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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
5/110

#5


 食後、カナはセネットから一時間の猶予をもらい、ジンと共に屋敷の裏手にやってきた。薪にくべられた火は弱くなっていたが、まだ燃えている。


 ジンは倉庫から毛の蒼いモップを取りだして、カナに渡した。


「こ、これは……?」

「手に馴染みますか? それは貴方が普段愛用していた武器ですよ」

「モップが武器……?」


 エルフといえば弓を持つイメージがあり、カナは戸惑う。感触を両手でたしかめるが、そもそもどちらを上に向けるのかもわからない。


「彼女には棒術の才覚があったらしく、屋敷にあるどんな武器よりもそれが手に馴染んだそうです。私が仕込んだ武術ですが、今では油断ならない実力ですよ」


 これを武器として扱える実感は毛ほども湧かなかった。

 そもそも平穏な現代社会でひっそりぬくぬくと育ってきたカナに、戦闘なんて不可能である。


「あの、もしかして、戦わなきゃ生き残れない世界……なんですか?」

「はっはっは、そこまでの修羅道ではありませんよ。騎士や傭兵となれば話は別ですが……。少なくとも村から出ない限り、魔物に襲われることもないでしょう。魔物より恐ろしい上司はいますがね」

「あ、あはは……」


 ジンはおだやかな笑みでかるい冗談を言ったのち、険しい表情を見せた。


「本題に入りましょう。カナさん、お気づきかと思いますが、この世界は本の中にえがかれた幻想です。貴方は本に選ばれ、この世界にやってきました。かつての私のように」


 その言葉により、カナの予想はひとつ事実へと変わる。


「……やっぱり、そうなんですね」

「して、選ばれし者――〝書架(ホルダ)〟である貴方には成さねばならないことが一つあります」

「か、簡単なことなら良いですけど……」

「――それは、本の結末を変えることです」

「結末……?」


 そんなもの知らない。カナが読んだ物語は、途中で終わっていた。


 勇者は魔王の元へいたる手段を見出した。そしてその先は何もない。あるのは巻末まで続くただの空白だけ。


「カナさん、どうか私を信じて教えていただきたいことがあります。それは貴方の読んだ本が、いかにして結末を迎えたかです」


 ジンからの実直な頼みに、カナは困惑した。信頼はできるが、どう答えるべきかわからないのだ。


「わ、わたしが読んだ本は書きかけのままでしたよ? なんか……〝魔王への扉の封印を解く、画期的な方法を見つけた〟的なところで終わってました」


 知っていることだけ話すと、ジンはうなるような声をあげて、少しのあいだ考えこんだ。やがて納得のいかない様子を見せながらも一つの結論を見出した。


「ならば、貴方は封印が解かれるのを阻止せねばならないのかもしれません」

「で、出来なければどうなるのですか?」

「憑依病は治まり、元の世界に戻ります」

「へ?」


 カナは思わず間抜けな声を出してしまい、口元をかくして赤面する。


 失敗しても元の世界に戻るのなら、それに越したことは無いのでは。


「役割の成否に関わらず、貴方は元の世界に戻れます。ただ、失敗した際はこの世界との繋がりがうしなわれる……と私は聞きました。……実のところ、私もそこまで詳しくはないのです」


 申し訳なさそうな様子で、ジンは説明した。


「その……ジンさんは成功したんですか?」

「いいえ。私のように無理難題を押しつけられる者は少なくないようです」


 ジンは苦笑しているが、その眼差しは真剣そのものだ。地に膝をつけ、カナと目線のたかさを揃えると、彼はがっしりとした両手をカナの肩に置いた。


「カナさん――いずれ多くの者が本の筋書きを求めて、貴方の元を訪れるでしょう。なかには悪意を持ち、未来を都合の良いようにゆがめようとする者すらいます。人を信頼するなとは言いません。ですが用心してください。見定めなければならないときが来るかもしれませんから」


 カナはこの世界の結末とやらには、さして興味が湧かなかった。危険なことには関与しないようにと、母から強く(しつ)けられている上に、そもそも彼女には自信が無い。


 世界の命運に関わるなんて無理だ。


 いずれにせよ、この怪文書の中から元の世界にもどれるのなら、カナが変えたいと思うのはただひとつ。

 マヤという少女の運命。それだけだった。


「あの……ジンさん。相談したいことが……」


 カナはジンのことを信じて、本に書かれていた未来を明かすことにした。勇者との同行でマヤが死ぬことを。


 するとジンは大きく目を見開いた。それまで落ち着きのあった彼の雰囲気が、みるみるうちに重苦しくなっていく。


「……それは、間違いないのですか」

「ま、マヤは……〝塔の守護者〟ですよね。本人も知らないけど、両親から大切な使命を継承してるはずです……よね?」


 村の北東にある山林には、誰も立ち入ることの出来ない古びた石塔が(そび)えている。


 入り口に施された結界はマヤの呼びかけに呼応することで解除され、内部の探索が出来るようになる。


 しかしマヤが結界を解除した直後、勇者の一行は何者かの襲撃に遭い――才能こそあれど実戦に慣れていなかったマヤは、勇者を導くという役割を果たして死ぬ。


 カナがジンに説明したその筋書きには、本を読んだ彼女にしか知り得ない事実が含まれていた。


「うっ……!」


 ジンは突如、頭痛に襲われてこめかみを押さえた。顔を伏せ、白い手袋に(おお)われた拳を握りしめる。


 身の毛もよだつほどの重圧にカナは怖気づいた。とてつもなく強い怒りを感じる。


「勇者め……!」


 ジンはおぼつかない足取りで森に一歩踏み入ると――そこに生えていた樹木を、全力で殴り飛ばした。


 カナはおそれのあまり、モップを捨てて頭をかかえて伏せた。そっと目をやると、硬質な樹木が拳骨によってへし折れているのが見え、絶句する。


 彼の手袋が、出血によってじわじわと赤く染まっていくのが見える。


「ひええ……言わなければよかった……」


 ジンは肩で息をしながら、カナのところへ戻った。小動物のように怯える彼女を見て、平静さを取り戻したようである。


「お見苦しいところをお見せしました……。カナさん、怖がらないで……」

「血! 血が……!」

「あ、ああ……これくらい大したことありませんよ。カナさん、感謝いたします。貴方がいなければ、私は何もできずに最後の希望を失うところでした」

「どうすれば止められるんでしょう……」

「――マヤに関しては、私がなんとかします。カナさん、貴方は勇者と接触してはいけません」


 ジンの言葉に、カナはきょとんとして尋ねた。


「な、なんでですか?」

「言葉の持つ印象に惑わされてはいけません。勇者は……この世界で最も危険な男です」


 にわかには信じられないことだ。カナは一度、草原にて勇者に救われている。記憶に残る勇者は、武装していることを除けば、さわやかで優しい好青年のような人物だった。


「ま、待ってください。結末を変えなくちゃいけないのに、勇者さんとは関わってはいけないって……。……無理ゲーでは?」

「どうしても接触を避けられないときは、どこにでもいるひとりの村人として接してください。彼に何らかの印象を与えてはなりません」


 複雑すぎる条件に、カナは混乱して顔をしかめた。


「め、目立つなってことですか? それは……得意ですけど……」

「世界の運命を記す本の著者が誰だか覚えていますか?」


 カナはその質問にハッとなった。あの本は、空想上の視点によって書かれたものではないのだ。


「まさか、勇者本人が……?」

「そうです。憑依病になった者はその運命に干渉できます。ですが、勇者によって行動を描写された者は――その通りに動くことしかできない傀儡(くぐつ)に成りはてます。ですから、決して彼に会っては――」


 必死なジンの説明は、セネットの大声にさえぎられることになる。


「あっ、あんたら、こんなところに居たのか!」

「――セネットさん、今は少々取り込んでいまして……」

「そう言われてもね。カナ、あんたに客人だよ」


 カナの背筋に、悪寒に似た緊張感がほとばしる。

 同じく嫌な予感がしていたのだろう。ジンはおそるおそる、セネットに問う。


「……客人とは、一体?」

「勇者様だよ。カナに用があるんだとさ」

「待ってください。勇者はもう、カナの名前を知っているのですか?」

「はあ? なんでそんなこと……」


 普段と異なるジンの様子に、セネットも只事ではないことを察していた。


「カナさん、裏口から自室に戻りましょう。少しのあいだ、身をひそめていてください」

「は、はい……」


 ジンに促され、カナは忍び足で屋敷のなかに戻った。

 それを見送ると、ジンはセネットと共に勇者が待つ場所に向かった。



 *



 リュウは二人の仲間と共に、屋敷のエントランスホールに立っていた。


 仲間の一人は聖職者の姿をした気品のある女性で、もう一人は山のような体躯をした獣人の男性だ。


 ジンは歓迎の笑みを浮かべながら、勇者に尋ねる。


「――これは勇者様、こちらには何の御用で?」

「……カナはいないのですか?」

「あの子は少々、神出鬼没でして……。今ここにはいないようです。伝言があれば授かりますが、いかがいたしましょう」


 ジンが嘘をついていることに気づいていないのか、リュウは困った顔をした。

 しかし仲間の一人、凛々しい顔つきをした獣人の男・サーベラスが、顔を天井に向けながら口をはさむ。


「リュウ殿、この男から血の匂いがしますぞ」


 その言葉に、リュウたちはジンの右手が出血していることに気づいた。


「執事の方、その右手はどうされたのです」


 すかさずリュウは問う。さりとてその眼差しに疑念は感じない。


 ジンは内心、焦りはじめていた。優れた嗅覚を持つ獣人が仲間にいるのは想定外だった。これではカナが隠れていることも、たやすく暴かれてしまう。


「……屋敷の裏手の樹木を伐採する際に、怪我をしたのです」

「ちょうどいい。ミラは回復術が使えます。まずは治療しましょう」


 リュウがそう提案すると、ミラと呼ばれた聖職者はうなずき、一歩前に出た。


 彼女は絵に描いたような、非の打ち所がない美少女だった。

 生糸のようなプラチナブロンドの髪に、すみわたる空のような色をする美しい瞳。

 露出のない潔白な衣装ですら隠しきれぬ扇状的な美しさを持ちながら、この屋敷の誰よりも若く見える。その姿に見惚(みと)れない男などいない。


「傷を見せてください」

「え、ええ……」


 ジンは手袋を外し、ミラに右手を向けた。内出血により青く変色した痛々しい皮膚があらわになる。


「これくらいなら『ヒール』で充分ですね」


 ミラは柔らかな口調でそう言うと、優しい光に覆われた両手をジンに向けた。

 そしてまたたく間に彼の怪我をなおしてしまった。


「感謝いたします。見事なお手並でした」


 ジンが深々と頭を下げて礼を言うと、ミラは嬉しそうににこやかな笑みを見せた。


 ジンにとって、勇者は危険な存在だ。さりとて、敵対しているわけではない。ただ、関わらなければそれでいい。


 勇者は危険な魔物に対する抑止力として、世界に必要とされる存在である。


 だが運命を知ったジンにとっては話が別だった。娘のように慕う主人が殺されるのを傍観している気など、彼にはさらさらなかった。


 たとえ、それで世界が終わったとしてもだ。


「……カナを隠す理由を聞いても?」

「はて、何のことやら」


 ジンは断固として、見えすいた嘘を貫き通すつもりでいた。

 しかしリュウには、カナがいるという確信がすでに芽生えていた。


 物陰から様子を盗み見る彼女の姿が視界に映っていたのだ。完全に隠れていたとしても、気配まで隠すすべを今のカナは持ち合わせていない。

 リュウは苦笑しながらも話を進めた。


「まあ、いい。屋敷の主人はいますか?」

「マヤですか。すぐにお呼びします」


 セネットはそう言うと、駆け足でマヤの私室に向かった。


「すぐに済むと思いましたが、これなら客間に通してもらうんでしたな」


 獣人の男が愚痴をこぼす。ジンを不審に思っていたのか、獲物を狙うような視線を彼に送っていたものの、ジンは一切動じていない。


「……ところで、カナには何の御用で?」


 ジンはダメ元で勇者に対して探りを入れた。はぐらかされるという予想に反し、リュウはためらいもなく、にこやかに答えた。


「彼女には旅の仲間に加わって貰いたいんです」


 物陰でそれを聞いたカナも、平静を装っていたジンも、驚きに言葉を失うほかない。


 カナが干渉するまでもなく、すでに世界の運命は自発的にその形を変えはじめていたのである。

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― 新着の感想 ―
勇者が危険な存在! これは面白いコンセプトですね。 勇者はジンの言うとおり本当に危険なのか? でもカナが会うと何かが起きそうですね。
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