#41 平和を求めて
王都オルキナの上空に、禍々しい魔力が渦を巻いている。兵士や民衆は、世界の終焉はかくして訪れるのかと、絶望に満ちた眼差しでそれを眺めていた。
渦の中心に魔王は浮かび、挑戦者が訪ねてくるのを今か今かと待ちわびている。
そんなおり、遠方より地面から天に向かう奇妙な雷電を魔王は見る。
「来たかっ!」
嬉しそうに口角をつりあげると同時である。雷に等しい速度の剣撃が、魔王フューリィの首元に向けて落ちた。
「きみだな?」
「オヌシだな!」
双方は一言、互いがなんであるかをその目で確認すると、幾重もの衝突による衝撃波が王都に降り注いだ。
王都を覆い隠す魔法障壁がそれを防ぐが、今にも壊れそうだと言わんばかりに、激しい明滅を繰り返す。
そこはもはや、この世界の地獄であると言っても過言ではない。
『一時的に〝工房〟を一般開放します。まだ避難の済んでいない方は街灯に従って工房のシェルターにお越しください』
氷のように冷たくもあり、芯のある少女の声が、王都中に波紋して響き渡る。その声こそ〝工房〟の長たるカノンのものだった。
王都中の魔石を用いた街灯が〝工房〟までの道を示すように順番に明滅し、人々を導いている。
そんな機能があったとは、王都のインフラに関わるものでも知らなかったに違いない。
*
ところ変わって、王城。
玉座の間には、騒ぎに動じずに君臨する〝金の獅子〟の姿があった。茫然と虚空を見つめるが、その眼差しは決意に固く微塵の恐れも宿ってはいない。
「陛下。ここは戦場になります。どうか、お早く避難を……」
宰相が提言するものの聞く耳も持たず、アーサー王は玉座で頬杖をつき黙ったまま動こうとしなかった。
「陛下……!」
「しつこいぞ宰相。卿は私に逃げろというのか。留守にした城は誰が守る」
「しかし……ここはあまりにも危険です!」
宰相の言葉を肯定するかのように、戦闘の衝撃で玉座には微かにも砂埃が舞っている。
そう若くはない宰相には、揺れのなか杖を支えに立っているのがやっとな状況である。
「しかと聞け。これは王命だ。すべての兵士は民衆を、勇気ある者は家族を守れと、そう伝えよ。近衛兵も、騎士団長も例外ではない。一人残らずだ」
「……確かにその通りに」
「魔王の目的はなんだ。国家など所詮はヒトの巣に過ぎないだろう。それを壊して何が楽しい」
宰相と護衛の騎士たちが慌ただしく退出し独りになった中、窓の外から垣間見える悲壮感の漂う戦禍を眺めながらアーサー王は呟いた。
*
一方、アルレンの邸宅。
勇者の怒りと魔王の哀しみの激突を、カナも含めた〝黎明〟のメンバーは庭園から見上げていた。障壁越しなので戦況は不明だが、確かなのは彼らに関与の余地はないということか。
そこにアルレンが空から黒い円盤に乗ってやってきて、驚いた様子でみなに尋ねる。
「お前たち、なぜ避難していない」
カナを死守せよという命令だから――そう答える者は一人として居ない。
彼らは危険が迫れば何かと理由をつけて命令を放棄する臆病な集団だ。なのにそうしなかったのは、ひとえにカナに希望を抱いているからである。
「あ、やっと来たボス。遅いってー!」
「ゼノ、これはどういう状況だ。……いや、いい。気付いているか? 〝解放の渦〟が――消え去った」
「えっ!」
アルレン以外誰も知らなかったらしく、メンバーたちはどよめいた。恐らく、遠方で崩壊を受けいれながら生きる者らも、勇者がまた近づいてきたとしか思っていないのだろう。
「勇者と魔王が共存すれば世界が救われる可能性がある。あるいは、魔王が持つ波及力が勇者の比にならないのか……」
いずれにせよ〝自覚者〟たちはこの状況を維持できるよう努めねばならなかった。
――魔王を、守れ。ハイドが書き記した文章の意味を、カナはこのとき初めて理解したのだった。
しかし遠い地上からでもわかる。あの戦闘に介入するのは無理だ。
どこに飛ぶかもわからない雷に、祝福とは名ばかりの無秩序な破壊の力。命がいくつあったとしても近寄ることすら叶わないだろう。
(ハイド、わたしはどうしたらいいの?)
カナは胸に手を当てて考えるが、眠るハイドは答えない。変身する勇気が湧き出ないのが、その答えであろう。
一層強いざわめきが庭園に広がる。見れば、勇者は撃墜されて、王都の天蓋に叩きつけられていた。
うずくまる勇者の血が、魔法の障壁に滴るのが確認できる。さーっと血の気が引いていくのを、カナは自覚した。時間がない。
「アルレンさん、お願いがあります……」
「なんだ」
「あの二人を、助けてください……」
カナは弱気に、この場で一番強い者にそう頼んだ。それはアルレンの目的にも合致している。勇者も魔王も死なせてはならないのだから。
「癪に触る顔だ。不快な奴を思い出す――」
「ご、ごめんなさい……」
アルレンは憎しみに満ちた眼でカナを睨みつけた。その理由をカナは知らない。というか嫌いな奴に似ててムカつくって、ただの暴言では。
「言われなくてもそうするつもりだ。〝黎明〟メンバー全員に告げる。四方に分散し、天蓋を維持する守護石を破壊しろ。勇者を地上に落とす」
アルレンはそう命令し、天高く飛びあがっていった。
ワンテンポ遅れてメンバーたちは歓声をあげ、すぐさま任務に取り掛かった。
「わたしたちも行きましょう!」
「う、うん……」
マヤの呼びかけに頷き、ゼノのパーティの面々も守護石のある城郭の尖塔に向かった。
*
魔王は納得のできない様子で腕を組み、倒れ伏す勇者を眺めている。
「うーん……弱すぎるっ! どぅわーっはっはっはっは!」
勇者は何も反論せず歯を食いしばった。力量の差を痛感していたのだ。
アルレンを殺すために毎日鍛錬をかかさなかったし、魔法の修行にも明け暮れた。にも関わらず誰にも勝てない自分の弱さを自覚して、勇者は拳を握りしめる。
結局のところ、自分は本の力がなければ何にも成せない雑兵に過ぎないのだ。勇者は心の中で自嘲しつつも、まだ諦めずに立ち上がった。
雷の力を行使しすぎたらしく、全身の筋肉から軋むような音が鳴っている。
「僕は諦めるわけにはいかないんだ……」
「ほう。その意気だけは讃えよう! いつになったら本の力を見せてくれるのだ! もう飽きてきたぞ!」
「……使わないさ」
使わないのではなく、勇者はもう本の力を使えない。
ページにはまだ余裕がある。しかし限界だった。
これ以上の記述を施すと、カナは現実に帰ってしまう。前もって内容を調整しようにも、次の周期に備えた文章を書こうとすると、何もかもが緻密な描写になって入りきらない。
アルレンとの戦闘もあり、この周期では余計なことを書きすぎていたようである。
だからこそ勇者は目の前に君臨する魔王を討ち倒し、まずは自身の現世への帰還を確定させねばならなかった。
「しかしどうにも腑に落ちん。ワシはオヌシに殺されるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい! 負ける要素がない!」
「なに……?」
「――どうやら、次の遊び相手が来たようだ!」
アルレンがやってきて、勇者を厳重な防護魔法で覆った。
勇者は驚いて目を丸くするが、アルレンの視界に勇者は入っていないようである。
「お初にお目にかかります、魔王様」
アルレンは煙草を吸いながら、フューリィに一瞥をくれた。
「……オヌシ、名はなんという。眼を見るだけでわかるぞっ! 只者ではないな!」
「――アルレン」
紫煙を吐きながら、アルレンは答えた。彼は勇者を覆った防護魔法が地に落ちるまで、時間を稼がねばならなかった。
「そうか! アルレン! オヌシは何の用でここにきた? 戦るのか! そうであろうっ!」
期待に目を輝かせる魔王には応じず、アルレンは突拍子もないことを述べる。
「貴方を守りに来た」
「ワシを守る? それは心外だな! 勇者ではワシを殺せんぞ! だがオヌシなら、あるいは!」
「……騒々しいガキだ。叫ばないと死ぬのか? 王ならば作法の一つでも弁えろ」
アルレンは早々に、彼女の危険性を見抜いていた。脳だけにすることも選択肢の一つとして浮上する。
二人の脳をどこかにでも封印すれば、晴れて世界の平和は訪れるのではないか。アルレンはそんなことを、魔王を眺めながら考える。
「ワシはじきに滅びる身! オヌシが違うというのなら誰がワシをころすのだ!」
「誰が言ったかは知らないが、そうはさせないから安心しろ」
「どぅわーーーーっはっはっはっは! 時が語ることをオヌシらは運命と呼ぶ。それに抗える者などおらん! 未来を変える者こそいれど、それこそが元より決められた運命なのだ!」
アルレンの眼差しに微かな苛立ちが募る。
手に持っていた煙草が、炭に変わって宙に舞う。
「口をひらけばどいつもこいつも運命と……。実に哀れだ。そして腹立たしい」
すこし眠ってもらうこともやむなし。
アルレンの肉体が、ぱきりぱきりと、ダイヤモンドへと変容していく。
「おお! そうだ見せてみよ! オヌシの必殺の技!」
「殺すわけにはいかないと言っているだろう」
彼はそう前置きをして、複数の魔法を唱える。
『――死の魔法、水の魔法、炭の魔法』
「むっ?」
白い魔法陣、薄い水色の魔法陣、黒い魔法陣が虚空に現れ、一点に向けて光線を放つ。何かを、錬成するかのように。
やがて創成されたのは、三色の光を放つ魔法の球体だった。
『幻惑の霧』
魔法の球が魔王に向けて放たれ、咄嗟に破壊したところで爆発した。花の色をする霧が、周囲に広がっていく。
「すんすん……なるほど! これは催眠ガスだな!」
フューリィはそれを直接嗅いで確かめると、そのまま意識を失って天蓋に落ちた。