#43 機械仕掛けの凶弾
「それはウソよ!」
誰もが不信感を募らせる中、マヤだけがそう断言した。その眼には迷いがない。
「ここが地獄とも知らない部外者は黙れッ!」
「いいえ、黙らないわ。あたしはカナを信じてるもの。カナはあなたも魔王も守るために、ここに居るのよ。それがどれだけ勇気の要ることかあなたには分からないでしょう。そんなカナをあなた自身が否定するなら――あたしはあなたを許さない!」
マヤは臆さず勇者に対して、そしてそれを信仰する世界に対して宣戦布告をした。
「運命に気付かない哀れな人形がぁ……!」
勇者は自身の頭を掻きむしった。真実が伝わらないことにむず痒いもどかしさを感じているようだった。
気付けば、カナたちを取り囲む人々は数を増している。日没が過ぎ、悪しき者が好む時間になっても尚、その混乱は止みそうにない。
*
勇者は魔王に敗れた。
しかしアルレンは魔王を制圧し、カナは魔王を従わせた。
英雄的な行為をしたカナは、さりとて魔王を守れと言う。アルレンも魔王にとどめを刺そうとせず、娘のように抱きかかえる様子を目撃したという話もある。
兵士の中にも勇者を励ます者もいれば、勇者を止めようとする者もいる。
この場における正義は誰だ。
錯綜する情報に誰もが疑念を抱き、そしてそれに答える者はいない。
魔王が復活し、ただ何もせずそこに突っ立っているだけで混乱の渦が巻き起こる。それはまるで嵐のように。
「収拾がつかないな。騒々しいのは嫌いなのに……」
アルレンが愚痴を溢すと、フューリィはニッと八重歯を見せて笑った。
「ワシを殺さなかった罰だなっ!」
「お前はなんなんだ。死にたがりなのか?」
「違うぞ! 〝カルドーンの炎帝〟たるワシが一体いかなる理由で滅びるのか、知りたいのだ!」
「運命とやらも、とんだホラ吹きだ。この世界にお前を殺せる者は居ない」
アルレンはそう言うが、フューリィは自身の死に対する確信があるようで、微笑みながらも首を横に振った。
「アルレンだったか。オヌシにはなかなか見どころがあるっ! ワシに魔法が効いたのが何よりの証拠! オヌシの力からは祝福の片鱗を感じた!」
「アーツ……?」
聞き馴染みのない言葉にアルレンは思わず反問した。
その直後である。勇者に向けて短刀が飛来するのを、アルレンは微かな光の反射から捉えた。咄嗟に防御魔法を展開し、勇者を保護する。
からんからん、と音を立て、短刀は虚しく地を転がった。
「きゃあ!」
ミラはびっくりして、身をかがめながら勇者から離れた。
何者かが勇者の暗殺を企てたことがわかると、民衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
兵士の多くが武器を構えて周囲を警戒するが、そのうちの一人はアルレンを刺そうと舞い出てきた。
「……〝後援会〟の連中か」
日頃から鍛えているといえど、雑兵の一人がアルレンに一矢報いようなど烏滸がましいにもほどがある。
槍の一閃を身のこなしでかわすと、ダイヤモンドの手刀を叩きつけて鎧兜の上から兵士を気絶させた。
「な、なんで……約束したのに!」
カナは些か裏切られた気分になった。しかしまあ〝黎明〟にも長の命令を聞かない者は少なからず居るようだし〝自覚者〟というのはそういうものなのかもしれない。
どうやら、狙われているのは勇者のようだった。〝後援会〟の一部はこの周期に何らかの未練があるらしく、リセットをかけようとしているようである。
たしかに暗殺ならば顔を知られることもない。神罰を受けずに次の周期を迎えられるわけだ。
「……なにもかも、めちゃくちゃじゃない」
苛立ちに声を振るわせながら、ミラが呟く。彼女は治癒魔法をアルレンの足元に居た兵士にかけて目覚めさせた。
兵士は再び槍を手に取ろうとするが、アルレンに阻止される。
「ぐああっ!」悶える兵士に向けて、尚もミラは治癒魔法は連発する。やけになって、八つ当たりでもするかのように。
「回復飽和が起きているぞ。何のつもりだ」
アルレンは舌打ちしながら、機械的に治癒魔法を放ち続けるミラの方を見た。勇者の仲間だけあって、気付かぬ者の中では優秀なほどに魔力が豊潤なようである。
直後、兵士は風船のように膨れ上がった右手でアルレンを掴み、彼の視界を遮った。打開策にはなり得ないが、少なからずそれは一瞬の隙になる。
「今だ! やれ!」
苦しみに耐えながら、必死に兵士が叫ぶ。
どういうことだと誰もが思った。勇者は保護魔法に覆われている。干渉する手段などない。
「邪魔者の記憶は排除したはずだったのに――」
ミラは屋敷でジンの怪我を治癒したことを思い返しながら呟いた。
治癒魔法と共に記憶を改竄する魔法を傷から忍ばせることなど彼女にとっては造作もない。
旅立ちに口うるさく反対する執事を黙らせたら、あとはマヤを塔に連れて行くだけだった。
しかしエルフのメイドが干渉し、ジンの洗脳を克服させた。
「下等な貴族令嬢を殺すだけの指令だったのに――」
ミラは森での想定外を思い返しながら呟いた。
塔が開かれたのを確認したら、森に潜む〝後援会〟の暗殺者に合図を送るだけだった。
しかしエルフのメイドがしゃしゃり出てきて、それを阻止した。
「勇者さまと、残りの人生を穏やかに過ごすだけだったのに――」
ミラは突然にコペラ村に戻ると言い出した勇者を思い返しながら呟いた。
〝自覚者〟でなくとも指令と共に本の筋書きは伝えられる。
塔の調査が終われば、意味深な結末が書かれるまでは何の進展もない旅が続くだけだった。
しかしエルフのメイドのことを尋ねれば、勇者はそれを希望だと宣った。
「それもこれも、貴方が原因――。癌は早いうちから取り除かないと」
カナのことを恋人だと言い切った勇者に底知れぬ愛情を抱きながら、ミラが聖衣の懐から取り出したのは、一丁の拳銃だった。
慣れた手つきで安全装置を解除すると、ミラは躊躇いもなくそれを怯えるカナに向けて構える。
「バカ、やめろッ!」勇者の必死の制止も虚しく。
三発の凶弾が、夜空に鳴った。
*
突然のことに何が起きたかも理解せぬまま、カナはゆっくりと目を開く。
少なくとも自身に怪我はない。その理由は眼前に広がる光景が語っている。
アルレンはすでに兵士の右腕を破壊しており、それを見て絶句していた。
「なん、で……?」
目を丸くしながら、カナは尋ねる。凶弾に倒れたのは、他でもない魔王・フューリィ本人だった。
カナは彼女を抱き起こし、上体を支える。可愛らしい服には、鮮血が二箇所から滲み出ている。一箇所は外したようである。
「はっはっ……。そういうことだったか……! 納得、だな……」
「ダメ……ダメだよフューリィちゃん。しゃべったら……」
なぜ勇者が手も足も出ない魔王ともあろう者が拳銃に――そう考える者は少なからず居ただろう。
しかしカナにとっては些細なことだ。それよりもまずは止血を――そう思い立ったところで、カナは気付く。古代の叡智には治癒魔法がない。
魔王が腹を押さえ倒れたまま動かないのも、それが理由なのかもしれない。
「我ながら、不思議なことをしたな……まさかワシが、異界の民を庇うとは……! どぅわ――がほっ」
「だれか、助けて……っ! アルレンさん、ゼノ……おねがいだから……!」
ゼノが慌てて駆け寄り、フューリィの服を裂いて傷を確認した。カナが安堵するのも束の間である。
出血の量とフューリィの眼差しを見て、彼は何かを悟ったように首を横に振った。
「……助けられへん」
傍観するアルレンもそれに同意見のようである。
「そんな……どうして! 魔法があるのにどうして助けられないの……」
「本人が助かることを望んでいないからだ」
アルレンが魔王の意思を代弁した。
カナは怪訝な顔をしてフューリィを見る。彼女は満足げに笑っていた。凍えるような痛みを感じているはずなのに。
「どうして……。せっかく、せっかく友だちになれたのに……!」
「ははっ……魔王に対して、友だちだと……。無礼な、ヤツめ……。だが、許そう……そんなこと言うヤツ、古代には一人も……――」
フューリィの自身の腹を押さえる手が、力無く垂れ下がった。元より魔法で造られた身体だったのか、彼女の肉体は徐々に砂へと変わり霧散していく。
「や、やった……! やりましたよ、リュウ! ついに魔王を倒したんです!」
誰もが言葉を失いながらそれを見守る中、ミラだけは無邪気に笑って勇者と喜びを分かち合った。兵士たちは背を押されるように歓声をあげる。世界は平和になったのだ。
「あ、ああ……よくやった、ミラ……」
「これでずうっと、一緒ですね」
ミラは勇者を、優しくその胸に抱き寄せる。
「何を言ってるんだ。僕はこれで帰れるはずで……」
「そうですね。仕方ないので中身はいいです。むしろ好都合かな、なんて……ふふ」
不気味なほどに煌びやかな笑みをミラは向ける。
勇者の震える手は虚空を彷徨い、ミラの背や肩に触れられない。彼はこの時初めて、自身が本から生み出したものに後悔と恐怖を抱いていた。




