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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
4/110

#4


 その後もカナはセネットから与えられた仕事をこなし、あっという間に昼食の時間になった。

 厨房にて、セネットがカナに尋ねる。


「……あんた、料理は?」

「食べます……」

「作れるかどうかを聞いてんだよ」


 カナは首を横に振る。母の料理を手伝うことくらいはあったものの、その程度のスキルがここで役に立つとは思わなかった。


「り、林檎の皮剥きくらいなら、できるかもしれないです……」

「……いや、いいよ。もとより食料に関することはあたしとジンの仕事だからね」

「ジン……?」


 聞いたことのない名前が出てきて、カナは首をかしげる。


「お呼びかね?」


 突然に背後から老父の声がして、カナは飛びあがった。振り返ると、見上げるくらい背の高い男が、彼女のうしろに立っていた。


 短くまとめられた白髪に整えられた(ひげ)をたずさえ、おだやかな老紳士という印象を与えている。

 しかし、これほどしっかりとした体躯の男が真後ろに来るまで気づかなかったことに、カナはびびり散らかしていた。


 ジンは野菜と果実、バケットなどが詰め込まれた紙袋をかかえている。早朝の買い出しから帰ってきた様子だった。


「カナ、あんたは食卓で待ってな。休憩の時間だよ」

「は、はいっ……!」


 カナは逃げるように厨房をあとにした。

 その背中を、ジンは不思議そうな顔を浮かべながら見送る。


「ふむ……。なんだかいつもと様子がちがいますね」

「食事のあとの方がいいと思ったんだけど……。昨日からあの子、様子がおかしいんだよ」


 セネットはため息をつきながら、そう切り出した。


「おかしい、というと?」

「記憶なくして、まるで別人みたいになっちゃってさ。真面目に仕事するようになったから悪いことばかりでもないけどね。心配なのはマヤ様さ……」

「…………ふむ」


 ジンは納得した様子を見せて、調理の支度に取りかかった。


「淡白なのは相変わらずだね。何度も死線を越えるとそうなるのかい」

「はは……性格ですよ。そういった現象にひとつ心当たりがあります。みんなで話しましょう」


 ややあって、食卓に昼食が並んだ。貧しさは微塵(みじん)も感じさせないが、屋敷にある装飾の数々と比べるとつづまやかな品揃えだ。


「ジン、セネット、遠慮せずに座って。一緒に食べましょう」


 マヤの言葉に二人は軽く頭を下げ、席に着く。のんきに座って待っていたカナはそのときそれが間違いだと気づき、赤面した。

 しかしカナの真横に座っているマヤは気にする様子を見せない。


 カナはスープの皿を手に取り、ひとさじ口にして衝撃を受けた。


「う、うそ……。お味噌汁の味がする……」

「美味しいでしょう。ジンは料理の天才なんだから!」


 マヤが得意げにそう言うと、ジンは嬉しそうにほほえんだ。


「お口にあったようで、何よりです。ですがカナさん、これは本物に寄せただけの(まが)いものですよ。この世界には醤油も味噌も、まだありませんから」


 彼の言うとおり、見た目は和食のそれとはほど遠いものだ。

 それよりもジンの口振りに、カナは違和感を覚えた。


「あの、今、この世界にって……」

「その前に、軽く自己紹介でも(いた)しましょう。きっとまだ貴方も――いえ、この場にいるみなが混乱しているでしょうから」


 三人の視線が、カナのほうを向いた。高校入試の面接で盛大にやらかしたことをカナは思い出し、たまらず背筋をこれでもかと伸ばす。


「え、ええーっと……。わ、わたしは江利田(えりだ)カナです。十六歳で……本を読むのが好きで……人と話すのは苦手で……ううーんと……い、以上です」

「十六だって? 笑えるね。演技だとしたら完璧だよ、あんた」


 セネットは皮肉を込めてそう言うが、その表情は断固として厳しい。


「え、え……?」

「中身はそうでも、その肉体は百五十は超えてるはずだよ。あんたはエルフといってね、人間とはちがうんだ。崇高(すうこう)な種族といえど、あんたは奴隷あがりの使用人だからね」


 浴室で見た古傷の数々を、カナは思い出す。

 エルフのカナとしての記憶がなくても、その傷が凄惨(せいさん)な人生を物語っているのは言うまでもなかった。


「セネット。そこまで。カナが困っているでしょう」

「……これは失礼。あたしはセネット、この屋敷の侍女さ。それ以外に話すこたないね。カナ、あんたをこき使うのが仕事だよ」

「……あたしはさっきカナと話したから、ジンの番で」


 マヤが(うなが)すと、ジンはうなずいた。


「私はジンと申します。この屋敷に古くから仕える執事です。以後、お見知りおきを」


 ジンの自己紹介はカナよりも簡潔で短く、カナは拍子抜けだった。とはいえ、執事の仕事については知識として身についている。特段、気になることなどなかった。


「……皆さん、よろしくお願いします……」


 みなが温かく、というわけではないものの、カナはこうして無事に屋敷に迎え入れられるのだった。浮浪者になるという最悪の想定はまぬがれ、安堵する。


「本題に入りますが、カナさん。貴方は本を読みましたね?」


 頬が緩むのもつかの間である。探るような眼差しを向けるジンの問いに、カナの思考は凍りついた。



 *



「ど、どうしてそれを……」

「やはり……。マヤ様、カナさんは〝憑依病(ひょういびょう)〟です」


 ジンの発言にマヤは怪訝(けげん)な顔を見せた。


「……聞いたことない。ひょーい……憑依?」

「医者がそう決めてるわけでもなく、罹患者が勝手にそう呼んでいるだけですから。厳密には病ではなく現象といったものでしょうか……」

「それって……治るの?」

「ええ、ご心配なく。こちらの世界のカナさんと、ここではない世界のカナさんが、入れ替わっているのです。向こうで元気にやっておられるでしょう」

「カナ! 向こうの世界って安全なの?」


 マヤはずいっとカナに詰め寄った。カナは必死にうなずく。もはや食事どころではない。

 セネットだけは聞き耳を立てながらも、黙々と食事を続けている。


 ジンの言葉を整理するうちに生じる、一つの疑問。


「……え待って。い、入れ替わる? 現実のわたしに、だれかが憑依してるんですか?」

「ええ。突然の豹変に周りの方は困惑されているでしょうな、ははは……」


 ジンは他人事(ひとごと)みたいに言っているが、したたる冷や汗を隠しきれていない。仕事をサボって丘の上で昼寝するような(よわい)百五十超えの女性が、現実で自身の本体に乗り移っているだと。

 絵空事のような話だが、ひとつ確かなことがある。


「ヤバすぎる……」


 複雑な感情をまとめるとその言葉しか浮かばなかった。


(いささ)か凶暴ではありますが、エルフのカナも悪い人ではありませんので……」

「凶暴なんですね……」

「これは失敬。言い方が悪かったですね。……好戦的な方なのです」


 まるでフォローになっていない。


 カナの脳内にあった清らかなエルフ像が、みるみるうちに崩壊していく。

 肩が落ちていくカナを見かねて、セネットが割り入った。


「ジン、あんたやけに詳しいじゃないか。この世界とか向こうの世界とか、あたしには何のことだかサッパリだよ」

「それは――遠い昔、私も罹患したことがあるのです」

「はあっ? 初耳だよ。一体いつ?」


 ためらいもなく明かされたジンの過去に、セネットはついにおどろいて食事の手を止めた。


「あれは確か……ああ、まだでした」

「なんだって?」

「お気になさらず。少々複雑な病なのです。ですが二週間ほどで私はもとに戻りましたよ。生活の基盤となる部分を、多く学ぶことができました」


 カナは浴室やトイレの先進的な構造を思い出す。あれが現代の技術を参考にこしらえたものだと言われれば、納得できる部分が多くあった。

 食卓に並ぶ料理の数々にも、現代の要素を取り入れているのだとカナは察した。


「二週間……」


 古風な世界を体験するには短すぎる期間だ。

 しかしカナには、ひとつやらねばならないことがある。


 ……マヤの死。


 勇者との同行で起こる悲劇を、なんとしてでも阻止しなければならない。


「なーんだ。もうずっとこのままなのかと思ってたわ。ね、カナ。あとであなたの世界のこと教えて!」


 マヤは安心したような口振りで、食事を再開した。

 とてもではないが、この場で彼女に直接打ち明けられるような内容ではなかった。


「う、うん……」


 暗い表情のまま、曖昧な返事をするしかなかったカナの様子を、ジンは見逃さなかった。


「……しかし、困りましたね。毎日の修練の相手がいなくては、身体が(なま)ってしまいます」

「あたしゃ仕事が減って助かるけどね。陰気な子だとは思ったけど、真面目に働くなら嫌いじゃない」


 ジンとセネットの二人は主人を前にしながらも、勝手気ままに自身の思いをひけらかしている。


「カナさん。のちほど二人で話の続きをしましょう。知りたいことが山ほどあるでしょうから」

「はい……」


 カナは炒飯のような料理を、スープと一緒に流し込んだ。マヤのことで頭がいっぱいで、料理についての感想などなにも思い浮かばなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっと百合っぽい展開が良いですね。 読んでいてドキドキしました。 そして憑依病。 好戦的なエルフのカナがやらかさないか心配です。
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