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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
45/110

#45 胡蝶の夢


「はあっ!」


 カナは飛び起きた。いや、はじめから起きている。精神が現実の世界に戻ってきたのだ。

 空気の重みが全然違う。秋だというのに何やら暑苦しく、制服を着た身体が汗ばんでいて気持ちが悪い。


 カナは何故か、手にモップを持っていた。あまり知らないが、校内にある武道館を掃除するためのものであろう。すぐにわかったのはカナがそこに居たからだ。


 カナの目の前には、少女が居る。誰だか知らないが、黒茶の髪を後ろで結っていて、凛々しい眼差しをする綺麗な少女だった。なんとなく雰囲気はマヤに似ているだろうか。

 して、そんな彼女は剣道着を着ており、気迫猛々しく竹刀を振りかぶり、今まさにそれをカナに落とそうとしているところである。


「はい?」


 それがカナの最後の言葉だった。

 すこーーん。

 落ち葉舞う、夕焼けの空。軽快な打擲(ちょうちゃく)が、カナのおでこのてっぺんから響いた。



 *



 カナが目を開けると、知らない天井がそこにはあった。

 ほのかな花の香りと、パステルカラーのカーテンをみて、保健室に運ばれたということに彼女は気付く。

 カナはおでこに貼られたガーゼを指で撫でながら、ゆっくりと身体を起こした。窓の外、空は朱い。

 グラウンドから響く運動部の掛け声に、安堵の息を漏らす。そう長くは眠っていなかったようだ。


「あ、江利田(えりだ)ちゃん。目が覚めた?」


 眼鏡をかけた若い保健医の女性が、椅子を回しながらカナの方を見た。


「はい。もどりました……」


 心ここに在らずといった様子で変なことを呟くカナに、保健医はきょとんとする。

 江利田ちゃんと呼ばれたことに、カナは自身が本当に戻ってきたのだと強く実感した。


「……ほんとに大丈夫? 大きな病院で診てもらおうか?」


 入院という言葉が脳裏を()ぎり、カナは慌ててそれを断った。そんなことしたら、クラスの注目の的ではないか。


「いえ、全然! 元気です! 一人で帰れますから!」

「……そお? 元気ならいいけど……。剣道部の……なんだっけ。岩下ちゃんだ。かなり気に病んでたから。ちゃんと話してあげてね」

「岩下……わかりました」


 剣道部の岩下ちゃん。知らない名前だが、カナはそれを忘れないようにした。エルフのカナが〝エリュシオン〟で数奇な出会いをしたように、江利田カナにも出会いがあったということで、ひとまずカナは納得していた。


 カナは帰宅する前に武道館に顔を覗かせてみた。

 岩下ちゃんが、顧問の教師にこっ酷く叱られて泣いている。なんて剣幕だろうか。他の部員はすでに帰宅しているようである。

 こういうときってスマホで動画を撮ったほうがいいのだろうか。

 そんなことを考えていると、目元に涙を浮かべる岩下ちゃんと、カナは目が合った。


「あ……」


 岩下ちゃんの視線に気付き、剣道部の顧問も振り返ってカナを見つけた。顧問はワニのような怖い顔を一瞬、引きつらせた。が、すぐに元の荒々しい顔つきに戻った。


「江利田ッ!」

「は、はひ……」


 カナは詰まる息が漏れ出すような返事をした。


「座れ」


 その後カナは岩下ちゃんの横に正座させられ、しばらくのときを同じように説教されるのだった。

 剣道部の少女とチャンバラごっこをして説教されるなど、カナの人生史上最悪の屈辱である。説教の内容は右耳から左耳に通り抜けたので、よく覚えていない。


 ひとしきりガミガミし終えた後、顧問は片付けの指示をして職員室に帰っていった。


(お、終わった……! アルレンさんより怖かった……!)


 怖さの方向性が違うけど。嵐が過ぎ去った気分である。

 そのまま力無くへたりこむと、岩下ちゃんが鼻を赤くしてすすりながら、カナににじり寄った。


「カナ! 大丈夫?」

「うん。全然平気だよ、岩下さん」


 カナは岩下ちゃんが気負わぬように努めて、優しく微笑んだ。

 逆効果である。岩下ちゃんに一閃の電流が迸ほとばしる。その衝撃のあまり口を半開きにして、呆然としながら呟いた。


「カナが壊れてる……」


 これが正常なんだけど。



 *



 カナと岩下ちゃんは途中まで、一緒に帰ることにした。誰かと下校するのは、カナには小学生ぶりのことである。気恥ずかしさに毛編みのマフラーで口元を隠して、帰路についた。

 今は二人、田舎の道を自転車で照らしながら並走している。


「はあ……来年の大会出られなかったらどうしよう……」


 陽が沈み、夜に変わりゆく地平線を眺めながら、岩下ちゃんは呟いた。


「な、なんか、ごめんね……」

「謝るのはあたしだよ。せっかく鍛えてもらってたのに」


(え、あれって鍛えてたの? モップだよ?)


 心の中でカナは突っ込んだが、ジンの言っていたエルフのカナの性格を鑑みればあり得ない話でもないのかもしれない。

 なんだか今、彼女は自身の生活に対してすごく嫌な予感がしている。


 カナは信じてもらえないことを覚悟の上で、岩下ちゃんに数奇な事実を打ち明けた。


「……実はわたしね。うーん……変なこと言うんだけど、夢の世界を旅してたんだよね……。で、さっき戻ってきたの」

「うん、知ってるよ」


 勇気を出して告げるカナに反して、岩下ちゃんはあっけからんとした様子で即答する。


「えっ」カナから間抜けな声が出た。


 曰く、エルフのカナは自分がなんであるかを何の躊躇いもなく周囲に打ち明けまくっていたらしい。

 カナの自転車の速度が弱まる。岩下ちゃんもそれに合わせた。


「あなたエルフなんでしょ。風の声(笑)(かっこわら)が聞けるとかなんとか。結構有名だよ」

()あああああああああああああああああっっっっ!」


 カナは足を止め、顔を真っ赤にしながら岩下ちゃんの言葉を止めようと叫んだ。

 どこかの犬が返事をするように遠吠えをする。呼んでねえよ。

 わたしがこの身体は借り物だからと憂慮に配慮を重ね重ねしている間に奴は何しとん。

 カナの心の中のエセ関西人が熱暴走をはじめている。


「まあでも……信じるよ」

「ええ……」


 岩下ちゃんも足を止め、振り返りながら真面目な顔でそう言うので、カナは思わず引き気味になる。


「実際にカナ、すごい強かったし……。しかもさっき光ってたからね」

「強かった。しかも光ってた」


 カナは思考が停止して、言われたことを機械のように復唱する。

 それはきっと互いの意識が元に戻るときの光を見たのだろう。竹刀振るうの止めろよ。


「それに目元のそれ、いきなり浮き出てきたからね」

「……え?」


 カナは顧問に説教されたときにこんなことを言われたのを思い出した。


『江利田、その顔の落書きはなんだ!』


 どうせパンダみたいな(くま)のことだろうと反射的に謝っていたが、考えてみれば落書きと言われるのはどうもおかしい。


 カナは咄嗟にスマホのライトとカメラをつけて、自分の顔を撮影した。エルフのときと違って美白肌とはほど遠いから、あまり見たくはないのだが。

 画面に映し出された彼女の顔に付いているのは、隈ではなかった。


 隈と同じ紫色で描かれた、左右対称の――紋様。

 目の下に、何か文字のようなものが描かれている。


 なんだこれ。カナは思わず言葉を失った。なにかのコスプレのようである。

 元々なかったものが浮き出たというのも変な話だ。恥ずかしくはあるが、カナはさして悪い気がせず、むしろ頬を(ほころ)ばせた。


 それはカナが見てきた幻想のような世界が、現実であるという証左となっていたからである。


 その後岩下ちゃんと別れると、カナは残りの帰路を最短距離で爆走した。

 自宅に着くと駐車場の奥に自転車を停め、鍵をかけないまま玄関に駆けこむ。

 ガチャ、という些細な金属質の音にすら懐かしさを感じながら、慌ただしく家にあがって、リビングの扉を開け放った。


「おかあさん! わたしの前髪知らない!?」


 カナの母は台所で夕食の準備をしていた。味噌汁の出汁の香りが、カナの鼻腔をくすぐる。母はカナが帰ってきたことに気付くと、料理の手を止めて彼女に優しく微笑んだ。


「あら……おかえり、カナ」


 再会は笑い話で。

 そう決めていたカナの意向はその一言で、たやすくうち崩れた。

 年甲斐もなく、カナは幼児みたいに顔を歪ませながら母に抱きついた。


「だだいば……おがあざん……!」


 彼女の嗚咽は隣の家まで響いていた。それでもカナの母はそれを注意することもなく、しばらくの間、優しく彼女の頭を撫でていた。


 こうしてカナは、ようやく無事に現実に帰ってきたのだった。

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