#39
揺れが収まり、カナははるみんと共に恐る恐る机の下から這い出た。
「あれは……?」
窓から見えるものから感じる、ただならぬ恐怖。さりとて、足がすくむことはなかった。あれと比べれば黒い嵐のほうがよほど恐ろしい。
むしろカナは、見知らぬものであるにも関わらずそれに妙な懐かしさを感じていた。
「……魔王が復活したのだ。封印が――破壊された」
諦観に満ちた表情をしながら教皇は呟いた。
またも、轟音。今度は短い間だけ地面が揺れた。して、魔王が居る方角は――赤く燃えている。すでに戦闘か、あるいは侵略が始まっているようである。
そして戦禍を向く方角には、アルレンの邸宅がある。
「大変だ……。マヤを守らないと!」
急激に湧き立つ意思に呼応するかのように、手元にモップが召喚され、カナの姿が変化した。
『――れおぷ……』
「ま、待てー! またそうやって勝手に行こうとするな! カナちゃんを守る身にもなれ!」
「う……」
カナの魔法の詠唱が、ゼノの必死の呼び声によって阻止される。
華麗に決まらなかったのが不服なのか、カナはしょんぼりした顔をした。しかしすぐに、何やら思いついたような様子を見せて、
『あ……行ってくるね!」
「はい?」
『――飛翔しろ!』
どろん。カナは周囲に黒い煤を撒き散らしながら転移した。
さりげなくはるみんがカナのローブの裾をつまんでおり、彼女も一緒に居なくなった。
ミラも教皇も、初めて目の当たりにする転移魔法に絶句している。
「言えば良いってわけじゃねええええええええっ!」
取り残されたゼノは、当てどない怒りを虚しく吐き散らすほかなかった。
*
誰も居ない邸宅前の庭園を着地点に選ぶと、カナは空間震動を起こしながらそこに転移した。
「マヤ!」
カナは必死な思いで邸宅に駆け入る。はるみんがひっついていたことに気付かぬまま。
茫然としながらカナの背を見送るはるみんは、柄にもなく目を丸くして驚いていた。
「……おっかない体験をしました。今のって……テレポートですよね……?」
だとすれば。もしかして。ひょっとすると。
はるみんはカナの能力を求める者に一人心当たりがあり、カナの知らぬところで期待感に胸を膨らませていた。
邸宅のエントランスは騒ぎになっている。
この人たちいつも騒いでんなぁとか内心思いながらも、カナはマヤの姿を探した。
「あ、カナお姉ちゃん!」
喧騒の中をぎゅうぎゅうと潜り抜けて、リミちゃんがカナに抱きついた。
カナは束の間を安堵し、彼女の頭を撫でた。
「リミちゃん。もどってきたよ」
「よかった! 無事だったんだね!」
「うん。それより、マヤは?」
リミちゃんが暗い表情で俯くことで、カナの焦燥感はそれに引っ張られるように湧き上がった。
「それが……。強い力を感じるって……あたしが止めないとって張り切って飛び出しちゃったの……。で、でも、ちょうどカナお姉ちゃんと入れ違いだったから、追いつけるかも!」
「追いかけなきゃ」
「へっ……?」
カナがあまりにも決意の固い表情をしていたからか、リミちゃんは彼女に圧されながらもそれを止める。
「だ、ダメだよ! 魔王が復活したんだよ? あちしたちも初めてみるんだよ。どんなヤツかもわからない!」
「うん。怖いから、遭遇する前にマヤを捕まえてくる。リミちゃんは、ここでいい子にして待ってて。絶対戻ってくるから」
「やだやだ……。危ないことはしないで……」
リミちゃんは縋るように、カナに泣きついた。こうしている時間も今は惜しいので、カナは少し困ってしまった。
「行かせてやんな」
そこに助け舟を出すのは、壁に寄りかかって傍観していたハナだった。
あるいは周囲の者も、こうなったカナは止められないことを理解しつつあるようだ。
「ハナちゃん。リミちゃんをおねがいね」
「わかったよ。てかその呼び方やめてよ!」
「あっごめ」
ともあれ、こうしてカナはモップを手に再び外に駆け出した。遠方から魔王が暴れている音が振動となって伝わってくる。
カナは精神を集中させ、転移魔法を応用してマヤの居場所を探った。視覚だけ先に上空に移送し、俯瞰的視点で王都を見渡す。
紅蓮のように赤い髪が目立ったおかげですぐに見つけた。戦禍に向けて駆けるマヤの姿を。
みれば、すでに王都の北門の間際である。魔法使いのくせしてなんと素早い身のこなし。身体強化でもしているのだろうか。
感心している場合ではなく、カナは転移魔法で北門の外に移動して、待ち伏せを謀る。
北門の兵はどうやら魔王の迎撃に向かったようであり、駐在所はもぬけの殻だった。
「カナ! どうしてここに?」
マヤはカナの姿に気付くと、驚いた様子を見せて足を止めた。
「……あぶないから、王都に戻ろう」
王都全域には強烈な魔法にも耐えられる防壁が常に展開される。
外よりも安全なことは間違いない。
「さっきの光線を見たでしょ? あれが直撃したら王都は陥落する! あたしが止めないと!」
マヤはコペラ村での一件以来、戦果に飢えているようだった。貴族としての矜持だろうか。それにしてはあまりにも無理をしすぎているように、カナは感じていた。
「マヤ一人じゃ無理。せめてアルレンさんとか、勇者さんが来るまで待とう?」
「……それじゃあ、あたしは何もできないじゃない……。民を守るのが貴族の役目よ。それができない臆病者なんかに、あたしはなりたくない!」
アルレンの強さと比べれば、マヤは羽虫にも及ばない程度の力しか無い。そんな自覚が彼女にあり、マヤは悔しそうに拳を握りしめて吐き捨てた。
「マヤは臆病じゃないよ。わたしがマヤを守らなきゃなのに、旅の途中ではずっとわたしを守ってくれたじゃん。わたしこんな性格だから面と向かって言えなかったけど……すごく、すごくマヤには感謝してるの」
カナはマヤの手を大事に握りしめて、照れくさそうにそう告げた。
「カナ……」
「この世界にきてマヤが居なかったら、わたしはたぶん……どうかなってたよ。でもあのときお風呂場で、マヤが友達になってくれたから。わたしはここまで頑張れたの。ここまできてマヤを失うのだけは絶対いやなの。だから、一緒に戻ろう」
マヤはカナの手を握り返して「うん」と頷いた。
まるで自分がどうかしていたみたいだと、このときマヤは感じていた。磁石が互いに吸いつくように、魔王の魔力に吸い寄せられていたようである。
これでひとまず一安心。そう考え、カナはモップを天に掲げて、転移魔法を唱えようとした。
『じゃあ飛ぶよ。――れおぷ……あれっ!』
突然、変化していたカナの姿がみるみるうちに元に戻りはじめる。風邪でも引いたか、身体の火照りと眩暈を感じ、咄嗟にカナは自身の口元を覆った。そして、
「けぽっ」
なんか吐きそう。そう思ったと同時に吐血した。マヤの驚く顔を尻目に、その場に倒れて気を失いかけた。
「カナ……? カナっ!」
「う、う……。さ、さむい……」
かろうじて意識はあるが、カナの身体は麻痺して動かない。
それは魔力切れの症状に似るものだ。しかし顔が青ざめ、唇が赤紫に変わるカナの様子に、マヤは異様に焦っていた。
本来ならば魔力切れで吐血することなど、ないのである。
「うそ……大丈夫? しっかりして!」
周囲に兵士もいない状況で、カナを迂闊に動かすわけにはいかず、マヤは立ち往生してしまった。
幸いにも、戦闘の音は止んでいる。
少なくとも手当たり次第に破壊の限りを尽くそうという者ではないらしく、マヤは落ち着きを取り戻すことができた。
そのときである。
「どぅわーっはっはっはっは! 懐かしい力を感じて来てみたら……面白いヤツがたおれているではないかっ!」
あまりにも豪快で……やかましい笑い方をする少女が、マヤたちに近寄った。
街の娘だろうか。可愛らしいけれど些か地味なワンピースを着た彼女は、燃える炎のような赤い髪を揺らしつつ、腕を組みながらマヤたちを見下ろす。
「あなた、こんなところに居たら危ないわよ! すぐに王都に避難しなさい! それと、兵士を見かけたら呼んできて!」
「んお? どぅわーーーーーっはっはっはっは! よかろうっ! たすけがいるのだな!」
何がおかしいのか。人が倒れているのに。
マヤは不謹慎な少女に対し、心の中で微かに苛立ちを募らせた。
しかも少女は王都に向かず、マヤとカナの手を握る。すかさず滝のように流れ込む莫大な魔力をその身に感じて、カナの容態はすぐに回復した。
「な、何が起こったの……?」
口の中に残る鉄の味に不快感を覚えながらも、カナは自分の力で起き上がった。
「よいかっ! 〝大自然の祝福〟を使う少女よ! オヌシの力は素粒子への干渉! スンゴイ力にはスンゴイ代償が伴うっ! 気をつけるのだ!」
高らかでやかましい笑い方をしながら、その少女はてくてくと王都に向かっていき……道半ばで倒れた。
「あの……大丈夫?」
心配そうに声を掛けるカナに、その少女は弱々しく呟いた。
「は、腹が……減った……」
原理はわからんが助けられたのだ。その恩は返さねばなるまい。
カナとマヤは顔を見合わせ、渋々少女を連れて帰ることにした。




