#36
永きにわたる繰り返しの果てに〝自覚者〟たちは、周期そのものを四つに分類して考えるようになった。
一つが〝善の周期〟。
勇者が魔王を倒すという使命を抱き、正義の名のもとに旅をする周期である。
原初の周期と推測され、生存技術も戦闘技術もない勇者はいとも容易く死に至り、次の周期へと変遷する。
しかし時に犠牲も厭わない冷酷な勇者が旅をする場合があり、一部ではそれを〝偽善の周期〟と呼ぶ者もいる。
一つが〝アルレンの周期〟。
アルレンが勇者と共に旅をし、あるいは裏切り、勇者と〝エリュシオン〟に関する研究を飛躍的に進めた百十七周に及ぶ周期である。
善の周期にて激化していた〝自覚者〟と勇者の対立を諌め、歴史をもっとも未来に進めたアルレンは一部では英雄視されている。〝後援会〟にも彼を敬う者は少なくない。
一つが〝悪の周期〟。
勇者が使命を放棄して、本の力を自身の思うがままに振るった周期である。
アルレンを強く憎んでいたことから、アルレンの周期から続いたと推察されている。
奇しくも多くのモンスターや霊獣が誕生した。あるいは新しい魔法が生み出され、文明の発展効率が向上したという一面もある。
「〝悪の周期〟では勇者を憎む者が多く生まれた。それにより、後に訪れた〝善の周期〟で勇者に復讐する者もいた。勇者からしてみれば、それは理不尽な暴力に他ならない。勇者もまた〝自覚者〟を憎んだ。こんな悪循環がしばらく続いたのだ」
教皇は過去を思い起こしながら、それをカナたちに語った。
実のところ、難解なあまりカナは彼の話をほとんど理解できていない。耳から煙が出そうになっている。
あとでゼノに要約してもらおうと決め、カナは教皇に問う。
「最後の一つは?」
「……〝暗黒の周期〟と呼ばれるものだ」
それは最も単純な周期らしく、そして〝後援会〟がなんとしてでも発生を避けようとするものだった。
結末に意味不明な暗号文を記し、それ以上は何も書かれない。〝書架〟を見つけるために旅をし、何かを口伝し、その後勇者は――自殺する。
〝書架〟からしてみれば結末を変えることなどままならず、ただ〝自覚者〟が無際限に増えていく。
「どうして自殺なんて……」
「我々にはわからない。なにか目的があるのは確かだろう。しかし〝自覚者〟たちにとっては地獄のような周期だ。希望もないまま世界が閉じるのを待つしかないのだからな」
コペラ村のアルレンの家宅で彼が言ったことをカナは思い出した。
『もし今が〝暗黒の周期〟と呼ばれるものだったら……。勇者を止めねばなりません』
〝自覚者〟は世界が次にどの周期に変遷するのかわからない。
善だったものが突然、悪になることもあるということだ。
「その周期が〝暗黒の周期〟だった場合に備え、〝自覚者〟は勇者よりも先に〝書架〟を見つけねばならない。アルレンは〝憑依病〟なる偽りの病を周知させ〝書架〟を誘導しているようだな」
ジンに出会ってすぐに本の結末を尋ねられたのも、その周期が何なのかを特定するためだったのだと、カナは理解した。
「……特別に、良いものを見せてあげよう」
教皇はそう言うと、枝のような腕を杖に見立てて天に掲げた。
『――刻憶を展開せよ』
机の上に、魔法の巻物らしきものが広がった。大きすぎるあまり、全容はわからない。
しかし、それが何なのかはすぐに理解できた。カナのみならずゼノも驚きのあまり目を丸くした。はるみんは寝ている。
「記憶の一部を代償にして、受け継がねばならないものをそこに刻んだ」
周期が変遷を迎えると、本に書かれていないものは消滅し、一から作り直すことになる。教皇はそれを回避するため、周期を跨いでも持ち越せる記憶そのものに、魔法をかけて歴史を刻み込んでいた。
〝自覚者〟たちが体験したすべての周期で起きた出来事が、その魔法の巻物に記されている。
「こんなもんオレたちに見せていいのかよ」
ゼノの声は恐れか緊張か、微かに震えている。
アルレンも似たようなことをしているが、それとは規模がまるで違うのだ。
「構わないさ。〝黎明〟も〝後援会〟も、救われたいと願うのは同じだ」
「……アンタらは都合が悪くなったら勇者を消すやろが」
「ゼノ。お前とリミナは〝悪の周期〟の生まれだろう。制御の効かない神の力を、その眼で目の当たりにしたはずだ」
「…………」
ゼノは何も言い返さなかった。彼もまた、勇者に強い憎しみを持つ者の一人なのだと、カナは悟った。
「私欲に塗れ腐った者が居ることは、認めよう。だがその者らのために周期をリセットしているわけではない。カナは何も知らないようだから、教えよう――」
「いやいい。教えんでいい。やめろ」
ゼノの制止に聞く耳を持たず、教皇は知られざる過去を明かす。
「その目で見るといい。忌まわしき勇者の姿をな」
教皇は巻物を操作して、ある一部分を拡大した。
そこに書かれたのは〝悪の周期〟で勇者が本に記述していた内容だった。
アルレンに対する底知れぬ憎悪を綴り、あらゆる不幸で彼を貶めている。
それはカナが現実で読んだような、随筆文でもなんでもない。すべての文章が未来形で書かれている。
手足を失う。失明する。崖から落ちる。生き埋めになる。溺れる。焼かれる――。
思いつく限りの災難を、よもや箇条書きであるかのように書き連ねている。
「なんてひどいことを……」
あの優しそうな勇者がそんなことをしていたという信じがたい事実に、カナは驚き目を見張る他なかった。
「これは勇者なりの復讐だろう。アルレンも相応のことをしていたからな。だがアルレンは本に縛られなかった。すべて無意味だったのだ」
「どうして……?」
「アルレンという名は、偽名なのだ。本名は誰も知らない。ゼノや、それとリミナもそうだろう。偽名を記しても、本は運命を拘束しない。主語が大きくなれば話は別だが」
本に選ばれて〝書架〟になる者は、みな日本からやってくる。
カナは勝手に、日本に居た外国の者が本に囚われたのだと解釈していたが、そうではなかった。
ひとしきりアルレンに呪詛を吐き終えた勇者は、ついに本の力を私欲のために行使する。
公衆の面前でアーサー王の処刑を敢行し、王座を奪った。
王国は帝国へと変わり、名ばかりの勇者のもと、容赦のない略奪が始まった。しかし勇者はあまり強くなく、本の力が及ばないところで呆気なく死んだ。
「かつて〝書架〟だった私はすぐさま対策を練った。そうして設立したのが〝後援会〟だ。この肉体に憑依した者は日本では政治家だった。政治の代行や支援と引き換えに〝書架〟を続けさせてもらう約束を取りつけて、秘密裏に勇者の暴走を阻止しようとした……!」
五、六周もすれば教皇と手を組んだ勇者は世界を思い通りにするシナリオを完成させていた。教会は〝後援会〟にとって変わり、勇者を神として信仰した。
反乱を企てるあらゆる〝自覚者〟を一纏めに処刑し、勇者とその軍勢は邪魔者の居ない世界を好きに荒らして、壊した。
しかし教皇の計略はあばかれて、彼は永遠とも思える神罰を受けた。
それには見せしめの意味もあったに違いない。
〝悪の周期〟が終わっても〝後援会〟は、彼の支援を続けざるをえなくなった。
勇者にひれ伏せば救われるという思想を、事実を以て植えつけられたのだ。
「どんな強情な女も、ひとたび勇者が本に綴れば、思いのままに洗脳される。彼が何をしていたかなど語るに及ばぬだろう」
「頼むからもうやめてくれっ! 思い出させるな!」
ゼノは頭を抱えて、懇願するかのように、必死に叫んだ。
楽観的な人物のように見えても、この世界では誰もが凄惨な過去を持つのだ。
「わかっただろう、カナ。お前の恋人がどんな男であるか……!」
「こ、恋人なんかじゃ――」
「今はそうでなくても、いずれそうなるのが運命。悪魔のような周期はおおよそ七十にもわたり繰り返された。それでもお前は勇者に心を許すのか? 答えよ、カナ!」
バチチ――。何かが放電するかのような音が、ゼノのところから鳴った。
「な、何……?」
ゼノの身には何も起きていない。でも勘違いではないようだった。
教皇もまたその音を耳にしたようで、呆気にとられた表情でゼノの方に視線を向けている。
(なに、今の……?)
気のせいでなければ、カナと教皇は見た。
放電するような音が鳴ったとき、視界の隅で、瞬きするような時間。
ゼノの存在は、そのとき確かに消滅していた。




