#38 生意気チビ魔王・フューリィの凱旋
『……! 浄化せよ!』
ミラはどういうわけか部屋にカナが居ることに気付くと、一瞬だけ不機嫌そうな顔を見せ、カナに向けて回復魔法をぶっ放した。
神聖な温かい光がカナを包み込み、やがて消えていく。
「え……?」
無論、それがカナに危害を加えることはなかったが、突然の出来事にカナはただ呆気に取られた。
「あらごめんなさい、カナさんでしたか。あまりに陰気が強いので不死型モンスターかと思いましたわ、うふふ。どうしてこんなところに?」
ミラはわざとらしく微笑みながらそう言った。あまりにも分かりやすい嫌がらせには、よもや苛立ちすら募らないものである。
あの包容力のある彼女にそんなことをされるとは。カナは未だに状況が理解できず口を半開きにしている。
こんな時どのように返せばいいのかわからないのである。
「ミラ、帰ってきたのか。カナとそちらのお二人は私が招待したのだよ」
「お父さま。お身体を労ってください。こんな泥棒猫を家に入れては、病が悪化してしまいます」
ミラはそう言うとゴミを見るような目つきでカナに一瞥をくれた。
「……泥棒猫?」
彼女の異様な物言いに久し振りの再会を果たした教皇も困惑しているようである。
「そんなことより! 勇者さまが奇妙なことを言っていました。『魔王はじきに復活する』と!」
ミラの言葉に、教皇のみならずカナたちも驚き目を丸くした。はるみんもパチリと目を開け、眠い目をこすりながら上体を起こした。
「馬鹿を言うな……。魔王に掛けられているのは未だ原理も未解明な五重の封印だぞ」
「ですが、勇者さまが……」
勇者が言うと、冗談もそうではなくなる。だからこそ教皇は小馬鹿にして笑うことすら出来なかった。
過去の周期で勇者は目的を果たすために『魔王が復活した』と本に書き記すこともあった。結果は言わずもがな、何も起きないと実証されている。
しかしカナが読んだ本のことを考えると、不気味なまでに冷たくもある焦燥感が心の奥底から湧き上がるのだ。
「……五つの鍵は平和と中立の象徴。一ヶ所に集まらんようにそれぞれが分散して所持しているし、そのうちの一つは私の手中だ」
自分を落ち着かせるかのように、教皇は勇者の予言を否定する。
魔王の復活が〝暗黒の周期〟の引き金なのではないかと、噂する者も少なくない。だからこれまで〝自覚者〟は、勇者の旅を妨害してきたのだ。
「そもそも、その勇者は今どこに居る。一緒ではないのか?」
「……それも、おかしくて……」
ミラは打ち明かすのを躊躇って、弱気に俯いてしまった。
「じれったいぞ。私は教皇ではなく父親だ。なんでも話してみなさい」
「勇者さまは……オルキナの近郊で妨害による足止めを受けていて……」
「なんだそんなこと。予測の範疇ではないか」
「その――妨害をしているのは、王国騎士団のムサシさまなのです……」
「は……?」
時間が止まったかのような沈黙が、部屋を覆った。
ミラの発言に、そこに居る全員が言葉を失った。
ムサシは王国の騎士団所属でありながら、〝後援会〟の主力でもある人物だ。彼は偽名でもなく、勇者に名を知られていないはずもない。
教皇は衰えた頭で必死に理由を探るものの、思い浮かぶ節もなく。
信仰対象に対する謀反など言語道断。
そんなことをすれば何が起こるかなど、火を見るよりも明らかで――。
「――神罰が下るぞ……」
止められない災害を目の当たりにしたかのような絶望的な表情を見せながら、教皇はただ一言、分かりきった未来を紡いだ。
「私とサーベラスは隙をみて王都に入れましたが……どうしたらいいのかわからなくて……」
曰く、勇者はミラとサーベラスに復活する魔王を倒せと指示を出したらしかった。
サーベラスはその指示に従い祠に向かったが、ミラは不安になってここに寄り道したのだ。
「不可解な発言に騎士の裏切り……いったいこの周期はどうなっているのだ……」
教皇が尻込みしながらそうぼやいた直後である。
――雷が落ちたかのような轟音が鳴り響き、大地がけたたましく震動した。
「きゃあ!」
ミラは尻もちをつき、カナは逃げるように机の下に潜って隠れた。物が落ちて割れる音が幾度となく鳴り、砂埃が天上から舞い落ちる。
「は、はるみんちゃんもこっち……!」
「あ、はい……」
幼少の頃からしつこいくらいにやってきた訓練が、カナの身を守った。
考える前に動けたことが教育の賜物であろうことを、カナは身をもって痛感する。
しかし揺れがなかなか収まらない。建物そのものが崩れてしまうのではないかという懸念に、カナははるみんの手を握りながら身を震わせた。
「今度は何事だ……!」
部屋を照らしていた女神と黄竜の描かれた大きなステンドグラスは無惨にも割れており、晴天が視界に晒される。
教皇と、その場で身を屈めていたゼノはそこに見てしまった。
禍々しい邪悪を帯びた光線が、まるで祝砲をあげるかのように天を豪快に貫いていたのである。
そしてその光は紛れもなく――魔王が封印される未開の洞窟がある方角から伸びていた。
*
同刻、オルキナ近郊の草原。
迅雷と火砕流の衝突を、アルレンは上空に浮かぶ黒の円盤の上に立ちながら眺めていた。
〝後援会〟の主力たる騎士が勇者の行く手を阻む。
その異様な光景には、聡明な彼ですら理由を見出せないでいる。
その時だった。天を貫く邪悪が、その影で三人を覆い隠した。
揺らぐ大地とともに突如として暗くなる視界に、ムサシもリュウも戦いの手を止めてそれを見た。
すべての〝自覚者〟がそれを見ていた。
「なんだあれは。いや、待て――」
上空にいたアルレンは気付かぬはずもなかった。
得体の知れぬ光線が伸びた直後、勇者を中心として世界を閉じる〝解放の渦〟が――まるで初めからなかったかのように消えていた。
地平線に山麓の影が朧げに描かれている景色にアルレンは目を奪われていた。
何周にも、何年にもわたり人々が待ち焦がれた〝普通の景色〟は暴力的なまでに美しく。
頬に伝う液体がなんだったかも思い出さぬまま、アルレンは瞬きもせずそれを眺めて言葉を失っていた。
その方角は王都の北西――魔王が封印される洞窟のある場所だ。考えるまでもなく、子どもですら理解できることが一つある。
――魔王が復活した。
恐れ慄くべきことだろう。あの光線が魔力の放出だとすれば、世界は間違いなく大きな被害を被る。
しかしアルレンにとって――否、すべての〝自覚者〟にとってそれは些細なことだった。その理由は言うまでもない。
その時たしかに世界は救われていたのである。




