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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
44/110

#44 継承する者


 魔王の身体のほとんどが、風に舞い散ってしまうのと同時のことである。

 夜空にオルゴールの音色が鳴った。どこから流れているかはわからない。儚げであり小気味の悪い旋律が、たしかに鳴り響いているのだ。

 さりとて、すべての者がそれに気付いているわけではなかった。


「な、何この音楽――頭のなかに直接響いて……!」


 それを認識するのはすべての〝自覚者〟と、勇者と、そしてどういうわけかマヤもだった。


 その音色はまるで魔王の退滅を祝福しているかのようだった。

 けれど皮肉なことに、聴こえる者は勇者を除いてだれもそれを望んでいない。


「なーんかイヤな予感するねんけど……」


 ゼノはみなが思っていたことを、空を眺めて顔を引きつらせながら呟いた。

 同時のことである。


 ずずず――。

 聞きたくもなかった震動を〝自覚者〟たちは感じ取った。

 やはりそれは祝福のオルゴールなどではなく、終末の鐘だった。


「この音はなんだ……? 帰れるんだよな……?」


 勇者はここに来て初めて、崩壊の予兆を耳にした。焦燥感に駆られ、凍りついている。


 誰もが諦観に満ちた顔で空を眺めていた。

 魔王が滅び、世界が完全に閉じようとしている。まだ勇者は生きているのに、彼もろとも飲み込もうと渦が閉じる音がするのだ。

 しかし理由を探っている余裕など今の彼らにはなかった。


「勇者ッ!」沈黙を突き破り、柄にもなく大声で彼を呼ぶのはアルレンだった。


「え……?」

「本ッ! カナを元の世界に戻せ!」


 アルレンの必死な怒号は、停止していた勇者の思考を突き動かす。


「まずい。宿だ……!」


 咄嗟に勇者はミラをどかして雷へと変わり、雷鳴とともに王都の街並みを飛び越えていった。


「もう、リュウったら……。まあいいわ。これで心置きなく貴方を殺せるもの」


 そう言いながら再びミラはカナに銃口を向ける。が、即座にアルレンに意識を落とされた。容赦のない一撃に周りは思わず目を覆う。

 ものの数秒で、ミラは白旗を掲げながらうつ伏せに伸びていた。何やら焼けるような音とともに頭から煙が昇っている。生きているだけ温情なのかもしれないが。


「〝黎明〟メンバーは大至急邸宅に戻れ。部屋の安全を確認したのち、眠りにつけ」


 アルレンは淡々と命令を下す。その声に微かに宿る、隠しきれぬ悔しさには誰もが気付いていた。

 一縷の希望が見えたのに。またなのだ。また彼らは、やり直すことになる。


 メンバーたちが肩を落としながら、重々しい足取りで邸宅へと戻っていく。

 カナは到底、立ち上がる気になれなかった。

 彼女の膝の上には、微かに魔王の痕跡が砂として残る、地味だけれど可愛らしいワンピースだけが残っていた。


「ごめんね、フューリィちゃん……」


 カナは涙を溢しながら、彼女の衣服をぎゅっと握りしめる。


(この子は、わたしを守ったから死んだんだ。わたしが弱いから――)


 罪悪感を自覚すると、心が決壊してカナは慟哭(どうこく)を撒き散らした。


「カナお姉ちゃん。大丈夫。次の周期で守ればいいの」


 リミちゃんはカナを抱きしめて、ひたむきに頭を撫でた。その手は震えている。世界の崩壊に恐怖しているのが、カナにはすぐにわかった。


「うう、うああん……!」


 たしかにそうだ。この世界ではやり直せるんだ。

 実に滑稽ではないか。周期を終わらせると決意を固めたばかりなのに、周期の存在に安堵して、それを利用しようとするなんて。

 所詮は詭弁に過ぎなかったのだと、カナは心の底から自嘲する。


(でもほんとうに、それでいいの……?)


 そんな時、カナの身体から淡い光の泡沫が湧き立った。

 少しずつ数を増して、カナを穏やかな色で包み込んでいく。


「勇者が加筆したんだ!」


 リミちゃんの言葉が意味するのは、本に書かれた結末が変わったということだ。


(帰るんだ。元の世界に――)


 泣いてる場合ではない。マヤに束の間の別れを告げようと、彼女のほうを見たときである。

 やけに静かだった理由を語るかのように、マヤはその場で膝を抱えてしゃがみこみ、怯えていた。


「マヤ! どうしたの?」

「聴こえる……」

「え?」

「地鳴りと、オルゴールの音が聴こえるの……」


 アルレンですら、その発言には自身の耳を疑っていたに違いない。

 ――マヤが、〝自覚者〟に変わっている。


「なんで――?」


 理由を考えている場合ではない。あんな理不尽の恐怖を、マヤにまで味わってほしくない。

 気付かぬうちにカナは古代の姿に変身していた。彼女が怖い思いをしない方法を探るために。


「時間はまだある。邸宅に行け」アルレンはそう指示する。


 それでもいい。もっといい方法があるならばと、カナは古代の叡智をひっきりなしに探索していく。きっと何かあるはずだった。図書館で本を探すのは、誰よりも得意だから。


(ハイド、おねがい。手を貸して)


 カナは目を瞑り、精神を集中させた。かつてないほどの魔力が、足元の黒い魔法陣から電気のように暴れ出している。感電はしないが。


「うおっ! カナちゃん、いきなりどしたん!」


 ゼノはすっかりカナの変身を警戒するようになっていた。


「黒い嵐を止める方法を探します」


 カナが答えるとゼノは身構えながら「はあっ?」と間抜けな声を返す。


 深層意識の中には、古代人たちの記憶が連なっている。

 聴覚で聞き取っているわけではないが、カナはたしかに古代人の声を感じ取っていた。老若男女、いろんな声が混ざっている。


『魔王と勇者は世界の支柱だ』知ってるよ。


『片方でも失えば、世界の大半は潰える』それも知ってる。


『でも残る部分もある。アルレンは〝波及力〟と呼んでいるだろう。宇宙の閉塞に抗う力のことさ』

 勇者を中心になんキロってやつでしょ。


「今、アルレンって……」

「ん?」


 カナはかっと眼を見開いた。三つ目の声には聞き馴染みがあり、彼女の中に確信が芽生える。

 しかし時間がない。もう元の世界に戻される。カナを覆う光は強く、彼女はなにか吸引力を感じはじめていた。


「ハイドっ! そこに居るんだね!」


 けだまああああ。ふんばりながら、カナは叫んだ。気持ちが重要だ。まだ戻りたくない。あと五分!


『勇者は〝波及力〟こそ持つが、資格が不完全なのだ。ひびの入った支柱では、世界の崩落に耐えられない。すなわち、魔王が滅すれば、世界の閉塞を止められない』


 古代の老父がそう言った。

 封印されていたフューリィにも少なからず〝波及力〟があり、これまではそれのおかげで勇者を中心とする空間は崩壊を免れていた。古代の思念が、そう推察する。


『簡単な話だ。崩壊は支柱の消失により起こる。ならば、支柱を立てれば崩壊は止まる』


 古代の老婆がそう言った。

 つまり。


『――魔王になれ、カナ』


 ハイドがそう告げた。それが唯一の方法であると言わんばかりに。

 カナは眼を丸くするが、不思議とそこまで驚きはしなかった。

 むしろなにか感動のようなものさえあった。運命が本当に意思を持っているかのように、人々を導いているように感じたのだ。



 *



『危険では』『希望だぞ』『魔王の一部になるのか』『勇者はどうする』


 一つになっているはずの古代の意志が統率を失って口論を始めている。全能のように見える彼らにも未知に対する恐怖があるらしい。

 それを尻目に、カナは思考を巡らせた。


(そんな簡単になれって言われても……)


 魔王になるとはつまり、借り物の身体で世界と敵対するということだ。

 今自分は、許されないことをしようとしているのではないか。

 至極当然、カナは不安に押し潰されそうになっていた。


『鈍いヤツ。なんで魔王が銃弾ごときにやられたと思う』

「え……?」

『初めから汝に、魔王の資格を継承することを決めていたんだよ』


 カナには一つ心当たりがあった。

 魔力切れを起こして倒れたときだ。フューリィはカナと手を繋ぎ、魔力とともに何かを託していたのだ。継承者の資格とでも言うべきか。

 だから少しずつ力を失って、アルレンの魔法にもかかり、ミラの凶弾に伏した。


「どうしてそんなこと……」

『それが世界にとっての最善だと知っていたのだろう』


 カナは理解に苦しむ。フューリィは力を委譲しなければ誰にも負けないはずだ。

 世界に恐れるものがなければ、平和を約束して生き続ければ良かったのではないか。


「わたしがなったところで、なにが違うの――」


 カナはそう考えたところで、同時にふっと閃きが頭をよぎる。

 フューリィが魔王で居続けるかぎり、平和は約束されないのだ。勇者があれ(・・)だから。


 でも、もしかしたら、ひょっとすると。

 自分が魔王になったら――勇者は魔王を殺せなくなるのではないか。


 吸引力がさらに強まる。時空の歪みに、頭がすぽんと抜けそうである。もう一分も猶予がない。


『決めるのは汝だ。向こうの世界からやってきた、江利田カナ』


 それが古代人の総意だった。


「さっきから何を独りで喋っている、カナ」


 アルレンが冷酷な眼差しでカナを見ている。時空の歪みは、カナにしか見えていないようである。


「――なるよ」

「何?」


 カナは一縷の決意を眼に宿して、世界に向けて宣言した。


「――わたし、魔王になります」


 継承者の声が波紋のように広がると、終末の鐘は嘘のように鳴り止んだ。地鳴りも止まって、閉じかけていた闇の渦が弾け飛んだ。


 またね、と一言、怯えるマヤに別れを告げる。

 そこからのやり取りを、カナはよく知らない。

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