』
この一文が出口となり、カナは元の世界に戻ってきたようだ。筆跡はかなり乱雑で、急いで記したことがうかがえる。文末には〝※〟となんらかの目印が描かれている。カナは続きを読み進めた。
§
『後ろめたさなど少しも感じなかった。
長い旅がようやく終わり、これで帰還できるのだから。
そう思っていたのに、魔王を殺した直後、聞いたこともない不快な音楽と、腹に響くような地鳴りが耳を覆った。この世界に来て初めて耳にする、世界が閉ざされる音だ。
魔王を殺せば元の世界に戻れるはずなのに。
そう信じて旅をしてきたのに、周りにいる誰もが「またやり直しだ」と確信したような眼差しをしていた。
僕はアルレンに言われて、あわてて書架を元の世界に帰すために本に加筆をした。その一文が※印を付けた文である。
その後、エルフの使用人の――もう名を隠す必要はないだろう――カナが魔王を継承した。
冷静になり、こうして筆をとった今でも、理由がまったくわからない。魔王を殺せば元の世界に帰れると言ってくれたのはカナだったのに。どうしてそれを止めるような真似をしたんだ。
魔王となった直後、元の精神が帰ってきたカナは、当然のように混乱していた。「せっかく良いところだったのに!」と頭を抱えて悔しがっていたが、何をしていたんだろう。
彼女は自身が魔王になったと打ち明けられると、ひどく驚いて叫んでいた。おかしな顔だった。今でも鮮明に思い出しては、笑いをこらえてしまう。
ともあれ、これから僕は元の世界に帰る方法を探さねばならない。魔王の資格が継承できるなら、勇者の資格もできるのではないかと考えている。それが、僕の使命なのではないだろうか。それに気付かせるためにカナは魔王になったのだろうか』
§
その筆跡はとても丁寧で、少なくとも憎まれてはいないことにカナは安堵した。
カナが魔王を継承すると決めたのは、それによって勇者も魔王も守れると確信したからである。しかし勇者が本に記す通り、資格を誰かに継承することはできるかもしれなかった。
そしていよいよ、最後の一文。異世界への入り口がそこにある。
『今やどにいるが、なにもしてないのにせかいがとじるおとがする。じなりでめがさめた。もうかなりちかい。
まおうがしんだかも 二日めしんや こわい こわいこわいこわ――』
それまでの穏やかな文章とはうって変わって、最短最速で走り書きされたメッセージに、カナの背筋に悪寒が走った。
考えもまとまらないまま、光のトンネルは開かれ、カナの精神が引き寄せられる。
たしかなことは一つある。二度目の周期でカナがしなければならないことだ。
それは、ほかでもない自身の死の回避だった。




